(007)【2】少女の憂鬱な休日(2)
(2)
第二別館は四階建てだ。一階は中庭を臨み、そちら側にテラスを持つ優雅な佇まいをしている。
第九級魔術師資格を持っていれば、すなわち魔術師である。
しかし、この第二別館への出入りが許されるのは第五級を取得済みの魔術師らで、一般的に呼ぶ“魔術師”は、この第五級以上の魔術師を指す。
“魔術”などへの知識が少ない者は、よく“魔術”を魔法と呼び、“魔術師”を魔法使いと言ったが、そこに大きな意味の違いはない。
第五級以上の資格を有する者が魔術師であるのに対し、第六級以下の者は魔術師見習いと呼ばれた。こちらも魔法使い見習いと呼ばれる事もあるが、意味に違いはない。
魔術師と魔術師見習い、両者の違いは決定的な力量の差であり、それ故与えられる権利と義務が異なる。
魔術師は“魔術”を活用した仕事をしても良い。“魔術”を売る事が出来る。魔術師見習いは選び選ばれた魔術師の下で学び、同時に監督下に置かれて“魔術”の行使そのものを制限される。
例えば『庭にプールを作りたいので穴を掘って水を張ってくれ』と依頼されれば、魔術師は大地を穿ち、遠くにある雨雲を一時呼び寄せる“魔術”使うのである。この時、魔術師見習い達は魔術師の下に付いてその仕事を手伝う助手であり、そこから多くを学んでいくのである。魔術師見習いは常にその師たる魔術師に従って行動する為、他に仕事をするなど、生計をたてる手段がない。そこで魔術師見習いらは魔術師の家に住み込み、その労働に見合う給金をもらうのだ。魔術師は弟子達、魔術師見習いを使いより多くの仕事をこなしていき、収入を得る。
その、“魔術”を行使して仕事をする第五級以上の魔術師達のみ出入りが許された第二別館の一階やテラスでは、仕事話、あの依頼人は払いが良いだの悪いだの、魔術師同士の情報交換から、“魔術”研究の話が盛んに行われている。
二階から上はもっぱら研究会の会場として、各魔術師達に発生している派閥の会合に利用された。そこが、オルファースの知の源泉とも言えた。魔術師達が集める情報、まとめた研究結果はすなわち、魔術の発展へと繋がる。既に、他者に習うべき基本的な“魔術”知識、技術が無くなった魔術師達は、自らで知は発掘していかなければならない。
この第二別館は研究の場として、学びの場として、活発に論議が繰り返されているのだった。
オルファース本館から回廊を渡って中へ入るとロビーがあり、そこには多くの掲示板が連なっている。それ自体がパーティションになってしまってやや薄暗い。しかし、そこは魔術師であるから、それぞれ手元にポッと魔力の明かりを灯して見てまわるのだ。
取り巻きから開放され、掲示板の間を少年と少女はゆっくりと歩いていた。
簡単に見て回って、最後に二人が所属する派閥の、今日の議題が貼り出された一番手前の掲示板に歩み寄る。少女は手をかざして文字が読める程度に明かるくなるよう、その指先に光を生み出す。青白い光。
彼女の手の、即席の明かりは“魔力”そのものの放出による。明かりの“魔術”では無い。だが、薄暗かった辺りが瞬時に明るくなる。濃度も濃く、安定した強い魔力だ。
ロビーには、この二人と一緒に第二別館に来た十数人の取り巻き魔術師達と、そこに朝から居たのだろう魔術師達が四、五人いた。テラスにも複数人見えた。皆、掲示板を見たり、雑談したり、それぞれである。
「……あら?」
少女はさらさらの銀髪を揺らして背後の少年を振り返る。
「ネオ、今日は“ウィン”についてよ。“アンザス”についてじゃないわ」
少女は掲示板に書かれた本日の研究議題の欄を照らして、一緒にいた少年に語り掛けた。
「……え?」
ぼうっとよそ見を決めていた少年は、少女を見た。ダークブルーの髪に、少女の魔力の光が当たり、その色は明るい藍色になる。同色の瞳には知性の輝きが底なき深さで宿っている。
「ほら──ここよ」
ネオと呼ばれた少年は一歩前へ出て、少女の手元を覗き込んだ。
「……おかしいね、昨日確認した時は確かワレッシュ様が“アンザス”の魔術についての考察をなさるって……」
「よねっ!? 私も見たもの。きっと今日、張り替えになったのよ」
「……そうだね」
「……そうだね、じゃないわよ」
顎に手を当てたネオの真似をしてから、少女は彼を見上げる。
「“アンザス”の魔術に関する資料しか持って来てないわよ? ネオもそうでしょう? “ウィン”についての資料は全部、私、家だわ」
「ああ、僕も家に全部置いてるかな」
「だから、置いてるかな、じゃないわよ。取りに帰りましょう? 今日“ウィン”のお話、なさるのはドリアム様よ。あの陰険オヤジ、ことあるごとに若手の私達を目の敵にするんだから」
急かすように早口で言う少女に、ネオは顎の手を下ろして頷く。
「そうだね、少し意地悪な方だね。取りに帰ろうか」
「だから、急ぐわよ、研究会、すぐに始まってしまうわ」
「急ぐと言っても……間に合わないよ」
「間に合わせられるわよ──飛べば」
手元の明かりを消して、少女は体ごとネオに向き直って言った。ネオは一度瞬きをした後、忘れていたという言葉を表情で示す。
「ああ……そうだね、シャリー」
「そこのテラスから出ましょ、ネオ」
言うが早い、シャリーと呼ばれた少女の足元に風が走り、腰まであるサラサラの銀髪が揺れた。左手の銀色の腕輪には親指の先程の青白い石が一周するように縫いとめられている。その内の一つが光を放っている──紺呪石に“魔力”が注がれている。
「……しょうがないね。私的に魔術使うの、好きじゃないけど……」
ネオの右手の人差指にある指輪、これに付いた紺呪石にも魔力の輝きが走り、その足がすっと宙に浮いた。
それを見てから、シャリーもフワリと浮き上がり天井に届くと、ポンと手をついて勢いをつけた。
ロビーに居るのは皆魔術師だった為、その光景に驚く者はいない。
ギュンっと空気を鳴らして、人の居ない天井付近をシャリーは抜け、昼の日差しを存分に受けるテラスへ飛び出し、緑輝く中庭へ。
勢いを天井でつけるでもなく、ネオは床に軽く力を放出して少女と同じほどの速度で後を追い、やはり中庭へと飛び出る。
ドンという音をネオが聞いたのは、テラスを越え、中庭に出てすぐだった。
音のした方へ木々を避けて回りこむと、何かにぶつかったのか、シャリーが芝の上で仰向けに転がっていた。
ネオは、魔術を解いて、勢いが残ったまま地面に降り立った。膝を少し折って前のめりに着地すると、靴の先端につま先が寄った。
「大丈夫? シャリー。どうした?」
まくれ上がったスカートの裾を下げながら左右を見渡すシャリーの横に、ネオは近寄った。
「アタタ……えと……? あっ!」
駆けつけて来たネオに返事もせず、シャリーは我に返ると慌てて近くの植木へ走った。ネオはそれを目で追う。
「ごめんなさい! 大丈夫!? 私、前をよく見ていなかったから!」
何事かとネオが後から付いて行くと、シャリーの影、植木の中から、少女がむくりと起き上がった。
髪の毛や肩には植木の葉っぱが沢山ひっついていた。シャリーは慌ててそれを払ってやっている。少女は散ってしまったのだろう、荷物を鞄に集めながらシャリーを見上げた。はらりと、少女の肩までの黒髪が揺れ、顔があらわになった。
「あ、平気です。私も急いでたし。気にしないで下さい」
少女はしゃがんだままシャリーを見上げていた。葉っぱを払い終えたシャリーも膝を折り、少女の荷物を集めては渡す。
「でも……でも……痛かったでしょう? ごめんなさい!」
「いえ、あの、ほんとにイイですから。その、私も急いでて、そちらも急いでるんじゃないですか? お互い様って事で」
どうやら、勢い付けて飛んで出たシャリーは、植木の向こうから急いで駆けて来たであろう少女とぶつかった、といったところのようだ。
ぶつかられたらしい少女にケガがあるという様子はない。観察をしてみればむしろ、ここから早く立ち去りたいと言わんばかりだ。ネオは謝罪を重ねるシャリーに目を移した。
黒髪の少女にもういいと言われてもシャリーの罪悪感は大きくまだ謝り足りないようだったが、ネオは間に立って言った。
「シャリー、この人はとても急いでいるようだから、謝罪はまたの機会にするといいよ。それに、僕らも急いでるんだろう?」
「そ、そうよね!」
顔をほんの少しネオに向けてやはり早口でシャリーは頷いてから、再び少女の方を向く。
「ごめんなさいね。私はシャリー。シャリー・ディア・ボーガルジュよ。今度何かお詫びをさせてね。お互い様と言ってくれるけれど、私の方がどう考えても悪いわ、あんな低空で飛ぶなんて……」
ぶつぶつと、言い訳というよりも反省を呟き始めるシャリーに、ネオは鼻で小さく息を吐く。
「シャリー」
「わ、わかってますわよ。──ねぇ、あなた、名前は?」
ネオの左右で二人は立ち上がる。シャリーが問うと、黒髪の少女は荷物を肩にかけてから、顎を上げて顔を見せた。
「私?」
少女はシャリーとネオ、二人の顔をそれぞれ見た後、ゆっくりと口を開く。
「……私は、ユリシス」
ネオは目があって、ギクリとした。
透けるような紫の瞳、中央に赤に近い紫の水晶体がのぞく。ネオは目を逸らしてシャリーを見たが、彼女は特に何も感じなかったようだ。
──ネオはどうしてか粟肌立った腕を、こっそりと、ほんの少しさすった。
少女は名を告げると、密かに呆然としたままのネオの前からさっさと走って立ち去ってしまった。そして、シャリーが再び空に飛び上がる。
「ごめんなさい、ネオ、時間を取ってしまって」
「あ、ああ。……かまわないよ」
素直にネオにも謝るシャリーは、気持ちの切り替えを済ましているようだ、彼女の家の方へと飛んで行った。
ネオも後を追おうと、再び指輪の紺呪石に“魔力”を集め、込められた魔術を起動する。中庭の草木を揺らす程の風を、呼び出す。ふわりと宙に舞おうとした時、植木の陰に、手のひら程の大きさの布の包みを見つけた。財布のようだ。
自分の物ではない、見たことのあるシャリーの物でもない……。
持ち主は先程の少女、ユリシスだろう。シャリーが彼女にお詫びをすると言っていたのを思い出し、また会うだろうと財布を拾うと、自身も資料を取りに戻る為、飛んだ。
残念ながら、案の定、二人は研究会に遅刻をして、嫌味で有名な、シャリー曰く“陰険オヤジ”のドリアム様に、懇切丁寧な指導を頂戴したのだった。