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第一話

「はじめましてミヤコ。セルファと呼んでください。」

 相手は丁寧に腰を折り、手を差し出した。

「はじめまして。」

 戸惑いながら木島都(きじま みやこ)は握手に応じる。

「緊張するほど怖いですか?」

「い、いいえ。」

 慌てる都に、相手はにっこり笑った。

「セルファは僕の甥でね。」

 カウンターの内側でコーヒーを()れながら早瀬加津杜(はやせ かずと)が説明する。

「リュートとは従兄同士。年も近いので彼とは兄弟のように遊んだものです。」

「もっとも、二人ともクラウディアに随分と泣かされてたけどね。」

「クラウディア?」

「私の双子の姉です。いささか気の強い女性なので。」

 はぁ、と答えるのがやっとの都にセルファは椅子を勧める。促されるまま腰を下ろすと、すかさずアンティークのコーヒーカップが目の前に置かれた。そう頼んだ覚えはないのに、澄んだコーヒーの真ん中に白いクリームが浮かんでいる。

「ウインナコーヒー、最近お気に入りみたいだから。」

 早瀬はセルファの前にもカップを置くと、自分も空いた席に腰を下ろす。

 短めに刈った髪は白いものが混じるが、機敏な物腰は年齢を感じさせない。手入れされた髭の下の表情はいつもどおり穏やかだが、どこか浮かない表情なのは気のせいだろうか。それに妙に違和感を感じるのは……。

「クリーム、溶けてしまうよ。」

「あ、はい。」いただきます、と言ってから都は違和感の正体に気づいた。

 喫茶店フリューゲルの店主である早瀬にとって、この場所は「仕事場」に他ならない。その場所で、仕事着である白いシャツに濃い色のベストといういでたちのまま椅子に座っている姿を見るのは初めてなのだ。

 納得するとようやくカップを口元に運んだ。淹れたての熱いコーヒーにクリームの冷たさと甘さが程よく交じり合っている。

 セルファもカップをくゆらし、コーヒーの香りをそっと吸い込んでから口をつける

「最初は妙な飲み物だと思いましたが、慣れると恋しくなります。時々リュートが()れてくれることもありますが、やはり伯父上にはかないませんね。」

「これで商売してるからね。」

 喫茶店フリューゲルの歴史は、戦後すぐ早瀬の父がこの地で開いたことに始まる。その先代が十四年前に亡くなり十年前に早瀬が店を引き継いだ後も、その経営スタイルはあまり変わっていない。

 使っている大正時代の洋館は厨房(ちゅうぼう)を含めた水周りに手を加えているが、無垢板(むくいた)を使った床や年月を経て黄色味を帯びた漆喰(しっくい)の壁、木材の姿を生かした(はり)や柱に至るまでほとんどそのままである。新調されているはずの照明器具や曲木(まげき)の椅子も当時のデザインを意識しているので、この店に足を踏み入れた客は違和感なくレトロな空間を味わうことができるのだ。

 そんな時間が止まったような場所が、都は大好きだ。静かで落ち着くのも理由の一つだが、何よりこの場所にいると懐かしく穏やかな気持ちになれる。

 けれど今日に限って言えば落ち着かない。


 早瀬から連絡をもらったのは昼過ぎだった。

 正確には昼食にフリューゲルに寄った都の保護者が話を聞き、彼女に連絡を寄越したのだ。折り返し連絡をしてみれば、

「会わせたい人がいる。」と言う。

 指定されたのが閉店後のフリューゲルというのは気になったが、高校二年も終わろうという年度末なので時間に余裕はあるし、早瀬は都の交際相手の実の父親。断る理由は全くない。

 了解すると紺のブレザーにブルーを基調としたタータン柄のスカートの制服のまま、襟元にマフラーだけ巻いて店に向かった。

 まだ充分に冷たい風が細い髪をたなびかせる。高校に入って劇的に背が伸びることもなかったが、ここ一年切っていない髪は順調に伸びて肩を越えるほどになった。背が低いコンプレックスに対して化粧を勧める友人もいるが、自分を誤魔化すようでその気にならず、それに身長に合わせた控えめなプロポーションでは、むしろアンバランスになるのではないかと思う。今日もささやかに白い肌と茶色を帯びた髪を引き立てる程度にリップを塗っているだけ。それに今はお洒落より趣味に費やす出費が大きいのだから仕方ない。

 そんなことを考えつつ店の裏口からそっと入る。照明を落とした店内で待ち構えていたのは、早瀬と見知らぬ若い男だった。

 白いシャツにゆったりしたズボン。格好はそれなりに普通を装っているが、明るい茶色の髪に黒い瞳の風貌は、明らかに日本人らしからぬ整ったものだった。何より癖のある長い髪を無造作に束ねている姿は、都のよく知る人物を思い起こさせる。

 先に口を開いたのは都だった。

「ひょっとして、向こうの方……ですか?」

「彼女が?」男が早瀬を見る。

 早瀬は頷いた。

「彼女が木島都。竜杜(りゅうと)の契約相手だ。都ちゃん、彼はセルファ・アデル。商売人であり、法律家であり、僕らの連絡係でもある。」

 そう紹介され、挨拶を交わしたのは前述の通り。

「半信半疑でしたが、本当に契約が成立したのですね。」

 セルファの言葉に都は首を傾ける。

「ちゃんと言葉が通じてる。」

「でも……リュートとは最初に会った時も普通に話してたし……」

「彼は門番でもありますから、こちらの世界に対応していて当然でしょう。」

「そういうもの……なんだ。」

 自身の恋人と知り合って一年近く経つが、彼女が知らないことはまだまだあるらしい。

 そもそも彼は日本人と異世界人のハーフなので、都が思っている以上に幅のある思考を持っている……というのは最近ようやくわかってきた。けれど「早瀬竜杜(はやせ りゅうと)」と「リュート・ハヤセ・ラグレス」、どちらも本名だと言われても戸惑ってしまうのは相変わらず。だがこうして同じ瞳を持つ彼の親戚を目の当たりにすると、「もう一つの世界」が確かに存在すること、そして彼がその血を引き継いでいることを間近に感じる。

「会話はともかくとして、文字はおいおい覚えていただくことになります。」

「文字?」

 都の脳裏に、竜杜に見せてもらった謎の記号の羅列が思い出される。

「そういう話、リュートは全くしていないようですね。」

「すみません。」

 都が頭を下げるのを、セルファは(てのひら)を立てて制する。

「謝る必要はありません。それはあなたではなくリュートのせいなのだから。」

「そう……でしょうか。」

「そうです。だいたい、契約だって……」セルファは深く息を吐き出す。

「あのボンクラが契約したと聞いた時には、本当に驚きました。」

「ぼ、ぼんくら?それ、リュートのことですか?」

 ええ、とセルファは微笑む。

「難しい立場でなかなかお相手がいなかったのは確かですが、彼自身、仕事を理由にそういうことに関わろうとしなかった。伯父上と伯母上のことは……」

 都はちら、と早瀬を見る。

「一応……聞いてます。」

「契約が後回しになったことは、ある程度の家にとって不名誉なことかもしれません。けれど伯父上も伯母上も最終的には契約したのだし、何より他国人であっても伯父上は優秀な竜の乗り手でした。」

「昔の話だよ。」早瀬が苦笑した。

「それに、竜杜やアデルの家に迷惑かけているのは事実なんだし。」

「今のアデルは一族ではありません。」きっぱりとセルファは言った。

「それに文句を言っているのは、私の母だけじゃないですか。」

「でもエミリアのたった一人の妹なんだし……」

「ただの我侭(わがまま)です。縁談の件だって、ああも矢継(やつ)(ばや)に持ってこられて辟易(へきえき)しないほうがおかしい。」

「その件に関して、僕は具体的なことを知らないからなぁ。」早瀬は困ったように髭に触れる。

「しまいにはどうでもいいような事まで言い出して……そんな調子でしたから、放っておけばいつまで経っても婚約すらしなかったでしょう。そういう意味で、あなたは救世主と言ってもよい。」

「わ、わたしは……」恋人と同じ色の瞳に真っ直ぐ見つめられて、思わず都は俯く。

「早瀬さんの家には迷惑かけたというか……どうしてわたしだったんだろうって……」

「リュートでは役不足ですか?」

「そ、そんなことは、全然。じゃなくて……えと……わたしなんかには勿体ないくらい……です。」言いながら、顔が熱くなるのがわかる。

「リュートはいつもわたしのこと気にかけてくれるし……それに本当だったらすぐにでも契約の儀式、しなくちゃいけないのに……」

 都がいいというまで待つ。そう言って保留にしてくれているのだ。

「伯母上に……」

「え?」

「写真を贈ってくださいましたね。」セルファが言った。

「あ、あれはその……」

「耳に届いていると思いますが、伯母上はとても喜んでいました。私もあれを見て、こんな風に遠く離れた人を思いやってくれるのはどんな女性だろうと、ようやく興味をそそられました。」

「ようやく?」

「ええ。なにしろリュートにあなたのことを聞いても最低限しか言わない。学校を卒業するまで儀式は保留にするの一点張りで……ああ、あなたのせいではありません。言葉が足りないのは全て、あのボンクラのせいですから。それに状況も状況だったので、最初に契約が成立したと聞いた時、どうして軽率なことをしたのかと腹も立ちました。」

 当然だろう。たかが女子高生一人の命を助けるために、彼は一生を決めたようなものなのだから。

 都がきゅっと唇を結ぶのを、セルファは見逃さなかった。

「あなたを責めるつもりはありません。先ほども言ったように伯母上に贈られた写真を見て……それと、」と、セルファは隣に座る早瀬を振り返る。

「伯父上の説明を伺って、ようやく合点が行きました。それにこうしてあなたと話をして、想像とはいささか違いますがリュートがあなたを好きになった理由がわかる気がします。」

「す、好きって……そんな……」

「儀式などただの形に過ぎません。ですからそのことは気にしなくて結構。」

「ありがとうございます。でも……そういう話をしにフリューゲルに来たわけじゃないですよね?」

「伯父上の言うとおり、聡明な方ですね。」

「セルファは書類を持って来てくれてね。」早瀬が言葉を継ぐ。

「本当は竜杜が来るはずだったんだけど……」

「どこをほっつき歩いてるのか戻らないので、こうして私が来た次第です。」

「まぁ僕も覚えがあるから強く言えないんだけど……」早瀬は白髪の混じる短い髪をくしゃりとなでると、躊躇(ためら)いがちに都に訊ねた。

「都ちゃん、竜杜からここ数日連絡はあったかい?」

「四日位前に。用事が終わったらこっちに来られると思うって……」

 それがどうしたというのだろう。嫌な予感がして都はセルファを伺う。

「伯父上の名代(みょうだい)で出かけたのが三日前。遅くとも今朝には戻ってくるはずだったのが戻らず。けれど急ぎの書類があったので、私が代わりに来ました。」

「それは物凄く深刻なこと?」

「リュートがどこかに出かけるのは珍しくありません。仕事の都合上……それに銀竜(ぎんりゅう)を探すような場合は予定がつきません。ですが今回に限って言えば、彼が予定を反故(ほご)にする理由は何一つない。」

「どうして?」

 セルファは不思議そうに都を見る。

「だって随分と会っていないのでしょう?」

「そうですけど……」

 最後に会ったのが年明けだから、もう二ヶ月経つ。

「あなたと会えないことで、相当不機嫌でしたから。」

「それ、リュートが……ですか?」

「他に誰がいるというのですか?」

 会いたいと思うのは自分だけかと思っていた。それが彼も同じだと知って、嬉しいような恥ずかしいような落ち着かない気持ちになる。

「ひとつお尋ねしますが……ここしばらくの間に、ひどく不安になったり苦しくなったりしたことは?」

 聞かれた真意がわからず、都は黙って首を左右に振る。

「だとしたら、単に時間を忘れているだけでしょう。」

「どういう意味ですか?」

「こちらの世界では大気が薄いから感じにくいかもしれません。けれどもし契約相手に何かあれば、感じ取れるはずですから。」

「何かって……もしかして……」想像してぞくりと背筋が震える。

 セルファは頷いた。

「命の危険があったとき、どちらかの命が終わるとき。その場合、契約は解消されますから。」

 膝の上に置かれた手に力が篭る。

「何よりそうなれば、こうしてあなたと言葉が通じるはずもない。まぁ、待っていればいずれフェスが知らせてくるでしょう。こうしてあなたとお話ができて良かった。」

「あの……」

 無意識のうちに都は身を乗り出していた。


アルラの門3、ようやくのスタートです。相変わらずファンタジーなんだろうか?と思いながら書いてます。が、今回は活動範囲も人脈も、とにかく広いです。ゆえに長さもボリューミー。3日にいっぺんを目標に更新して行きますが、多分完結するのは花粉症真っ只中の頃になるんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、お付き合いいただければ嬉しく思います。

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