第二十三話
振り返った瞬間、物凄い力でひっぱられた。
わけがわからず呆然としていると、力ずくで背後から腕を押さえつけられた。もがいてのけぞって後ろを見ようとするが相手の顔は見えず、わずかに視界に入ったのは灰の布。とっさにこの神舎の修士たちが被っていたものだと思い出す。
「彼女を放して!」
少し離れたところからネフェルの叫ぶ声がする。
見れば、彼女も同じように灰色マントの男に羽交い絞めにされている。こちらもフードをすっぽり被っているので顔は見えない。
その背後からフードを被った男がもう一人、ゆっくりした足取りでネフェルに近づいた。
「大人しくしているように、と彼に言われただろう?」
その声に、ネフェルはハッと顔を上げる。
「乱暴は好かないのだが……」
「聖職者が呪術を使う……それは乱暴ではないのですか?」
「古から継承された言葉を再生しているにすぎん。神の偉業を伝えること、それにお前がやっていることとさほど変わらん。」
「違う!」ネフェルはキッと相手を睨み付ける。
「呪術は神が生み出したんじゃない!人が生み出したもの!だから……」
「その『人』を生み出したのは神だ!それに古い時代、神舎でも呪術文字は使われていた。」
「過ちを犯す以前の話です!」
「だが『黒き竜』を生み出したのもまた神に仕える者。」
「えっ!」
叫んだのは都だった。
ほう、とフードの奥から声が漏れる。
「異国の人間には興味がないと思っていたが……」
「だって、どうして……」
男の唇が左右に引かれる。
「神のやるべき事を神の僕が行った。ただそれだけだ。」
「神託が破壊を告げるはずない!ミヤコ!まともに聞いちゃだめ!」
「では逆に聞こう。一族と空の民が守った『地上の民』は彼らに何をもたらした?」
「え?」言われたことがわからず、都はキョトンとする。すかさず相手は言った。
「何ももたらさなかった。」
その言葉は確信に満ち、聞いている者を引き込む力強さがあった。
男は歩きながら続ける。
「それどころか戦いの時には一族を利用しようとし、それを拒めば差別をした。いわゆる『沈黙の時代』だ。そうやって長い年月をかけて大気の力を弱め、一族と空の民を滅びへと導いているのではないか?ならば……竜の力が衰えつつある今となっては、むしろ力を持つことは彼らのためになると思わないかね?」
「ただの言い訳にすぎません!」毅然とネフェルが言い放つ。
「だが事実だ。だからこそ神託は下される。」
「そうやって不自然な力を加えることが、どれだけ大気に影響を与えるか、司教様がわからないはずありません!」
「司教……さま?」拘束されていることも忘れて、都は思わずネフェルに聞き返す。
ネフェルは頷いた。
「ゲルズ司教様。」
「って、ここで一番偉い人?」
「ええ。そうでなければゼスィがあんな……自分自身に術をかけることを黙認できない。」
「気付いていたというわけか?」相手がフードをずらす。
垣間見えた顔に、都は息を呑んだ。
それは確かに昨日礼拝堂で説教していた白髪老齢の司教の姿。けれどまとっている雰囲気はまるで違う。その瞳に宿す光はどこか冷たく、彼が近づくにつれ不穏な気配が増してゆく。
ゲルズは都の前に立つと、彼女を背後から押さえている男に目配せした。
男は空いている腕を背後から彼女の喉元にぐっと押し付ける。
「やっ!」
嫌悪感と押さえつけられた苦しさに、思わず声が漏れる。
「彼女は関係ない!」ネフェルが叫ぶ。
「お前がちゃんと仕事をすれば、お友達は無事だ。」
「仕事?」鸚鵡返しに言ってから、ネフェルは「あっ!」と叫ぶ。
ゲルズは頷いた。
「察しのよいところは母親に似たな。なに、どうしても読めない文字をいくつか読めばいいだけだ。」
「呪術文字を読むと言うのなら、できません!」
「ゼスィによればお前はその知識を持っているそうではないか。」
「禁じるために知る必要があるから!あれは読んではいけないものだから!」
「知識は使うためにある。」ゲルズは軽く手を挙げた。
同時に都の首を押さえる腕に力が篭る。
苦しかった。それにゲルズが近づくたびに言いようのない気配が増していく。
悲鳴のようなネフェルの声が都の名を叫ぶ。
つと、ゲルズの冷たい指先が都の額に触れた。
その瞬間。
都の心臓が跳ね上がった。
言葉にできないほどの不快感。背筋を這うその感覚を、都は以前も感じたことがあった。
間違いない。
それは自分の世界で命を狙われたとき。
絡みつく黒い靄。そしてそれを繰る金髪の若い男が発していたのと同じ気配だ。
「……黒き……竜?」苦しい息の下、都は相手を睨みつける。
ゲルズの目がすうっと細くなる。
「一族に連なる者……か?」
「ちが……」
息苦しさが増す。
すぅっと血の気が引き、崩れ落ちそうなった、そのとき。
頭の上から何かが降って来た。
都を羽交い絞めにしていた男に体当たりをし、そのはずみで都は草むらに勢いよく放り出された。
咆哮。
ほんの一瞬、気を失っていたらしい。
薄目を開けると、白い小さな竜がゲルズにまとわりついているのが映った。
「コ……ギン?」
呟くと同時にゲルズの悲鳴が上がる。
「なぜ!銀竜がここにいる!」
鋭い爪がゲルズのフードを切り裂き、その牙で肩に噛み付く。
その執拗な攻撃に、都は唖然とした。
敵意をむき出しにした激しい鳴き声。
竜と名のつく生き物であればそういう姿もあるだろう。けれどその激しさに、初めて聞く声に、本当に自分が名付け育ててきた、あのたおやかな気性の銀竜なのかと目を疑う。
血まみれになったゲルズが腕で顔を覆う。
コギンはなおも爪で彼の頬を切り裂く。
思わず目を覆いたくなるのをこらえて、都はぐっと身体を起こして叫んだ。
「コギン!」
けれど銀竜の耳にはまるで届かない。
都はありったけの声を振り絞る。
「コギン!わたしは大丈夫!だからやめて!」
ふらりと立ち上がり前に踏み出そうとするが、茂みに足を取られてつんのめる。その身体を、背後から伸びた腕が捕まえた。
「コギンっ!もういいよっ!」喉が破けそうなほど声を振り絞る。
「それ以上やったら、人殺しになっちゃう!だからっ……」
銀竜の動きが止まった。
「コギン!」
銀竜が短く咆哮する。
手を伸ばすが、コギンはそのまま空へ舞い上がる。
「どこ行くの?」
けれど銀竜の姿はぐんぐん遠ざかる。
「コギンっ!戻ってきてっ!」
駆け出そうとして、けれど力が入らず支えてくれた腕にしがみつく。
「コギンっ!」
「落ち着いて、ミヤコ!」
「でも……コギンが……」泣き出しそうな都の顎を、相手が強引に掴んで振り向かせる。
「落ち着きなさい!」
「クラウディア……さん……」
「コギンは大丈夫!」
「でも……あんなコギン……」
「ミヤコ。」クラウディアの声は有無を言わせぬ厳しさがあった。
「いいから落ち着きなさい。あなたはコギンの主人なのよ。あなたがコギンを信じなくてどうするの?」まっすぐ見据える漆黒色の瞳に、都は言葉を返すことができない。
「わたし……」脱力し、その場に崩れるように座り込んだ。
「コギンは大丈夫よ。それより怪我は?」
怪我ってなんだっけ?と考える。
数秒間のタイムラグ。
突然、都は我に返った。
「ケガ?」と自分を支えている人物を見上げる。
心配そうに覗き込む漆黒色の瞳。
「え?く、クラウディアさん?」
「そうよ。」頷く優しい声。
「何でここに?え?あ……」
首を巡らせて辺りを見れば、都を羽交い絞めにしていた男は、別の修士服の男に地面にうつ伏せに押さえつけられていた。ネフェルは・・・と視線をずらすと、突然黒いものが視界に飛び込む。
空の民……黒い鱗に覆われた竜だ。
その足の下で灰色のフードの男がジタバタともがき、傍らではネフェルが呆然と立ち尽くしている。
この状況から判断するに、空から降ってきたのは空の同胞で、彼がネフェルの窮地を救ったのだろうか。
都はハッとなってゲルズを探す。
そこで目にしたのは、呻き声をあげて地面に伏したゲルズ司教。そしてその手を背中でねじ上げ押さえているのはダールだった。大柄な彼が馬乗りになっているので、当然ゲルズは動くことができない。
そのゲルズの血まみれの顔を正視できなくて、思わず顔をそらす。
「立てる?」
クラウディアに言われて都は頷いた。
彼女の手を借りながらゆっくりと立ち上がる。
見上げると、空が目に染みるほどまぶしかった。
残り五回分でございやす。




