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(3)
朝が来て、交流戦一次予選の開始時刻が迫る。
円形闘技場の中央に、全部で四百名余りがずらりと並んでいた。第九級から第六級の魔術師見習い達だ。観客席にはぽつぽつと関係者が座っている。貴賓席には背筋をぴんと伸ばしたオルファース総監デリータ・バハス・スティンバーグの姿がある。王女は三日目の最終日だけ観覧する事になっており、一日目二日目は街の各所を訪問している。
アルフィードは観客席から闘技場を見下ろしていた。
ユリシスにはここへ来る前に「貴賓席を見るな」と指示した。ただ試験だけを考え、必ず間違った解答をするよう言った。当然の事ながら、魔術を使うな、とも。だが、ちゃんと伝わったかどうか……。
冷静である事、心を制御できる事が魔術師の条件だ。力があっても制御出来なければ身を滅ぼす。
今のユリシスはそのいい例だ。
──……第九級魔術師で……その力はないだろう?
古代ルーン魔術を使えたなんて……しかもあの大火事を消し飛ばしてしまえる程の魔力を身に秘めている。
今回の交流戦で何らかの結果を残すようなマネをすれば、魔術師の資格を得る前に魔術を覚えて使っていたという事がバレてしまう。
資格の無い者の魔術の行使は死罪だ。何も知らないド素人を装う事が必要だ。その状況で制御が出来ないという事実は、どうしようもない危うさが付きまってくる。
アルフィードはユリシスがそれらをちゃんと理解しているのかも怪しいと思っている。
昨夜もこれを簡単に話して聞かせたが、やはり心ここにあらずのように思われた。
ユリシスはあの血まみれの丘で言った。
『なぜ、私は助けられてしまったの?』
『なんで私は、ギルバートを死なせているのっ!?』
……ギリギリの所で現実へ戻って来たユリシスの絶叫だった。
助けに行ったはずの自分が救われた。助けたと思ったのに死なせた。その事実に、真っ向からぶつかっていたのではないか。
それは驚く程の強さだと、アルフィードは思った。
──そんなところで精神力の強さを、膨大な魔力を扱う者の底力を見せつけられるとは……。
心が飛ぶ直前に踏みとどまった。不安定なまま、事実に立ち向かっていた。
魔力を制御しきれない今、つまり、ユリシスは暗闇をさ迷うように答えを求めている最中なのかもしれない。
ギルバートの死を直視しているつもりでも、彼の部屋を片付ける事すら出来なかったアルフィードは思わずにはいられない。ユリシスを見る度、ギルバートの死の責任を彼女に押し付け、それすら直視せずにいた己は何だと。ギルバートの死すら否定しようとしていた己の幼さに気付く。勝負に負けて魔術師としての質が劣っていると烙印をおされたのみならず、精神年齢まで下だと叩きつけられているような気分だ。なんという事はない、俺は阿呆だとしみじみ痛感しただけだった。
結局、現実と向き合わず、己が見えていなかったのは自分の方だったと気付く。そうして、ユリシスを憐れだと思った。
こんな合格なんか欲しくなかったとユリシスは叫んだ。
あの時、ユリシスは絶望的なまでに多くを理解していた。
おそらく、情報の少ないアルフィードでは知りえない事も彼女はわかっていたのだろう。
答えを求めてユリシスはさ迷っているのではない……。
その答えから、ユリシスは今、己がどうすればいいかを迷っているのだろう。だから、無意識に王女の馬車を殺意でもって睨んだ。
だが、ユリシスの中で王女は悪ではないのだろう。結局何もしなかった……。
誰かを恨みも憎みも出来ず、ただギルバートを失った悲しみで心が空ろになって、満たされぬそこを瞬間瞬間の感情が溢れるばかり。心はあちらに振れ、こちらに振れては制御を失うのだ……。
広い円形闘技場の真ん中で、問題用紙が参加者に渡されて行く。
一次予選は筆記試験だ。受験者の数も多い為、机などは用意されない。問題用紙は板に張られた紙。その板が配られていく。
遠目にもユリシスの手に問題用紙が渡っている様子が見える。各々筆記具を出して記入している。第八級魔術師以上の参加者の中には、魔術の墨で答えを書いている者もいるようだ。
一次予選は筆記試験でふるいに掛けているにすぎない。こんなものは見てもしょうがないのだが──実際、見に来ているのはせいぜい今年第九級魔術師に受かったばかりの子供の親や師匠達──それらもアルフィードは観客席の後ろの方で腕を組んで見下ろしていた。
ユリシスがあんな状態でなければ来る必要は無かったんだが……。ユリシスが力の制御を失うぐらいなら、自分が術を暴発させた方がましだろう、そう思ってやって来た。
アルフィードはすぅっと目を細める。
何を知っていたのか。ユリシスも、ギルバートも。
──俺だけ知らないというのも癪だな。
観客席でも後ろの方はすり鉢状の円形闘技場の外周側になり、高い位置にある。周辺の席は階段を登る上、闘技場には声も届かない事から観覧者はアルフィード以外にいない。
退屈のあまりあくびを噛み殺していたアルフィードの後ろに、人影がそっと立った。
「ここに来れば会えると思っていました」
アルフィードはドキリとして後ろを見た。
涼しく柔らかな風が過ぎてゆく。青い外套を纏った金髪の青年が静かに立っていた。第一級魔術師にして副総監の一人、名はもちろん知っている。
「シアーズ……か」
半身ひねったまま眉をひそめるアルフィードを見下ろし、カイ・シアーズは困ったように微笑んだ。
「カイと呼んでください」
カイ・シアーズはゆっくりとアルフィードの隣の椅子に腰を下ろした。アルフィードはその体さばきを目で追う。
気配に全く気付けなかった。この蒼の魔術師は、魔力すら感じさせずに空を舞うのか。
「何の用だ?」
敵意半分興味半分で訊ねるアルフィードに、カイ・シアーズはゆったり微笑んだ。
「彼が亡くなってから、私はずっとあなたに接触しようとしていたんです。やっと部屋から出て来てくれたので、話ができそうです」
押し黙ってカイ・シアーズを見ているアルフィード。その警戒に対してカイ・シアーズはやはり微笑むだけだった。
アルフィードは今や、ユリシスの隠し事の一端を背負ってしまっている。自分から他者に漏らす事だけはあってはならない。
天気の話や近況など軽い話題を挟む事は出来たが、カイ・シアーズはすぐに笑みを引っこめて真顔になった。
「彼が捕らわれた折り、私の弟子が話をしていまして……少しだけ。私は以前から彼にとある調査を依頼していました。それを、あなたに全て預けてあると彼は言ったそうです」
アルフィードは眉をひくりと動かした。
そんな話は聞いていない。思っても、そういう素振りは見せぬようにアルフィードはカイ・シアーズに話の先を促す。
「それで?」
カイ・シアーズはしばらく膝の上で組んだ手を見下ろしていた。口を引き結び、何度か瞬きを繰り返している。
やがてカイ・シアーズは真剣な眼差しをアルフィードへ向けた。
「私自身もやらなければならないと強く感じたのです。ですから、ギルバートに預けていた調査を、私も引き継ぎたい。一緒に動いてもいいだろうか?」
カイ・シアーズはこの時初めてギルバートの名を口にした。
「…………」
アルフィードはさっと顔をそむけると親指と人差し指で頬骨を挟むようにして口を押さえた。
──やべぇ。まずい。さすがに知らねぇ事が多すぎる。
数秒だったが熟思して、カイ・シアーズを振り返った。
「……その返事は、少し待ってくれ」
アルフィードにしてはやや頼りなげに言い、さらさらっと魔術を編み上げると空へ舞い上がり、闘技場を飛び出していた。アルフィードの名を呼ぶカイ・シアーズを放って……。
円形闘技場ミルア宮殿の表に出た辺りで、アルフィードははたとユリシスの事を思い出し、戻るか迷って一旦地上に降りた。ほぼ同時、こちらに向かってくる一人の少年を見つけた。見知った顔だ。
運がいいとにやりと笑ってアルフィードは歩いて来る少年に軽く手を上げた。あちらも気付いたらしく、駆けてきて「おはようございます」と言った。
「今、ユリシスが中にいる。俺は急用があって傍にいられない。俺が戻るまで見ていてもらっていいか? あいつはまだ、落ち着いてねぇんだ」
本当は監視と護衛が必要な状況だとは言いにくい。誰が敵か味方はハッキリしていない。王女はいないし、魔術を使うなと釘はさしている。ユリシスの魔力、魔術の暴走が起こる可能性は限りなく低いはずだ。確実ではないが、仕方がない。
唐突の話だったが少年はすぐに承諾した。
その両肩をアルフィードはポンポンと撫でるように弾いた。頼んだという意味だ。言葉として出てこないあたりが、アルフィードらしい。そして、術を描くと風を唸らせて舞い飛び、空の向こうへと消えた。
残された少年──名を、ラヴィル・ネオ・スティンバーグという。後姿を見送った後、円形闘技場の奥に駆け足で入った。
「……やっぱり」
現オルファース総監の孫で弟子、さらにギルバートの後を継いでオルファース副総監になったばかりの第一級魔術師であり……ユリシスの友人。
ネオにユリシスを任せた後、アルフィードは王都へ一気に飛んだ。目指すはオルファース魔術機関第三別館ギルバートの執務室。
王都ヒルディアムを視界に捉えた後は、障害物の無い空を貫いて目的の部屋へ窓から入った。
部屋はまだ散らかったままだ。
ずかずかと部屋の中央を歩いて机へ近付いた。机の上や周りをガサガサと漁る。引き出しを順番に開けて見ていく。一番下の大きな引き出しには鍵がかかっていた。鍵穴なんてものはない。机の構造上、鍵は存在しない。
──魔術の鍵か。
その引き出しの前で首を傾げ、アルフィードはどっかとあぐらをかいた。本腰入れる必要がある。
外からの朝陽もここには届きにくい。そっと手をかざして魔力の灯を生み出すと引き出しの木目が浮かんだ。床には小さな綿埃がいくつか転がっているのが確認出来た。
アルフィードはもう一度ガタンガンタンと引き出しを引っ張るがやはり開かない。それから何度か力まかせに引っ張ったが駄目だった。
今度は一般的な鍵の開錠の魔術を描くが、一番重要な鍵の部分がわからない。『解錠の鍵となるルーン文字の羅列』、そこだけがわからない。たった数文字のルーン魔術なのに、肝心の鍵が……。
ギルバートが鍵にしそうな単語をいくつも思い浮かべている内に、アルフィードはハッとしてズボンのポケットにゆっくりと手をつっこんだ。
ユリシスから受け取った紺呪石がある。
アルフィードが息を切らせて円形闘技場に戻ったのは、夕焼けが辺りをオレンジに染めるはじめた頃だった。
今日の試験は終わり、闘技場は閉まっていた。試験の合否は既に発表され、入り口横の掲示板に張り出されていた。
荒い息のままアルフィードは掲示板を見つめていた。
「アルフィード様!」
声が届いて振り向くと、ユリシスを連れたネオが歩み寄って来た。
「……あぁ……おう」
右前に垂れていた髪束を背中に押しやり、アルフィードは応えた。
「今、夕食を食べにいこうとしていたところなんです。アルフィード様もいかがですか?」
ネオの声を聞きながら、後ろでうな垂れているユリシスを睨んだが気付く気配は無い。……扱いにくいったらない。
アルフィードはネオに視線を戻した。
「どっかいい店探して予約しといて。俺、コイツとちょっと話がある」
ネオの背を押しやり、アルフィードはユリシスの手を引っ張ってその場を立ち去った。
円形闘技場ミルア宮殿敷地内の噴水の流れる水を、紅い夕日が染める。弾かれる水滴がまばゆいほどキラキラしていたが、その空気は重い。
アルフィードは二人きりになるとまずこう切り出した。
「ざっと辺りを一回りしたが、王女が来ている事もあってやはり奴らもうろついてる」
「…………え」
そこから先の言葉は、ユリシスの頭の中に直接、魔術で飛ばす事にした。
『お前を狙ってるのは、王と王女、それぞれの忍びだ。目的は不明だが……』
ユリシスはゆっくりと顎を上げてアルフィードを見上げた。ぼんやりとしていた瞳が、次第に強い色を含みはじめる。
『詳しい事はまだまだ調べないとわからねぇが』
『……』
ユリシスは下唇を噛んでそっぽ向いた。その横顔をアルフィードは目を細めて見る。
『お前が何を考えているのか、全然わかんねぇぞ』
『……わからなくていいよ』
ユリシスはふらりと噴水の淵に腰を下ろした。こちらを見ない。
『お前は奴らに狙われているのを知っていた。ギルもだ。それでギルはお前を養子にした。護ろうとしたんだ』
『……そうだね』
『お前に魔術師の資格が渡るようにもしていた』
『第九級魔術師の資格……もらえたよ』
『お前は、ルール違反で資格もねぇのに力を使えた。ギルはそれを隠す事にも手を尽くした。なのに、何でお前……』
アルフィードは苛立ちから次の言葉が出て来なかった。
一次予選の試験結果が掲示板に貼り出されていた。そこにはユリシスの名が、合格者として記されていたのだ。
ユリシスは沈黙で返してくる。
既に魔術を使えるという事を隠しながら、忍びどもからも護らなければならない。ギルバートがそうしたように。
ユリシスから受け取ったギルバートの遺した紺呪石に込められた魔術は、伝言。それをヒントにオルファース魔術機関第三別館のギルバートの執務室の机の引き出しを明けた。引き出しの中には久呪石が一つころがっていた。その宝石にはギルバートの思考の断片──メモが、ばらばらの単語の状態でいくつも詰まっていた。
災厄と言われる紫紺の瞳を持つ少女であるユリシスが王家に狙われているという情報も入っていた。それを知った時、アルフィードは王城で聞いた話を思い出した。
男の声で「二十歳までは生きられない」と聞こえた。
アルフィードはため息を吐き出したいのを堪える。
ユリシスが災厄と言われる運命にあるとしても、それならそれでいいだろう。それをギルバートが可哀想だと思った。それもいい。
また、二十歳まで生きられない事をギルバートが知っていてユリシスに手を差し伸べた、それでもかわまわない。
魔術で人を殺めたり、世間の作ったルールに違反ばかりするような自分をも拾ったギルバートだから仕方ないと思う。悪さをする自分を幾度も助け、時に隠し、かばってくれた。そういう類を放っておけないのはギルバートの性分だった。
──だが。
アルフィードは自分なりにギルバートに恩義を感じ、信念を曲げないように努めてきた。自分らしさを失わない事が、どうしようもない自分を微笑って育んでくれた彼への恩返しになると思ったからだ。それも、見失いかけていたのだが……ユリシスから受け取った紺呪石に込められた伝言の魔術を開放した折に、思い出せた。
開かない引き出しを前に、解除キーのヒントが入っていないかと紺呪石に込められた魔術を開放した。ギルバートの声が入っていた。いわゆる遺言状だ。そう呼ぶには、伝言がたったの一言だけだったが。その一言から記憶を辿り、アルフィードは鍵に辿り着いて引き出しを開けられた。
引き出しの奥にあった久呪石に込められた情報を元に、アルフィードなりに確認として裏を取るなど走り回って戻ったら夕方になってしまったのだ。
ネオは何も言ってこなかったから、ユリシスが魔術を暴走させるなどの問題は起こっていないのだろう。だが、一次予選の試験には落ちろと言っていたのに、ユリシスは合格をしてみせた。しかも成績順位によると他の参加者六名と同率一位。開いた口がふさがらない。
円形闘技場周辺に人はおらず、噴水の水音だけが涼しげに漂っていた。
アルフィードは何も言わず、ユリシスの言葉を待っていた。
もうすぐ陽は完全に沈むだろう。
そうして、ユリシスの小さな声がアルフィードの頭に届き始める。
『……だったら、なにをどうすればいいっていうの』
声には、ノイズが入っていた。
『がんばりたいとおもう。でもなにもおもいつかない』
不安定に流れてくる声。魔力が乱れている事を示している。
『ごめん、やっぱりいや。きえたい……。わたしさえ、いなければ……』
断片的に届く、混沌とした独り言のような、囁くように小さな声……。
夜の闇が辺りを包み始め、声も消えた。この街の魔術師見習いや、魔術師が紺呪灯に灯りをともしてまわっている。
アルフィードは、ユリシスの横に腰を下ろした。
──だめだ……こういう時なんかは、俺じゃ……。
魔術戦においてはギルバート亡き今、一二を争う実力者のアルフィードだが、白旗を上げるしかない。それでも、アルフィードはポケットの中にあるギルバートの遺言の入った紺呪石を握り、心を決めた。石に込められたメッセージを今は支えにする。
『じゃあ、こうしようぜ。お前の事はしばらく俺が決める』
『…………なんで』
『俺がお前の師匠だ』
アルフィードは揺らぐユリシスを強い視線で射抜いた。有無は言わせない。