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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第7話『優しい手』
67/139

(067)【3】素敵な嘘(6)

(6)

 翌日の午前中。

 ユリシスは、ぼんやりと自分の部屋を見つめる事になった。

 天井の低い、狭い部屋。十年近くも暮らした。

 きのこ亭、三階廊下の天井に扉がある。扉は、廊下の壁に掛けてある木の梯子で、突いて押し開ける。扉が開いたら、梯子を立て掛け、登る。

 屋根裏部屋だが、ユリシスの城だった。

 大半、よくわからない荷物であふれている。木箱、使い古された椅子や机。梯子を使わなければ入れないこの屋根裏部屋に、よく運び込んだものだ。

 荷物を通り抜けると、少し開ける。丸窓のある壁を右手にして、正面に小さなベッド。このベッドで、一人、幾夜越えただろうか。横になって読んだ本は何冊になるだろうか。何度、己に負けそうになって、その弱さに何度、悔し涙を流しただろうか。

 私物はもう部屋には置いておらず、右手に下げた少し大きめのカバンにすべて詰め込んでしまった。

 昼の日差しが丸窓から注ぎはじめている。

 ……この部屋とは、今日、お別れなのだ。

 ためらいがちにユリシスはベッドや机、空間そのものに背を向けて、屋根裏部屋を後にした。

 どうしようもない寂しさがこみ上げてくる。

 勢いだけで実家を飛び出した時には無かった物悲しさが、全身をぐるりと包み込んでくるようだ。足がすくみそうになる。立ち止まりそうになる。

 梯子を降りて、扉を閉めた。

 ゆっくり、ゆっくりと、三階の廊下を歩く。

 ユリシスを受け入れてくれた『きのこ亭』の料理長、女将さん、コウ、シュウのカムベルト一家には、なんてお礼を言ったらいいかわからない。それぞれの部屋の扉に、深く頭を下げた。夜勤組は寝ているだろうから。

 階下へ降りてゆく。一階の店が開店するのはお昼が来てからなので、もう数時間もないだろう。

 ユリシスも、体が小さかった頃はお料理をこぼしてよく叱られた。それでも、カムベルト一家はかわいがってくれたし、常連のお客さん達も温かく迎えてくれた。

 今日、ここを出て行って、もう、昨日までの仕事をする事もなくなるのだと思うと、おへその辺りから何か、ザワザワしたものがこみ上げてきて、涙があふれそうになる。

 ここを出てゆく事は、昨日のうちにカムベルト一家には話してある。

 階段から一階の廊下に降りた時、店のフロアから話し声が聞こえてきた。

 廊下から盗み見ると、女将メルと赤い髪の第一級魔術師ギルバートだった。

 背の小さなメルが、ギルバートを見上げ、両手を取ってぶんぶん振って迫っていた。

「あの子を、あの子をお願いしますね。ずっと、ず……っと、魔術師に憧れていたんです!」

 メルの横顔を見ていると、ユリシスの目頭も熱くなって、涙がこぼれてしまった。

 ギルバートは振り回された手の一方を引きぬくと、メルの手に被せ、そっと微笑んだ。

「任せてください」

 ギルバートの目が穏やかで、ユリシスは昂ぶりそうな感情に唇を噛んだ。

 ふと、ギルバートがこちらに気付いた。

 ユリシスは慌てて涙を拭い、無理やり唾を飲み込んだ。それを見たギルバートが、にやりと微笑うのだ。ユリシスはばつが悪くて、二、三、首を左右に振った結果、つんと顔を背けてしまった。

 ちらりとギルバートを見れば、さっさとこっちに来いという風に顎をくいと動かした。

 ユリシスは動揺を押し込め、フロアへ歩み出た。

 女将メルがユリシスに気付いた。そっと抱きついたが、すぐにどちらともなく離れた。

 小さなメルを見た。初めてここへ来た時は、ユリシスの方が見上げていたのに。いつの間にか自分の方がずっと大きくなっていた。

 メルはユリシスの頬に手を触れ、少し撫ぜると離した。

 ユリシスは精一杯の笑顔を見せる。

「魔術師になってくる。いってきます!」

「がんばれ! また、いつでもここへ遊びにおいで」


 きのこ亭を後にして、ギルバートの屋敷へ向かう道で、人気のない国民公園の前を通る時。十年分の思い出に、止めようがなくなって、ユリシスはボロボロと泣いてしまう。やはり、声は一切出さずに。

 ユリシスの隣を歩くギルバートは、苦笑するのだ。

「お前って……ほんと、無駄に強がりだよなぁ」

 むっとしてユリシスはギルバートの横っ腹をグーで殴った。

 ギルバートは肩をすくめて「ははは」と笑う。

「下手な癖にウソもつくし、素直じゃないってヤツだよな」

 ユリシスはギルバートを体ごと睨むが、彼はいつもの笑顔のままだった。

「はいはい、これ以上は何も言いませ~ん」

 そう言いながら、ギルバートは先を歩いて行った。

 しばらくその背中を睨んでいたが、すぐに諦めて跡を追いかけた。



 昨日、ユリシスはギルバートに、必死で隠し通してきていた事の一端を見られてしまった。見られたのはユリシスの不手際と言えば不手際なので、彼を責める事もできやしない。

 あの時──黒装束に追われて魔術を使ってしまったところを見られた時──、彼の第一声は、少し面白かった。

『さっきのは、見なかった事にしておくからよ』

 ちょっと、意味がわからない発言に感じられた。

 でも、思い出した事がある。

『名前は、聞かなかった事にしておくからね』

 そう言った事があるのは、ユリシス自身だ。

 秘密を、自分が何者であるかを必死に隠していたのに、ユリシスにバレてしまった幼いエナ姫。彼女に、ユリシスがそっと耳打ちした言葉。

 そういう、秘密を見逃す事は、沢山の嘘をこれから生んでしまう。この一言は、覚悟の宣言でもあるのだ。例えばエナ姫と会った事があるかと聞かれたら、ユリシスは必ず「会った事などない」と嘘をつかなければならないように。

 ギルバートは今後、ユリシスの為に沢山の嘘をつく事になる。

 ユリシスがエナ姫にそう覚悟したように。

 嘘は、本当は大嫌い。

 ギルバートの言うようにヘタなのかもしれない。

 ──でも……。

 そういった嘘がきっと素敵なのは、本当はちゃんとわかってる。



 ユリシスは、ついにギルバートの屋敷に辿りつく。

 何度か来た事のある、屋敷というには小さな二階建ての家。ギルバートという独身男には不釣合いな、花の飾られた可愛らしい玄関口。この屋敷の管理はユーキという女性に任せているからだろう。ユーキは、ユリシスがこれまで過ごした『きのこ亭』の女将メルとは違い、とても背の高い中年女性だ。黒髪をポニーテールにまとめていて、健康そうな女性である。よくよく聞けば、ユーキが来るのは週に一度の掃除くらいだという。ギルバートの古くからの友人らしく、魔術師でも何でもない、ごく普通の既婚女性という事だ。今日は来ていないから、以前みたいなケーキは出せないと言われた。

 ギルバートがカギを開け、扉を開く。静かな廊下が見えた。

 扉を大きく開いてから、ギルバートは笑顔でユリシスを振り返った。

「ようこそ」

 ギルバートの指先に、魔力の光がちらりと見えた。そのままギルバートは玄関の壁に触れる。

「今日からここがお前さんの家だぞ」

 パッと灯りがついて、屋敷の中が光に満ちた。



 ──昨日、洞の奥の広間で、ギルバートは言った。

「あいつらとは普段もこうか?」

 ユリシスは小さく頷いた。

「もう何度かやりあってるのか?」

 やはり小さく頷いた。

「……ところで、話は変わるが──」

 ユリシスは顎を持ち上げ、ギルバートの顔を見上げた。彼はニマッと笑っている。

「俺の弟子になるよな?」

「……へ?」

 何度か弟子にならないかと誘われてはいたが、今までと言い方が違う。

「もちろん、なるよな?」

 ギルバートは満面の笑みを浮かべている。要するに、さっきの事は黙っとくから弟子になれ、という事だろう。半分脅迫だ、ひどい──などと思いながら、ユリシスはホッとしていた。

 とりようのなかった舵が、定まった気がしたのだ。

 どうしようもない暗闇の真っ只中で、境界すら見えずに立ち尽くしていた。そこへ、ギルバートは躊躇なく踏み込んで来て、ユリシスの背をぐいと力強く押して、そして、手を引いてくれる。

 ユリシスは、相変わらず小さく頷いた。

「ついでに二、三、手続きしたいんだが、もちろんそれもオッケーだよな?」

 ギルバートは、めいっぱいの笑顔でユリシスを引っ張りあげようとしてくれている。そんな風に感じた。

 強引だと思いながらも、ユリシスは釣られて、やっと笑った。

「──断れないんでしょ?」

 ギルバートは「おうっ」と言って、笑った。



 そうして……ユリシスは弟子としてギルバートの家に住む為に、いくつかの手続きを、昨日の内にさせられたのだ。

 その時、愕然とするような話を聞かされた。

 自分には戸籍がなく、そのせいで魔術師になるための試験に受からなかったんじゃないか、と。

 あまりにもショックで、脱力して、目の前が真っ暗になった。

 ──試験に受からなかったこの九年は一体……。

 気を失いかけた程だ。

 そして、きのこ亭を引き払う際、女将メルからユリシスは毎年実家に帰っていたとギルバートに伝えられてしまっていた。ギルバートはユリシスが実家に帰っていなかった真実を知っている。ユリシスのついていた嘘が、ギルバートにはバレてしまったのである。

 魔術を使える事、実家に帰っていなかった事、嘘つきだった事、それらがバレてしまった事が、ギルバートに抱いていた警戒心を緩めるきっかけになった。開き直ってしまったと言った方が、近いかもしれない。

 トドメに、ギルバートが告げた内容は、目玉が飛び出る思いだった。

 彼は、難民のユリシスを自らの養子として受け入れてくれるそうだ。そうする事で、戸籍をくれるというのだ。

 クラクラする頭を抱え、ユリシスは問う。

「なんで?」

 何がどうと細かくは聞けなかった。深くて多岐に渡る己の感情をまとめきれなかったし、どう聞けばいいのかもわからなかったから。

 ギルバートはただ一言……。

「弟子にしたかったから」

 けろりとした様子で言った。

 ギルバートが深い所で何を考えているのかなんて、わからない。

 けれど、行き先を全て失ったユリシスは、その素敵な嘘が導いてくれたこの道を、信じてみようと思えたのだった。



 ユリシスは鼻で大きく息を吸い込み、よしっ、と笑みを作ると、ギルバートを見上げた。

「よろしく、お父さん?」

「うええぇぇぇっ!?」

 顎が抜けそうな程、ギルバートはぎょっとしている。

「やめろそれっ! だめ! ギルでいい! ギル! ギルだ! ギルって呼べ!」

 耳まで真っ赤にしたギルバートは、照れ隠しなのか乱暴にユリシスの肩を玄関に押しやり、自分もさっさと屋敷の奥へと入っていった。

 扉が、パタリと閉まる。

 外は夏を間近に控え、庭の花が美を競うように次々と咲き始める季節。穏やかな風が様々な色に染め上がる花々と、柔らかな緑の芝の間をすり抜け、屋敷を包む。

 魔術師の作り出す澄んだ気配に、くすぐったい程にはしゃいだ精霊達が集まって来ていた。

 その魔術師に惹かれ、楽し気に踊る。

 ギルバート・グレイニーという魔術師を慕って、沢山の精霊達がクスクスと微笑み交わしていた。

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