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第二十二話

 突然、扉が開いた。

 相手は何の挨拶もなくつかつかと歩み寄る。

「あと少しで読み終わる。」机に片肘をついたまま、リュート・ラグレスは本のページをめくった。

 と、男の手袋をはめた手がそれを叩き落した。

 音を立てて本が床に落ちる。

 リュートは腰をかがめて本を拾いながら、

「神舎の警備をする立場が乱暴はまずいんじゃないか?しかも貴重な初版本を……」

「ネフェルをどうした!」

「ネフェル?」

 顔を上げると、怒りを含んだ冷たい灰色の瞳が睨み付けていた。

「とぼけるな!」

 ああ、とリュートは合点する。

「もしかしてあの語り部のことか?」

「しらばっくれるな!」

「落ち着け。俺がここから出られないのは、あんたがよく知っているはずだ。」

「お前が入れ知恵したのでないなら……」

「その前に彼女に何をした?」

「それは私もお聞きしたいですな。」

 突然背後から()いた声に、男が振り返った。

「今日は客が多い日だな。」リュートはそっと息をつく。

 法衣姿の客は、にこやかな笑みをたたえて二人に近づいた。

「ゼスィ殿もこちらにいらっしゃいましたか。」

「なぜここにいる。」

「知り合いから彼に言付けを頼まれましてね。」軽くリュートに頷きかける。

「言付けだと?」ゼスィは眉根を寄せた。

 けれどマーギスはそれに答えず、体の後ろで手を組むと部屋をぐるりと見回した。

「なるほど、ここはわかりにくい場所ですな。」

「見張りはどうした?」とゼスィ。

 マーギスは微笑む。

「少し休んでいただいています。ずっと見張っているのも大変でしょうから。」

 なに?と飛び出して行こうとするのを制する。

「大丈夫。人など来ませんよ。」

 そこまで言って、椅子に座って成り行きを見守っていたリュートの正面に立った。

「ラグレス殿ですね。」

 頷く。

「私、ガッセンディーアで司教をしているマーギスといいます。実はクラウディアお嬢様から伝言を預かってきまして……」

 クラウディアの名前にリュートはあからさまに眉をひそめた。

「できれば聞きたくない。」

 にっこりと、マーギスは微笑む。

「とっとと戻れ。あほんだら……だそうです。」

 やっぱり、と額を押さえて溜息をつく。

 ゼスィがマーギスに詰め寄った。

「どういうことだ?お前もこいつに加担していたのか?」

「いいえ。お会いしたのは初めてです。ただ共通の知り合いがいましてね、私はその方から言付かっただけです。それより先ほどの話し、ネフェル・フォーンをどうしたのです?」

「言ったはずだ。仕事で忙しいと。」

「そうは聞こえませんでした。それに彼女の隣の部屋の料理人に確かめてもらいましたが、どうも昨夜部屋で休んだ形跡がないようです。まさか夜中にどこかへ行ったとか……若い女性が考えにくいことではありませんか?」

「ガッセンディーアにいるなら、若い女が道を踏み外すのはさんざん見ているだろう。」

「ここは都会ではありません。それに彼女は愚かではない。」

「そこをどけ!」

「お話を伺うまでどきません。」

「言っておくが、ここではお前の力など及ばない。」

「分が悪いのは承知していますよ。」

「ならば……」

 ゼスィが動くと同時に、開け放した窓から何かが勢いよく飛び込んできた。

 リュートははじかれたように立ち上がり、マーギスに掴みかかろうとしているゼスィに後ろからとびついた。

 ゼスィは手刀でその腕を振り切ろうとする。

 その瞬間。

 飛び込んできたものが彼の手に噛み付いた。

 悲鳴。

 ゼスィは手を振り上げ、それを引き離そうと身をよじる。

 ようやくそれが離れた時。

 一体何が起きたのかと首を巡らせたマーギスの目に、黒革の手袋を咥えた小さな白い竜の姿が目に入った。とっさにそれが昨日、クラウディアと一緒にいた銀竜(ぎんりゅう)だと気付く。そのまま視線をずらし肩で息をしているゼスィを見た。何気なく目を留めた彼の左手に、マーギスの顔色が変わる。

 手袋が外れて露になった手の甲にはできたばかりの深い引っかき傷。そして滲み出る血を押さえた指の間から見えるのは……。

呪術(じゅじゅつ)文字……?」

 ち!とゼスィが舌打ちする。

 そのまま窓に向かって走り出す。

「待て!」リュートが叫んだ。

 けれどゼスィはそのまま窓枠(まどわく)に足をかけ、何のためらいもなく外に飛び出した。

「な!」

 ここが四層分の高さだと了解しているのかと驚く。

「呪術を使って着地するつもりです!」

「ラグレス!」

 マーギスの言葉にかぶさるように別の声がした。

 ダールだ。

「彼を!私はもう一人のところへ行きます!」マーギスは扉に向かいながら叫んだ。

「もう一人?」

「彼一人で、しかもこの神聖な場所でできることではありません!」

 あ!とリュートも気付く。

「早く!」

 その声に背中を押されて(きびす)を返す。寝台を飛び越え窓枠に足をかけると一気に飛び降りた。目標を定め、体勢を整えて着地する。

 建物二層分の衝撃を受け止めた竜の尾が、空中で大きく跳ねた。

「黒尽くめで赤毛の男だ!神舎の庭に落ちて行っただろう!」

「そいつを見たから降りてきたんだ!」

 黒い竜を御していたダールは肩越しにリュートを振り返る。

「呪術を使ってる!手に呪術文字の刺青(いれずみ)があった!」

 ダールが舌打ちする。

「こんなときに言うのもなんだが……」

「何だ?」

「今朝からミヤコの姿が見えない。」

「都はここにいる!」

 はぁ?と目を丸くするダールの目の前にコギンがぱたぱたと近づいた。

「コギン!てめ、勝手に一人でどっか行きやがって!」

 うぎゃああ!とコギンが声を上げた。

「確かに置いていった都が悪いな。」

 ほんの一瞬、リュートは笑みを浮かべる。だがすぐに緊張した面持ちで、近づく空中庭園を見つめる。

 竜に気付いた修士が何人か、慌てて「空の庭」に飛び出してきた。

「コギンはダールと一緒に都のところに戻れ!奴を追いかける!」

「って、てめぇの婚約者だろ!」

「だからお前に、任せるんだ!」

「言ってる意味がわかんねーぞ!」

 肩越しにダールが怒鳴る。

 ほぼ同時にリュートは竜の背から飛び降りた。

「ミヤコに愛想つかされてもしらねーぞ!」

 その声が届いたかどうかは甚だ怪しい。

 ぐっと身をかがめて無事に着地したのを見届ける。

「たく、しゃあねぇな。」呟くダールの声は、しかしどこか楽しそうだった。


「眩しい……」明るさに、ネフェルは目を細めた。

「ずっと地下にいたもんね。」言いながら、ふと都は部活の暗室作業を思い出す。

 赤い手元灯を頼りに写真を焼き付けていると、時間感覚がなくなるのはどうしてだろう。作業に没頭してるせいもあるが、闇というのはどこか感覚を鈍らせるのではないかと思う。

 今も。

 早瀬から借りた日本時間のままのごつい腕時計に目をやり、随分時間が経っていることにびっくりした。

 あれからコギンという道しるべがないまま歩き出した二人だったが、すぐにネフェルが「この道、見覚えがある」と言い出した。それは昨夜ゼスィと鉢合わせした辺りで、そこからネフェルは迷うことなく古い礼拝堂までの道筋を辿ったのだ。

「わたしが潜った場所も礼拝堂だったけど……」まさか出口も礼拝堂。しかもアプローチがそっくりなことに都は驚いた。

「ミヤコの話を聞いてると、この辺りの他の礼拝堂全部と繋がっててもおかしくない気がする。昔はひんぱんに行き来があったんじゃないかしら。」

 ネフェルの説明を聞きながら、都は空中庭園を支える地盤を足元から空を見上げた。

 きっと自分が考え付かないほど古い時代の話なのだろう。名前も残らない人達が、何世代もかけてここを今の形に築いた。そう思うと身震いするほどの畏敬(いけい)の念に襲われる。

 今二人が立っているのは太い柱の並ぶ回廊で、目の前には草木の茂る「光の庭」が、その向こうに(とりで)を囲む背の高い壁を見ることができる。その積み上げた石の一部分が色の違うことに都は気付いて首を傾けた。模様にしては縦や横が変則的なのが気にかかる。

「壁……ところどころ石が黒いんだ。」

「そういえばそうね。今まで気にしたことなかったけど……」

 都は後ろを振り返った。列柱の背後には、空の庭と神舎(しんしゃ)を支える石積みの構造物がそびえている。

「ねぇネフェル……天井裏の隠し部屋ってこの壁の向こう辺りになるのかな?」

「どうかしら。確かにそんなに外れた場所ではないと思うけど……」

「それになんでここ、『光の庭』って言うんだろう?」

「なんで……って……」

「『空の庭』は……何となく納得したけど……」

「昔からそう言われているから……」都の質問にネフェルは戸惑う。

 都は庭に向かって足を踏み出した。

 ちょうど風景が左右対称になる辺りで立ち止まり、腕を伸ばして目の前に掲げる。人差し指と親指でフレームを作り、ピントを合わせる代わりに腕を前後させた。

 光。

 暗い部屋。

 それにピンボケの絵。

 (つな)がりそうで答えが見えない。

 微かな苛立ちを感じながら立ち尽くす都の耳に、ネフェルの叫ぶ声が聞こえた。

忘れてましたが、前回で出てきた都保護者vs竜杜くんの件は2作目参照のこと。

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