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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第6話『王女のお仕事』
41/139

(041)【2】目覚ましショック (1)

(1)

 ──ユリシスはびくりと身を震わせた。

 

 店内は日が暮れてからどっと客が入ったようで、百席が余すことなく埋まっている。日暮れ前までのガランとした空気は既にない。この時間帯の客層は、家族連れと休日も働いた仕事帰りの男達がほとんどだ。

 今日のユリシスは予備校があって休みだったが、普段ならスタッフの一人として走り回っている。全員で八名の今日のスタッフはフル活動している。この空気に混じると、途端に体が活性化してくる。休みの日であっても、体が仕事モードに切り替わるのだ。

 その時、ユリシスのお腹がグゥと鳴る。

 自分も夕飯時だ。それで仕事モードに切り替わったんでは腹も鳴る。

 余り物や残り物を部屋に持って上がって食べようと考え、また、もし見つかった時──女将はユリシスの体調を心配して見張っているワケなのだが──、それはいい口実のように思えて、堂々と階段から廊下に降り出た。

 そして、ユリシスはびくりと身を震わせた。

 客席から、普段と変わらない、他愛ない噂話が聞こえる。

 いくつも聞こえる。


「──そうそう! あんなのもあるもんなんだねぇ!」

「……いろんな権限が王様からもらえるワケだぜ、オルファースってのは」

「無事で良かったよ」

「あんな大火事、都建立以来始めてじゃないかね!?」

「私、二、三日、夢に見たもの!」

「キレイだった」


 聞こえる声。

 視界は少し先、右手の厨房はかすんでいた。

 客のフロアはここから十歩は離れている。噂する様々な年代の、様々な人々の、一人一人の姿はここから見えない。

 階段より明るい廊下で、その廊下よりも明るいフロアで、弾む声は、とても幸福な光を放って見えた。


「あんな魔法もあるのねぇ!」


 ユリシスは思わず手を口元に当てた。


「あたし、ちゃんと覚えてるわ! まず、光の柱がたったの! そうして、青いこの位のフワフワしたものが降って来たのよ!」


 足を踏み出そうとして、動かなかった。


「オレだって覚えてるぞ! 雪みたいなのが降ってきて火は全~部、消えちまったんだ! そんで、桃色の雲が降りてきた……木が治っていくんだ……!」

「神様の御業みたいで、とてもキレイだった……」

「そうそう! 幻想的なのっ! そのおかげで、私の父さん、助かったのよ! 取り残されてて、でも火が消えたから助かったの!」

「沢山の人が助かった。オルファースの魔術師も、たいしたもんだぜ!」


 漸う、足を二、三歩進めて客席を見渡した。

 先日の『例のあの魔術』を称えて、感謝する人々の顔を見た。

 笑顔だ。

 ──瞬間で全身が粟肌立つ。目を見開き、ゆっくりそっと閉じて、もう一度開いた。

 喉の奥がつかえて、何も言う事が出来ない。

 ──確か……。

 確か、夢は、望みは……

「何だっけ……」

 張り付いていた舌をはがして、それだけを呟く。

 魔術を得て、それで誰かを──笑顔にしたい。

「そんな感じ……きっと」

 胸の内の言葉に、相槌をうつ。

 そうして、廊下で一人、エヘヘと照れ笑いを浮かべた。

 夢は多分、少しかなったのだ。

 体の中にあったはずの淀みのようなものが、サラリサラリと流れてゆく感じがする。

 彼らの口々には、ユリシスの名はもちろんのこと、使われた魔術が古代ルーンであった事もあがらない。当たり前のように、オルファースの魔術師達がやってくれたんだと言う。

 十日以上過ぎたにも関わらず、奇跡だと言って輝く笑顔で語る。

 オルファースの魔術師が為したと噂しようとも、ユリシスにはわかる。オルファースの魔術師がやった事ではない。

 自分がした。

 だから疑いなく、彼らの笑顔の下には自分がある事がわかる。

 ……ああ、なんて簡単な事なのだろう。

 あの晩、身をひそめて泣いたのが嘘のようだ。

 なぜあんなに苦しかったのかわからなくなるほど、こんなに単純に癒されてしまう。そんな簡単な事に悩んで落ち込んでいた自分が、バカバカしかった。それで、笑ってしまう。

 あの晩、命を尽くした魔術を使ったのに、誰にも気付かれない、感謝されない、バレてはいけない自分の虚ろな存在に、ユリシスは泣いた。

 シャリーやネオという友人を得て癒されたと、どこか騙していた気がする。

 悩んで痛い思いをした、悲しかった。その答えは、階段を少し降りれば得られていた、こんなにも呆気なく。

 あの時、体が動いてくれなくて仕方なかったのだとしても、もし、気になる事があるなら、そう、確かめれば良かったのだ。

 一歩でも、這いつくばってでも、動けばいいんだ。 

 ──バカバカしい。

 考え込んでいるより、動けば良かった。

 こんな当たり前の事に今更気付くなんて、おかしいったらない。

 ユリシスは廊下で立ち止まったまま、クスクスと笑った。止まらなかった。

「ちょっといいかな? お嬢さん」

 声に、ぴたりと表情を消して振り返ると、客の一人が立っていた。廊下に吊るされたランプの灯火を受けて、その客の赤い髪はますます赤みを帯びて見えた。

 傍から見れば一人芝居でも演じているかのように笑っていたものだから、見られたと思うと、ユリシスはカッと赤面した。しかし、それもすぐにひっこんだ。店内で声をかけられると、スタッフとしてのスイッチが入る。物思いの余韻もあっさりと吹っ飛んだ。

 声をかけて来たのは赤い髪の男。どこかで見た覚えがある──そう思った瞬間にわかる。例の『アルフィード』と共に居た魔術師だ。

 客席をちらりと見ると、アルフィードは一人でもくもくと何かを食べており、向かいの席は空だ。

 ユリシスは自分より頭二つ分高い位置にある男の顔を見上げ、「どうされました?」と問う。

 目があうと、男は一瞬だけ表情を硬くして沈黙した。かつて出会ったゼクスのように──。

 すぐに男はニカッと笑って、しかし落ち着きなく、

「すまんが、その……トイレ、どこか教えてもらえないか? さっき店員に訊ねたら、そこの──」

 と言ってユリシスの後ろ、客席フロアとは反対側を指差した。

「勝手口を出て、右手にある灯りのついた小屋だと言われたんだが、灯りのある小屋がわからない。ちょっとその……すぐ教えて欲しいんだが……」

 男は眉頭を寄せ上げ、情けなさそうに、曖昧な、妙に愛嬌のある笑顔で言った。おっさんにも恥じらいというものがあるらしい。ユリシスは悪いと思いつつも、男のそわそわした態度にクスッと笑い、小走りで先導した。

 勝手口の手前がスタッフの休憩室──廊下が膨らんで少し広くなっており、そこに棚と小さなテーブル、椅子を並べただけのスペースだが──があり、そこを通って扉を開いた。先に表に出ると、完全に日が落ちた事に気づいた。

 今日は月の明りもそこそこで、仄暗い。

 出て右手には風呂、トイレ、それ以外に倉庫として使っている、見掛け同じような小屋がいくつか並んでいる。

 すべての小屋の入り口にはランプがかかっている。普段、客の利用があるトイレにだけ明りを灯しているのだが、油が尽きたのか、消えている。

 ユリシスを追って男も外に出て来る。扉を閉めてしまうといよいよ闇夜だ。月明かりはあまりにか細い。

 そこに、ふっと、ユリシスの足元に影が落ちる。頭上に光──半身振り返って見上げると、男が魔術を使っていたのだ。手に明りの魔術を灯している。

「小屋がいくつもある。一つ一つ開けて探しても良かったんだが、やはり失礼かと思ってな。どれだ?」

「手前から三つ目です」

「三つ目か、ありがとう!」

 男はそれだけ言って、手元に明りを灯したまま、妙な小走りで三つ目の扉へ駆け、中に入っていった。

 ユリシスは廊下のランプを一つ取りに戻ってから、男が入ったのとは別の小屋から油を持って来る。三つ目の小屋のランプに油を足し、廊下にあったランプから火を移した──男が魔術師でなかったら、そっと魔術で灯しても良かったのだが……。

 そして、再び明るい建物内に戻り、手にしたランプを元の位置に掛けた。

 ゆっくりと客フロアへ顔ごと視線を向けた。

 あのテーブルに今、『アルフィード』は一人だ……。

 ──何でもいい。話しかけてみよう。

 ユリシスは言い聞かせるように決意すると、客席フロアを目指して勇ましく廊下を歩いた。

 考え悩むより、ちゃんと動いて確認した方が絶対にいいはずだ。それはついさっき思い知った。

 休憩室の壁に掛けてあった自分のエプロンひっつかむと、慣れた手付きでちゃっちゃと身に着けた。

 スタッフのふりをする。今日はシフトではないが、ここのスタッフである事には間違いないのだから、大丈夫、自然だ。

 ユリシスは客席フロアへ飛び込んだ。

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