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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第7話『優しい手』
71/139

(071)【4】優しい手(4)

(4)

 ギルバートは立ち止まり、ユリシスが晴天の草原を都へ向けて駆けてゆく後ろ姿を確認した。洞の入り口を睨み、両手で魔術の記述を開始する。

 ──この感じからすると……。

 戦闘技術、身体能力全て、これまで相手にしてきた連中の中でもトップクラスの輩が、あの洞から飛び出して来る。気は抜けない。

 追っ手が外への第一歩を踏み出したのが戦闘開始の合図。

 洞の入り口付近、地に響く爆音とともに火が噴き出した。

 ギルバートの魔術トラップだったが、彼らは並外れた跳躍力で空へと回避していた。黒い影が三つ、煙の合間、陽光をさえぎった。

 ギルバートを覆う青白い膜を炎と黒い煙が避けて流れてゆく。

 目を細め、空を見上げると、三つの影は空中で体勢を整え、内一つの影が重力だけの力ではないスピードでギルバートに落下──突撃してくる。両手には、幅の広い短剣がそれぞれ握られていた。

 ギルバートは見極め、一本の短剣をかわし、もう一本の短剣は相手の持つ左腕を掴み、ぐいと引き寄せ、封じ込めた。

 間髪をいれず、ギルバートの空いていた大きな右手が伸び上がり、忍びの顔を掴む。既に、青紫色の光が滲んでいる。

 覆面の間、微かにのぞく忍びの目が大きく開かれる。忍びはギルバートの腕を振り払い、大きく退いたが、そのまま態勢を崩し、顔を覆ってうめき声を上げた。

 忍びの行動不能に陥った状態を視界の端で見届け、すぐさまギルバートは左手に乗せていた魔術を地面に向けて放ち、その場を右前方に飛び退き、走る。背後から追加の忍びが一人、迫ってきていたのだ。だが、忍びは魔術で緩くなった地面にズボリとはまり込み、一息つかぬ間に頭の先まで飲み込まれてしまう。もがく黒手袋の右手が残っていたが、しばらくして動きも止んだ。

 ──未だ、黒煙が辺りを包んでいる。

 視界の悪い場所を抜け、ギルバートは西の森を目指した。連中をユリシスから引き離さなくてはならないからだ。

 ユリシスが人知れず魔術の特訓を続けていた泉を持つ場所。ユリシスがアルフィードと戦った大地。ユリシスがカイ・シアーズに助けられた断崖へと繋がる森。

 ギルバートは、忍びの最後の一人が追ってくるのを把握した上で森へ入った。

 はじめに短剣をギルバートに振り下ろした忍びは、仰向けに倒れた後、動かなくなっていた。覆面ごと顔の皮膚が泡立ち、焼け爛れ、肉が剥がれ、骨を晒した顔面を空に向けていた。



 背後の轟音に、ユリシスは思わず振り返った。

 背筋がゾッとした。

 都へはもう少し走れば入れるだろう。

 ──でも、アルフィードとすぐに合流なんて出来るのか。

 早朝に出かけてしまったアルフィードは、どこか遠くへ行っているのではないか。だとしたら、追ってきた連中を誰がしのぐ? 自分で追い払うしかないのなら、都には入れない。

 都では魔術を使えない。

 魔術は強力なのだ。切羽詰まった状況で、誰を傷つけ、何を壊してしまうかわからない。それに、本当は、魔術を使えるところを誰にも見られてはならない……。

 ユリシスは決断を迫られていた。ギルバートが目前の三人の忍びに気を取られていた間に、ユリシスは別の三人の忍びに目を付けられていたからだ。

 ──ギルバートはその別の忍びを警戒して、アルフィードへ伝言を送ったわけなのだが。

 ヒルド国には、現在、忍びは二系統存在する。

 忍びに狙われているとなれば、どちらか、あるいは両方の動きがある事を想定しておく必要があった。

 忍び達は、ヒルド国に仕えているのではなく、契約を結んだ主たった一人にのみ仕える。今、忍びと契約を結んでいる存在は二人いる。国王と王女だ。限られた階層においては、その二人の仲があまりよくないという噂が真実味を持って語られている。別行動、別の考えでもって忍びを操るなら、ユリシスを狙う存在は二つに分かれており、別々に行動するはずだ。

 ギルバートが片方を請負い、引き離された時、もう片方は必ず一人になったユリシスを狙う。そんな事はわかりきっていた。だからこそ、ギルバートはアルフィードに手伝ってくれと頼んでいたのだが──。

 ユリシスは、目の前に迫る都の巨大な城壁にくるりと背を向け、少し南へ逸れると、やはり西の森を目指した。

 多対一になるなら、やはり障害物の多い森がいいと判断したからだ。ユリシスは手放すなと言われた三つの紺呪石を握り締め、再び駆け出した。

 背後を、三人の忍びが音もなく追ってきていた。



 ユリシスを追う三つの影に、その時のギルバートは気付く事が出来なかった。余裕がなかったのだ。

 ギルバートの後ろから、より速いスピードで追いかけて来る黒い忍びは、ガッシリとした体躯ながら、不釣合いのしなやかさを有していた。その黒装束の男が半世紀を生き、既に老齢に近いなど、誰も想像し得ない程に。

 従えていた二人の忍びを失っても意に介さず、標的であるギルバートを追う。この忍びの名を、ゼットという。

 彼の主はただ一人、現ヒルド国国王──ギルソウ。

 ヒルド国王家に絶対の忠誠を誓う一族のおさである。

 歴史の暗部に潜み、常にその主軸を動かしてきた忍びの一族、その長。歴史の裏の立役者が、再びその動きを活発にして、長すらもが駆ける。その実力は、時と場合によるものの、隠密活動や暗殺技能によって一国をも引っくり返す。

 ある種化物とも呼べる存在と対峙する事になったギルバートは、背後の気配を探りながら、緑の生い茂る森へと身を投じた。

 木々の合間から降り注ぐ陽光以外、明かりらしい明かりはない。その中で、両手に青白い光を灯し、魔術を描く。

 ギルバートの知る限り、両手でまったく異なる魔術を記述できるのは己と弟子のアルフィード、たったの二人だ。

 また、戦闘的魔術とでも言うのか、攻撃魔術を扱える者の中で一番上の階級にいるのもこの二人だ。さらに、アルフィードは口にしないが、彼は未だ師を追いかけている。

 ギルバートは自負するでもないが、魔術を扱う戦闘において、己が一番うまく立ち回れると思っている。

 だが、だからこそ、今から刃を交える相手の脅威をひしひしと感じる。

 普段の笑顔などない、立ち位置をさっさと変え、足を止めた。

 ギルバートは魔術の記述を続けては罠として配置し、相手の様子を伺う。

 お互いがお互いを警戒して、時が止まる。それぞれ姿は太い幹の木に隠されて確認できない。

 周辺の他の生き物達はとうに逃げてしまっており、いない。

 静まりかえった森、押し殺された息遣いが木々の影、合間にもれていた。

 どれほど時がたったかは、緊張の中、定かではない。

 長かったかもしれないし、とても短かったかもしれない。

 そっと木陰から姿を現したのは、二人ほぼ同時であった。

 対峙して、にらみ合うその距離は三十歩あまり。

「また会ったな」

 ギルバートが言う。声はいつにも増して冷たい。

「理解してもらえておらず、苦々しく思うばかりだ……」

 ゼットの言葉にギルバートは眉を少し動かした。口元は皮肉気に微笑んだ形になった。

「なんで──なんて疑問はやめておくぜ。ただ、あの娘は放っておいてやれと伝えろ。知っているはずだ、あの娘の運命とやらを」

 ギルバートは心を鎮めてそう告げた。

 ──そう、記憶の継承だとか、そんなものさえ……もしかしたら、どうでも良い。紫紺の瞳の少女には、オルファースの始祖さえ守りきれなかった運命が待ち受けているのだから……。

「……残念ながら、そういう手合いの仕事はしておらん」

 ゼットの言葉の末尾にギルバートは舌打ちを重ね、軽いバックステップで退がり、両手を大の字に掲げ、すぐにクロスさせて振り下ろした。十の指先から青白い光が溢れ、その軌跡でギルバートの眼前に網が生まれる。さらに後ろへ移動しながらギルバートは魔術を描く。

 その間に、前方から数本の短剣が飛んでくる。それらを避ける間も惜しみ、全身に巡らせた強化魔術のみで弾き飛ばす。

 ギルバートが時間稼ぎに張った即席の網は、あっさりと蹴散らされ、黒い忍びはやはり音もなく迫ってくる。

 距離はあっという間に詰められ、一歩の距離もない。

 ギルバートの左こめかみに黒い拳が飛んでくる。あまりの速さに巨大にも見え、避ける事が出来ず、重たい一撃が視界を激しく揺さぶった。次の一撃が右から襲いかかるのを、ギルバートは描けたばかりの魔術をそこで爆発させてしのぐ。

 生まれた赤い光が収束し、鋭い糸のように閃光を放つ。光そのものが刃となってゼットの黒装束を切り裂いた。

 慌てて退がるゼットを逃がすまいとギルバートは左腕を伸ばし、魔術を飛ばす。広げた手のひらに、鍋の蓋のような円形の溶岩の盾が生まれ、そこから燃える石つぶてが同時に数十個を一セットとし、十回発射されていく。反動で一発ごとにブーツの踵が地面を抉る。

 ゼットは軽やかなステップでかわしてゆくが、膨大な数と熱に圧され、五十歩以上の距離を開ける事になった。

 ギルバートはくらくらする頭に手を当てて支え、もう一方の手で治癒の術を描くが、ゼットから目を離さなかった。

 ギルバートが油断なく次の攻撃に備えていたのに対し、ゼットはふいと目を逸らした。やや南へ視線を向け、すぐにギルバートへ戻した。

「私としても“その展開”は困る。さっさと行くといい」

 ゼットは静かに告げ、そのまま消えてしまった。

 残されたギルバートは、厳しい表情でゼットの居た辺りを睨んだ。たった一度の接触だったが、そのまま続けていたら、やられていたのは自分の方だ。

 その時になって初めて、左の手の平にうっすらと血が滲んでいた事に気づいた。先ほど、洞の前で最初の黒装束の忍びと接触した際、受け流した場所だ。短剣の刃は身体保護魔術の壁を通り抜け、傷を残した。

 ギルバートは、その手の平の血を握りしめる。

 平静さを取り戻したギルバートは、ようやっと気付く。

「……南……?」

 ゼットが目をやった方向……。

 流れくる戦いの気配、ざわめく精霊、魔力波動──。

「あのバカっ……」

 駆け出すのは同時だった。




 ユリシスは王都から見て南西の方角から森に飛び込むと、魔術の記述を開始した。

 背後に青白い魔力の軌跡が文字となって伸びてゆく。

 ギルバートにかけてもらった身体強化の術以外に、ユリシスは自前の防護魔術を重ねがけた。他人の魔術の効き具合は、よくわからないから。

 近くにギルバートがいる以上、古代ルーン魔術は使わない方が無難だ。まだ、そこまではバレてはいないのだから。

 制限もあり、最近まであまり使わなかった現代ルーン魔術でどこまで追っ手に対応できるかわからないが、やるしかなかった。

 手放すなと言われた三つの紺呪石に込められた魔術を読み解く。

 それぞれの石に簡単なルーンの記述をすると、その文字は変化して込められた魔術の記述を表面に写した。

 苦労はしたが、目の前に掲げたまま走って読む事でなんとか全部理解した。

 石のある場所を発信する紺呪石──きっと、ユリシスがどこに逃げたかをギルバートがすぐに把握できるようにしたものだろう。ユリシスをマーキングする石だった。もしかすると、アルフィードにこの紺呪石を追跡するように伝えたかもしれない、それで都で合流しろと言ったのかもしれない。しかし、既に都を逸れて森へ入ったユリシスにはどうしようもない代物に思えた。

 一回限りの防護魔術が込められた紺呪石──ユリシスが見る限り、瞬発力に重点を置いた強力な物だ。

 最後は、飛翔の術が込められた紺呪石──火急の時にはこれで遠くまで逃げろというのだろうか。

 それでも、ユリシスが紺呪石の力を解放出来るかどうかをギルバートが把握していたかわからない。だから、マーキングの石を除いた二つの石は、ユリシスの危機に自動で動いてしまう可能性がある。

 制御しきれない力、予測できない力は……──ユリシスは、走りながらその二つの石を投げ捨てた。

 背後の三つの気配は森の中にやって来て、ユリシスの周囲を一定の距離を開けたまま追ってきていた。

 ユリシスは目を微かに細めて集中力を高める。駆けながら息が荒くなるのが、努めて細く呼吸を整えた。

 辺りから、他の生物の気配が消えてゆく。戦いの兆しを感じたのだろう。

 自分と自分の左右、さらに背後、四人の大地を蹴る音が森に低く跳ねる。

 もう、逃げられるのは前方しかない。

 ユリシスは自分の持っていた空の紺呪石を上着のポケットから二つ取り出した。代わりにマーキングの石をしまう。空の二つの石には、あまり深く考えず、閃光と防護魔術を込めた。

 三つの気配は距離を縮めずそのままついてきている。

 何のつもりかはわからない。もしかすると、ギルバートの居る所から少しでも距離を取ろうとしているのかもしれない。

 そうなると、不利な状況にさせられている、という事になるのか。

 いくら身体強化の術や風の術で体を軽くしても、日々走り込みなどの訓練をしていないのだから、体力は常人よりちょっと長持ちする程度しかない。現に、疲労で足が少しずつ重く、息も少しずつ細かく跳ね上がり始めている。

 下唇を軽く噛んで、ユリシスはさらに魔術を描いた。

 風の術でさらに体を軽くした。そのまますぐに次の魔術を記述しつつ、より西へ、ぐっと速度を上げて一気に駆けた。

 目標は、左右の左手側を走る追っ手──残り二名の追っ手が異変に気付く前に事を終わらせる。

 ユリシスは大地に向けて術を埋め込み、さらに術を描いた。完成する頃、目前に黒い忍びの姿を確認できた。年頃は大人になりきらない少年だろうか、黒装束で性別まではわからないが。もしかすると、この森で何度か接触している黒装束のうちの一人かもしれない。

 そんな事を頭の端で考えながら、術を打ち出す。右手で勢いよく弾き飛ばすように文字を投げた。

 右手の先で青白い文字は凝縮し、風の塊にななって真空の刃を生み出した。キリのいい十本の刃が目前の忍びに襲いかかるが、やすやすと全てかわされてしまう。

 立て続けに次の術を描きつつ、ユリシスよりほんの少し背が高いだけの黒装束の忍びに突撃する。あちらはあちらで右手に短剣を構えた。

 ──できるか?

 自問しながら、ユリシスは風の力も借りて忍びの懐に飛び込む。左腕にピリリとした熱を感じながらも、忍びの足元にルーンを叩き込み、そのまま相手の股下へ頭から飛び込み、くぐる。勢いを殺しきれず、目前の木に左腕を回し、支えにしつつ滑り抜け、体を起こした。尖った樹皮の欠片が手の平にいくつか刺さったが、気に留めている暇はない。

 すぐに体勢を整えて黒装束の忍びの居た辺りを見ると、姿がない──うまくいった。そこには穴が開いており、気配はその下から届く。人一人くぐれる程度の細い、そして深い大穴を大地に穿った。その忍びの背の四、五倍の深さはあるはずだ。狭い分、すぐには出られないだろう。

 走りながら描いて大地に埋めていた魔術を、忍びの足元で発動させた形だ。古代ルーン魔術なら一つにまとめられる術も、手間がかかる。

 ユリシスは迫る残りの二つの気配を振り切る為、再び魔術を描きながら駆け出した。

 うまく集中できない。

 呼吸の度に喉がぜいぜいと音を出す。乾いて仕方ない。無理やり唾を飲み込もうにも、粘度が上がっていてうまくいかない。膝も重い。だが、それだけでなく、先ほどの黒装束の忍びの短剣が、左腕をかすめていた。

 肩から肘にかけて服が裂け、下の肌にうっすら赤いラインが出来ている。痛みより熱を持って疼いていた。汗が染みてはヒリヒリとする。

 地下に落とした一人を捨てて、残りの二人はユリシスの追跡を続行したらしい。先ほどよりは距離を詰めて追ってきている。

 体力的にもうそろそろつらい。傷が疼いて集中もうまくいかない。

 それでも、懸命に走るユリシスの脳裏に、ギルバートの声が蘇っていた。

『魔術を使える事と魔術で戦う事は全く別の事だ』

 鬼獣相手になら、魔術で戦った事がある……そう思っても、心許ない。アルフィードとの対戦を思い浮かべても、それを経験とは呼べない気がした。

 いつも、逃げたり、避けたり、本当に相手を打ちのめすという経験をした事がなかった。

 ──どうやったらいいのだろう。黒装束達の足はどうしたら止まるのだろう……?

 同じ手の落とし穴の魔術も、相手を強引にどこかへ飛ばす魔術も、描いてはみても連中には決め手にならない気がした。

 今までは運だ、そう言われた。

 妙に納得できた。今まで、一度だって撃退したという経験がない。

 ユリシスはぎゅっと眉をひそめた。

 ──……どうする!?

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