(003) - (1)
(1)
オルファースの四つの棟の内、大きな円形の屋根の建築物がある。
夜にも煌々と魔術の明かりを放つドームは、魔術機関オルファースの権威の象徴。街のどこにいても見えた。
当然、オルファースの敷地内にいたカイ・シアーズにも見えていた。
風の吹く空。魔術師御用達のフード付きローブを夜風に任せ、光を放つ円形ドームを見下ろして、だがすぐに、ついと向きを変え、飛び去る。
魔術機関オルファースの中枢は、円形ドーム型屋根の本館にある。
オルファースの名はその権力を、さらにその施設を指す言葉だ。
カイ・シアーズは、本館から一番遠く離れた第三別館に執務室を持つ、オルファース幹部の一人だった。
第三別館は資料館とも呼ばれ、分類ごとに分けられた図書室を四つ抱える建物だ。その三階、最上階東端の部屋、バルコニーの手すりの上に、彼はとんっと着地した。
闇の支配する夜であっても、王都の中心は明るい。オルファース本館ドームの魔術の明かりが、辺りを照らすから。
「……あまり、風情はないと思うんですけどね」
ドームの灯りを睨む瞳には、オルファースへの猜疑が見え隠れしている。
カイ・シアーズは青いローブをひるがえし、手すりの上からすとんとバルコニーに降りると、そのまま執務室へ入った。
暗い室内だが、奥へ入る程ポツポツと、天井にはめ込まれた紺呪石に灯りがともる。室内を明るく照らす。目を向けるでもなく、すれ違うだけで、同時に複数の紺綬石に明かりが宿る。
「まぁそもそも、魔術の明かりなんて、そんなモンでしょうけど」
部屋には彼一人しかいない。普段の荒波立てぬ性格はなりを潜め、オルファース魔術機関の副総監の一人にしては、否定的な言葉だった。仮面で隠している部分だけに、端正な顔立ちに表情を見せる事は無い。肌のキメも細かいせいか、二十八歳という年齢には見えない。
執務室には大きな机と椅子、書棚がある。壁一面の書棚には、大小さまざまな色の背表紙の本が、びっしりと詰まっている。生活感は無く、片付けの行き届いた部屋は素っ気ない。
十畳程のこの執務室には、深い青のカーペットが敷かれている。革のブーツで踏み歩き、部屋を素通りして廊下に出ようと、ドアノブに手をかけた。
瞬きをして、カイ・シアーズは部屋を振り返った。出かけた時とは異なる何か──。
ふと、机の上の紙が目に付いた。
片付けられて何も無かったはずの机の上に、紙片がある。
童顔を誤魔化すようにかけているダテ眼鏡を外し、懐にしまいつつ、机に歩み寄る。ダテ眼鏡を外したのは、誰もいなければ無用だからだ。
「…………」
紙をちぎっただけのメモには、走り書きがある。その紙片を、椅子を回りこんでから、手に取って見る。
メモの下には、薄い板を表紙にして留めた資料が一冊。中身は数十枚、結構なページ数があるように見えた。
取り上げたメモを持つ手とは反対の手で、表紙を開く。
薄い遊び紙を長い指ではらりとめくる。
最初のページには、引用した資料の関連書物名とその著者名が、よく知った筆跡で走り書きされていた。カイ・シアーズと同じ、よく知ったオルファース幹部に頼んでおいた資料だった。彼の字に相違ない。
カイ・シアーズは昼から留守にしていたが、その間には弟子に留守番を頼んでおいた。その間に届けてくれたものを、カイ・シアーズが戻ってすぐわかるよう、弟子は机の上に置いてくれたらしい。
カイ・シアーズは資料をとじると、手にあるメモに目線を動かした。資料よりも、メモに書かれた言葉の方が、カイ・シアーズには気になった。
「……『そもそもこの伝承には不明な点が多い。調べるだけ無駄だと思うが……ギルバート』……」
カイ・シアーズは肩を小さくすくめた。メモは折りたたんでローブの内ポケットにしまう。
資料は明日にでも目を通すと決めて取り上げ、再び扉へ向かった。
「……無駄……ですか? ギルバート。──嫌な言葉ですね」
ドアノブに手をかけながら、聞き手の無い言葉を不機嫌に呟いた。だが、すぐにフフっと微笑う。
「今日は独り言が多いですね、私も」
そう言って目を細めた。
「……伝承に斯く在り……『紫紺の瞳がもたらす災厄を──』……」
さっき、仕事を終え、風の魔術で飛び、小さなお知らせ用の掲示板を見てきた。
そこには、魔術師見習いになる為の試験結果が張り出されていた。
毎年百人前後受験し、三十人程度が合格、魔術師見習いになる。
──毎年、既に八回、そこにあがり続ける名がある。
「……『ユリシス』……彼女もまた、『紫紺の瞳』だとか。伝承に、災厄をもたらすのは『紫紺の瞳』の持ち主だとある。主席の成績の彼女が合格しない理由を、他にどう求めよというのか、魔術機関オルファース……」
部屋の明かりがサッと消えた。窓越し、バルコニーの向こうに本館ドームの白い明かりがはっきりと見える。
カイ・シアーズは顔をしかめ、ドームに背を向けた。
ローブをなびかせ、さっさと部屋を出ると扉を閉じ、紅い絨毯の敷かれた廊下を歩いた。
再び、慣れた手つきでダテ眼鏡をかけ、足早に歩く。
既に人気のない廊下は、無駄に明るい。紺呪灯が点々と置かれていて、魔術の明かりが照らすのだ。
青いローブを揺らし歩く金髪の青年の名は、カイジュアッシュ。
カイジュアッシュ・ウォルフ・ディアミス・シアーズ。
オルファース内部に於いては、上から十一番目の権力者。
普段千人の魔術師が出入りするオルファースの、国内に於いては八千人の魔術師達の、指導者の一人だった。
翌朝、オルファース内でひっそりと式典が行われた。
魔術師第九級資格合格証書授与式──。
第九級は魔術師資格の中でも一番下の級で、魔術師になる為に学ぶ事と、オルファース魔術機関施設の一部利用が許可されるものだ。魔術師を生業とするには、魔術師見習いを脱する第五級の取得が最低限必要だ。
朝の太陽が十分にオルファースの敷地内を照らし、新たに魔術師資格を与えられた初々しい子供達も、表情を輝かせて正門をくぐる。
三十名の合格者達は、めいめい保護者に連れら、自信に満ちた笑みを浮かべている。
オルファース本館一階の玄関ホール前へ、続々と集まってくる新しい魔術師達を眺めながら、それでもカイ・シアーズは嬉しかった。
新人達はまだオルファースに染まっている事もなく、素直な喜びと期待に満ちているのだから。
しかし、だからこそ、カイ・シアーズには憂いがある。
「今年も、彼女は来れないんですよね」
このドーム型天井のオルファース本館は、一階から三階まで吹き抜けており、二階、三階から玄関ホールを見下ろせる。二階から見下ろせる場所は広く取られていて、カフェになっている。外装も内装も白で統一されている。
手擦りは鉄で出来ていて、細い支柱に、同じく鉄を加工して繊細に造られた薔薇の蔓と花が絡まって伸び、豪華な雰囲気を醸す。それらも、白く塗られていた。
その手摺りに緩くもたれて、カイ・シアーズは階下の初々しい魔術師達を見下ろす。
新魔術師達──今後は魔術師見習いと呼ばれる子供らは皆、10歳前後で、主席の成績を残した少女の姿は、なかった。
「……彼女ってのは、誰かな? カイ」
ふいに後ろから声がかかって、カイ・シアーズは振り向いた。
角度が変わって、襟足が肩に届く程の金色の髪に、ホールのガラス窓から注ぐ太陽の光を反射して、白い輪が描かれた。
「ギルバート。あなたも来ていたのですか」
「おう」
ギルバートは赤いクセっ毛を揺らし、愛嬌のある笑顔で隣まで来ると、一瞬目を細めた。緩く顎を上げて片目を軽く閉じ、親しげに挨拶をした。年の頃なら三十歳半ば、カイ・シアーズより指二本分背が高い。
「ん~んん。今年も来てるなぁ、ちびっこどもが」
ギルバートは、カイ・シアーズの隣で手摺から上半身を乗り出し、ホール前を見下ろした。にまにまと笑っていた表情を、すっと消す。
「──あのうち何人が、『見習い』を脱皮できるかな」
「ギル……」
諌めるように、カイ・シアーズは体ごとギルバートに向き直った。ギルバートは軽く首を傾げ、片方の口角を上げた。
「去年第九級に合格した連中で、今年、級を上げたヤツは一人もいないぜ? 魔術を発動させるのに成功したのは十人もいない……」
ギルバートはさらに目を細め、皮肉気な笑みを浮かべると、顎でホールを指した。
「見ろよ、あいつらほとんど貴族のガキどもだ。オルファースってのはいつか、抜け殻になっちまうんじゃねぇか」
実力を身に付ける事の出来そうな有望な新人は年々、合格から遠ざけられている。ギルバートはそう言っているのだ。
「ギル……!」
「ハイハイ。悪かったよ」
ギルバートは両手を手摺りから離すと背筋を伸ばした。肩をすくめて見せ、憂いを含んだ笑みをカイ・シアーズに向けた。
「デカイ声で言う場所じゃねぇな、確かに……」
「ギル。私は同意するのにやぶさかではない。けれど……」
ヒルド国に居る者は大まかに、王族、貴族、庶民、非民に分けられる。
王族は言葉のまま、国を支配する王に連なる者。貴族は王に様々な支配的権利を与えられた者。庶民はそれ以外で王、貴族に支配される者。非民は、難民や犯罪者、税の支払いが滞るなどして戸籍を持たない、または失って人間扱いされない層を指す。
出自による身分──貴族出身、庶民出身など──とは別に、後天的な職業特権がある。魔術師、あるいは宗教職に就いた場合の特権は大きい。
ヒルド国では、諸外国と比べて魔術師に与えられる特権は大きく、魔術師育成に力が入れられている。建国以来の国策だ。
食うに困るような村の出自であろうと、魔術師として級を上げたならば、王宮への出入りも可能になる。
これを厭うのが魔術師特権を持たない貴族で、本人の努力ではどうにもならない出自による身分差別というものが絶えない。それは、特権を有する魔術機関オルファース、ゼヴィテクス国教内にも影響を及ぼした。
今、カイ・シアーズらの眼下に姿を見せた第九級魔術師資格取得試験において合格した子供達など、わかりやすい。九割以上が仕立ての良い衣服に身を包む、貴族だ。
「何にしろ、俺みたいに庶民出身の魔術師がオルファース本部に居残ってるのは、おかしなモンだったな。余計なモンまで見て、気分が悪ぃったらねぇ。……みぃんな、外へ出ちまってる。アルフィードはふらふらしてるが。ルヴィスもヘルも……」
日頃から、笑顔で軽くいなして世渡りがうまいと定評のあるギルバートの表情に、暗い影がおりた。懐かしく挙げる名がある。
カイ・シアーズがまだ親しく会った事のない、農村、庶民、商人などから、第一級魔術師まで一気に駆け上がった若手の魔術師達。彼らは歴史的にも数える程しか居ない、貴族以外の第一級魔術師だが、全員、オルファースから距離を置いている。
貴族以外で一級や二級へ昇級した魔術師がほとんどいない理由は、先述の通り。能力の優劣よりも、貴族達の排斥行為、裏工作によって資格を剥奪されたり、自ら降りてしまうのだ。貴族らの敵意をものともせず、誰の目にも優秀かつ、しなやかに心の強い者しか残らなかった。
ヒルド国建国当時から続く身分差別によって、貴族出身者と庶民出身者との間には、決して埋まらぬ深い溝が生まれていた。
蔑む貴族と、それでも憧れる庶民。権利を維持しようとする貴族と、権利などとうに諦めながらも虎視眈々と成り上がりを狙う庶民。永年の支配体制が溝を作っていた。それらの間で、疑問を呈す特権を持つ者達は、心を痛め続けていた。
「貴族連中で話が通じるのはお前くらいだよ、カイ」
空気を変えようとニパっと笑顔をみせ、ギルバートは去った。
カイ・シアーズは、国王の片翼を担う宰相を父に持っている。文句のつけようがない大貴族の息子である。
「……オルファースの中で、まともに話が出来るのも君くらいだよ。ギル」
大貴族の末の息子のカイ・シアーズは小さく呟き、再び、玄関前を見下ろした。
濃紺のローブを着た係員が出てきて、三十人の新人達を中へ誘導し始めていた。
あの子供達の内、何人が染められてしまうのか。
魔術師として特権を得ながら、さらに“貴族”という肩書きで“庶民”排斥を始めてしまうのか。
何人、その汚い現実から脱落してしまうのか。
オルファースという、この輝かしい場所で。
──あの、何度弾かれても立ち向かってくる少女なら、上まで来る気がする。それだけの忍耐を持つなら、貴族だとか庶民だとか飛び越えてしまえるのではないか──ぶち壊してくれるのではないか。
「……こんなに無力に願う自分がいるとはね」
オルファースに注ぐ朝日は、眩しい。光が強ければ陰も濃い。春の穏やかな気候に包まれて、全て、覆い隠されてしまっている……。