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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
最終話『光の道』
130/139

(130)【1】夢(2)

 泥の屍の集合体は三階建ての建物の大きさに膨れた。

 膨張は続き、泥の塊はかき集められた精霊のみならず、放出されているネオの魔力すら取り込んでいく。

 回転し、内側で力のすべてをゴリゴリと喰い散らかしながら巨大化し続けた……。

 何とも形容しがたい、意味ある言葉として聞き取る事の出来ない絶叫が……振動がネオの身を貫く。魔術師の感覚をビリビリと刺激する。

 精霊の断末魔とでもいうべきか、その悲鳴は魔術師達の鍛えた感性には深く刺さった。

 痛みを伴うほどの冷気を押し当てられているように感じ、シャリーなどはいちいち顔をしかめていた。 

 各々、感覚的に身体の表層に薄い魔力の膜を巡らせ冷たく響く衝撃波を和らげた。

 泥の表面には気泡が生まれてはぷつんと弾け、辺りに腐敗臭を撒き散らす。

 泥の屍の集合体は回転を続けた。

 乾いた砂は舞い上がり、臭いは視覚化されて辺りに振りまかれる。

 回転にあわせ、泥の周囲に青白い文字が一行ずつずるずると吐き出される。球体の表面に浮かび上がる古代ルーン魔術。

 アルフィード達は目を凝らして見上げた。

 手を出そうと思えば出せなくはない。しかし黙って見ている。

 変異体を滅する事が目的でやってきて、ここで無駄な力は使えない。既にネオは魔力のみならず精霊も「かなり持っていかれた」と言っている。

 現代ルーン魔術でも治癒術の応用で相手の力を奪うものがありはするが、今、まだ敵の正体は見えない。

 ネオは、まだ肩をゆっくりと揺らしている。平静を装っているようだが、無理矢理力を奪われた事でダメージが体に残っているのだ。通常よりも大きな疲労という形で。

 全員無言で一致、見極めると決めた。

 吐き出されたルーンはじんわりと輝くと再び泥に飲まれる。

 泥は不可視の巨大な手にこねられている粘土細工のようだ。ぐねぐねと大きく形を変えていく。

 ややもせず、人型へ――泥の屍の姿に変わっていった。ただし、大きさは建物三階分程度。

 数百体の泥の屍は、ネオの魔力と精霊を吸い上げ、一体の巨大な泥の屍になった。屍の腹の辺りには精霊らしき力が感じられた。

 回転を止め、形を成した泥……屍はゆらゆらと宙空を降りて来る。

 重く、ゆっくりと降り立つように、じわじわと。

 足の裏が着地して、その重みが大地にかかり始めると、そのまま形が崩れた。せっかく屍の、人らしき形をとっていたものが、高さが下がる程、ぐちゃりと泥として拡がっていく。同時に耐え難い腐臭が風に乗った。

 シャリーが眉間に皺を寄せて目を瞬いた。アルフィードは臨戦態勢を解いて、腕を組む。

「何がしたいんだこいつは……」

 それからしばらく待って、巨大な泥の屍は頭の先まで、地面の上で溶け、拡がった。

「……少し、下がりましょう」

 カイ・シアーズは隣に居るアルフィードの返事を待たず、二歩、三歩と下がり、最終的に十歩以上退いた。ネオもシャリーの腕を引いて泥から距離を取った。

 結果として、ネオ・シアーズとシャリー、アルフィードとカイとの距離は開き、その中間に泥が腐臭を放っている状況になった。

 またしばらく待って、ボコンと泥は揺らぎ、一体だった巨大な泥の屍は、二体のやや大きな泥人形になって、がくがくと揺らぎながら地上に立ち上がった。その形で落ち着いたらしい。

 建物一階分ほどの大きさだが、重力に逆らえなかったのか、先ほどまでの貧弱な屍というイメージには程遠い、鈍重で横に大きな泥の人形のように見えた。

 巨大化し、泥人形はその分動きも遅くなっていた。

 皆、距離を取ったが、泥人形はその距離を詰めるのにも時間を要している。

 相対するに酷すぎる状態の敵にネオも首を捻っている。

 臭いに辟易としながらシャリーも肩を竦めていた。さっさと焼いてしまえばいいのに、とさえ思っていた。

 そこへ感情の無い、冷静な声が届く。

『何らかの魔術で形に繋がれているのでしょう。いずれの魔術であれ、力を断ち切ってしまえば良いはずです。さっさとただの泥に戻してしまいましょう、時間の無駄です。ただし、あの腹の辺りにある力には注意を怠らないで下さい。正体がはっきりしていませんからね』

 カイ・シアーズがアルフィード、ネオ、シャリーに魔術で声を飛ばしたのだ。

 二体の大きな泥人形はそれぞれネオ・シャリー組、カイ・アルフィード組分かれてゆらりゆらりと近寄ってきた。

「ったく、臭ぇのが一番堪える」

 アルフィードは悪態をついてカイ・シアーズを見る。

「断ち切るだけでいいのか?」

「何の臭いなのか気にならなくはないですが……古代ルーンによる構成術ですしね……ですが、対呪術・呪術パペットの魔術で充分でしょう、動きを見ても、ただの操り人形のようですし」

「あいつらにも伝えるか?」

「彼なら――ネオなら気付いています」

「わかった」

「私が描きます。アルフィード、貴方が使って下さい」

 カイ・シアーズはそう言うと目を細めて指先に魔力を集めルーン文字を描き始める。

 アルフィードは小さく頷いて、短いルーンを描くと、ゆっくりと歩み寄ってくる泥人形へ駆けた。

 手元に魔術の刃が生まれている。

 青白い刃はアルフィードの右腕一本分の長さで伸びている。

 アルフィードは軽快な足取りでグラリグラリと頭を前後に揺らしている泥人形に近寄り、手、肘、足首と次々と切りつけていく。一太刀では切り落とせない。どうやらこの刃の魔術が弱いらしい。魔力の出力を上げ、さらに後方で術を描くカイ・シアーズを見た。彼の描く対呪術・呪術パペットの魔術の座標を指定して、手元の刃に取り込んでいく。二者の描く合成術。

 難易度はかなり高い、なにせ自分が描かない、リアルタイムで描かれる魔術を取り込み続けるのだから。仕上がりのわかった紺呪石の魔術を取り込むのとはワケが違う。一瞬一瞬で強弱もある人の息吹にあわせるように、双方がお互いにすり寄せて術を形にしていく。息を合わせるだけでなく、それを力に変換していかなければならない。しかもアルフィードに至っては魔術を描いているだけなく、泥人形と対峙をしている。それをアルフィードは飄々とやってのけ、またカイ・シアーズも静かな面持ちで術を送り届けている。

 アルフィードの次の一太刀は、泥人形の手首を刎ねていた。


「……あれを、やるんですの?」

「シャリーはカイ様がやってるように対呪術・呪術パペットの魔術を描いて。出来る?」

「ええ、術自体は」

「じゃあ、頼むね」

 さらりと言ってネオは自身の右手にアルフィードと同じように剣を生み出し向かってくる泥人形へ歩みを進めた。

 シャリーは唇を噛んだ。

 一人だけ第二級の魔術師でここへやって来たが、力の差があまりに歴然としていて焦りが生じてくる。しかしそれを気にしても今更どうにもならない。

 ルーンを描き始めたシャリーのこめかみにうっすらと汗が滲む。

 魔術が精霊に伝わり難いこの場所で、高難度の術を──焼くだけじゃ駄目なのかしら──とシャリーは少しだけふて腐れて、諦めの悪い事を考えていたが、目を細めてそれらを頭の中から追い出し、集中していく。

 ──出来ないなんて、言えるわけがありませんわ……

 そして、ネオもアルフィード同様、泥人形を切り刻んでいく。腹から切り離されていく部位は、地面へ落ちる前に蒸発するようにサラサラの砂に変わり、大気に溶けて消えた。

 そして、いざ腹の部分を砕こうと切りかかった時、文字通り地の底、穴の底から、獣の雄たけびが複数響いた。

 その数は二つや三つではない。十や二十でもないだろうが、それ以上の数としかわからない、やたら多い。

 さしものアルフィードも咄嗟に泥人形の腹から距離を取り、退く。ネオもシャリーのとなりまで下がった。

 二つの泥人形の腹が、重い音を立てて地上に落ちた。

 穴の淵に、青白い光が、見え始めていた。



 穴の奥から青白い毛並みがのぞく。

 垂直の穴を、重力を無視してゆらゆらと大気を歩く。大きさも形も狼によく似ていたが、その瞳は凍えるような青。

「……泥に気を取られてしまいましたね、下が動いていた」

 カイ・シアーズが呟いた。

 アルフィードが隣に来て魔術を解いたのにあわせ、カイ・シアーズもルーンを描くのをやめた。

 青白い獣は大地に降り立つとストストと泥の腹に駆け寄り喰らい始めた。泥の部分がさらさらととろけて砂になり風に流されていく。食べているのはそこにある精霊であった“エネルギー”──。

 泥が抱えていた精霊を取り込んで変異体は一層きらきらと輝く。それが簡単に数えて百匹は確認出来た。

「まじかよ……サイズは小さいが、あいつら大きさ関係ねぇだろ……たぶん」

 首だけの形になっても強烈な力を見せ付けられたアルフィードは、舌をちろりと出して片方の口角を下げた。

 穴から出てきた変異体はぞろぞろと泥の腹に近寄ると、砂の飛沫を飛ばしながら、まるで野生の肉食獣が草食の獣を蝕むように、喰らっている。

 それをどう遮れというのか。ここへ来て、未知の出来事ばかりだ。

「あれが変異体……というわけですか。初遭遇、加えて戦力となる精霊が少ない中、精霊の協力が得られにくい術で戦う相手が、この数……ですか」

 カイはアルフィードと視線を交わした後、ネオとシャリーの居る元へ駆けた。

「カイ様……」

 既に疲労の色が見え始めているシャリーがカイを見てすがる様に言った。

「……数が」

 カイは一度頷いて、静かな声で言う。

「役割を分けましょう。シャリー、君は私達三人に防護魔術を張り続けて下さい。紺呪石だけでは相手が多く、カバーしきれないでしょうから。術は慣れているもので結構です、出来ますか?」

「はい」

「ネオ、例の対変異体の術ですが……」

「問題ありません」

 即答するネオにカイ・シアーズは微笑んだ。

「では、ネオと私で術を描いていきましょう。どちらかが描けていたら問題ないはずです、臨機応変に」

「で、俺が前に出りゃいいんだな」

「ええ、お願いします。ただし──」

「ん?」

「一体一体に描いてやれる程こちらには魔力も精霊もありませんからね。極力変異体が一箇所に集まるように仕向けて下さい。タイミングを見て術を落とします」

「わかった、それでいっとくか」

 そう言ってアルフィードは大きく息を吐き出した──正直、重すぎる荷だ。背を合わせるように師が居たならば……そんな事を考えてから口元だけニヤリと微笑った。

 無いものねだりだなんてあまりにらしくない。

 顔を上げて肩から前にまわってきていた束ねた黒髪を後ろへ払った。既に、十個近い紺呪石で身体能力を強化しているが、さらに四つの石の力を解放した。

「アルフィード、大丈夫ですか?」

 カイ・シアーズが、どちらかと言えば清々しい顔をしているアルフィードに声をかけた。

「何がだ?」

「いえ──」

「なら、はじめるか」

 身体強化の術を、人の体は一定数までしか受け入れられない。一般的には十以上はかけないようにするものだ。体への負担が大きすぎて、術の後、副作用が懸念される。その数が十という数字なのだ。

 カイ・シアーズはアルフィードの身を包む魔術の数をおおよそ把握していた。だが、同じ第一級の魔術師でありギルバートの弟子たるアルフィードだ、心配を打ち消した。

 アルフィードは大胆かつ慎重に場所を選んで飛び出し、百に及ぶ敵変異体を一度引き寄せた後、攻撃を打たせて避けると一気に距離を取った。

 直後、アルフィードの背後から強烈な魔力波動が轟音とともに走り抜けてきて、稲妻として変異体の群れに落ちる。

 一点に落ちた稲光は弾け、強い黄色の輝きが幾筋も走り抜けて変異体を貫く。

 変異体たちの狼に似た口からギャンと一鳴き飛び出た。次の瞬間にはそれらの形が二色の絵の具が混じり合うように歪んだ。

 変異体の体は抵抗もできず十数秒稲妻に焼かれた。青かった瞳は虚ろになり窪んで、そこには何も無くなる。

 目が力を失うのにあわせ、すうっと青い毛並みから色が消失し、端から大気に溶けて形そのものが無くなる。

 ──これが、対変異体術。

 対象の形の中からの“エネルギー”──魂を消滅させ、形すら失わせる古代ルーン魔術。

 アルフィードは稲妻が落ちたのを確認した後、次の集団へと駆ける。

 滅したかどうかは見ていない、余裕がない。

 敵襲団に飛び込む故、服はあちこち変異体の爪や牙によって破られ、何箇所かうっすらと血が滲んでいる。

 シャリーの防護魔術とアルフィードの大量の紺呪石の魔術で守られているにもかかわらず、傷は増えていく。

 それらを見ぬフリをしてアルフィードは出来る限り変異体を集めては、カイ・シアーズかネオの対変異体魔術を待ち、術が届くとすぐに他へ駆けた。

 王城地下で出会った変異体より少し、スピードもパワーも劣る──それがアルフィードの感じた印象ではあるが、一撃一撃が鋭く重い事は変わりない。

 肉弾戦ならば国内で一位二位を争うであろうマナ姫の忍びが変異体を相手に致命傷を負った。その時点で一対一ならばあの忍びの命は無かっただろう。

 初めて遭遇したあの変異体より弱いとはいえこの数だ。いかに戦闘タイプであってもアルフィードは魔術師なので苦しい展開である事に違いはない。

 アルフィードの動きがやや鈍ってきた頃、フォローしきれなくなった変異体数頭が時間差をもって魔術を描いているカイ・シアーズとネオに向きを変えた。

 人間程の知能は無いながらも、ようやっとカイ・シアーズとネオの魔術を危険だと感じたのだろう。

 二人の横で魔術を描き続けていたシャリーが顎をぐっと引いて白い肌に血管を浮かせた。

 最初に四つの防護魔術を描いておいて、それを制御する魔術を一つリアルタイムに描きながらコントロールしていたシャリーだったが、とっさに術の構成を変えていく。

 緩やかに動いていたその右手は一気に忙しなく新しく術を描き始める。

 制御魔術を時限性のものに切り替え、対象を自動追跡させる。さらにその時間内でこちらへ駆けてくる変異体に対抗する為、シャリーの考え得るより強力な防護魔術を張り、その魔術の前に大地の精霊に助力を願うルーンを描く。

 駆けてくる変異体に対し、地面から先の尖った岩が針山のように数百本生え、大地が変異体に対しせり上がる。

 極限に加速した変異体はシャリーのこの魔術に頭から突っ込んだ。

 激しい衝撃音の後、体制を整えた変異体らは後ろへゆっくりと下がった。それらの頭や体にはいくつも穴が開いていた。が、動きが鈍るような事は無く、すぐに対変異体魔術を描き続けるカイ・シアーズとネオに飛びかかろうとする。

 しかし、冷静な青い瞳がとっくにそれを捉えている。

 カイ・シアーズの手元のルーンに青白い光が走り抜けて、その眼前に稲妻が落ちる。

 粉塵が舞い上がり、変異体らは抵抗する事も出来ず、顎をガクガクと揺らす。次第にその瞳からは色が消えていく。

 カイ・シアーズはアルフィードが引っ張っている変異体たちではなく眼前の敵に術を落としたのだ。

 シャリーは顔に砂埃がかかるのも気に留めずホッと一息吐き出すと、再び術構成を元に戻し始める。

 それらを視界の端で捕らえていたアルフィードも、小さく息を吐いた。

 攻撃手であるカイ・シアーズやネオを刺されたらアルフィードとて引き付けている変異体にいずれ追いつかれ食い殺されるのだから。

 目の前の変異体五体の動きを睨み、後ろへトントンと下がって距離を取ると、がつんと魔術が落ちてくる。これはネオが描いた方だろう。次弾を仕込むカイ・シアーズは既に魔術の終わりの方を描き、待機に入るはず。

 そうやってぎりぎりの均衡を保ちながら、アルフィードらは変異体の数を半分まで減らした。 

 変異体を穴へ追い詰めていく。

 そそくさと穴へ逃げようとする変異体も出始めた。

 カイ・シアーズとネオの操る変異体消滅に特化した古代ルーン魔術に、はっきりとした驚異を感じ始めているのだろう。

 致命傷は無いながらも全身に裂傷を負ったアルフィードの前からも変異体は後退していく。

 追いかけ、引き寄せ、連携した動きで次々と、確実に変異体を消滅させていく。

 最初は一体を斃せるのかどうかすら疑問に思ったものだが、やれば出来るもんだなとアルフィードは思った。

 だがその時、アルフィード達は疲労を痛感する事になる。

 穴から巨大な球体とともに莫大な魔力波動を孕んだ女がふわりふわりと熱に押し上げられるように宙空を昇ってくる──。

 視認によって衝撃を受ける。

 気付けいなかった。目の前の敵に気を取られて……。

 アルフィードに追いやられたのではない。狼は飼い主を迎えに自ら動いたのだ。

 変異体らは穴の淵で頭を低くして、アルフィードらに対峙する形で静止した。

 姿を見せた魔力波動の塊、その中心の女を見て──カイ・シアーズは臨戦態勢を捨て片膝をつき、頭を垂れた。

 一方、ネオ、シャリー、アルフィードの目は穴の上、巨大な球体の横に居る女に固定されていた。

 激しく動揺するカイ・シアーズに気付き、アルフィードは彼を庇うよう立つと訊ねる。

「どうした?」

 敵がまだ多く居るというのにカイ・シアーズはひざまずき、微かに震えている。

「カイ……おい……」

 時間は静止していない。

 うっとりとするような半眼で周囲をゆらりと見回す女──まだ、瞳の色は長い睫毛に遮られて見えない。純白のドレスが乾いた砂を孕んだ風に揺れた。

 奥歯に力がこもったまま、カイ・シアーズは独り言のように呟く。

「……王妃……まさか……しかし……」

 カイ・シアーズは既に第二級魔術師だった少年の頃、当時すでに宰相だった父に連れられ王妃とは面識がある──この件に王妃が真に絡んでいる事を目の当たりにして、カイ・シアーズは驚きを隠せない。

 ──このことを……マナ姫は……。

「えっ?! え?? あ、あの人──あの方が??」

 シャリーとネオは顔を見合わせた。

 王妃が姿を見せなくなった頃の二人は十歳前後で目通りした事はない。

 シャリーは顎に張り付いていた銀髪を汗ごと拭って払い、女を見上げた。

 女は左手をついと持ち上げている。

 薬指のシンプルな指輪――小さな丸い青い宝石に魔力が集められた。

 次の瞬間、女の足元に最大幅二十歩余りのひし形をベースとした魔法陣が拡がる。

「……へぇ……」

 面白いといった風ににやりと笑うのはアルフィードだ。

 王室に敬意を払うのが当然である貴族のカイ・シアーズ、ネオ、シャリーとアルフィードは違う。

 すでに対変異体魔術に変異体は逃げ腰になりつつある。

 権力などくそ食らえと吐き捨てるアルフィードには王妃が加わっても問題は無いと感じたのだ。

 だが、すぐぎょっとした。

 変異体らの毛並みが青みを増して輝く。

 微かなモスキート音を孕み、変異体すべてが同時に口を開く。

 アルフィード達に照準をさだめた変異体五十体あまりの口の奥一点に力がぎゅうっと集まる。

 ほぼ同時、ネオとカイ・シアーズの魔力波動が膨れ上がり両者は一瞬視線を交わすと異なる魔術を描いた。少し前に出ていい居たアルフィードの腕をシャリーが引っ張って後ろへ下げさせ──。

 変異体による白い光線五十本の一斉射撃。

 灼熱によって大地に焦げ跡を残して閃光が走り、直後、低い激突音が響いた。

 アルフィードの視線の先に二重の防護幕が生まれていて、一枚はボロボロに破れて風に流れて消えた。

 もう一枚は四人をぐるりと囲うように残っている。ゆらゆらと蒸気が立ち上り、光線の余波を遮断している。

 防護膜の外は、周囲に残っていたがれきが無くなり、床石の端々が高熱で溶けていた……。

 王妃のなんらかの魔術によって変異体は強化されたらしい。

「こいつは──ハードだな……」

 呟いてアルフィードは女――フリューセリア王妃を見上げる。

 王妃は上空でゆらりと顎を上げた。

 追従する長い髪は白。

 見下ろす瞳の色は──紫紺。

「……どういう事……ですの……?」

 うわずるシャリーの声が聞こえたのか王妃はふわりと微笑んだ。

 王妃は五十代の女性とは思えぬ肌つやをしていた。頬はほんのり桃色で、紅をさした唇はふっくりとして年相応に痩せていない。その唇がゆっくりと動いた。

 シャリーには言葉は聞き取れず、また唇を読んでみても違う言語のように思われてわからなかった。

 巨大な球体はアルフィードにとって見覚えがある。

 王城地下にもあったものだ。が、今王妃の隣にあるものは、中央が大きく抉れて穴が穿たれている。

 それでも、甲高いピーンという奇妙な音をたてている。

 王妃の瞳は、ディアナのように熱く潤んではいない。

 どちらかと言えば、普段のユリシスと同じ印象がある。

 アルフィードは、ディアナの言っていた紫紺の瞳に関する定義を思い出す。

『精霊にしろ悪霊にしろ、取り憑かれた者は大概そんな瞳の色になる。魂……部分で言えば精霊だな、それと肉体がうまく繋がっていない為にそれが瞳の色に浮かぶのだ』

 アルフィードは眉間に皺を寄せた。

 ──紫紺の瞳? ……災厄……。

 王妃の姿は、以前王城地下で見ている。

 その時、瞳の色なんて気にならなかった、それほど特徴を感じなかった……多分薄い茶色……その程度のありふれた色だったはずだ。

 それに、髪はあんなにも真っ白だったか? もう少しグレーで乱れた印象があった。

 どういう意味か考えようとしたが、アルフィードは無理矢理それを頭から追い出す。

 顎へと汗が流れる。

 全身の軽い裂傷や痛みは紺呪石を開放してかけた身体強化の術の内におさまっている。

 一般的にはあまり使われない軽度の麻痺……痛覚に対して鈍感にする術によってあまり感じていない。

 極限の戦闘中、痛みは邪魔になる。麻酔でおさえるのはアルフィードの常套手段だ。高度に集中力を要する両手で術を描く魔術の展開の仕方をするアルフィードはこの身体強化を使う。

 痛みは感じずとも身体はダメージを受けている。

 まなじりの入れ墨を歪ませ、顎を滴る前の汗を手の甲でぬぐった。

──あんまり考えてる時間はねぇな……。

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