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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第7話『優しい手』
55/139

(055)【1】まだ見ぬ境界(2)

(2)

「ネーオッ!」

「?」

 魔術機関オルファースのテラスでネオはレポートを書いていた。

 声に顔を上げて周囲を見渡したが誰もいなかった。聞き覚えのある声なので、ついと空を見れば第二級魔術師のシャリーが降りて来るところ──。

 シャリーは笑顔でひらひらと右手を振り、ネオの横にストンと着地した。左手には新聞が握られている。

「どうかした?」

 空からとは急ぎなのだろうか。

 問えば笑顔から一転して眉尻を上げ、握り潰していた新聞を広げてネオの顔に押し付けてきた。

「これ! これ見て!」

 ネオは新聞を避けつつ受け取ると、皺を伸ばして広げた。

 新聞は号外で、今朝一番に街中で配られていたものだ。これならばネオも既に目は通した。

「“放火犯捕まる! 東の荒野に住む荒くれどもの蛮行”」

 シャリーが横で読み上げた。一面の一番上にその記事はあった。

「ネオ、これどういう事ですの?」

「……どういう事って?」

 昨日の昼過ぎ、オルファース総監からネオを含む王都内に居た第一級魔術師に召集があり、犯人がオルファースの魔術師二人であった事を知らされた。捕まえたのがアルフィードだったと聞き、ネオはホッと胸をなでおろしたのだが……犯人となる魔術師達は既にこの世の者ではなかった事を知る。悲しかった。命が失われるのは、人を救う魔術師に憧れた事がきっかけだったネオにはつらい。

 感傷に浸る間もなく、例の大火の犯人が魔術師であった事は他言無用であると、固く口止めをされた。だが、例の大火が魔術の暴走による炎である事は第二級魔術師であるシャリーにはわかっただろう。伝えない意味があるのだろうか。

「──これが結論?」

 シャリーは視線をネオに留めたまま目を細め、少し顔を逸らした。新聞を半眼で見下ろし、鼻で笑っている。

「ただの荒くれの放火? ふざけないで欲しいものですわ。あれはまじゅっ──」

 ネオは慌てて手を伸ばし、シャリーの口を塞いだ。

「シャリー、それ以上は言ってはいけないよ」

「……んん……」

 シャリーが小さくうなずくのを見て、ネオは手を離した。

「……アルフィード様が犯人でないという事は、ちゃんと認められたから……」

 ネオはシャリーから顔を背けた。それ以上の事は言えなかった。

 シャリーはと言えば、ネオに背を向け、真っ赤な頬に両手を当てて聞いていなかった。

 広げていた本やノートを鞄に片付け、ネオはシャリーを振り返った。

「あれ?」

 彼女はそこにおらず、走り去る後ろ姿だけが見えた。

 何かまずい事を言ったかなと、立ち去ったシャリーの事が気にならなくもなかったが、ネオは気持ちを切り替えた。

 祖母を訪ねるべくオルファース本館へ足を向ける。

 ──乙女心というものを配慮してやれる性格のネオ相手なら、シャリーも逃げ出さなかったのだが……。

 肩から提げていたバッグを掛けなおして、ネオはオルファース本館の前で佇んで、一歩が出なかった。いざオルファース本館の前に立つと萎縮してしまう。

 簡単に祖母と言ってもネオの場合、祖母はオルファースの頂点である総監で、魔術師としての師でもある。

 家で会う時は「おばあちゃん」なのだが、一歩外へ出ると緊張してしまう。祖母の方も家から出れば一線どころか二本か三本は間に線を引くから……。

 第一級の魔術師になっても、この歳になっても“オルファース総監”を訪ねるのは慣れない。

 ゴクリと息を飲み込んでオルファース本館へと足を踏み入れる。

 昇級試験、昇級式の度に訪れてきた本館は、相変わらず他者を威圧する。広々としたエントランスから入ってすぐのロビーは明るい。二階へと吹き抜ける天井から降り注ぐ魔術の灯り。

 白い壁はあふれんばかりの魔術でほんのり青みがかっている。辺りはシンと静まりかえっていて、いま、ネオの他にここを訪れている者はいないようだった。朝が早いのだ。

 ロビーの片隅には受付がある。既に職務に就いていた二人の受付嬢が淡々と一日の仕事の準備──書類書きや、資料整理をしている。カツカツと足音をたててネオはその受付へ近寄った。

 祖母を、いやオルファース総監に会いたい旨を受付嬢に伝えた。椅子に腰掛けていた受付嬢は「お待ち下さい」と立ち上がり、ネオに小さく会釈をすると軽く魔術を描いて、上の階へすぅと飛んで消えた。受付嬢もまたオルファースの魔術師なのだ。

 隣にいたもう一人の受付嬢は書類にひっぱりだしてサラサラとネオの訪問を書き込んでいた。そうしてその書類をネオへ差し出して「こちらにサインをお願いします」と告げる。

 言われた通り、ネオは差し出された羽ペンで手早くサインする。

 事務的な流れに、何だか息が詰まる。慣れない。

 祖母に会うのにこのような手続きが必要になる。ネオの中でその場の雰囲気を否定する、どこかなじめないという感覚があった。

 しばらくして受付嬢が戻って来るとネオにこう告げた。

「総監は朝のお勤めがございますので」

 ──やはり会う事は出来ないのだろうか、忙しい人だから。

「短い時間にになりますが、お会いできるとの事でございました。いかがなさいますか?」

「え……」

「もし総監の執務室へ向かわれるのでしたらすぐに、階段はご使用にならず、急ぎ、ぜひ魔術で」

「総監は会ってくださると?」

「はい、お急ぎくださいませ、ネオ様」

 背を押され、ネオは慌てて魔術を描いて二階の吹き抜けへと飛び上がった。

 下を見やれば、二人の受付嬢が会釈をしていた。

 淡々なだけ、事務的なだけではないのかもしれないと少しだけ胸が軽くなった。

 階段をすいすいと宙を飛んで一気に駆け登る。

 過去に何度か祖母をオルファースで訪ねた事はあった。

 ネオが物心つく頃から祖母はオルファースの総監だった。ネオにとって最初から忙しい人だった。それでもネオが魔術師になった時には弟子にしてくれて、仕事の合間を縫っては沢山の事を教えてくれた。

 ネオは理解が早く、努力も怠らなかったため、早期に第五級へ上がって一人立ちした。それでも祖母は常に気にかけ、支えてくれた。

 だがそれは、家へ帰った時のみでネオがオルファース内部で総監に指導してもらえた事は一度もない。

 祖母は祖母である前に、師である前に、世界でもトップの魔術国家ヒルド国を支えるオルファース魔術機関の総監だから。

 祖母をオルファースで訪ねて通してもらえた事は、実は今まで一度もなかった。

 それでもネオが繰り返し祖母を訪ねていたのは、両親──祖母からみれば息子夫婦であるが──が、ネオをあまりかわいがらなかったから。両親は夫婦でいる事を親である事よりも楽しんでいたから。祖母がそれを知ってくれていたから。

 ネオは構ってくれない両親より、呼びかけると笑顔で振り向いてくれる祖母に温もりを感じていた。『おばあちゃん子』になったのは、当たり前の事だった。

 その祖母も、一歩オルファースへ入れば、この魔術機関のトップ、総監の顔になり、ネオには孫ではなく一魔術師として扱う。そうであっても、ネオは祖母を訪ねた。少しでも温もりを求めた。

 その年代では常にトップの実力で心からの友を持てず、孤独だった。何度冷たい現実を見ても、そういうものだとダメージを受けながら、鈍感なネオはただほんの少しの温もりを求めて訪れていた。用が無ければ本当に邪魔になるから訪れない、でも用が少しでも出来たなら……。

 今回訪ねたのは、少しだけ、でもとても気になる事があったからだ。シャリーは全く言及していなかったが、ネオはずっと気になっていた。

 ──あの大火を消し止めたのは誰だったのか?

 新聞にはオルファースの偉業として大きく書かれていた。魔術で火が消し止められたから、誰の目にもオルファースの成した事と思っただろうし、当の魔術師達もトップにいるような人々が何かしたのだろうと、ごく当たり前に思っていた。シャリーも同じだったのかもしれない。

 だが、ネオは違う。簡単にはそう思えない。

 ネオは第一級魔術師、トップに属する魔術師の一人なのだから。

 オルファース魔術機関は総監を頂点に第一級魔術師の副総監が十一人、次いで残りの第一級魔術師が名を連ねて束ねられている。

 多くの事が第一級魔術師達で話し合われ決定していく。

 それなのに、大火の事、消し止めた存在をネオは知らない。

 隠されているのだろうか? 自分は最年少だが、第一級魔術師なのに。

 自分が知り得ない事、副総監達は知っているだろうか?

 副総監の誰かに聞けばよいのかもしれないが、祖母に直接聞いた方が早いと思った。祖母の考えも聞きたかった。何より少しの温もりを、笑顔を……。

 いくつもの廊下と階段をくぐり抜けて、ネオは巨大な樫のドアの前に降り立ち、間をおかずその扉を開いた。時間がないのに会ってくれるというのだから、急ごうと思ったのだ。

「おばあさま!」

 入るなり声をあげた。

 真っ白い部屋の中心、年齢を感じさせない威厳で祖母は立っていた。ネオの声が届くとふわりと微笑んで振り返ってくれた。

「ネオ。さぁ、こちらへいらっしゃい、近くへ」

 ホッと肩の力が抜けた。



 祖母の執務室にはほとんど何もない。窓もない。

 あるのは部屋の片隅の使い古された木製の小さなチェストと手編みのひざ掛けの置いてある安楽椅子くらいだ。長年使っていたもの。ひざ掛けは、まだオルファース総監を祖父が勤めていた頃、祖母が編んだ物らしい事を聞いた事がある。

 現在の、様々な雑多なもの、雑念という雑念を排除して物事にあたる彼女なりの姿勢の表れなのだとネオは思う。多くの声を聞きながら、自らの意思をしっかりと持っていなくては勤まらないのだとネオは思う。国王の相談を受ける事も少なくない祖母が、様々な囁きから心を離して冷静に決断してゆく場所がここなのだ。

 祖母はこの部屋にあまり人を入れない。使用人も入れず掃除も全て自分でしてしまうのだ。今も、祖母とネオの二人だけだった。

 祖母は普段と変わりなく見えた。

 部屋の中心から五歩程離れた場所でネオは足を止め、祖母を見た。ネオが生まれた頃から見上げていた祖母も、十五になった頃には見下ろす身長になっていた。それでも気持ちはとても追いつかず、ネオが尊敬する魔術師の一人として祖母は輝いている。

「おばあさま、教えて頂きたい事が……」

「ネオ、もっとこちらへいらっしゃい」

 言葉の途中で祖母が声を被せた。優しさの中に逆らえない強制が含まれている声音だ。ネオは二歩の距離まで足を進めた。

「おばあさま……」

 言いかけたネオに、祖母はすっと抱きついた。

 衣擦れの音と温もりが届いた。

 驚いたネオが言葉を失ってる間に祖母と耳元の間に魔力の動きがあった。口元を一切動かさない、心から心へ飛ばす魔術の声──小声でも拒否を許さない厳しいものだった。

『行動を慎みなさい。あなたは第一級の魔術師です。多くの人があなたの行動を見ているのだと自覚なさい。この国に私も含め副総監達も含め、たった十九名しかいない第一級の魔術師である事を、しっかりと自覚なさい』

 魔術だから、小声だから、というのではないだろう。普段より低い声でそれだけ言い、祖母はネオから離れた。

 ネオは数回まばたきをしてから祖母を見た。いつもの優しい笑顔だった。そして今度は魔術ではなく、空気を振るわせる音のある言葉でネオに告げた。

「お家でまた会いましょう、ネオ」

 ネオが呆けて返事をするまで時間がかかっている間に、執務室の扉がノックされて受付嬢の一人が顔を出した。

「失礼致します。大司教がお見えです」

「わかりました、お通しして下さい」

「はい」

 受付嬢は一礼して扉を閉めて去った。

「ネオ」

「あ、はい。すぐ失礼します」

 祖母の顔も見ず、慌しくそう告げてネオも執務室を立ち去った。

 ロビーまで行かず、廊下の途中、窓のある所からネオは魔術で飛び出した。着地した場所は丁度朝陽と反対側、オルファース本館の影が落ちている場所だった。空気がひんやりと冷たかった。

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