(023)【2】愚かなる(2)
(2)
「相変わらず下品な方。そのように大声をあげて……」
演技がかった様子でわざとらしく、リーナと呼ばれた金髪の少女は顔をしかめて言った。
大声と言うが、サーカスの余興の人だかりが発する歓声に比べれば小さく、現に彼らの誰一人、こちらを振りかえっていない。
「大声が下品なら、貴女方も常々の演説会をやめなくてはね」
降りて来たシャリーが何か一言言ってやるよりも先に、ネオが口を開いていた。
──珍しい。ネオ、機嫌悪い?
足を止め、シャリーは開きかけた口を閉ざしてまじまじとネオの横顔を見た。穏やかなネオ、嫌味を言ったりするのはシャリーの役目、長い付き合いでそんな役割分担になっていた気がしていた。シャリーは嫌味を言うネオを初めて見る気がしたのだ。その位、彼の不機嫌な態度は珍しかった。
「私達の演説会は下等で下賤な一般市民達に、真なる教育を施しているのです。あれはとても大切な事。魔術大国の名をいつか得る為、知を授けているのです。それもこれもすべて、我が国の為──」
三人の貴族を前に、ユリシスはどうにも困り果てた。
顔見知りらしい彼らに、話題も話題で割って入る余地は無さそうなのだ。居ても仕方ないと余興を見ようかと樹によじ登るべく手をかけた時。
「ちょうどそこの、今しも樹に登らんとする、知恵浅き者を正しく導くためのものですわ」
「……へ?」
金髪の少女の言葉にカッと反応したのはユリシスではなかった。ユリシスは『私?』と間抜けた顔で自分の顎に指を当てただけである。
「ちょっと、リーナ! あなた!」
樹に登る事が知恵と一体どんな関係があるのか、また知識と知恵は同じものではない。言葉を続けようとするシャリーを、顎をあげてゴールドの髪をばさりと揺らし、さえぎるリーナ。
「やめて下さらない? 私には、リーフェティナ・フェルト・イアロージーという名がありますのよ、シャリー・デイア・ボーガルジュ」
険悪な、嫌な緊張感がリーナとシャリーの間に走る。シャリーの額を眉がひくりと押し上げた。
一方、『お、呼び捨て……』と部外者を決め込んだようにユリシウは観戦態勢に入ってしまっている。
ネオの事は様付けで呼んでいたのに。自分の事を悪く言われたらしいのだが、貴族なんてそれが“普通”だと思っていたユリシスからすれば、悪口などまともに耳に入っていない。自分達庶民と同じ目線にも立つシャリーやネオらの方が、ユリシスにとってはとても珍しいのだ。
樹に両手と片足をかけたままの姿勢で、ユリシスはどうにも取るべき態度が思いつかず、とりあえずそのまま固まっていた。
そんなユリシスを馬鹿にしたように目を細めて見てから、リーナはシャリーにずいと詰め寄る。
「そもそもシャリー、あなたいい気になっていませんこと? 沢山の者達があなたを慕ってついて来ていたというのに、あっさりと振り払ってしまうなど……。ああして、あなたについてくる者達は、将来宮廷に上がるなり、第一級魔術師として派閥を作った時、大切な存在となりますのよ。数は、力ですのよ」
ネオをオルファースの正門で見つけ、一緒に帰ると決めるまで、シャリーは六人の取り巻き魔術師達と居た。リーナはそれを見かけていたのだろう。それをここで言っている。次の瞬間、シャリーの目は、冴え、冷えきる。
「別に、要りませんわ。宮廷に上がる気も、派閥を作る気もありませんもの。私は私の、魔術師としての道を行くまで。結局試験に落ちて第三級止まりのリーナに、とやかく言われたくありませんわね」
「あ、あれは……! 貴方に道を譲ってさしあげたのよ! すんなり通れる道ですもの、第2級試験位……そ、その位……いつでも受かりますわ!」
シャリーの眼力に圧され、リーナの視線は泳いでいた。それを確認しつつ、シャリーは腕を組んでますます表情を凍てつかせた。
「何の強がりですの? 無駄なプライドですわね。結局、ただの力不足じゃありませんの。私に“ついて来てくれた人達”と離れた事、何故知っていますの? 何故、今言うのかしら──リーナあなた、単に羨ましかったんじゃないの? ──私にはそんなに人が集まってくれないのに!って」
リーナ以上に演技めいて、眉尻を下げ困ったような顔を作り、シャリーは肩をすくめた。曖昧な笑みは、わざとリーナを馬鹿にしている。
──ああ、そうか……。
ユリシスは納得した。
ネオは何かを言いかけてはやめ、制され、だんだんと口を挟めなくなり、結局何も言えなった。
つまり、リーナという貴族の少女は、ただ単にシャリーに喧嘩をふっかけに来た、ようだ。ライバルなのかな、と思う。ただの口喧嘩だ。ユリシスはリーナに『だし』に使われたようだ。
シャリーの最後の言葉に、リーナは一気に顔を真っ赤にした。肩で息をしながら──声より吐く息の方が多くて途中何度も息を吸い込みながら──半ば叫ぶ。
「ま、魔術師ともあろう者が、たかがサーカスに、喜んでいるのは、まぁ本当に、みっともない事! あのような児戯! 私達魔術師なら容易ではありませんの! きゃっきゃと手を叩き賞賛すべきものではありませんわ! ああ、馬鹿馬鹿しい! 全く、馬鹿馬鹿しいですわ!!」
結局、否定出来ず、負け犬の遠吠えを振りまいて、リーナは二人の取り巻きを率い、縦ロールの金髪を乱暴に振り回しながら回れ右をすると、立ち去った。その声が、シャリーの声より大きかった事は間違いない。
リーナの背中が見えなくなると、シャリーはたっぷり十秒目を閉じた。再び開いた時には普段のシャリーの、凛とした瞳に戻り、気色ばんだ様子は無かった。
そこでようやっとネオはふぅとため息を吐く。
「シャリー、ちょっと言いすぎだよ」
悪びれる様子もなくシャリーは小さく肩をすくめて微笑む。
「かまいませんわよ。あの子、こたえるタイプじゃありませんもの。……私の友人を悪く言う人を、私は許すつもりはありませんもの」
──友人って、私のことかな……と、さすがに樹から手足を下ろしてユリシスはシャリーを見た。気付いてシャリーは、気まずそうに瞬きしながら目線を二度左右にふってから、まっすぐユリシスの目を見る。
「ごめんなさいね、ユリシス。私の最低な知り合いのせいで気を悪くさせてしまって」
最低な、に妙に力がこもっている。
「いやいや、別に、全然!」
あははと軽い声を上げつつ、ユリシスは後頭をぽりぽりかいた。
「いやもう、まったく気とか! 悪くしてないよ。うん、平気平気」
貴族の娘で、第二級魔術師のシャリー。気取ったところもなく、身分差別甚だしいリーナの無礼を詫びて、自分を友人と扱ってくれるのが、ちょっとくすぐったい。ユリシスがえへへと笑うと、シャリーは目を細めて笑みを返してくれた。
そうこうしている間に余興も終わり、当日券の販売が始まっていた。
シャリーは『ちょっと待ってて』とネオに告げて窓口に走った。
樹の上に居たイワンと兄ヒルカが降りて来た。
「ユリシス、帰ろう」
先ほど大声でやんやと騒いでいた時とはうって変わって沈みがちな顔である。幼さは、本音を隠せない。
余興は見れても、中に入るにはチケットが要る。そんなお金は無いのだから、帰る。ごく当たり前の事だったが、余興が楽しかった分、ここで帰らなければならないのがとても悲しいようであった。その子達をユリシスだって、どうしてやる事もできない。どちらもわかっている。そうだね、とイワンの手を取った時、シャリーが戻って来た。
──シャリーの手には五枚のチケットがあったのだ。
「ええ!? 悪いって! 大丈夫! 私達平気だよ! もう十分楽しかったし! そんな……!」
五枚のチケットはシャリー自身のもの、ネオのもの、そしてユリシス、イワン、ヒルカのものだった。ユリシスの手を取ったまま、シャリーは至って真面目な顔つきをする。
「いいんですのよ、気になさらないで。あ、言っておきますけど、これを買ったお金は私が働いて稼いだお金で、間違いなく私の汗の結晶よ。あのリーナみたいに嫌味な、すねっかじりの我侭娘と一緒だと、思わないで?」
「えぇ? あの人と同じとは思わないよ……でも、悪いよ……。ええと、汗の結晶なら、なおさら」
貴族だとか、魔術師だとか、そういうもので気を置いたり、負い目を持つ事は、もう無い。ただ、金銭の絡む好意は、受けにくい。お金を稼ぐ大変さは、雇われた身ながら骨身にしみている。
「シャリー、いくらしたの? 僕が払うよ」
助け舟に、シャリーはネオを見るとすんなりと金額を言い、チケット代を受け取っていた。
「えと……」
ユリシスの意向は無視されている。
シャリーから五枚のチケットを受け取って、ネオはそれをユリシスに見せた。そこには先程まで不機嫌な様子は消えている。
「この場で一番年上の男がおごる、これならどう?」
そう言ってネオは笑うのだった。
反論のしようも無くなって口を閉ざしたユリシスの両脇で、様子を見上げていたイワン兄弟は「ありがとーございますぅ!!」と声を揃えて叫び、大喜びした。
その二人の手を取りシャリーは「では、中に入りましょう!」と巨大なテントの入り口へ向いた。イワン兄弟はあいている手を上へ突き上げて「いえーぃ!」とテンションアップしている。おそらく、イワン兄弟と同じ位にサーカスを楽しみにしていたシャリーは、小さな子供二人と揃って半ばスキップである。
その背中を見送ってから、ユリシスは少し下を向くと口元に笑みを浮かべ、そのまま顔を上げてネオを見た。
「ありがとう。お世話になってばかりだね」
「……そうでもないよ」
ユリシスから顔を逸らし、ネオは先に歩き出してテントに向かった。
「そうでもない? よくわかんない」
以前には食事をご馳走になったし、今回はサーカス。
ユリシスはとことこと横に並び、歩き始める。ネオは相変わらず前を見たまま言う。
「さっき、シャリー達の口喧嘩の中でも出てきたけど、僕らも周りにはよく人が集まるんだ。──けど、誰も友達ではないんだよ」
別に寂しいとか、そういう風ではなく、いつも通りにしゃべっている感じに見える。
「僕やシャリーは一応、上級の魔術師だから。皆集まって来るんだと思う。それで級が上がるのに有利になったりする事なんて、無いのにね」
ネオは一度言葉を区切ってユリシスの方を見て、曖昧に笑った。
「僕らに知り合いは多いけど、友達となると、きっと、ユリシスよりも少ないんじゃないかな」
「そうなの?」
聞き返してすぐに『しまった』とユリシスは思ったが、遅かった。ネオは、ちょっと寂しそうに笑みを崩し、前を向いた。
「だからさ、シャリーが君を友人って言ったろ?」
「うん」
「シャリーはあの時、すごく緊張していたんじゃないかな。怒りにまかせて言っちゃえって思ったはずだよ。それなのに、友人だと押し付けがましく言っちゃってユリシスが気を悪くしちゃったらどうしようって、きっと思ってる」
ユリシスは驚いた。
そういう風には全然考えていなかった。気を悪くするよりも、むしろ、嬉しかったくらいだ。
ユリシスはもう一度シャリーの背中を見て、自分の口角がぎゅうっと上がるのを感じた。
笑みを、唇を二、三度もきもきと動かして押し殺し、ユリシスはネオの方を見る。
「ええと……よくわかるね」
「まぁ、幼馴染だし。一緒に居る事が多いからね。僕らはお互い、友達が少ないし。……みんな、友達にはなってくれないんだよ」
──どんな風に頑張ってみてもね。
後半をネオは飲み込んだ。もう、諦めていた事なのに。
「ふ~ん……」
ユリシスは相槌を打ちながら、自分の読んだ多くの本の中の一節を思い出していた。
物語の形をとった魔術書だった。その中の指導者的立場にある人物が、主人公に『頂点を目指すという事はただ一人になるという事』とか言っていた。『頂点を得るのは一人……そこを目指す事は、孤独を求める事なのだ』とかなんとか。
素直に頷きたくないセリフだと、当時のユリシスは感じた。同時に、事実かもしれないとも思ったから、読みながら眉をひそめた。今も同じ考えだ。
上級の魔術師のネオとシャリーは、少しずつ近かった人を置いて、取り残して、上へ上へと登ったのだろうな、と。そこには羨望や嫉妬、憎悪もあったのかもしれないと、ユリシスは思った。
「シャリーはさっき、周りに沢山人がいるのが羨ましいのだろうとリーナに言っていたけど……シャリーはあの言葉で多分、自分も傷つけたんだよ。シャリーにとって本当は、嬉しい事でも、自慢できる事でも、ないのだからね」
周りにどれだけ人が集まろうと、下心しかない連中だったらちっとも嬉しくない。一緒に居て、それだけで楽しくなれる友達では無い。ただでさえ上級の貴族で、また上級魔術師となったネオやシャリーには拭う事の出来ない孤独が、既に染み付いていたのだった。
「…………」
そこまで聞いて、ユリシスはネオの瞳を覗き込んだ。ごく普通の様子。不機嫌とか寂しい、だとか無い。深く澄んだダークブルーの瞳。目を見て考えを読めるわけでもないが……。
「な、何?」
ユリシスの視線に気付いてドギマギとネオは問う。
「ああ、いや、その、驚いたっていうか……」
ユリシスは紫紺の瞳の向きを前方に戻した。
「失礼かなとは思うんだけど、呆っとしてるように見えてたから。そんなに色々、沢山の事を考えてたんだなぁって。シャリーの事、心配してたんだなぁって思って……」
思った全ては言わなかった。
飲み込んだのは『あなた自身はどうなの?』という言葉。『あなた自身は自分の気持ちがわかっているの?』と。でもそんな言葉は、ひどく偉そうな気がしてやめた。
ユリシスは『きのこ亭』の看板娘を、気付けば長い事している。多くの人を見ている。その内に、ユリシスは人を大雑把に何種類かに分類できる気がしている。
ネオは、自分自身に無頓着な危うさを持っている類である気がしてならなかった。若さとは違う、他人の事にはよく気が付いて、己の事への理解が無いタイプ。そんな事を思いながら、ユリシスはそれは口にしなかった。
ユリシスの言葉に、ネオが微笑んでいるから。
「僕もちょっと驚いてる。こんなに沢山の事……思った事を人に話すのって、そうないから。なんでかな」
曖昧に照れたような笑みを見せるネオに、ユリシスはニコっと微笑んだ。『きのこ亭』スマイル。
「私、人の話聞くの好きだよ。商売柄っていうのもあって、いろんな人の話を聞くし。そういうの好きだし。だから、また色々聞かせてよね」
ネオもシャリーも取り巻きに囲まれていると、聞き手になる事が多い。
自分の事を話しても『自慢すんなよ』と、そういう目で見返される気がして怖くなる。『そんなつまらない話なんてするなよ』と言われている気分になる。ならば話しなんてしない方がずっと楽だ、頷いているだけの方がいい、そう思っていた。
ネオは少しだけ顎を下げ、再び顔を上げると、ユリシスのこくんと頷いている様子が見えた。
シャリーが友達になりたがっているユリシスという少女は、そういう目では見ない。自分は話し上手ではないし、昼間に見かけたアルフィードのように一言言っては他の人に笑いを誘って楽しい会話が出来るようなタイプではない──でも……。
上級の魔術師だとか、貴族だとか、立場ってなんだよと──。
面白い話は出来ないけれど、誰かと話をしたい気持ちは、一人でいたくない気持ちは、楽しい時間を過ごせる友達が欲しいと思う気持ちは、あるんだ。
「僕やシャリーはオルファースの図書館かテラスに居る事が多いんだ」
「私はねぇ、中庭が多いな。って言っても世間様がお休みの日にしかいないけどね。中庭、気持ちいいよ。最近はイワンとヒルカも一緒。お弁当をね、中庭で食べるととってもおいしいんだ。シャリーも連れておいでよ」
「──ああ、中庭。初めて会った所だね」
「そうそう!」
笑顔を交えて話をする。入り口で待っていた三人と合流して、チケットを切ってもらう。やはり先に走って座ったシャリー達の所へ歩いた。笑顔で手を振っていた。
空は朱色から闇色に変わろうとしている。
ギルバートの部屋を出たアルフィードは、オルファース内に与えられる第一級魔術師用の、自分の研究室に分厚い本どもを放り投げてから、オルファースの門をくぐり出て、藤棚の道を歩いていた。夕飯を適当なメシ屋でとろうというのである。