(038)【1】まどろみの心地よさ (3)
(3)
「ふ~ん……」
「アルフィード様ご自身で解決されるのが──多分、一番良いんだよ。間違いがなくて済むと思うよ」
間違いに含まれるニュアンスに、シャリーは気付く様子も無く、口を閉じたまま「ふーん」と頷いた。
オルファース魔術機関の正門をくぐり、しっとりとした朱色の夕日に染まるレンガ敷きの路面を二人は歩いていた。
ネオとシャリーの他にも、オルファースを出る魔術師達がチラホラと見られた。それぞれが帰宅の途につく時間帯。二人も邸のある区画へ向かっていた。
シャリーは単純に、犯人を確かに『間違えない』で捕まえてくると解釈した。
「総監、副総監が集まった会議では、アルフィード様が犯人で、他の犯人を捏造して『事件』だと言っているにすぎないと、完全に疑ってかかってる方もいらっしゃったとかで……」
考えるまでもなく、おかしな解釈だ。
アルフィードには森に火を付ける動機がない。快楽目的の放火が趣味なら話は別だが、そのような者が第一級魔術師と認められる事は決してない。本人の資質、性質も、試験の合否判定基準の一つ。魔術を扱う事が許されるのは、それを御する精神力があると認定されてから。無駄に力を使いたがらない者の方が、合格する。むやみに自然を害する輩では、級は上がらない。
アルフィードは、確かに第一級魔術師。
危ういようにも見えるが、その実、芯を貫いて、彼は『魔術師』だ。その事をオルファースは何年も前に認めた。第一級魔術師と認めた者の放火など、魔術の暴走など、あってはならない。オルファース魔術機関の、上級魔術師の威信にかかわる。にもかかわらず、彼を犯人にしたがる者がある。
「ドリアム様でしょう!? あの方、娘と同じで身分偏見がすっごいもの。同じ『人』なのに、なんであんなに差別するのかしら! 理屈がわかりませんわ」
鼻息荒く言い立てるシャリーに、ネオはいつもの苦笑を浮かべる。
「シャリーも、ドリアム様には厳しいよね。確かに、アルフィード様を犯人にしたがっている人たちの筆頭に立たれているのは、ドリアム様だという話だけど」
「父親が父親ですもの、娘のリーナが“ああ”なのは、むしろ当然ですわ」
ツンとすました調子のシャリーに、ネオは少なからず呆れる。先日のサーカス直前に喧嘩をふっかけてきたリーナは、副総監の一人ドリアムの娘だ。
「シャリー……皮肉が強いね。そんなにリーナさんが嫌い?」
「──嫌いよ」
表情を険しくするネオに、シャリーは申し訳なさそうな顔を一瞬見せたが、フンとつっぱねる。真っ直ぐ正面を見据え──。
「はっきりと、嫌いは嫌いって言えなきゃ、好きを好きって言えないって私、思ってるから……!」
ネオの方を見る事なく、シャリーはさっさと先を歩いた。
オルファース上層部が今回の火事の犯人追及について、どういう見解を持っているのかをシャリーは聞きたがった。そのリクエストに答えて話していたのだが、どうやら、機嫌を損ねてしまったらしい。
小さく息を吐いて、ネオはシャリーの後を追った。
後姿に、少し痛みを感じる。
サラリと流れる銀髪が、以前程長くない。火にさらされて傷みきってしまい、切ったのだ。
髪を気にしてはいないと言っていたが、そんな事はないはずだ。シャリーは幼い頃から髪を極端に短くする事はなく、ずっと腰まで伸ばしていた。彼女の母親が髪を伸ばしていて、それに憧れて伸ばすようになったと、ネオは聞いた事がある。
嫌いは嫌いと、好きは好きと……ハッキリした事を好むシャリー。 髪を切らざるを得なくさせた火事、その犯人を、憎いと、シャリーは言うだろうか。
いつの間にか下を向いていた視点を上げると、後姿ではなく、こちらを向いたシャリーがいた。少しだけ、気まずそうに待っている。
ネオは隣まで近づくと微笑みかけ、一緒に歩く事を促した。ぱっと花が咲くような笑顔をシャリーは見せたが、すぐにそれを凍りつかせた。ネオもシャリーの視線を追い、二人は歩みを止めた。
目の前に、自称シャリーのライバル、先ほども話題に上がったリーナと、自称ネオのライバル、第二級魔術師のベイグ・ベルソル・ウォールディがうっすらと笑みを湛え、立っていた。
シャリーの嫌いな二人組みだ──。
リーナは相変わらず緩く波打つ長い金髪を誇らしげに、また長いまつげの下に凛として自信に満ちた青い瞳を輝かせている。
一緒に現れた男、ベイグ・ベルソル・ウォールディは20歳の第二級魔術師で、リーナが共に歩く事を許す、上級貴族。細いストレートの赤毛が特徴的なベイグの顔立ちは穏やかで、いかにも人の良さそうな青年に見えた。長身のベイグは、少し高い所からネオとシャリーを見下ろし、にこりと微笑む。その横からずいっとリーナが出て来て、シャリーを上から下へニヤニヤ笑いながら見た。
「あら、シャリー、ご自慢の美しい銀の髪、随分と短くなったんじゃありませんこと?」
言いながら彼女はこれ見よがしに自分の金色の髪をさらりと払って見せた。
「うるさいですわよ、リーナ。髪なんて、伸びるものなのよ。長いままでいようが、短くしようが私の勝手でしょう?」
リーナの嫌味を真っ向から受けるシャリーの目にきつい色味が加わる。そんなシャリーに「まぁ、怖い」とクスクス笑うリーナ。それだけ言って次の嫌味には入らないあたり、どうやら喧嘩を売りに来たわけではなく、リーナらにとってもただバッタリ会ってしまった、というだけのようだ。
にこりとした笑顔を貼り付けたまま、ベイグがネオに言う。
「こんばんは。今、帰り?」
こんばんは、というには少し時間が早い。
「こんばんは……帰りだけど」
ネオは、このベイグがどうにも苦手だ。一見、優しげなのだが……。
「行こう、リーナ。今日はまだ忙しい。君の手もいるんだ」
こちらと世間話をする気もないようで、ベイグはリーナに告げ、歩きだす。すれ違いざま、ネオにだけ聞こえるように低く棘のある声で呟いた。
「僕より先に一級に上がったからって、いい気になるなよ……!」
ネオが慌てて振り返った時には、ベイグとリーナはさっさと風の魔術で空に舞っていた。
「どうしたの? 何か言われたの? ベイグは……人畜無害そうな顔して毒持ってると思うから、気を付けた方がいいわよ、ネオ……──ネオ?」
自分自身の感情に、ネオは疎い。苦手だと思っている感情が、シャリーがリーナに抱く思いと同じだとは、気付かない。むき出しにされた敵意に、困惑というリアクションしかできないでいる。
「いや、何でもないよ」
いつもより硬い笑顔でシャリーに応えた。シャリーは「そう?」と聞き返すような、相づちをうつような、曖昧な声を出すのみだった。
シャリーは声真似や、振り真似がうまい。それはネオもよく知っていたが、改めて思う。きっと、シャリーは人をよく見る事ができるからだろう。見る目が確かだからだろう。ほとんど初見でその相手の本質を見抜く。
シャリーにも色々な悩みはあるだろうけれど、そんなスゴイ才能を持っている。尊敬の念を抱かずにはいられない。……自分は、自分自身さえ、何を考えているのかわからなくなる事があるというのに。
本質を見抜いていくシャリーだから、ユリシスが予備校生だったと知ろうと、大した問題ではなかったのだ。シャリーの中には身分の隔てはない、その人の本質にこそ意味を見出す。
ネオはふと思う。
シャリーがユリシスに見た本質とは、一体何だったのだろう、と。
鼓動が驚くほど早くなった。
女将メルに階段へと背を押されながら、この鼓動が彼女の手に伝わって変に思われるのではないかと、慌ててしまう程。だが、ユリシスの背にメルの手が触れていたのは一瞬、彼女は何も言わなかった。
数段上って、惜しむように階下を見ると、メルが小さい子を叱るように「めっ!」と睨んできた。ユリシスは苦笑して、自分の部屋に入った。彼女には逆らえない。
部屋に戻ったものの、ユリシスは落ち着かない。
低い天井に頭をぶつけぬよう、腰をかがめてウロウログルグルと狭い部屋の中を歩いた。しばらくそうしていたが、ふと、足を止めた。
この部屋唯一のベッド際の丸窓から、外を眺めた。夕日が落ち、空は暗くなりはじめている。部屋の中はさらに暗い。
慣れすぎた部屋、普段から明かりは本を読むとき以外、月明かりで済ましてしまう。
毎日の事で、気に留めていなかった。
日暮れのこの時間は──階下がにわかに騒がしくなる。定食屋である『きのこ亭』の稼ぎ時が来た事がわかる。この混む時間帯は忙しい。
廊下をうろついても、女将メルにも他の店員にも気付かれないに違いない。きゅっと唇を引き結び、ユリシスは自分に頷いた。
「……よしっ!」




