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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
最終話『光の道』
134/139

(134)【1】夢(6)

 ゼクスの焦りは大きい。

 王妃に憑依している“中身”は、その妄執は──……きっと“ソフィア”を凌駕する……あれは餓えに餓えて、一度も“幸福”を実感したことがないのだ。

 ──急いで戻らないと……!

 しかし、逃した王妃に追いつくには精霊が足りない。王妃は泥人形を使って集めて砕いた精霊を青い珠に集めて持って行った。

 ……逡巡したのは三秒、すぐに決断する。

 ゼクスはここにいた面子アルフィード、カイ・シアーズ、ネオ、シャリー全員が王都ヒルディアムの地下王墓へ戻る術を描き始めた。

 青白い文字のひとつひとつは小さく、しかし密度の濃い光りの粒はあっという間にゼクスの周囲に輪を描いて埋める。

 ──厳しい……。

 上質な魔力の塊はゼクスから次々と吐き出されるが、そのエサに対して精霊は普段の十分の一も集まらない。

 シャリーが嵐のような雨雲から回収した精霊は、ゼクスが王都から飛んできた時と比べようもなく少ない。

 王都は霊脈瘤、精霊の溜まり場、溢れかえる精霊を無尽蔵に使えた。翻って今、精霊が少なすぎる。不足を補いきれない。魔力そのものを流用するには余りにも効率が悪すぎる。

 さらに魔力を、魂を削って飛ぶしかない──ゼクスは瞳の色を紫紺色のまま元に戻さず、上位精霊キリーの力に手を伸ばす。

 今までキリーの記憶をちらりと覗き見てしまう度、夢にもこぼれてくるのを感じる度、ディアナの言葉をゼクスは思い出さずにいられなかった。

『上書きされる感覚──』

 意識が、己が己である精神が、別の誰かに乗っ取られそうな危機感。

 強烈すぎる上位精霊の──“そうなるにふさわしい”生き様の──記憶(ストーリィ)は、たかだか二十余年にすぎないゼクスの人生など、意識など軽々と飲み込んでしまいそうで……。

 ゼクスは出来うる限り、前世キリーの記憶にふれたくないと常々思っていた。

 しかし、キリーの言葉の通り『記憶は力』……力を引き出すにはやはり、その記憶を受け入れなければならない。

 その上で、自分を見失わないように──……。

 両目を細くして、額の真ん中に凝る熱を逃がそうとする。

 力が必要なのに、力を……記憶は求めたくない。

 ジレンマにキリーは下唇を食む。

 ──こんなこと、一体、俺、何のために……誰のためにやってんだ……?

 古代ルーン文字を描きあげる視界がわずかに揺れて、遠のくような感覚。

 視界や意思は乗っ取られないまま、脳裏の片隅に流れ込んでくる──吐き気のするような“他人の独白”──。

 ──唾棄すべきだ。神だなんて嘘だ……。



 消えないものがあるとしたら、

 それは、

 死者が生きている者に遺す、強烈な想い。

 いや……

 ちがう……

 遺された者からの、死者への……



 キリー・フィア・オルファースの記憶は、いつもどす黒い、痛すぎる後悔を孕んで襲いかかってくる……。

 


 ゼクスにはすぐ、それが何の記憶か察しがついた。

 キリーが十五歳──ディアナが七歳の時の記憶だ。


 キリーとディアナが出会った時の話──。

 当然のことながら、古代メルギゾーク魔道大国が世の大半に影響を及ぼしていた頃の話になる。

 当時、紫紺の瞳の存在は多数確認されていた。その中から真の王──“紫紺の瞳の女王”を見つける事が常に急務とされていた。

 疑いのある少女が見つかると上級魔術師がそばについて離れず面倒を見ることになる。

 十五まで面倒を見て覚醒がなければその者は王ではないとみなされ、開放された。大体は強力な魔術師に育っているので損失は一切ない。

 第八代目の女王になるディアナは深い森で見つかり、土地の領主に魔力封じの牢に閉じ込められていた。逃げられないようにと……。

 精霊と隔絶されたディアナはしくしくと泣いた。寂しいと……。

 この七歳のしおらしいディアナの姿をキリーは知らない。

 ディアナの幼い心はその牢で失われるからだ。

 一緒に捕えられてしまった妹を抱きしめ、逃げ出したいと、力が欲しいと願ったディアナに──……七人分の苛烈な記憶は降り注いだ。

 間も無く、十五歳のキリーがディアナを回収するように中央王都メイデンからやってくる。

 実力で上位魔術師の仲間入りをしていたものの、低級貴族出身ということで軽く扱われており、今回も山奥へと行かされたのだ。

 この頃、王都では十二歳になるセフィリアという少女が王として有力視されていたこともあり、「どうでもいい任務」だった。

 領主の下へやってきたキリーは、精霊とのふれあいの少ない民の増えた土地を軽蔑していた。

 魔術師でなければ精霊を感知出来ない。辺境は、魔術師も少ないという事実を思い知らされる。

 前代の“紫紺の瞳の女王”から時間が開きすぎているのだ。五百年は長すぎる。

 このままでは遠からず、メルギゾークの没落は始まる……。

 民に魔術師が少なければ領主にもその知識は薄くなりがちだ。

 ここの領主もまた、平気で精霊を酷使していた。

 魔術に拠らず、人力で建てたであろう領主の城は地上三階建ての、王都を知るキリーにとってはこじんまりしたものに見えた。

 田舎故に防犯意識も薄いのだろう。魔術的結界もない城だ。得る価値もない土地。

「こちらでございます」

 木製の両開きの扉が開いて、領主を名乗った男は十五歳のキリーに会釈をした。

「……この城の精霊達は随分と弱っていますね。どうなさったんですか?」

「そんなことはありません。皆、生き生きと我々の力となっております」

 お前の所有物かと毒を吐く事はこらえた。

 しかし、通された奥まった場所にある塔の地下、魔力封じ──精霊を隔絶した──牢を見てキリーは驚いた。

「なぜ……?」

「逃げだそうとしたので」

 平気な声音で言う。

 囚われている者を子供だと思っていない。犯罪者への言葉を使う事にキリーはおののきそうになる。

 万が一この領地から排出された子供が王と分かれば、そうでなくとも将来有望な魔術師となることがわかれば、この領主、領地には大きな出世か莫大な報酬が待っている。

 逃がすわけにはいかない、己のために──……そういうわけか。

 紫紺の瞳で“悪いもの”に憑かれていない場合もよくある。

 精霊にただ好かれ、ただとともにあるのが普通に育つ者だ。

 そのように育っていたなら、突然、精霊との隔絶されたら底なしの闇にでも突き落とされたような孤独に陥ることだろう。

 キリーはため息を吐いてから領主をひと睨みした。

「……な、なんだ君は! 中央から来たから手厚く迎えてやってるのに、なんという態度だ! 言語道断だ!」

 確かにキリーは出自からも険の入った態度が常だ。そうしてスッと面の色を消し去る。

「……これだから精霊との対話を絶った馬鹿の相手は出来ないというんだ……」

「は?? 精霊など私の支配下にある。お前こそ馬鹿げた事を言いおって。下級貴族のこせがれ風情が」

「その下級貴族のこせがれ風情でも、残念ながら現在、上級紫布魔術師三位を預かっている。慎まれよ」

「………………ガキが、偉そうな口をききおって……」

 結局、領主は壁に向かって呟いていた。

 睥睨して、キリーは『愚者ばかめ』と思う。

 塔の地下への階段の終着点、手の平より小さな窓が足元にひとつついただけの扉に向かい、キリーは僅かなルーン文字を描く。簡単すぎる施錠魔術。想定以上にこの地域の魔術師は低レベルだ。さっさと解呪して扉を開けた。

「な、なにを勝手に! ここは私の土地だぞ、勝手な行動は……!」

 言葉の途中で領主は見えない力に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。

「慎まれよ。これで二度目です。三度目はありません」

 単なる魔力の放出で呻く程度にダメージを受けている領主には一瞥もくれず、キリーは牢へと入った。

 窓はなく、天井はやけに高い。その頂点で煉瓦をひとつ抜いただけの小さな空気穴。ただただ暗く、精霊もおらず、じめっとしてカビっぽい臭いが鼻をついた。呼吸すら厭いたくなる。

 狭い円形の牢の中央で、子供が二人。寄り添うように小さな女の子達が膝を抱えて座り込んでいた。頭は膝に埋めていて、どんな表情なのかわからない。

 領主も尻もちのホコリをはらいつつ、しぶしぶついて来た。

「ほら、ちゃっと立って挨拶しろっ」

 キリーの横をすり抜け、領主は大きい方の子供の腕を引っ張り上げた。

 だらりとして、子供は微塵も動かなかった。下を向いていて顔も見えない。紫紺の瞳をしているのかどうかの確認も出来ていない。

 だが、キリーはすうっと息を吸い込んではっきり告げる。

「法令に従い、貴女を中央で監督する。私はキリー・フィア・オルファースです」

 子供はびくりと震え、わずかに頭を浮かした。

 ──紫紺の瞳を持つならば、俺の魔力に、俺に付き従う精霊に気付くだろう? さぁ、顔をあげろ。

「挨拶を……!」

 領主の声にはキリーから受けた扱いへの八つ当たりからか、苛立ちと叱責がこめられている。

 子供は俯いたまま、キリーからは目を逸らしたまま、腕を掴む領主を見た。

 幼い声帯特有の高い、その上、小さな小さな声で告げる。

「──あんたに用はないよ」

「……ぐっ! 無礼だ! 舐めおって!!」

 領主は子供の手を振り落とすように離すと、キリーを置いて廊下に出ていった。

「──名は?」

 キリーが尋ねると、子供はやっとキリーの方を向いた。

「ディアナ」

 目があって、キリーの心臓は大きく揺れた。

 この時、その瞬間、キリーは己の人生が決定付けられた事に気付いていたのかもしれない。

 力たゆたう紫紺の瞳──。

 ディアナの声は実に素っ気無かった。しかし、その瞳の放つ妖しげな、底の知れぬ光は、キリーの心を鷲掴みにしていた。

 これは耐えきれぬとキリーは僅かに目を逸らし、三秒を数えて平静をよそおう。

 そう、いつもの言葉を言えば良い。

「その色の瞳で生まれた子供は十五歳になるまで中央政府の監視下で生活するきまりになっている。おいで」

 そう言ってキリーは手を伸ばす。が、ディアナはまだ座っていた妹を立たせ、手を繋いでキリーの横を通り過ぎた。

 キリーは眉間に皺を寄せる。

 見た目ほど、態度からは幼い印象を受けない。

 上がっていた報告書には森の中で育った推定七歳の野生児と記されていた。

 領主もこんな扱いをしたのだ、人間そのものへの警戒心があるのか。

 ため息を吐き、牢を出て行った小さな足音の方を──廊下を見た。

 瞬間、ゴンっと強い衝撃音が響く。

 慌てて牢を出ると、領主がディアナの首をつかみ、彼の肩の高さまで持ち上げて廊下の壁に叩きつけていた。

「このガキっ!!」

 青筋を立ててさらにもう片手を加え、渾身の力でディアナの首を絞めようとしている。

 ディアナの足は宙に浮いていた。

 顔は既に赤く、息苦しさと苦痛に耐えている。が、眇めた目は、紫紺の瞳は挑発的な色で領主を睨んでいる。

 ──この子供は……!

 キリーはひゅっと息を吐く間にルーンを描ききっていた。

 領主はディアナの首から引き剥がされ、掴んでいた時のままの姿勢で天井に打ち付けられた。すぐに頭を下にした状態で、天井から吊り下げられる。その頭はキリーの目線より少し高い位置にある。

 放り出されたディアナは地面へ落ちる寸前にキリーの伸ばした両腕にすっぽりと収まっていた。術を描いた後に、ディアナの下に滑り込んでいたのだ。

 ディアナは首をさすってケホケホせきこんでいる。

 ほっと息を吐いたキリーはディアナを丁寧に抱えなおした。

「どのようなワケがあろうとも、他者の命を奪う事は許さない」

「……クッソォ……この、ガキが!! お前なんぞ見つからなけりゃあ!」

 キリーは不審に思った。ガキというのはディアナの事だろう。

 紫紺の瞳の者を探し出し、王が見つかればその土地の領主は国から多大な援助を受けられる。それこそ一攫千金もいいところなのだが……不正でもしていて発覚を恐れているのか。

 咳き込んでいたディアナはベーっと舌を出してにやりと笑った。

「ばーか。お前ばーか」

「君も、そういう言葉は慎みなさい」

「なんでよ!?」

「今、彼を挑発する理由も意義も無い。無駄に時間を浪費するだけだ」

「……人を馬鹿にする事は許さない、とか言われると思った」

「時と場合によるだろうから……何故、首を絞められていた?」

 今度は年相応の顔で、ペロッと舌を見せるディアナ。

 初めて見る紫紺色だとキリーは思う。これを見紛うことは無い。

 赤と青の熱っぽい色が瞳の中で交わり揺らめく……きっと、きっと俺は……──。

 


「──きっつい」

 脳の隅っこで幻視のように再生される映像。その強い感情の波──。

 ゼクスはかき乱される心を押さえ込んで、しかし、体の、魂の内側から溢れてくる魔力をずるずると引き出して術に力を与えていく。

「くっ……は……ちょ……もしかして、また次の……?」

 これ以上は引っ張られそうだ。

 ──……なるほど……だけど、キリー、あんたは“ろくでもない”というけど……それにはちょっと、重すぎる……。

 意識して目の前に広がる廃墟を注視する。特に何かを警戒する為ではない。

 ゼクスの為に精霊を最後まで掻き集める銀髪のシャリーを、意味もなく見る。

 隣に近寄りその手伝いを始めるネオにも目線を流す。

 カイ・シアーズやアルフィードは手や肩を回して力を抜いている。

 ゼクスの様子から、戦闘の終わりを感じてはいないらしく、身体強化の術は解除していない。

 そう、これが目の前の確かな現実。

 脳裏にまた浮かび上がる幻がある。

 ゼクスは抗う覚悟と準備を済ませ、再びルーン文字を描く指先に集中した。

 魔力を身の内から引き出すと、やはり幻も滲んで止まることはない。

──これは……メルギゾークとしては最盛期にして末期の…………。




 二十万の敵・西方の蛮族を瞬く間に屠り、魔道大国メルギゾーク王都メイデンへ戻ったディアナはまる一日眠った。

 女王に常に付き従う宰相キリー・フィア・オルファースの手により、政務も滞ることはなかった。

 第八代目紫紺の瞳の女王ディアナディアの即位以降、国は力を取り戻し、息を吹き返した。花開くように円熟を迎えてなおますます力を付けている。

 朝焼けが王城を染める頃、唯一、ディアナの私室への自由な出入りを許されているキリーはさらさらと青白い文字を描く。

 私室への入り口は魔術でしか開かない。転送術で物理的な距離は遠く移動しているのだ。

 女王の私室の正確な場所は王都メイデンには無く、世界のどこかにあるとだけ、伝えられている。

 ただでさえ空間をねじ曲げて飛ぶ転送術の習得は、ただ一度の失敗で命を損ねるほど難度が高い。その上、行き先も合い言葉(キィワード)もキリー以外に誰も知らぬため、侵入者は過去ひとりとしていない。

 ディアナとキリー、ただふたりきりになれる唯一の場所だ。

 戦後処理に通常業務にと休む間もなかったが、集中をきらす事もなく全て済ませると、キリーはディアナの私室へと飛んだ。

 窓はなく、壁に空と大地が描かれた部屋。

 相変わらず足の踏み場の少ない散らかったディアナの私室を進み、キリーはベッドの傍らに立つ。

 全身の力がほっと抜けて、体を締め付けていた疲れがほどけてゆくのを感じる。

 見下ろすベッドでは、枕を無視して垂直の方向で大の字で眠る主、女王ディアナの姿がある。

 目を閉じたままのディアナがスークゥースークゥーと子供の頃と変わらぬ寝息をたてている。やはり昔のままの酷い寝相だ。いくら補正しようとしても野生児のまま。

 キリーはベッドサイドでそっと膝をつくと、ディアナの髪を撫でた。

 ディアナディア女王の治世は八年目を目前としている。

 初代以外、六人の女王達がどうしても突破出来なかった“二十歳の壁”もまた目の前に迫っていた。

「必ず俺が守るから……」

 ディアナの絹糸のようなさらさらの黒髪を指先で弄び、キリーは目を細める。

「ともに生きよう……ディアナ」

 意識のない女王にだから告げられる言葉。

 キリーは一生、胸に秘めておくと決めている……その強い想いを……。

 すべて、焦がれて止まない紫紺の瞳を閉じ込める瞼へ、口づけとともにそっと落とした。




「っあー! これは削れる……! 精神削れる……!」

 せっせと術を描くゼクスは思わず言葉にした。

「なんだ? 何の話だ」

 手伝えることもなく地面に腰を下ろして休憩していたアルフィードがゼクスに問う。

「なんでもないよ!」

 キレ気味に返すゼクスに、アルフィードはカイ・シアーズと目線をあわせて肩をすくめるのだった。

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