(047)【3】悲痛という声(2)
(2)
弟魔術師ブラニスが膝を折り、くぐもった声で呻いた。
「……き……貴様らぁ……!」
「──何度問われても我々に答えられる言葉はひとつもない」
「失敗しても、最終的にあの子供をさらえば問題ないと言ったじゃないか! 何度でもやればいいと……それを、今頃……!」
「我々は条件を出したはずだ、他の人間にばれてはならないと」
「……コマを雇うのはあんた達も了承してくれたはずだろう!」
「アルフィードという魔術師の事か。確かにそれは了承した。あの男は口が堅い。だから了承した。だが……お前達は最も知られてはならない人物に、我々が最も恐れる人物に、あの子供をさらおうとした事を知られてしまったのだ」
「あんた達が、恐れる……だって?」
弟魔術師は左の肩口に真っ赤な血をしたたらせており、痛みに顔をゆがませていたが、この瞬間、笑った。
「直下のあんた達が何を恐れるっ!?」
「……」
「なんで俺達が殺されなきゃならないんだょぉ!」
弟魔術師は苛立ち、押し黙る彼らにわめいた。
彼ら──全員が黒ずくめ、目深な頭巾で顔の判別もつかない。体格から成人男性である事はわかる。それが五名。
弟魔術師一人と彼らは向かい合う形で立っている。瓦礫の残るフロアの中心で、緊迫した空気をばら撒いていた。
子供をさらうという言葉が、エナ姫誘拐未遂事件の事だとユリシスには察する事ができた。
──この魔術師がエナ姫をさらおうと追ってきた人なのだろうか。この人がアルフィードを雇ったのか。それで、アルフィードとは対決することになったのだろうか……。
岩陰に身を潜めるユリシスは、向かって右手、口を引き結んでフロアを覗き込むアルフィードを見上げ、また視線をフロアに戻した。
このフロアは、数日前にユリシスが幼いエナ姫をつれて逃げ出した場所。その時、弟魔術師が奥の壁を爆裂の術で破壊し、姉魔術師がその粉塵を均す為に風の術を使った場所だ。
その破壊が行われる前は、壁面全てが古代の彫刻や壁画で鮮やかに美しく装飾された、豪奢な空間だった。
ユリシスは下唇の端をゆるく噛んだ。魔術は、創造されるのに多くが費やされ、長い時あり続けたものさえ、簡単に破壊できる力なのだと改めて思った。今ではもう失われた技術によって古代の職人達が築いた空間が、たやすく壊されてしまった事に心が痛んだ。
ユリシス、アルフィード、ギルバートの三人は洞窟側からこっそりと、灯りの魔術もずいぶんと前に消して、フロアを覗き込んでいた。
「また黒装束か……入り口に居たのも仲間だな」
アルフィードがボソリと独り言ちた。
言えるものならユリシスも言いたい、「また黒装束か」と。
背格好は違うから同じ人物ではないにしろ、身にまとう黒い服や、頭巾は同じ型だ。森に居たユリシスを襲ってきた三人の黒装束の少年達と、同じ……。
「しかし、直下…てのはどういう意味だ?」
再びアルフィードが呟いた。これはギルバートに対する問いだ。左手側から溜め息の気配がした。
「今言って、お前が驚いたり声をあげたら大変だろうが」
「驚かねぇから言えよ……あいつは殺られる。次は俺達が対峙する番だぜ。少しでも情報は持っておきたいんだがな」
「……──え?」
ユリシスは音を発した。それをアルフィードはチラリと見ただけで、すぐにギルバートの方を向いた。
一瞬だけ視線を泳がせたものの、ギルバートは「……連中にばれてる、か…」と口元だけで呟いた。
アルフィードは首を縦に小さく振って答え、再びフロアの方へ視線を戻した。
目を見開いたのはユリシス。
フロアに居る黒ずくめに気づかれているなんて、思いもしなかった。連中は振り返りもしていないし、注意だってこちらに向いている様子はない。ユリシスの視線がフロアへ動いた時、ギルバートの低い声が聞こえた。
「……あいつらは、あの黒装束は、王家の忍びの者が着る。その内でも直下と呼ばれる連中は、国王直属の忍び、という意味だ」
……同じ型の黒装束を見た。
……同じ型の黒装束を着た連中に会った。
ギルバートの声が背後から聞こえてユリシスの吐く息は途中で止まった。
──……その連中に私は……。
頭は真っ白になって、思考力が激しく低下した。むしろ、低下させた。考えたくない事だった。
──……国王の忍びだという連中と同じ型の黒装束を着た連中に私は……。
考えたくない事だが、昨日自分を襲ってきた連中と、今、目の前で弟魔術師と対峙する黒装束の男たちは、同じ種類の……──。
おおよそながら、ユリシスは自分を狙う存在を把握する事になった。
だが、認めたくない。本当ならば恐ろしすぎる。
頭の中であっても、ユリシスは明確な言葉で考えないようにした。そうして、ゴクリと唾を飲み込んだ。
──確認……するんだ……!
ちょっぴり泣いてしまいそうな気持ちをおさえ、決意をする。
ユリシスは一般的に、魔術師になる為の第九級試験の予備校に通う、普段は定食屋で働いている平凡な少女にすぎない。ユリシス自身では、独学の魔術がどれほど通用するものなのかわからないでいる。他の魔術師と比較する機会も場所もなく過ごしてきたからだ。
森に住む鬼獣相手なら何度も戦ったが、それらは皆、ただその場限りにユリシスを襲う獣にすぎず、やり過ごしさえすれば怖いものではなかった。危険だと思えば空へ飛び上がり、逃げてしまえばそれで助かった。次の日も次の日も執拗に追いかけてくるという事はなかったのだ。ユリシスをユリシスとして追ってきたのではなく、その日その場の単なる糧食として、おもちゃとして追ってきたにすぎなかった。
しかし……。
昨日、黒装束の少年達に襲撃された際の恐怖が蘇る……。
彼らはユリシスを狙ってきた。
今日、明日、連中がまた襲って来ないとも限らない。
敵は複数居たのに、自分はただの一人だった。
あの時は偶然、あの青衣の魔術師が助けてくれた。
けれど、偶然というからには今後いつもいつもというワケにはいかない。
──……助けてくれたあの魔術師も何かを知っていた。何故狙われているのかも、知っている風だった……──誰が敵か味方かなんて、わからないんだ。
黒装束の目の奥に見えた敵。その裏に、一体どれ程の存在があるのか……それ以外にも存在するのだろうか。
──唇がふるえる……。
考えすぎかもしれない──そう思いもする。不安はよからぬ方よからぬ方へと心を導く。
黒装束のそれは独特で、真っ黒の布を折り重ねたような着方をしていた。一枚の長く大きな布を巻いているようにも見えた。それでいて、布は体にきっちりとフィットしてとても動きやすそうだ。黒装束五名は、短剣やユリシスの知りようもない鉤型の太い針のようなものや、小さな鉄の輪を繰り返した鎖のようなものを足元や腰、それに手首周り、首周りにも下げていた。どれも真っ黒く塗りつぶされている。それらがジャラジャラと音がするということもない。黒の染料に秘密があるのかもしれない。ユリシスには武具の詳しい事はわからない。ただそれらが彼らの武器で、危険な牙なのだという事はたやすく想像できた。
今、目の前にいる五名の『直下の者』達と、同類の者にユリシスは追われている、狙われている。
国王直属の忍びと同類の者に、狙われている……。
ぞくりとして周りの音が消え去った瞬間、左肩にポンッと軽い衝撃があった。
驚いてそちらを見ると、手が置かれていた。視線を上げれば赤い髪の、笑顔のよく似合う男、ギルバート。
彼はユリシスの態度を不審がる事もなく、にっこりと笑みを広げる。
「心配しなさんな。だいじょうぶ。お嬢ちゃんはちゃーんと家に帰してあげるから」
ウィンクで『なっ?』と付け加えた。
暗闇に相応しくない、柔らかい笑顔をユリシスはただ見上げる。肩に乗る、ちょっとごつごつした大きな手は、温かかった。
唐突に、ザラついた粉塵が空気に混じったかと思うと、フロアの中心で火柱が一本立ち、天井を焦がす。
岩陰に隠れていた中でも一番前に立っていたアルフィードの全身に、ゴウッと熱風が吹き付けた。黒髪が揺れて、視界を妨げようとする。
「……クソっ……!」
何事かとそちらを覗き込もうとしたユリシスをギルバートが制した。火柱を睨んだまま、ギルバートはユリシスの腕を掴んで自身の後ろへと引きずった。
「無茶しやがるな……また忍びの技──煉獄の炎か」
「姉も弟も丸焦げじゃぁ、俺は何すりゃいいんだよ……遺体運びなんて仕事、請け負ったつもりはねぇぞこら」
この師弟の眼前で、火柱は瞬く間に消え、先ほどの姉魔術師同様、炭の塊となった弟魔術師がブスブスと煙をくすぶらせていた。
その周囲に黒装束の男が五人。
立ち位置からして中心人物らしき男がこちらを向く。他の四人もそれにならった。
ギルバートがカリカリと髪をかく横で、アルフィードはザラリと地面を鳴らして岩陰から歩み出た。
気だるげに五歩ほど進み出ると、あごを軽く持ち上げた。
「それ、俺の獲物なんだけど……? 丸焦げにされちゃぁ困っちゃうんだけどなぁ──なぁ!?」
黒装束をギラリと見下ろす長身のアルフィードの瞳に、好戦的な光が宿る。
ギルバートはふぅとため息をついた後、状況がイマイチ掴めていないユリシスを振り返った。
「お嬢ちゃんは俺が守るから、俺の手の届くところに居るようにな。余計に逃げ回らないでくれな?」
怯えきってでもいるかと思えば意外にも、その紫の瞳はキラキラ、いやむしろギラギラとしている。ギルバートはふっと微笑って、一言付け加える。
「余計な“事”も、しなくていいからな?」
「──え?」
ユリシスの反応は捨て置いて、ギルバートはアルフィードの横、半歩後ろについた。そのさらに後ろ、ユリシスがくっついている。
明かりの灯ったその空間は、今はもう亡い姉弟魔術師に破壊されたままで、壁のあちこちがはがれている。アルフィードもギルバートも対峙した黒装束に意識を集中していて気付かなかったが、ユリシスには見えた。剥がれ落ちた壁の奥、何か……形が彫られているのではないだろうか……。
──……文字か……絵か……それとも壁が崩れ落ちた時のショックで入っただけのヒビ?
「我々の知った事ではないな。後ろにいるのは……オルファース魔術機関副総監が一人、ギルバート・グレイニーか」
「え!?」
黒装束の声を聞いて驚きの声を発したのはユリシス。彼女が改めてギルバートの顔を見ようと彼の前に進み出た瞬間、黒装束五名に一瞬の動揺が走る。
「……え?」
紫紺の瞳が黒装束に向いた瞬間、ギルバートが厳しい声音で「下がっていろ」と言い、ユリシスを再び後ろへ押しやった。
アルフィードは、眉根に皺を寄せる。
動揺と緊張と疑問符が一瞬で飛び交う中、黒装束の中心人物がギルバートを睨み付ける。真っ向から受け止めるギルバートは、下唇を軽く噛んだ。
しばし、沈黙が流れた。
アルフィードも、連中のリーダーとこちらのリーダーとも言えるギルバートが睨み合っているのには気付いていたし、そこに並々ならぬ空気が存在する事も察した。自分の知らない何かで、激しい対立がそこにある。いかな第一級魔術師のアルフィードとはいえ、黒装束五名を、王家の忍びをまいて逃げるには、分が悪い。足手まといまでいる。そんな中で自分の知らない事情が行き交うなら、今すぐは手を出さない方がいい。それでも、アルフィードは左手を上衣のポケットにしのばせ、既に魔術の込められた紺呪石を無言のまま、指で転がした。
睨み合う黒装束とギルバート。
「──“それ”はどこで見つけた?」
「教えてやる理由はないね」
「……やはり副総監を殺してはマズイと考えていたが……」
アルフィードは魔術を組む準備を始め、黒装束の残り四名が音なく武器を構えた。
「──ものがものだ。やむを得ない。“それ”は、すんなりと渡してはもらえない……のだろう?」
トレードマークの笑顔を浮かべ、ギルバートは応えた──肯定。