(051)【4】王女のお仕事(2)
(2)
時間を少しだけ遡って、この日の昼前のユリシス達は──。
どれだけショックな事があったとしても、現実と時間だけは容赦なく目の前に立ちふさがる。
声を抑えて忍び泣いていたユリシスも、目が腫れ上がり、喉がカラカラになる頃には落ち着いていた。その間、ギルバートはユリシスを抱き寄せたまま、その大きな手で頭をずっと撫でてくれていた。まるで、怯えて弱った迷子の子猫をなぐさめるように──。
アルフィードはと言えば、謎めいた室内を散策していた。
ユリシスが灯した久呪石の明かりがまだ残っている。あちこちに崩れた瓦礫はそのまま。そこに弟魔術師と忍び四人分の遺体が転がっている。それらを簡単に見回して、アルフィードはすぐに手持ち無沙汰になった。
休む時以外の暇な時間というものを好まないアルフィードは、今回の仕事を思い出し、一人、一旦王都に戻ると大きな革袋二つを持って再び現れた。
炭化した姉弟魔術師をそれぞれ別々に皮袋に、実に嫌そうな顔で収納していた。それも済むと、ユリシスとギルバートの後ろ、五歩程離れた所でそっぽ向いて胡坐を組み、ただ待った。
ユリシスは、そっとギルバートから離れた。
恥ずかしくて顔をあげられない。まさか人前で自分がこんなに泣いてしまうなんて、思いもしなかったのだ。
下を向いたまま服の袖で涙をぬぐうと目の周りがヒリヒリした。
ふっと、ユリシスの目の前が青白い光で明るくなる。
顔を少しあげた時には、光は薄い桃色の綿のようになり、ユリシスの目や喉に染み込んできた。
温い手ぬぐいでそっと拭ってもらっているような感覚。
しばらくしてそれが消えると、目の周りの痛みも喉の渇きも無くなっていた。喉に手を当て、治癒の魔術だと気付いた。
顔を上げると、近い距離にギルバートの笑顔があった。思考の鈍ったユリシスはただぽかんと見上げる事しか出来ない。
最後に、クシャクシャっと頭を撫でられ、ユリシスは一層言葉を失った。
──謝るべきなのか、礼を言うべきなのか……。
ギルバートはくるりと後ろのアルフィードを振り返る。
「アル、帰るぞ」
「ん」
アルフィードは皮袋二つ背負って立ち上がり、真っ先に洞窟側の出口へ踏み出した。その後をギルバート、半歩遅れてユリシスがついて出た。
洞窟を後にすれば、心地よい風の吹く草原だ。だが、誰も口をきかなかった。
都へ入ると、ユリシスは『きのこ亭』まで送ってもらう事になった。別れ際、ギルバートがユリシスに声をかけた。アルフィードは少し離れてブラブラしている。
「今日も仕事なのか?」
「うん」
下町の『きのこ亭』前で、ユリシスは少しくすぐったい思いがした。
目の前にいる人物は国内八千人にのぼる魔術師の総本山オルファール魔術機関の幹部の一人なのだ。そんな人物と話をしている所を誰かに見られたら……。
見られたら、ではなく実際にはジロジロと見られている。
お昼少し前の時間帯、下町ではそこそこ評判のこの飯屋は、人通りのある通りに面しているのだから。
だが、下町の庶民が魔術師の顔を見分ける程知っている事は稀だ。いくら高名な魔術師とはいえ、顔見知りででもなければ。
気にしすぎ、という事になるが、そこまで頭の回っていないユリシスは何とも言葉にし難い照れと恥ずかしさで、早く話を済ませ、ギルバート達に帰ってもらいたい気分だった。
それを察してくれたのかはわからなかったが、ギルバートは小さな紙片をユリシスに手渡し、すぐにも立ち去ろうとしている。
「仕事が済んでからで構わないから、そこへちょこっと顔出してもらえるか? もうちょっとだけ、話したいことがあるんだ」
手の平ほどの紙片には、荒っぽい字で住所が走り書きしてあった。
魔力のにおいがする。ペンがなくて魔術で焼き付けたのだとすぐにわかった。たいして力のいるものではないから効果時間をのばしているタイプだろうと見当をつけた。
──副総監だし、信頼はできる。でも、話って何だろう。
洞窟に居た事だろうか。自分には怪しい点が多かったのではなかろうか。ユリシスは不安になって返事をためらった。
すべて見て取ったのか、ギルバートはゆるく首をすくめてからニカッと笑った。
「なぁに、そんな大げさなもんじゃないさ、すぐ済む。言っとくがそこは別に怪しい所なんかじゃないぞ? 俺の屋敷だし、今日なら二人きりはならんぞ? あ、まぁ、あんま帰ってない家だけどな」
いくら副総監でも今日会ってすぐお屋敷に行くなんて怖い気がする。まして、ユリシスには隠し事が多すぎる。
ためらうユリシスに、ギルバートは笑みを残したまま、少し困ったように「ん~~」と小さく唸って考えている。
「ほんと怪しくないんだぞ。使用人さんは一人しか雇ってないけど、優しーいおばさんだし。そんな構えず、な? 遊びにきてくれや。待ってるから」
結局「これしか言えない」という風に、困りながらも優しい声音で告げ、ギルバートはユリシスの頭をポンポンと撫でた。
ユリシスが改めてギルバートを見上げると、彼は人懐っこい爽やかな笑顔を残し、アルフィードを伴って去っていった。
彼らの後ろ姿と手に残された紙片を見比べて、今度はユリシスが「ん~~」と考え込んだ。腕を組み、唸りながら『きのこ亭』へと入っていく。
あんな大変な事があっても、お昼から開店する『きのこ亭』の看板娘というお仕事を休むわけにはいかない。
沢山、本当に沢山の事を考えなくてはならないし、恐ろしい現実がすぐそこにある……気がする。それでも、休めない。
そう考えながら、実はそれほど悲観にくれてはいなかった。
どうしたものか、声こそあげなかったもののあれだけ派手に泣いてしまうと、何の解決にもなっていないのだが、少しだけすっきりした気分になってしまったのだ。
覚悟しなければならない事、これからの事、全く先が見えない。
黒装束の連中、国王直下の忍びとかいうのに狙われながら生活する事になる自分──。はたして、自分はどうなっていくのか。本当に、明日の事もわからなくなる。
一点だけはっきりしている。
誰に狙われていても、抗わなければならない。自分の命は自分で守らなければならない。
ユリシスは自室へ戻り、支度を整えた。今着ている服は、そのまま着ていられる気分ではない。あの恐ろしい様子と、それに伴う臭気をたっぷりと吸い込んでいる。さっさと着替えてしまうと、ギルバートから受け取った紙片をポケットへつっこんだ。仕事の合間に行くかどうか決めよう。
「……うん」
決意を声にして頷き、ユリシスは部屋を出、一階の休憩室にかけてあるエプロンを身に着けた。
厨房を覗くと下ごしらえをしている料理長の姿が見えた。長男のシュウの姿も見える。二人はユリシスに気付くと「おう、おはよう!」と声をかけてくれた。
あんな恐ろしい事があったのに、すぐそばにちゃんと日常がある。
「おはようございます」
ユリシスは二人に笑顔で挨拶をして、フロアの掃除にとりかかる。
非日常と日常が隣り合わせ。
ふと不安になる。
こんな生活、続けられるのだろうか。
狙われている自分。この家の人に、『きのこ亭』の関係者みんなに迷惑をかけてしまわないだろうか……。
箒を片手に頭をぶんぶん振った。
──今はこの日常に専念しよう。
店が開いたら大きな声と笑顔で「いらっしゃいませ」を言おう。
──私はここの看板娘。私はユリシス・ニア・フリューティム。色々な事があってわけがわからなくなりそうだけれども、それだけは間違いないのだから、それを支えに頑張っていくしかない。
ユリシスは自分に言い聞かせ、日常へと戻っていくのだった。