(020)【1】その何気ない日常を(5)
(5)
「“転送”? …………“嵐”じゃなかったか?これ」
「その文字の前に“自然”を表す文字が無いだろう? 代わりに、えー……ほら、ここ、ちっと後ろだが“様態”を示す文字列がある。で、“係り”指示のルーン文字が更に後ろにあって、で、前へ前へ文字を連結していけって表記になってるワケだ。んだから、その文字は“転送”になんだよ。──ちなみに、実際、術として使われる場合は“事象”だの“自然”だののルーンは省略される事が多いぞ。書けば書くほど燃費が悪くなるからな」
文字を描く、つまりその分魔力を放出する必要が出る。文字の分だけ、魔力を消耗しているのだ。
「記述が長くなりがちな古代ルーン魔術では、魔力が余っちまう。術全体に係る文字列で組んだり、繰り返し使う文字列は任意、あるいは精霊ごと規定の代入ルーンで指示して、魔力の無駄を省くんだ」
アルフィードは、これでもかという程眉間に皺を寄せた。言いかけてやめ、それでも一言ぼやく。
「──クソややこしいな」
古代ルーン魔術に対する造詣の深さや魔力量の違いでも、記述が変わってくるという事だ。術の解除には、全く同じ記述が必要なのだが──。
「実戦じゃ同じくらい古代ルーンに詳しく、相手の特徴やよく使う術構成ってのを知っとかなきゃ、解除できないって事だな」
ぶつぶつとそう言ってから、アルフィードはすいと目を細めた。
「阿呆か……。まず無理だろ。馬鹿じゃねえのか。毎度、毎日顔つき合わしてるヤツと戦うってわけじゃねぇんだぞ」
「……俺を睨むな」
「誰を睨みゃいいんだよ」
「──お前目つき悪いんだから、少なくとも俺を睨むな。ともかくな、術をキメられる前に倒せ、って事だ」
空になったカップの取っ手を人差し指で絡め、ギルバートは顎の下で両手を組むと、アルフィードを見上げる。
「で……? その“転送”にひっかかった理由は? お前なら、知らん文字があっても黙って後で自分で調べるだろうが。真っ先に聞くの、弟子のクセに嫌がってたヤツなんだからな」
瞬きして、アルフィードはギルバートから目を逸らした。
「………………見たんだよ。──話したろ? 地面に文字を書いて言葉を交わせる術を、使ってよこしたヤツがいるって」
アルフィードはギルバートのカップを受け取り、自分の空のカップも床から取り上げ、あわせて書類を押しやった机に隅に置いた。
「──お前を負かした古代ルーンの使い手、か。そりゃ気になるわな。手っ取り早く知りたかった、か」
アルフィードはムッとしながらも応えていたが、それで心情はギルバートに筒抜けた。
事実だからしょうがない。誰より自分が認めた事実なのだから、指摘されたって腹を立てるべき相手は、自分だ。
「……解除時に浮かび上がるルーン文字、ざっと読めるだけ読んだんだが、“嵐”だと意味が全然通じねぇなって思ってたんだ。……“転送”か……」
「文字そのもの、魔力そのものを“転送“するって事だろうな。しかしまぁ、単語がわかった位で術に昇華させるまでに再現して組み上げるのは、無理だぞ。知らん術はむやみに使うなよ。何がおこるかわからんからな」
「わかってる。師匠風吹かすな」
「たまにしか出来ない事なんだから、いいだろ」
ムッとしたまま言うアルフィードに、「このっ」といった態で左肘をくいっと前へ倒して、ギルバートはニヤリと笑みを浮かべ、ゆったりとした口調で応えたのだった。
アルフィードは、まだ副総監ではなかったギルバートに師事して第五級正魔術師まで上った。その後もコツコツと級を上げ、今では師と同じ第一級の魔術師で、弟子をとってもおかしくないが、アルフィードは自分の事が最優先で、仕事の邪魔をされるのがいやで、今まで一人も弟子を取った事がない。
一方ギルバートはこれまで十人程面倒を見てきたが、アルフィード以外は皆五級止まりだった。この不良魔術師アルフィードが、自分の誇りになるのかと思うと、少々げんなりとするギルバートだったが、それはむしろポーズだ。似たもの同士、照れ屋だから。
ギルバートは、アルフィードの才覚も人柄も信頼している。
時々、法を犯す行為を裏で行っているようだが、外すべきではない人の道を外す輩ではない事は、数年の付き合いで理解している。ただ、魔術での“殺し”──当然違法である──はやめろと口を酸っぱくして言っているが、効果はあまり無かった。困った弟子だが、私怨のそれをしない事には少しホッとしている。
仕事になると冷徹になるアルフィードだが、むしろ普段は魔術を使うのを好まない。誰も見ていないところでこっそり、人助けや自然を守る活動やらをしている。これは、師であるギルバートだけが知っている事だが……。その活動で金を取っているのも、アルフィードらしいと言えばアルフィードらしいが。人助けをギルバートが見つけた時、アルフィードはあたふたとうろたえていたのを覚えている。言い訳めいて人の為に何かする事については「それが両親の教えだ」と言っていたのも覚えている。金をとっているのにか、と思ったりもしたが、根本的に、アルフィードは純然な悪人ではないのだ。
だから、貴族出身で鼻持ちならない連中が多いオルファースの中では、師匠と弟子という間柄だが、既に同じ第一級魔術師でもあるアルフィードは、ギルバートにとってホッとして本音を、立場の弱音を吐ける相手なのだ。
それはアルフィードにとっても同様で、うざったい偉人きどりの魔術師連中の中で、師はぶっきらぼうだがわかりやすく、付き合いやすい。また、何より自分を理解してくれる数少ない人間だった。
アルフィードは自身を育ててくれた両親を、出来上がった自分の性格はともあれ、尊敬していた。また、ギルバートに対しても近い感情を持っていた。何せ七歳の頃から師事していた人である。受けた影響は小さくない。口では、絶対に言わない事だが……。
しばらく、二人ともに静かに本とにらめっこを続けていた。
第一級ともなると、今までに読んできた書物の数は百や二百ではきかない。それこそ千冊単位で読んできた。既に、本へのめりこみ、読むスピードを上げていくコツは身についている。刻々と時間だけが過ぎ、静かに、本をめくる音だけが室内には流れた。
四、五時間経った頃、太陽は既に沈もうとしており、窓から朱く強い夕日が差し込んできていた。
「ところで話、戻るけどな。ヘルとルヴィスだが……」
ギルバートは本を横に置いて立ち上がり、紅茶をまた淹れて戻った。
「……ヘルとルヴィスが、何?」
アルフィードは本のページをはらりとめくり、受け取った紅茶を一口すすって問い、本に目を落とした。
「あの二人よ、つ、つきあってんのか?」
「カハッ!」
思わず、紅茶を噴出した。
「はぁあ? 何言ってんだ? おっさん」
師をおっさん呼ばわりする。真面目に本の解読を進めていたかと思ったら、そんな事を考えていたのかと呆れる。白い目で睨んでやると、ギルバートは微妙に頬を赤らめていたりするのである。その年でやめてくれと思うのだ、冗談か、と。
「いや、だってよ、二人でオルファースの依頼受けてだな、旅するって……男と女がだなぁ……」
「ぷっ……くははは……!」
笑いがこみ上げる。『これが俺の師匠かよ?』そう思うのである。本当に俺に多くを教え、今もまだ俺が教わるべき事を持つ人か?
「おい、いつまで笑ってんだよ」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。あーあ、馬鹿馬鹿しい。──で、あの二人な、二人旅じゃねーぞ」
手を振って謝ると、口の端に笑みを残したままアルフィードは言い、返事を待つ時には何とか笑みを引っ込めた。
「そうなのか?」
「5人で、パーティー組んでたぜ。表じゃあんま名の通ってるヤツらじゃねぇから、オルファースに報告が行かなかったんじゃねーの。その他用心棒三名、みたいな?」
「ああ……そういや、用心棒、そんな記録あったかもしれん」
「ヤツら、用心棒なんかじゃねぇよ。最強の忍って言われてた一族の族長筋──ま、抜けたんだけどな──そいつと、北の騒乱──シキ=ビアス国の内乱だ──あれで名を馳せた格闘家……の娘、最後に“名も無き剣豪”なんて呼ばれてた英雄も居たな。どれもその分野じゃトップクラスの実力の持ち主って事らしいぜ。共通して、名を売りたくない連中らしいが」
「ほーう……詳しいな」
「裏事情なら多少、な。こないだ……二ヶ月くらい前か、ヤツらが都に戻った時に会ったんだ。その後調べたんだよ。ヘルとルヴィスはどんなやつらと旅してるのかってな」
「お前ら、仲良かったもんな。──アル、ヘル、ルヴィスの三悪ガキは有名だったモンなぁ」
「……懐かしすぎる話だな」
「……お前には、な。ほんの数年前、ほんのこないだなんだぜ?
お前なんかずっとちっこかったのに。俺は変わんねえもんなぁ、時間感覚無くすよ。気がつきゃ魔術師なって二十年以上だしよ。
このオルファースだって、今でこそ、第四別館までだが、お前らが悪さしてた当時は第五別館まであったしなぁ。──誰と誰と誰が第五別館壊して、一体どなた様が頭を下げまわったか、なんて事はまぁ、懐かしい話だよなぁ」
ギルバートからすれば悪意の無い嫌味だ。が、アルフィードは露骨に眉間に皺を寄せ、顔を逸らした。
魔術を使えるようになったアルフィードと、先ほどから話題に上る二人。三人で魔術の試し打ちして回っている間にやらかしたのだ。二人が支援魔術で一人の力を増幅させ、放った魔術は制御を失った。止められず、ドでかいのをブチかまして建物一つ、壊してしまったのだ。死傷者が一人も出なかったのは、不幸中の幸いと言える。しかし、その後始末にはそれぞれの師があちこち走り、これでもかという程頭を下げて回ったのである。結局、第五別館のあった場所は中庭に吸収され、芝と樹が植えられて憩いの場になっている。
その数年後、悪ガキ三人共が第一級魔術師になるとは、誰も予想してなかった頃の話である。
「へーへー。わかりました、わかりましたよ。師匠様が頭を下げてくださったんだよなぁ。へいへい。──……あと、二、三冊持ってく」
アルフィードは師のお小言が始まるのを予感して、冷めた紅茶を一気飲みすると立ち上がった。
「──ああ、頼むぞ」
ギルバートはアルフィードの手の上にある一冊の本の上に、特大サイズで分厚い本を四冊乗せた。目を細めて何か言いたげなアルフィードに、ギルバートは「マジで助かる」と言って笑みを浮かべて頷いたのだった。
ずっしりと重量のある本を抱え、アルフィードは溜息一つ吐いた。
「……あー……で、ギル。他に古代ルーンに詳しい魔術師って、アンタ当て無い?」
「他に?」
「俺、そもそも古代ルーン魔術の使い手探してるんだぜ?」
「ああ、そうだっけな。負けたままは嫌なんだっけ、お前」
「……おう」
「難しいなぁ。最近は誰も古代ルーンには手を出さねぇし。深く突っ込んで学んでるやつも居ないと思うが……論文もここ二十年は出てねぇよ」
「そうか。わかった」
あっさりと引き下がってギルバートに背を見せるアルフィード。
──四年位前だっけ、背、抜かれたのは。
ギルバートは弟子の背中を見送る。
──……こいつはこういうヤツなんだよ、師匠をあんまり頼らないんだ、基本的によ。
自分の事は自分で、出来る限りに自分を高め、出来ない事があっても出来るようになるのが当たり前と考える。アルフィードとはそういう男だ。それが、ギルバートの誇るべき弟子。
「──ああ、いや、待て。確か総監が最近、古代ルーン魔術関連の書籍を執務室に持ち込んでるって話だな」
呼び止めるように言うギルバートに、アルフィードは不信たっぷりの視線を送った。
「言ったろ? エナ姫の正体を知らねぇヤツだって」
「ああ……そうか……。しかしそれもお前の仮定なんだろ? それから、そうだな、総監の弟子も割といけるらしいぞ」
「……今の総監に弟子なんていたか?」
「まぁ、弟子という関係よりも、孫、という目で見る方が多いから、弟子だと記憶してるヤツは少ないんだろうな」
ギルバートの言葉にアルフィードははたと気付く。
「総監の孫……ラヴィル・ネオ・スティンバーグか……」
両手がふさがっていなければ、フゥムと顎をなでたいアルフィードだった。第一級魔術師最年少に、古代ルーン魔術がどれ程使えるのか尋ねるのを忘れていた事を、アルフィードは思い出した。自分より年下なのでつい、自分より使えるはずが無い、などと思い込んでいた。
そんなアルフィードに、トレードマークの人なつっこい笑顔でギルバートは言う。
「じゃ、解読、よろしくな」
「おう」
両手に五冊の本を抱え、アルフィードは、あと六週もすれば主を失う部屋を、出た。
アルフィードが次にこの部屋を訪れるのは、その後の事になる。