(079)【2】それでも(3)
(3)
ラヴァザードが一階まで降りて来た時、デリータ・バハス・スティンバーグが現れた。年のそう離れていない魔術機関オルファースの総監だ。
「ラヴァザード殿……? こちらで何を?」
「これはこれは、オルファース総監殿か。貴女こそこちらへは何用で? 調度も何も無い白い部屋が重なるだけの十番目の尖塔に何の用ですかな?」
「私は王命です。こちらを封鎖し誰も入れるなと。一階から二階への階段部分、および二階以降各階に魔術封鎖を施します、ラヴァザード殿には早々にお立ち退き頂きますよう」
ラヴァザードはフッと彼らしくもない、自嘲気味に笑った。
「どうぞご自由に。私はもうこちらに何の用事もありませんよ」
さらにすれ違いざま、わざわざデリータを見て続けた。
「……ああ、そうそう。貴女には一本してやられましたよ。魔術師の資格取得試験には私達ゼヴィテクス教の検閲も不可欠というのに。総監特権でゴリ押しされるとは思ってもいませんでしたね。主権はそちらにあるから仕方がないと言ってしまえば仕方ありませんが」
デリータは何も言わずラヴァザードを睨んだ。それをひょいと肩をすくめるだけでやり過ごし、ヴァザードは扉へ向かう。
「そのしっぺ返しは、まぁ、大きそうですがね」
背を向けたままデリータに言った。
「また伺います。こちらの封鎖には一、二時間はかかるのでしょう?」
錫杖をコツンと鳴らしてラヴァザードは去った。
デリータが白い内装の塔の封鎖を終え、扉を開いた時だった。
敷地の反対側でドンッという鈍い爆発音が響いた。
そちらへ目を向けた時には、いくつかの建物の向こうにもうもうと立ち昇る煙が見えた。
「…………」
デリータは外へ出、扉を後ろ手で閉めると持ち場を離れないように爆発のあった方を背伸びしながら額に手を当て見ていた警備兵二名を呼び寄せた。
警備兵は駆けて来てデリータの足元にひざまずいた。
「魔術警備兵を数名連れて来てください」
「数名……ですか?」
「詰め所に居る者の大半を、すぐに」
デリータはやんわりと告げ、顔を見合わせる二人を走らせた。この場に誰もいなくなってから、背筋を伸ばして口を開く。
「……隠れてないで出てらっしゃい。仕方もないとは思いますが……」
言葉のすぐ後、左手側三十歩程離れた建物の影から、背の高い男が姿を見せる。目尻に赤い刺青をした男。
デリータは一度目を伏せてから、男を見た。
「アルフィード。あなたにまで居なくなって欲しくありません」
男──アルフィードはゆっくりと歩みを寄ってきた。
「俺は俺のやりたいようにやる。生きたいように生きる。あんたの望みやら何やら、どうでもいいね」
アルフィードは足を止めず、デリータの横を通り過ぎて塔の扉に手をかけ、中に入って行く。
デリータはついて行かず、音も無く低空を飛んで来る魔術警備兵二十数名と遠目から駆けてくる先ほどの警備兵二人を手招きした。彼らは王宮警備にオルファースから派遣されている第二級から第三級魔術師の選りすぐりで、デリータ直属の部下でもある。
彼らがデリータの元へ辿り着く前に、背後、塔の中から低い声が聞こえた。
「……ぐぅ……ぉお……」
デリータが魔術警備兵達と共に中へ入ると、せりあがった白い床に飲まれるアルフィードがいた。指先から青白い魔力を何度も発しているが、大気に吸い込まれるように消されている。
「伊達にオルファース総監として王宮魔術警備の管理をしてはいません。諦めなさい、アルフィード」
階段の前に立つアルフィードの背中を見て諭すように言った。
粘土状に肩までせり上がって飲み込んでくる白い床だったものから逃れようともがき、アルフィードはまだ動く上半身を巡らせると扉側──背後に居たデリータを睨んだ。
「あんたは……!」
デリータは魔術警備兵の一人に何かを指示していて、こちらを見ていない。アルフィードは声のトーンを一つ上げた。
「あんたはっ……! それでいいのかよっ!」
指示を受けていた魔術警備兵がアルフィードをちらりと見、すぐに外へ飛び出して行った。その後ろ姿を見送ってから、デリータはアルフィードを見た。
「それ以上、何も言ってはいけません、アルフィード」
残った魔術警備兵達がアルフィードを取り囲む。半歩の距離まで詰め寄った。
背の高いアルフィードの目を見上げ、魔術警備兵達の後ろからデリータはもう一度言う。
「何も言ってはいけません」
それがデリータの回答だった。
「…………」
しばらくして先ほど指示を受けた魔術警備兵が戻って来た。デリータの遣いとして王からの指示を仰ぎ、この魔術師封じの腕輪──『黒の封環』の使用許可を王から得て持ってきたのだ。
アルフィードの両手を魔術警備兵は強化した腕力で後ろ手にひねり、『黒の封環』を押し付けた。『黒の封環』はぐにゃりと緩み、アルフィードの両手首を飲み込んで再び硬質の元の形に戻った。
途端、アルフィードの顔色が変わり、脂汗がぽつぽつと浮いてきた。デリータが大地の魔術を解いてやると、アルフィードはがくりと膝をついた。拘束していた白い床がふぅっと消え失せ、元に戻ったのだ。
「たった一つです。数日、おとなしくしておいて」
ギルバートは腕と首に『黒の封環』をされていた。デリータの中で渦巻く感情を誰が読み取れた事だろうか。
王命で塔一つ、封鎖命令が出た。
早朝連れて来られていたギルバート。
魔術機関オルファースを預けたいと思った人物──ギルバートが、この塔の上に居るのは間違いない。
この、全身の皮膚を削がれるような熱い痛みを、誰がわかろう。
魔術警備兵によって力を失ったアルフィードが牢へと連れて行かれる。
ギルバートが万に一つ助かる見込みがあったとすれば、その希望の綱はアルフィードが握っていた。それをデリータが断ち切った。
これでいいわけなどない。けれど、王命がある。どうしようもない。これしかないのだ。
デリータは塔の入り口でたった一人、表情を変えないままながら、己の心を鎮める事はなかなか出来ずにいた。
その頃、爆音に驚いて物陰から飛び出、どこから入ってきたのだと警備兵に叱られ、両手を縄で縛られて地下の牢へと連れていかれたユリシスがいた。
アルフィードが王宮の人々の目を逸らそうと仕掛けた時を定めて爆発するという魔術に、ユリシスも見事にひっかかっていたのだ。
王城の敷地内までこっそりしっかりと忍び込めていたというのに、いらぬ好奇心に負けてしまったのだ。両手を軽く後ろ手に縛られ、少し離れた建物の地下への階段をかれこれ数分降りていた。
前を歩く兵士を蹴飛ばすなり、魔術で眠らせるしかないと思っていたが、やめた。もしかしたらこれから連れて行かれる牢にギルバートがいるかもしれないと思ったからだ。
明かりの少ない、ややジメッとした螺旋階段を降りていった。
上の王城と違い、白い石ではない。牢に装飾は不要という事なのだろう。目の細かい、組織の締まった石が使われ、頑丈そうな壁が続いている。道幅は狭く、人と人がすれ違うのも避け合ってギリギリという程。天井は高くなく、前を歩く兵士も頭を時々擦るのではないかという程だ。二人の足音がコツコツと響く。
しばらくして前を歩いていた兵士が足を止め、鉄の扉をギィイーと油の足りていない音をさせて開いた。その扉の大きさに至っては、十台半ば女子の平均的身長のユリシスすら頭を屈めねば通れないほどだった。中に入っても狭い。窮屈な部屋に机が一つと椅子が二つ、壁に沿って並べられていた。一人の牢番が椅子の一つに腰を下ろしていた。光源は机の上のランタンの火。獣油の臭いがした。
「不法侵入者だ。どこをどう間違って入り込んだんだか」
二人は雑談を交えながら、何かを帳簿に書き込んでいた。
ユリシスを連れてきた方の兵士がこちらを向いた。
「名前は?」
「えっと……」
「偽名はやめとけよ? 罪重くなるからな」
「え。あ~……えと、ユ、ユリシスです」
「フルネームで」
「ユリシス…………グレイニー」
そして、牢番が頷いて帳簿に書き込むと、兵士の方は元来た道を戻って行った。
牢番が木製の椅子をがたんと鳴らして立ち上がり、ユリシスを手招きする。
部屋には入ってきた側とは反対にも扉があった。それをまた、グッグッと肩を押し当て重そうに開けた。やはり錆びているらしく、耳を塞ぎたくなる音が長く響いた。
牢番は先程の兵士より背が低い。猫背だから余計にそう思えるのだろう。
「足元気をつけな、そこ水溜りだ」
パッシャンとユリシスの靴が水浸しになる。
今は縄で繋がれていて無理だが、廊下は両手を広げ、更にもう片手分の幅がありそうだ。通路両側に鉄格子の牢屋が続いている。
暗くてわからないが、微かに人の気配があるように思われた。
「ついさっきも一人来たし。今ちょっと混んでるんだよなぁ。だからあんたみたいな罪軽そうなのは多分すぐ出れるよ」
先程の兵士にしろこの牢番にしろ、よくしゃべるなぁとユリシスは思った。もっと厳格で恐ろしい所だと思っていたのだが。
実際のところ、彼らは城勤めとはいえ下級騎士のその元従者といった下っ端で、下町に住むような庶民なのだ。だからこそ、グレイニーという第一級魔術師で副総監でもあるギルバート・グレイニーと同じ家名に反応がなかったのだ。知らないのだろう。
後ろを振り返ると入り口だった鉄の扉が小さく見えた。結構な距離を歩いている。
壁に突き当たった。牢番は左手側の鉄格子の扉を錆びた音をさせて開いた。牢屋の廊下と小部屋を繋ぐ扉の音が一番酷かった。扉の大きさは今度のものが一番小さい。四つん這いに近い姿勢でないと入れないほど狭い入り口だ。
「ここ、入っといて」
薄暗い。
この奥が一番暗い。
牢屋の中は廊下の幅より狭い。両手を広げてくるりと廻ったなら、きっと壁に当たる。
ユリシスは牢の中央でまで進み、廊下側に向き直った。
ガッシャンと大きな音をたてて鍵が閉められ、牢番は何も言わず去っていった。足音と、時折どこからか水の漏っているピチャンという音がする。
暗闇の中、しばらく考えた。
これだけ牢屋があればもしかしたらギルバートもどこかに居たかもしれない。覗き込みながら来たが、牢屋の中はどれも薄暗く、中の人のなりまでは見えなかった。心配なのは、廊下を歩くユリシスの姿は見えたはずなのに、何の反応も無かった事だ。
怪我をしていなければいいが……。
牢番の足音が遠のいてしばらくして、入り口の錆びた鉄の扉の音がここまで響いてきた。空気が停滞する。
行動なら、今から。ユリシスがそう思った時、正面の牢から声がした。
「どうやって忍び込んだんだ?」
聞き覚えのある声だった。
ユリシスはその瞬間、ドキリとしたものの、青ざめるわけでもなく、ただ肩の荷が降りたような感覚になった。諦め、という言葉に近い。
ギルバートとの事で少し耐性がついていたのかもしれない。
ユリシスは微笑んだ。
「いろいろ頑張って」
「へー」
勘ぐっている。もうどうでもいいけれど──とユリシスは思う。そうして顔を上げ、向かいの牢屋にある人影を見る。
「そういうアルは、そこで何してるの?」
正面の牢に居たのは、先に王城へ向かったアルフィードだった。
「捕まってる」
「何で抜け出さないのよ」
薄暗い向こうで、ガンガンと鋼鉄のような硬いものが床に叩きつけられる音がした。
「魔術師専用の拘束具『黒の封環』……魔術使えねぇんだよ」
表情は見えない、けれどきっと鋭い眼光である事だろう。
「ギルはここには居ないの?」
「別の所だ。王に囚われた第一級魔術師なわけだから、魔術的に最高の牢獄へ入れられる──と思ったんだが、そんなもんあるのか怪しいからとりあえず総監を張ってたんだが、案の定、塔の一つを術で封鎖していた」
「じゃあ、ギルはそこに……」
しばらく沈黙した後、ユリシスは後ろ手のまま魔術を使う。指先でちょちょっと魔力の文字をひいた。
あまり驚かしても可哀相だから現代ルーン魔術にしておこうと、いらぬ茶目っ気まで出して。
なんでこんなにも微笑っていられるのか、自身でもわからなかった。余裕というわけでもないのに。何やらおかしくて仕方がないのだ。
パサッと縄が床に落ちて、両手が自由になった。
「……お前、使えるのか?」
「ちょっとだけ、ね」
らしくない、間の抜けたアルフィードの声にユリシスは笑って答えた。
鉄格子の扉を開けてもうるさいだけだからと、ユリシスは隣り合った二本の格子の上下を溶かしてそっと外し、廊下に出た。
闇を利用してアルフィードの牢の前に行き、こちらも同じように格子を外して中へ入った。
「──なるほどね。ギルは知ってたんだ?」
「うん」
「少し合点がいった」
ギルバートが突然弟子にしたのも、養子にしたのも、使えるはずのない魔術を使えてしまう点を最大限カバーしてやる為のカムフラージュというわけだ。魔術師によっては通報してユリシスは死刑でおしまい、となるわけだが──自分の師はやはりかばってしまうのだ。そういう行動に出るからこそ、自分のような常識破りの魔術師の師も務まったのだろう。
──だが、ユリシスが動けても自分はどうにもならない。
「これが外せないと俺はただの足手まといになる。感覚も結構鈍るようだから」
両手に重く絡みつく『黒の封環』……魔術も使えず、体力を奪われる。アルフィードの額には汗がにじんでいた。
ユリシスと同じように後ろ手に、しかし縄ではなく、ギルバートを拘束していたものと同じ手錠というには分厚い、二つの腕輪がくっついたような器具がついている。
ユリシスはアルフィードの後ろに廻り込み、両手を持ち上げて『黒の封環』をぐるりと全周見た。
「大丈夫、外せる」
ユリシスのはっきりした声音に、アルフィードは言葉を失った。
数分後、ユリシスの言葉通り、ゴトッと音がして『黒の封環』は外れ、両手が自由になった。
「私にはギルがどこにいるのかわからないし、一人より二人の方がいいと思うから」
そう言って立ち上がったユリシスを、アルフィードは睨むように見上げた。
「……合点がいった。それでか──」
先ほどまでの汗とは異なる冷や汗が流れるのを、アルフィードは感じてやまない。
「そうだよな。確かにお前なら、ここに忍び込むのは容易だったろうな」
ユリシスの方を体ごと振り返り、座ったまま見上げた。
「こいつは……」
床に置いてあった拘束具『黒の封環』を指先でとんとんと弾いた。
「こいつは解除用の道具がなければ取れない。なぜなら、これを制御する魔術はもう失われて久しいからだ」
「…………」
表情なく見下ろしてくる紫紺の瞳を真っ向から受け、アルフィードは続ける。
「──お前か」
アルフィードは全身が粟肌立つのを押さえる事が出来なかった。
「公園の大火を消し止めたのも……──俺からまんまと逃げ遂せたのも」
勘の良すぎるアルフィードに、ユリシスは言葉を選んだ。
この『黒の封環』が古代ルーン魔術を施されているのは気付いていたが、どうしようもなかった。アルフィードの助力無しにはギルバートに会えないと思ったから外した。『黒の封環』が古代ルーン魔術で出来ているとアルフィードが知っていても不思議ではなかったし、勘というわけでも無いかも知れないが。
否定するのも隠して誤魔化すのも、今はただ時間が惜しい。
「──そうだよ」