第二十五話
日が暮れる前に、都とネフェルはクラウディアに薬師の家まで送ってもらった。
ネフェルは遠慮したが、昨夜からの出来事を説明してすっかり疲れていたこと、それに「神舎も今夜はまだ何があるかわかりません。せめて今夜だけでも。」とマーギスに言われて勧めに応じたのだ。
先に連絡を受けていたルーヴが外で待ち構えて三人を出迎える。そうして薬師に二人の少女を託すと、クラウディアは必要なものをかき集めてまた神舎に戻って行った。
家に入るとアルが真っ先に飛んできた。
「どこ行ってたんだよ!」
「散歩のつもりが……なんかいろいろあって……」
「ミヤコ、字が読めないじゃないか。迷子になったらどうすんだよ!」
「心配してくれたの?」
「ったりまえだろ!友達なんだから。」
ためらいのない真っ直ぐな少年の言葉に、都は驚き、嬉しくなる。
「ごめんね、アル。心配してくれてありがとう。それにフェスのことも……」
「うん。」とアルは頷く。
ルーヴによるとフェスの回復は順調で、時折、羽をばたつかせているらしい。
「明日には飛べるようになると思う。」
その言葉に都は安心する。
「もう一つ、ルーヴさんとアルにお願いしたいことがあるんだけど。」都は言いながらカバンの中でいじけて、くってりしているコギンを抱き上げた。
都がアルに「お願い」をしている間、薬師の妻は離れにある風呂を沸かし、二人分の着替えを慌しく整えた。
その間ネフェルが幼いホリンの相手をし、ホリンも嬉しそうに笑い声を上げていた。
「ネフェル、何でもできるんだね。」素直に都は感心する。
「村で暮らしていたときは、小さい子の面倒を見るのは年上の役目だったから。」
そんな調子で夕食を終える頃には、ネフェルもすっかり薬師の一家と打ち解けていた。
ホリンが最初に「おやすみなさい」を皆に言い、それに続いて都もネフェルと共に、ここ数日使っている部屋に引き上げた。
「コギンは?」手ぶらの都を見てネフェルは訊ねる。
「さっきリュートに銀竜の薬の処方、書いてもらったから。ルーヴさんが調合して銀竜の寝床に敷いてくれて、今日はフェスもコギンもそこで休ませることにしたの。」
そう、と髪を解きながらネフェルが言った。そうやって髪を下ろすと確かに近い年頃に見える。その胸元に下がっている物に目が留まった。視線に気付いたネフェルが掌に乗せて掲げてくれる。
「指輪?」
「父さまの形見。多分……一族の証のようなものだと思う。」
「ホントだ。守り石も埋め込まれてる。」
「私たち……守り石にちゃんと守ってもらったのかしら。」
「これってそういう役目なのかな?」都も自分の胸元に下がる銀細工をつまみ上げる。
「それに彼、ミヤコのこと凄く気にかけていたわ。」
「いっつも怪我してるから。」
「今も彼のこと感じてる?」
「え?」
「契約の力。」
うーんと都は天井を仰ぐ。
「あるようなないような……怪我を治してもらってるときは感覚があるけど……目に見えないものだし、あんまりよくわからなくて……」
「嬉しいとか、安心するとか、は?」
都は首を左右に振る。
「ネフェルが期待するようなものじゃないよ。さっきだって会ったの久しぶりなのに、すごく普通だったし……」
自分でも意外だった。
むしろ生徒手帳に手紙を書いたときは世界の違う不安や苛立ち、それにフェスと離れて一人でいることへの心配や色んな感情がごちゃまぜになっていた。けれど自分を真っ直ぐに見てくれる眼差しと名前を呼んでくれる少し低い声、そして支えてくれる暖かい手に触れたらそんなものはどうでもよくなってしまった。自分の怪我を心配し、戸惑う自分に大丈夫と言ってくれる姿は、都のよく知るいつも通りの早瀬竜杜に他ならない。気負うことは何一つなかった。
「なんだか安心したけど……やっぱり色気ないよねぇ。」
くすりとネフェルが笑った。
「そんなにおかしい?」
「いいえ。両親のこと思い出したの。」
「ネフェルの?」
「ええ。離れて暮らしてたから一緒にいるのは時々だったけど、母はいつも普通だった。父が久しぶりに私達の家に戻っても、昨日までそうしてたみたいにそれが当たり前って顔で接してた。ミヤコの話聞いてたら、なんだか思い出してしまって……」
「でも、わたしとリュートは長い時間一緒にいたことがないから……」
出会ってから一年近く、付き合い始めてから半年ほどだが、一緒に過ごした時間はひどく少ない。それでも関係が保たれているのは彼の実家であるフリューゲルと、父、加津杜のおかげと言っても良い。それがなければどうなっていたか、と考えたことは一度や二度ではない。
「わたしは他の国の人間だし、どうして契約が成立したか不思議って言われるくらいだし……一族のことも全然わかってない。どうにかしなきゃいけないのに、何にもできてない。」そこまで言ってはっとなる。
「ご、ごめんね。知り合ったばっかりのネフェルにこんなこと愚痴って。」
「ううん。確かに私達はまだ受身が多いわ。それでも、できることはきっとあるはず。それに時間の長さは関係ないんじゃないかしら?」
「え?」
「私達だって知り合ったばかりなのに、もうずっと友達みたいに感じてる。私だけかもしれないけど。」
「ううん。わたしも同じ。」顔を見合わせて笑う。
「だったら彼も同じように感じてるはずよ。それにミヤコは普通っていうけど、ラグレスさん、ミヤコと会ってとても優しい顔してた。ミヤコのこと好きじゃなきゃあんな顔できないわ。それにミヤコだって彼が心配でここまで来たんでしょう?」
頷く都にネフェルは「ほらね」とにっこり笑う。
「ミヤコ、凄いことしてるじゃない。」
「凄いかどうかはわからないけど……ここまで来て良かったって思ってる。リュートに会えたことも、ネフェルに会えたことも……その、色々ありすぎたけど。」
その言葉にネフェルも笑顔で同意した。
「書庫の閲覧を希望したが断られ、遺跡巡りをして地下道を見つけたところ銀竜が異変をきたした。銀竜をその場に残し地下道を進んだら、神舎の『光の庭』に出て侵入者として捕まった。」
「彼が軟禁された経緯はネフェル・フォーンの話とも合ってます。見学を申し出たときの神舎の対応も、証言と合ってますね。」部下である若い修士の言葉に頷きながらマーギスは言った。
すでに夜の帳が下りた書庫で、二人は今日半日で記録した証言をつき合わせていた。独特の走り書きで記した紙をまとめながら、若い男は首を傾ける。
「なぜラグレスは名乗らなかったのでしょう。竜隊の名を出せば……」
「確証が欲しかったんじゃないでしょうか。」
「呪術の、ですか?」
「ええ。君も見たでしょう。彼らはいざとなれば竜を召喚することができる。それをしなかったのは、ここで何かが起きていると、本能的に感じたのではないでしょうか。」
「本能的……ですか。」
「竜を繰る一族は、大気を感じる力に長けていると聞きます。さらに彼、リュート・ラグレスは銀竜の主人でもあります。」
はぁ、と若い男は気のない返事をする。
「銀竜は竜と同じ敏感な生き物です。」
「何しろ実物を見たのも初めてで……その……」
しかも初めて遭遇した銀竜が、怒りに任せてゲルズを襲うのを目の当たりにしたのである。「繊細な生き物」という印象には程遠い。
「銀竜が人を襲うのはよほどの場合だそうです。でも……だからこそ淘汰されてしまうのでしょうね。ともあれ、あの小さな生き物と共にいる人たちは気を感じ取る能力には長けていると思いますよ。」
「ではミヤコ・キジマも?」
「彼女は一族でないそうですが、そうだと思います。まぁ宗教施設に一族が関わったとなれば、面倒になることもありますから。」
「だから名乗らなかった、と。」
「そんな解釈で充分でしょう。ミヤコ・キジマとネフェル・フォーンの分だけでも、早急にまとめられますか?」
「はい。あの……彼女の身元は確かめなくてよろしいのですか?」
その言葉にマーギスは微かに眉を寄せる。
「それは……彼女が国交のない辺境の出だからですか?」
「いえ……その……」
「クラウディア嬢が言っていたでしょう。不法移民ではなく、ちゃんと聖堂に婚約の届けは出してあると。何より彼女が法を犯すような人に見えますか?カフタ。」
カフタと呼ばれた若者は頭を垂れた。
「申しわけありません。」
「それより明日、オーディエ・ダールが竜を出してくれるそうです。本舎へ臨時の司祭の派遣と、二人の護送の手配を早急に依頼します。彼はそのままガッセンディーアに戻るそうなので、私たちが神舎に戻るのが遅れる旨、伝えてもらいます。」
「留守番のメルヴァンナ司祭が愚痴をこぼすのが目に浮かびます。」
「ええ。でもちゃんとやってくれるので安心していますよ。」マーギスは立ち上がる。
「少し外の空気を吸ってきます。急ぐことがあれば、書き付けておいてください。」
マーギスは真っ直ぐ礼拝堂に向かった。扉を細く開けて中を覗くと、何人かの修士が一心に祈りをささげていた。その姿に小さく頷く。
神舎をひっくり返すほどの騒ぎの後、夕刻の礼拝でマーギスは事実だけを簡単に述べた。
この神聖な場所で呪術を使った者がいたこと。そしてゲルズ司教がそれを黙認したこと。
もちろん納得しかねる者もいたが、彼らが神舎と関係のない人間を手にかけようとした事実を述べると、それ以上何も言わなかった。そしてマーギスがしばらくこの神舎に留まることを伝えると、その表情は一様に安堵し、ようやく日々の祈りに集中することができたのだ。
マーギス自身、ガッセンディーア司教の肩書きが多少役に立ったことに内心ホッとする。
「歴史ある神舎ですから、自らの意思でここにやってきた修士も多いようです。」
言ったのは、ガッセンディーアから共に来たもう一人の部下、オゥビだった。
その言葉を考慮していつもより長い時間を礼拝に割いたが、それでもなお神に心の平穏を求めるのは当然だろう。
回廊を抜け「空の庭」に立つと、ちらちらと明かりが灯っているのを見つけた。月の光を頼りに進むと、やがて開けた場所に出る。手摺壁の先は何もなく、砦を囲む壁まで距離があるのでまるで空に放り出されたような開放感に襲われる。
ふいに、これが「空の庭」の由来かと思い当たった。
「こんな時間に散歩ですか?」
「それはお互い様。」マーギスは声のする東屋に近づいた。
相手に勧められるまま空いている腰掛に座る。
「お一人ですか?」
「顔を合わせてる限り、クラウディアの小言が止みそうになかったので。」
「随分と心配していましたからね。」
「分が悪い時は逃げるのが一番。」言いながらリュートは空を見上げる。
その横顔を見ながら、その目元がクラウディアや彼女の母親に似ていることに改めて気付く。
「空を見ると落ち着きますか?」
「銀竜のいない物足りなさはありますが。」
「彼女ではなく?」
「彼女が無事だから、こうして平常でいられる。」
「自分が在るための大前提ということですが。」
「ええ。」
「あなた方の契約という行為は、何度聞いてもわかりかねます。」
マーギスの言葉にリュートは苦笑する。
「言葉では伝えられない。何より自分がそうなって初めて感じるほどですから。それで、彼ら今は?」
「見張りを置いていますが、意外なほど大人しいようです。ただ、今はまだ何かを聞くような状況ではありません。ゼスィは口を閉ざしていますし、ゲルズは……」
「銀竜の傷は治りも遅い。自業自得と言えばそれまでだが・・・」
マーギスは頷く。
命にかかわる傷でないものの痛みは当然あるので、今は薬で半分眠っている状態なのである。
「ゼスィ……というのは本名なんでしょうか。」
「問い合わせますが答えが出ない可能性もあります。それよりお聞きしてよろしいですか?」
「調書の続きですか?」
「言ったはずです私達は公安ではない。あくまで記録のため、協力をお願いしているだけです。」
「お願い、ね。」リュートは肩を竦め、「それで?」
「あなたの銀竜が立ち入れなかったこの場所に、なぜコギンは立ち入ることができたのか。」
「ああ、」とリュートは呟く。一瞬考えて口を開いた。
「自分も専門家でないから確証はありません。けれど説明したようにコギンは成獣になりきっていない、それゆえ発達していない感覚があっても不思議はないでしょう。それとコギンもその親も、一族や空の民とは縁のない他国にいた。言語も環境も違うところで育った銀竜に何らかの影響があってもおかしくない。」
「人智の及ばない話し、というわけですか。」
「よくあることです。」
「若いのに達観してらっしゃいますな。」
「そういうわけじゃないが……都がフェスを地下道で見つけたことも、偶然で片付けていいのかどうか。もしあのまま誰にも見つけられなかったら……」リュートは険しい表情になる。
「彼女の話を聞くと、コギンがフェスに引き寄せられた印象を受けますが?」
「そもそも彼女が自分からこんな場所に来ると思わなかった。」
「では彼女がこの地に来たことが、人智の及ばぬ力による、と?」
「いや、そこまでは……」言いかけて、リュートは言葉を切った。
顔に無造作にかかる黒髪をかきあげながら呟くように言った言葉は、マーギスが予想しなかったものだった。
「そういう言い方をするのであれば……彼女と出会ったことが偶然以上のものなのかもしれない。」
(だからこそ、面白いと思いませんか?)
不意にマーギスの脳裏に蘇る声。
マーギスははっとなって目の前の青年を見た。
「何か?」夜の闇と同じ色の瞳がいぶかる。
「いいえ。」慌てて首を振る。
なぜ今ここで、もうずっと昔に言われた言葉を思い出したのか自分でも不思議だった。古い思い出を払拭するように軽く咳払いをすると、
「もしかしてあなたは待っていたのではないですか?」
「え?」
マーギスは空を指で示した。
「興味と知識があって調べればわかることです。呪術は影の力。ゆえに影の月が光りを帯びる半年に一度、呪術も大きな力を得ることができる。」
リュートは空を見上げた。
普段は影でしかないもう一つの月が、うっすらと明るさを帯びている。恐らく明日の夜になればもっと明るさを増すだろう。
「南に残る伝承ですね。」
「呪術を信じる者ならば、その伝承を信じるのもたやすいでしょう。」
「司教殿が民間伝承に詳しいとは……それにあなたは偶然居合わせたと言ったが、手際が良過ぎる気がする。」
「矛先がこちらに向きましたか。」マーギスは微笑む。そして彼と同じように空を見上げた。
「本当に偶然です。まさかこんなところでクラウディアお嬢さんに会うと思いませんでした。ましてあなたへの伝言を頼まれるとは……」
礼拝室で待ち構えていた「以前お世話になった」女性がクラウディアだとわかったとき。
「一体、何の趣向です?」思わずそう言ってしまったのは、彼女のお転婆な少女時代を知っていたからだ。そんな呆れ気味のマーギスに、クラウディアはにっこり笑みを浮かべて言ったのだ。
「マーギス様にお願いがあって参りましたの。」そこまで言ってスッっと真顔になる。
「クラウディア・アデル・へザース一個人としてのお願いですわ。」
そこでリュートのことを聞き伝言を頼まれたことで、マーギスは事の重大さに気付いたのだ。
「影の月の伝承は、子供の頃から当たり前のように聞いてきました。私の育った所では英雄も神も区別はありませんでしたから。」
「じゃあ出身は南……」
マーギスは頷いた。
「だがあなたの弟子はずいぶん武術に精通している。」
そのおかげで、マーギスの部下の助けがあったから、逃走するゼスィを取り押さえることができたのだ。それにもう一人の部下が結果的にダールを手伝い都とネフェルを救ったことも、クラウディアから聞いている。
「ルァの生み出した神の一人……武神を奉った神舎では武術はたしなみのようなものでしてね。」
「彼らはそこの出身だと?」
「私も昔厄介になったことがあって、その縁で私の元に来た。それで納得していただけますか?」
「以前……聞いたことがある。神舎には特別な権限を持った神職があると。彼らは神の僕でありながら、時には同じ神に仕えるものを裁く権限を与えられていると。」
マーギスは答えない。
「あなたはあえてこの時にここに来たんじゃないですか?もしかして最初から……」
マーギスは苦笑する。
「確信などありません。ただ……今の司教になってから内部の様子がわかりにくくなっていたのは事実。一般への開放も最低限。それに歴代の司祭の墓参りも受け付けないとなれば……何が起こっているかこの目で確かめたくもなるでしょう。それに、ここに来るのは実際、長い間の希望だったのですよ。前任のコルァン司祭は私の恩師でしたから。彼が常々『素晴らしい』と言っていた神の砦、その開帳に立ち会うことは私の夢でした。」
「あくまで偶然と言い張るわけだ。この先、彼らはどうなる?神舎の中で裁くのか?」
「それは本舎次第です。道を外れたのが一時の迷いなのかそれとも……」
「呪術は昨日今日で使えるものじゃない。」
「では一生、地下生活になるかもしれませんね。」
「公にする気はさらさらないってことか。」
「公にするということは呪術を認めるということ。あなたはそれを黙認できますか?」
「それは……」
口ごもるリュートをマーギスは真っ直ぐに見据えた。
「今はまだ小さい雫でしかないかもしれない。けれどこれが道筋をつけた流れになったら?」
「あってはならないこと……」
「ええ。神に仕える者も、聖竜の意思を継ぐ者も、その思いは同じはずです。だからこそ我々で封じなければならない。本舎はきっとそう判断するでしょう。」
「だが少なくとも俺達は知っている。」
マーギスは頷いた。
「聖堂に対して黙秘するつもりもありません。ただ目をつぶっていただけるようお願いするだけです。」
なるほど、とリュートは溜息を吐き出す。そして言った。
「その場合……口止め料ってのは要求できるのかな?」
ちょっと増量になってしまいました。
リュートくんがなぜに南の伝承を知っていたかと言うのは、二作目に収録してある2.5話「ポートレート」に伏線がありやす。




