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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第7話『優しい手』
62/139

(062)【3】素敵な嘘(1)

(1)

 ユリシスはため息をついた。

 早朝の出来事を思うと、何をどう解釈しても、ため息しか出てこないのだ。

 ──カイ・シアーズという人だった。

 きのこ亭に一人で帰り、仕事中のふとした合間に思い出していた。

 いつものように、早朝、泉へ行った。想定内の事だったが、先日の三人組に襲撃された。事情を聞きださなくてはならないユリシスにとって、待ち焦がれたものだった。怖くはあったのだけれども。

 先日、ギルバートやアルフィードと共に洞窟で遭遇した黒装束達と、今日出くわした連中とを比べた。洞窟で会った方のリーダー格の声が壮年のものに聞こえたのに対し、今日聞いたリーダー格の声は、やけに若かった。ギルバート達と一緒に遭遇した連中と、ユリシスが単独で遭遇している連中は、別なのかもしれない。複数に狙われているなどと、考えたくもない事だけれども。

 何故、自分が狙われなければならないのかを投げかけた。

 幾度も彼らから刃が飛んできても、恐ろしくて震えそうになっても──決めたのだから、事実を知ろうと決めたのだから。

 ユリシスは歯を食いしばり、何としても聞き出そうとした。

 その時に左腕を負傷した。人差し指の長さ分、左の二の腕を斬られた。深さはそれほど無かったと思う。その瞬間は何も感じなかったのだが、再び走って逃げる内に、熱く疼いた。指までしたたる血を見て、初めて怪我の酷さを思った。

 以前と同様、黒装束の連中に囲まれた時、ユリシスはここぞとばかりに叫んだ。なぜなのだと。

 戦いになっても構わない。紺呪石はポケットにたくさん準備してきていた。頭にグングン血が上ってゆく。この戦いは必ず勝たなければならないんだと、自分に強く言い聞かせた。

 そうして身構えたユリシスの前に、彼が降り立った。

 辺りの精霊を瞬時に鎮める、巨大な魔力波動──。

 周囲を打ち払って、蒼い風が舞い降りたのだ。

 蒼い風というのは、表現がちょっと違うかもしれない、人なのだから。真っ青の衣服に身を包み、体内からあふれる青白い魔力を帯びたその人が、風を集め、舞い降りた。

 風を自在に操るその人を、ユリシスは以前にもここで見た。

 ユリシスは既に戦闘態勢に入っていたから、荒々しい息をしていたかもしれない。鋭い目をしていたのではないだろうか。それでは、あの連中と渡り合おうとしていたのがバレバレだ。ごく普通の一般市民ではありえない事じゃないか。……どう思われたのだろうか。そう考えると、ユリシスはため息しか出てこないのだ。

 怪我を見られて咄嗟に隠したのも、彼らと争っていた事を悟られたくなかったからだが、そんなものは空から見えていただろうし、血の臭いにも気付いていただろう。自分の浅はかさに、また、ため息がでる。

 彼はカイジュアッシュ・ウォルフ・ディアミス・シアーズと呼ばれていた。長すぎる名前に、貴族なのだという事はわかったが、以前、彼が名乗ったカイ・シアーズという名前と一致しなかった事もあって、すぐにはぴんと来なかった。

 彼は、襲撃された事を忘れた方がいいと言った人だ。

 こちらの事情を問いもせずにそんな言葉を言うのは、あらかじめ何かを知っていたからだ。

 こうも言った。

『幸も不幸も、大小違いはあるかもしれないが、人は必ず背負う。貴女だけの事じゃないから』

 あの人の目に、自分は不幸に映っているという証拠だ。

 ユリシスは、自分の事を不幸だと思った事はない。そりゃあ不運かもしれないと思った事はあるが、現実を現実と、自分は自分と捉えた時、不幸だという発想は沸かなかった。今、目の前の様々な事を一つ一つこなして、夢を叶える事しか頭になかったユリシスにとって、不幸という単語はしっくりこないのだ。

 あの人に、自分の何が不幸に映るのだろうか。

 そうやってたくさんの事を考えてゆく中で、はたと思い出した事があった。

「カイ・シアーズ」

 ユリシスは仕事も終え、一人、自室の窓辺に立った。今夜も月が出ている。

「第一級魔術師で、副総監……」

 魔術機関オルファースに出入りしているのだから、知っていてしかるべき人名だ。初めて会った時、また、今日再会した時も思い出せなかったが、今、冷静になって初めて気付いた。

 その第一級魔術師で副総監のカイ・シアーズに、ユリシスは怒気をはらませた言葉をいくつか叩き付けて来た。そうして、ため息が出るのだ。

 ただでさえ追い込まれている自分が、自らまた追い込まれる要素を増やしたんじゃないだろうかと。

 魔術を無資格で使った事、使おうとした事が、バレてやいないか。一般市民のくせに都を出て、あんな所で何をしていたのかと疑われているだろう……。

 ユリシスは月から目を逸らし、窓枠に額を押し当てた。

 冷たくて心地いい。そのまま目を閉じた。

「私ってばもう……」

 笑ってしまいそうだ。いや、涙がこぼれそうだ。

 もうそろそろ、精神的にまいってしまいそうな気がする。

 耐え抜きたい、耐え抜いて必ずいつか笑いたい。

 そんな日は、来るのだろうか……。



 ──翌日。

 ユリシスは暗い気持ちで目を覚ました。

 朝陽はとうに昇っていた。

 今日は週に一度の予備校へ通う日。

 普段のユリシスなら、都の外での散策を終えて帰り、予備校へ行く支度をしているような時間だ。

 部屋の壁から壁に渡している少したわんだ紐に、綻んだ手ぬぐいがかけてある。それに手を伸ばして、ユリシスは階下へと降り、顔を洗いに行った。

 朝ならいつも清々しい思いで目覚めるのに。何だか、だるい。

 いつもより、早く家を出た。

 ゆっくりと魔術機関オルファースへ足を進めてゆく。

 周囲を通り過ぎる人々は何も変わらないのに、なぜ自分はここまで変わってしまったのだろうか。否、変わってなんかいないはずなのだ。自分自身は何も変わっていないはずで、周りこそが何か変わったのだとユリシスは思った。

 暗い目のまま周囲を見渡しても、昨日や一昨日、一ヶ月前、一年前、それと大差なく人々は穏やかな一日を始めようとしている。

 どこが変わったのか。

 やはり自分が変わったのか。そもそももう、見えている世界が現実のような気がしない。何も、見えなくなってしまったような気さえする。

 オルファースへ近づく程、舗装は土からレンガ敷きに変わっていく。靴音は軽くなるが、気分まではそうならなかった。

 正門に目をやると、真っ黒の長髪を一つに束ねた男が体を屈めて座り込み、辺りを注意深く睨んでいた。いや、見回していたのだろう。彼は単に目つきが悪──鋭い。

 ユリシスは彼の前で足を止めた。

「…………」

 そうしたものの、それほど面識があるわけではなかった事を思い出した。

 運命的な戦いをしたと、心踊る魔術戦をしたと思っていたが、それをわかっているのは自分だけなのだ。彼は何も知らず、先日の洞窟でほんの数時間、顔をあわせただけの存在にすぎないのだ。

 思い改めて歩み始めたところ、低く掠れた声がかかる。

「おい」

 半歩行き過ぎて、ユリシスは顔だけを声の方へ向けた。

 彼は立ち上がっていた。背が高いので見上げなければならない。

「お前、こないだ会ったよな?」

 ユリシスは首をかしげるように小さく振った。本当に小さく。

「そうか? ならいい」

 彼は再び縁石に座り込んだ。

 ユリシスはほっとして、オルファースの正門をくぐった。

 正門はユリシスだけを迎えるものではなく、その数秒のやり取りの間にも、たくさんの魔術師を通していた。だから、ユリシスが何か特別な存在であるなんて事は、欠片もない。単にちょっと立ち止まっただけ。なのに、その肩を掴む手がある。振り返れば、彼が見下ろしてきていた。

 鋭い目を縁取る真っ赤の刺青が、対峙する者に並々ならぬ威圧感を与える。それでも、だからこそ、ユリシスは体ごと彼へ向きを変え、見上げた。

「お前、ばかか?」

 彼はすぐに肩から手を離した。

「俺の名前を言ってみろよ」

 ユリシスは首を横に小さく振った。

 関わりたくない。

 カイ・シアーズと接した昨日の事を思えば、少しでも他者との関わりを断ち、ボロが出ないようにしなくてはならない。考えなくても、正直なところ、努めて断つというより、本心から、もう誰とも関わりたくないと思い始めていた。暗い気持ちの正体だ。

 本当も、偽りも、自分自身さえ、見えなくなってきている。

 誰にも関わらず、それでも答えを見つけて笑える日まで……。

 そうやって迷走して逃げようとするユリシスを、彼は鼻で笑う。

「お前、ばかだろう。それとも俺をばかにしているのか?」

 ユリシスは首をかしげ、再びオルファースへと向きを変えようとした。それを彼の声が引き止める。

「一つだけ答えろ」

 ユリシスは彼を見上げた。

「ユリシス、お前、ここで何すんだ?」

 自分の片眉が無意識に動いたのを、ユリシスは感じた。

「話はすこーしだけな、ギルに聞いた。あいつがお前を弟子にしようとしてるって話な。俺の兄弟弟子きょうだいでしに、なるかもしれないってな」

 ユリシスは、そうか、と思う。

 それならば、忘れかけていたけれど、ギルバートから受けていた「弟子にならないか」という誘いはますます受けられない。心の中が急激に冷えて、寂しくなった。

 目の前に起こる一つ一つに振り回されて、過ぎていくものが脳裏から消えていく。精神的にまいっている証拠かもしれないと、ユリシスは己の脆さに歯噛みした。

「別にさ、俺もこだわるタイプじゃねーけど、挨拶くらいしてもいいんじゃねーの? 足止めるぐらいならよ」

「私……」

 その日初めて声を発した事に、ぼんやりと気付いた。声が少し掠れていたから。

「弟子になるつもり、ありませんから」

「ふーん……まあ、どうでもいいけど。で、お前、今、何級なの?」

 軽い問いかけにすぎなかった。

「……予備校生です」

 ユリシスは小さく言い、逃げるようにその場を駆け出した。

 自分でも驚いた。彼は後を追っては来なかった。

 ──嗚呼……こんなにも弱かったのか。

 追い込まれてなんかいないと思っていたかった。もっと堂々と全てに立ち向かえる自分であると信じていた。くじけそうでも立ち上がれると思っていた。

 対等に戦えたと思ったアルフィードに、まともに口をきけない。

 何もかもが恐ろしくなる。

 出口がもう、ない。

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