(068)【4】優しい手(1)
(1)
ユリシスは二階の客間を与えられる事になったが、初日から地下室に居た。
案内された時は驚いた。地下は、三階までを本が埋め尽くしていたのだから。魔術機関オルファースの図書館に通い続けていたユリシスにとって、魅力的でないはずがない。
ギルバートも地下室で調べ物をしている。
足音が聞こえて、ユリシスは手に持っていた本を棚に押み、下唇を上唇の裏に回るほど押し上げ、への字口を作った。
──まだ居るんだ……。
目の前の棚板と本の間から、モスグリーンの外套がちらちら揺れているのが見えた。
上下の唇を巻き込んでゆるく噛んでみてすぐ、下唇をぺろりと舐めた。言葉を選んでいたのだ。
「ねぇ。仕事……オルファースとか、行かなくていいの?」
棚の隙間から声をかけた。
ギルバートはこちらに背を向けたまま、「ん~?」と気の無い声を返してきた。
「今日はなー……行かなくていいのー」
ユリシスは片眉をひそめ、ぽつりと呟く。
「……行かなくていいって……なんだそりゃ」
副総監とは、こんなにのんびりとしていても勤まるのかと疑ってしまう。行きたい日に行き、行きたくない日は簡単に休めてしまうものなのか。お気楽に見えた。
ユリシスは棚を回り込んだ。
「あれ?」
さっきまであったモスグリーンの背中が無い。
見上げれば、上方、端の棚の前で宙に浮いていた。
──そうだった。きのこ亭に居た時とは、わけが違う。魔術師だ。第一級魔術師で、しかも副総監の一人……。
「ギル」
「ん~?」
「……」
魔術師にはよくある事なのだろうと、ユリシスは思う。ユリシスにもそういうところがあるから、何か言うつもりはないが……。
本を読み始めたり、調べものに集中しすぎると、他が疎かになる。
ちっとも話を聞く気のない返事に、ユリシスはふうとため息をついた。元の棚の方へ戻ろうとして、ふと思いついた。
聞いてくれないのを逆手に取ってやろう。
「ギル、私、昨日の洞に行ってくるね」
「ん~」
想定通りの生返事。
ユリシスはニマ~と笑うと慌てて階段を駆け上がり、家を出ようと扉に手をかけた。
しかし、半歩飛び出した所でその腕は掴まれていた。
「──おいおい、どこ行くって?」
ギルバートだった。思ったより気付くのが早い。
「えっと、だから」
「あそこは、今日はだめだぞ。そうだな、明後日、明後日な」
「なんで? なんで今日ダメなの?」
「今日は調べもんにカタつけたいし、明日は俺がムリだから」
「別にギル来なくていいよ、自分で行けるし」
「それがダメなの! ハイ、さっさと中戻るっ」
「えー……」
差し込む昼の日差しが少し眩しかった。行きたかった。行って、確認したい事があった。ユリシスはめげずにギルバートを見上げる。
「ね、明日は?」
「明日はちょっと出なくちゃなんねーからダメ」
ならば、洞へは明日行こうと、決めた。
ギルバートはユリシスの腕を簡単にぐいっと引き戻して、扉を閉め、カギをかけた。
──そして、翌朝。
残念なことに、ギルバートが仕事へ出る前、アルフィードが訪ねて来た。
アルフィードはギルバートを見送った後、リビングで紺呪石の手入れを始めた。それを、ユリシスは開けたリビングの扉にもたれ、腕を組んで見ていた。
「……」
アルフィードの腕やらベルトやらに、ジャラジャラと小粒の石が沢山ついている。彼はそれらを丹念に調べては術を込めなおしたり、留め直したりしている。
骨ばったごつい指の割りに、器用に石をころころ回している。
ユリシスはそれをじっと見ていた。留守番が来た事への不満より、じわじわと興味が勝っていった。
「……」
「なんだ?」
「その小さな石で、どのくらいもつの?」
「あ? お前に話したってわかんねーよ。あっち行け、ジャマ」
ユリシスはぷうと頬を膨らませ、リビングを出ると扉をしっかりと閉めた。
予定通り、洞へ行こうと玄関のノブに手をかけた時──。
「何してんだ?」
ユリシスは驚き、慌てて振り返った。音がしなかったのに、ぴったり張り付くほどの背後にアルフィードが立っていた。
「え、出かけようと思って……」
「どこ?」
アルフィードは左手に小さな石、右手には柔らかそうな布を持っていて、石を磨いていたようだ。
「どこって……ちょっと……そこまで?」
「ふーん。なら、ちょい待ってろ」
ユリシスが戸惑っていると、アルフィードはリビングに戻り、すぐに外していたであろう紺呪石を全て装着しなおして現れた。
「カギ持ったか? 行くぞ」
「えっ?」
「あ、いっか。俺もここのカギ持ってたっけな。五級取ってこの家出てから、返すン忘れてたんだよな」
兄弟子アルフィードは荒っぽくユリシスの背中を外へ押しやりし、自分も外へ出るとカギをかけてしまった。
「そこまでって、どこ?」
なんだこりゃと思っている間にアルフィードは先へ先へと行ってしまう。
結局、朝早くから開いてる店を探して、必要もないのにノートを一冊購入した。
「紙なら家あったろ? なかったっけ?」
アルフィードはそれだけ言った。
洞に行きたいとも言えず、ユリシスはアルフィードと共に家に戻る事になった。
家に着くと、アルフィードは再び石の手入れを始める。
……近所への買い物に、ついて来た。
もしかしたら、どこへ行くのにも付いて来るのではないかと思った。
ユリシスは肩を落とし、地下へ降りた。地下の蔵書を読む以外ない。
洞にあったと思われる“天使絵”を、もう一度確認したかったが、諦めて、明日ギルバートに連れて行ってもらうしかない。
地下室で本を読み漁るのも悪くないとユリシスは思っていたので、落ち込みもせず、軽い足取りで本を選ぶ。
図書館でも見なかったような本が何冊もあって驚いたものだ。禁帯出本の写しや、ギルバートが若い頃に旅をして買い集めたものもあるらしい。
知的好奇心が満たされる事で、気は紛れ、楽しむ事は出来た。
暇はしないが、息苦しい気がしたのも事実だった。
黒装束の連中に狙われてる事をギルバートは心配しているのだろう。
昨日のギルバートも、今日のアルフィードも、自分を監視しているのだろうか……。
ユリシスがひょこひょこ都の外へ飛び出してるのを気にしているのだろうか。ユリシスには普段の二人がよくわからないので、なんとも言えない。
ありがたいばかりのはずだが、以前より減った自由に少しだけ不機嫌になって、それでも彼らがいれば黒装束の連中も襲って来ないのではないかと心底安心して……。
ユリシスは新生活になじむべく、己の進むべき新しい導を探し始めていた。




