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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第7話『優しい手』
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(070)【4】優しい手(3)

(3)

 王都西の草原に埋もれた洞をくぐり、広間に辿り着いた時、ギルバートは音を出さないよう、心の内で舌打ちした。

 ──『この場所』が大教会と地下で繋がっていた事は、以前、アルフィードに聞いていたというのに、忘れていた。

 そこには、先客が二名居たのだ。

 カイ・シアーズの言っていた事も、思い出す。

 明らかにゼヴィティクス教の位の高い司祭──紫色の刺繍が全体に走る白のローブの後ろ姿、金の錫杖を持った男が見えた。

 ──……あれは大司教か。

 洞と広間の境で身を潜め、ギルバートは気配を殺して覗き見ていた。

 大司教は古代ルーン文字を読めただろうか……。

 ギルバートは目を細め、大司教に連れられて大教会側の地下──例の弟魔術師が開けた大穴を通ってくるオルファース総監デリータ・バハス・スティンバーグを見た。

 ──……彼女なら、読めてしまうだろう……。

 大司教の後ろを歩くデリータは広間を見回し、壁の一点を注視して止まった。あの文字に、気付かぬはずがない。

 ここで飛び出て阻むわけにもいかず、ギルバートはただ気取られぬよう、デリータの後ろ姿を睨んだ。

 それからしばらくして、二人は大教会側へと戻って行った。

 気配が完全にこの地下から消えるまで、ギルバートは息を殺して動かなかった。

 静かな広間をゆっくりと歩き、その『文字』へ向かう時、微かに切なさが胸を掠めた。

 既に亡い存在に想いを寄せたキリー・フィア・オルファースの気持ちが、ギルバートには痛い程よくわかった。ギルバートが若い頃、想いを通わせた少女を守りきれなかったように、キリー・フィア・オルファースもまた、メルギゾーク滅亡の折、ディアナ女王を守れなかったのかもしれない。

 古く、しかし、魔力の残る筆致で刻まれた岩壁の文字に、ギルバートは右手をかざして、術の記述を始めた。

「あんたは護りきれなかったかもしれない。だが、俺は守るつもりだ。だから、すまない」

 右手の指先から青白い光が流れ、記述を描き終えた時、文字のある壁は波打ち、やがて平らになった。ギルバートの魔術は、そこに穿たれていた強い想いごと、文字を飲み込んだ。



 ギルバートが屋敷へ戻ったのは、夕暮れの迫る頃合いだった。

 久しぶりに過去に沈めた想いが浮上して、暗い気分に落ちそうだったが、リビングから漏れる明かりと笑い声がそれを打ち消した。

 ユリシスの笑い声と、アルフィードの声だった。

 何をしているのかと覗き見しようとする間も無く、扉はアルフィードに開けられてしまった。

「何してんだ?」

 ──相変わらず、とんでもなく勘が鋭いな……。

 虚を突かれ、姿勢は中腰でアルフィードを見上げる事になった。

「あ。おかえり、ギル」

「──お、おう」

 アルフィードの向こう、ソファに座るユリシスが小さく手を振ってきたので、ギルバートは曖昧な表情から笑みを作ってこたえた。

 背筋を正していると、アルフィードが腕を組み、顎を持ち上げて「入れば?」と促している。

 思わず、自然と自分に普段の笑顔が戻るのがわかった。

 それは……。

「ただいま。お前ら何してたんだ?」

 それは、ひどく穏やかで幸せな空気だった。

 ユリシスを迎えるまでほとんど帰る事の無かったこの屋敷に、ポッと温かな焔が灯ったかのように。

 ──うん、やっぱ女の子はいいな。

 あまりにオヤジ臭い事を考えてしまい、慌てて頭の中から追い出した。

「ああ、言葉の連想ゲームだな。昔、俺とかルヴィスとかでやってたヤツだよ」

 テーブルの上に広げられたノートには、たっぷりとルーン文字の単語が並んでいた。

「へぇ~」

 ギルバートはにやりと笑った。

 連想ゲームは魔術師の魔術の反射神経を鍛える。一つの言葉から連想されるイメージを交互に出して集めてゆき、詰まると負けという少し曖昧なゲームだ。

 魔術師が魔術を使うのに、普段、気に留めずに問題なく使える術でも、状況が水中になった時、火炎の魔術がうまく発動するかと言えばそうではないので、別の魔術を放たなければならない。それらの状況を想定すると、冷静な判断力、魔術を選択する反射神経が問われる。それを鍛えるのに有効なゲームなのだが……。

「勝敗は?」

 とギルバートが聞くと、

「一勝一敗四十九分け」

 アルフィードがそっぽを向いて答えた。

「お前ら、どんだけやってんだよ……」

 ギルバートは苦笑した。

 アルフィードは負けず嫌いだし、ユリシスは楽しくて仕方ないのだろう。

 ユリシスに関して、既に魔術を放てるのだから、ルーン文字の語彙力はあるだろう。予備校生同士でゲームした時とは比べ物にならない面白さを、アルフィードとの勝負に見出したに違いない。血色のいい笑顔をしているユリシスを見ればわかる。

 ──とはいえ……戦闘特化のアルフィードと引き分けるのは、並々ではない。さすが、とギルバートは冷静に思った。

「あー、飯にすっか。アル、お前も食ってくか?」

「そうだな、久々に食って帰るか」

 ギルバートが厨房に立ち、ユリシスが手伝った。

 アルフィードはリビングのソファに前のめりで腰掛け、ノートを神経質そうにパラパラとめくり、書き留めていた単語を眺め、唇を人差し指と親指でつまみ撫でていた。

 それは、三者三様、久しぶりに巡ってきた心やすらぐ平和な一時だった。



 その日の晩、ギルバートは一人、書斎で数冊の写本とにらめっこをしていた。

 メルギゾーク滅亡や、紫紺の瞳の乙女についての本は既に何冊も読み漁ってきた。なのに、あんな事は一つも書かれていなかった。

 黄色い月明かりが窓から静かに差し込む書斎で、一人、ギルバートは灯りもつけずに思考に沈んだ。

 目覚めるという言葉で表現されていたのは、人外とも言えるその強大な魔力の事だ。歴史書には八人の紫紺の瞳の少女が登場するが、誰もがある日唐突に巨大すぎる魔力に目覚め、魔道大国メルギゾークからの使者と共に王都を訪れ、王位についている。

 紫紺の瞳の乙女には、メルギゾークを滅ぼしたような強大な力以外に何かあるのか。

 キリー・フィア・オルファースの遺した文字が思い浮かぶ。

「……記憶を継承する……稀有な存在……」

 言葉通りの意味を示していたとして、現在、紫紺の瞳を持つユリシスにどのような影響を与えるものなのか。ギルバートは月明かりの下で、頭を抱えた。

 あの文字を、ヒルド国王の右腕でもあるデリータ総監は読んだ。

 これから……今日見たようなユリシスの笑顔を守れるだろうか。

 過去を、心の奥に沈めた記憶を、乗り越えられるだろうか。ギルバートはそっと息を吐き出したのだった。


 翌日。

 ギルバートは書斎で目を覚ました。どうやら本を読みながら眠ってしまったらしい。最近、あまり寝ていなかったせいかもしれない。

 蹴飛ばしたのか、積んであったはずの本を数冊ひっかぶっていた。

 ドサドサと乱暴にそれらを払いのけて立ち上がる。

 部屋を出ると、扉のすぐ正面にユリシスが立っていた。

「おはよう、ギル!」

「お、おう。おはよう」

 あくびを混ぜながらギルバートは返事をした。ユリシスは片手に本を持っていた。

「お前、俺待ってたの?」

「うん、起こすのも悪いし、読みたい本はまだまだ沢山あるし」

 書斎でギルバートが寝ていた間、ユリシスはこの扉の前で本を読んでいたらしい。

「起こせばよかったのに」

 ギルバートが先を歩いて厨房へ向かうと、ユリシスは後をちょこちょことついて来た。

「だって、今日は私のわがまま聞いてもらうし」

「ご機嫌とりか?」

「別にそういうつもりじゃあ……」

 水を一杯飲んでから、ギルバートはユリシスの頭をぽんぽんと弾いて微笑った。わかってる、という意味だ。

「アルフィードはどうした?」

「わからない。私が起きた時にはもういなかったよ」

 ユリシスの朝は夜明けと同時である。

「そんな早くからどこ行くんだ、あいつは」

 リビングへ移動するギルバートの後ろを、ユリシスはやはりちょこちょことついてまわった。

「今、何時?」

「んと、お昼前かな?」

「飯食ってからだな」

「え~……」

 あからさまに肩を落とすユリシスが、少し可笑しかった。

「俺は支度するから、ユリシスが飯担当ね。旨いのね」

「……は~いぃ」

 本を両手で持ち、わざとらしく重そうなそぶりを見せる。ユリシスはノッシノッシと同じ側の手足を一緒に出して厨房へ歩いて行った。

 ギルバートはそんな後ろ姿を見て、口角を上げた。

 ──ちょっとは心開いてくれてんのかね。



 昼を少し回ってから、ギルバートとユリシスは立ち尽くす。

 例の洞をくぐって来たのだが、広間へ通じていた壁の裂け目が無くなっていた。岩壁で見事に塞がれていたのだ。まるで、はじめから穴なんてなかったかのように。

 ユリシスは、ぺちゃっとその岩に触れた。

「そんな……」

 ギルバートだけは、ピンとくる。

 昨日、オルファース総監デリータを連れて来ていたのは、大司教だったはず。そうでなかったとしても、立ち入りを厳しく制限している施設なのだから、都を出れば簡単に出入りできるような状態になっていたのを放っておくはずもない。今までが、おかしかったのだ。発見次第で塞いだのだろう。

 闇の中、ギルバートの小さな小さな紺呪石の灯りだけを頼りにここに来ていたが、どうしたものかと思案していると、他の光源が発生した事に気付く。

「こら!」

 ギルバートはあわててユリシスの腕を握り引っ張りあげた。

 青白い線が岩にちょっとだけ引かれていた。

 魔術を使うつもりだったのだ。

「お前、ばかですか? ちょっとは考えろ。壁を塞いだのはつい最近だろう。塞いだヤツは周囲を警戒して、ここが自然に開いたものだったとしても、出入りしてた存在がないか調査しているはずだ。わかるか? この辺は危険なんだよ」

「あ……そっか」

「諦めろ。帰るぞ」

 名残惜しそうに壁を見つめるユリシスの手を、先ほどとは違う、強い力でギルバートは引っ張りあげた。

「……痛っ」

 ギルバートは持っていた紺呪石の灯りを瞬時に消すとポケットに押し込んだ。

 次の瞬間、甲高い、ガカッと岩が削れる音が四つ聞こえた。

 ギルバートに引き寄せられる前、ユリシスが立っていた辺り、暗所に多少は慣れた目が、そこに突き刺さっている四本のナイフを見つける。

「……え?」

「黙ってろ」

 ユリシスの手を引き、ギルバートは走りだした。外套の中、光を漏らさぬように魔術を引いている。

 足の速いギルバートに歩幅が追いつかないユリシスは、半ば宙に浮いた状態で駆けている。

 左後方、ユリシスはやっと気付いて唾を飲んだ。

 ──殺意。

 ギルバートはユリシスに三つの紺呪石を押し付けた。

「手放すな」

 背後で再びいくつか煌く。投げナイフが風を鳴らしてこちらへ届く前に、ギルバートは足を止めずに左腕を開いて外套を投げ捨てた。鈍い音がした後、カラカラと地面を何かが転がる。強化された外套が、飛来するナイフの盾となって弾き落としたのだ。

「外へ出る」

 ギルバートはそう宣言すると、自分とユリシスに身体強化の術を施した。ふっと体が軽くなり、移動速度が上がる。

「外へ出たらお前はまっすぐ都を目指せ」

 ギルバートは小さな炎を召喚した。炎を通してアルフィードに伝言を飛ばすつもりだった。

「アルフィードがすぐに合流する。魔術は、全部俺にかけてもらったと言え」

「う、うん」

 歯切れの悪い返事だ。恐怖におののいているだけというわけでもなさそうな所が、ユリシスの厄介なところだ。

「間違っても、一人で太刀打ちできると思うな」

「でも」

「お前は多少魔術を使えるかもしれない。だが、魔術を使える事と魔術で戦う事は全く別の事だ」

「…………」

「今までは運だ。奴らはもう油断しないだろう。俺にも気付いてるだろうしな」

「……わかった」

「……いい子だ」

 そして、昼の明るい日差しが前方に見えた。もうすぐ洞を抜ける。

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