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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第13話『ユリシス?』
126/139

(126)【4】ユリシス?(1)

(1)

 石畳のレンガは水分を含んだまま重そうな色をしていた。

 昨日までの雨は止んでいたが、空にはまだ灰色の雲が浮んでいる。微かにのぞく薄い青の切れ間はいずれ晴れる事を教えてくれていた。

 やや冷たい早朝の空気は澄んだ香りがする。気持ちをキリキリと締め上げてくれた。

 不純物の少ない酸素を胸に吸い込んでアルフィードは顔を上げる。

「さってと……」

 肩を鳴らしてから集まった面子を見渡した。

 ギルバート邸の前にはアルフィードの他、第一級魔術師のカイ・シアーズ、ラヴィル・ネオ、さらに第二級魔術師のシャリー、そして第五級魔術師のゼクスが集結していた。

 日頃から各地を旅支度で転々とするゼクスを除いて、誰もが普段より重装備だ。

 装備といったところで魔術師だ。いつもより動きやすい服装だったり、普段はポケットや鞄に数個忍ばせている程度の紺呪石を、今回はずっとたくさん所持していた。

 小指の爪にも満たない小さな石から親指二本分はある大きめの石までを腕や腰に巻いたベルトに埋め込んでいる。当たり前のように重さを軽減する魔術の込められた紺呪石をそれぞれが発動させていた。

「メイデンまで飛び続けるとしたら、着いた頃には全力で戦える体力無いんじゃねーか?」

 目的地――かつての魔道大国メルギゾークの首都メイデンには半日ぶっ通しで飛んでやっと到着出来るかどうかといったところ。続けて戦闘があるのならば、移動に伴う消耗は懸念事項だ。アルフィードの問いにはゼクスが答えた。

「“地穴”を繋ぐよ、王城地下から」

 容易く出てきた言葉にアルフィードは苛ついて一瞬だけ片目をひくりとさせた。

 “地穴”の術なら見た事があったからだ。

 霊脈瘤の一つでもある特別自治区エリュミスへ王城地下から向かったときにユリシスが――ディアナが使った古代ルーン魔術だ。

 術は膨大なルーン文字が踊っていた。

 第一級魔術師のアルフィードさえ圧倒されたのだ。誰がどう考えたって並々ならぬ魔術だろう。

 ゼクスについては王都内を主な活動場所とするアルフィードの耳にも届いていた。

 国内外の遺跡に現れてはそこに残された“知”を奪っていく遺跡ハンターがいると……。

 盗賊ならば必ず奪う金銀財宝には全く手を付けず、刻まれた碑文やルーン文字を削り取っていくハンターで、そんな真似をするのは魔術師に違いない――野良師だとすぐに広まった。正体まで知れ渡るのにそれほど時間はかからなかった。

 野良師とは、級を上げずに活動する魔術師の事だ。

 上級魔術師になればなるほど国やオルファース魔術機関から与えられる特権が増える。だが、同時に「あれをやれ」だの「この日に来なさい」など束縛もどっさりついてくる。

 より上級の魔術師になる方が金も権威も手に出来てうま味は確実に多い。任務も能力に見合っていたり、呼び出しも無理の無い日程である事がほとんどなので力が付けば級を上げない手はない。

 だが、いつだって金や名誉に価値を見出さない変わり者はいる。束縛を厭う魔術師がごくまれにいて、級を上げずに好き勝手するのだ。ゼクスがこの種の野良師だった。

 いつしか、裏家業の世界で最も有名な第五級魔術師――野良師として名を馳せていたゼクスがその遺跡ハンターであるとアルフィードも伝え聞くところとなった。

 人殺しなどの闇の仕事も多いアルフィードは、遺跡発掘が趣味らしい遺跡ハンターと関わる事になるとは少しも思っておらず、興味も無かった。軽く、野良師だからといって第一級魔術師ほどの力など無いだろうと踏んでいた。

 ところが、アルフィードも目を丸くせざるを得なかった“地穴”という魔術を、この野良師ゼクスは使うと言うのだから腹立たしい。

 繋ぐというものが何であるか、ゼクスとアルフィード以外はっきりと聞き取れていなかった。

 形の良いあごに指を当てシャリーは呟くように問う。

「……城の門番はこんな早い時間に開けませんわよ?」

 振り返らず、ゼクスは曖昧に微笑んだ。



「これで私も犯罪者の仲間入り……お父様になんて……」

 おでこを細く白い指先でこすって眩暈をこらえるシャリー。

「……今回の件が終わったら、警備を強化しないといけませんね」

 カイ・シアーズは腕組みをして先導するゼクスを見た。

「ねぇ~これは警備が悪いよねぇ~、入れちゃうんだもんね~」

 穴を開けた奴が言うな……とアルフィードは小さな声で呟いた。

 王都ヒルディアムの西にある洞からアルフィードらは王城地下へと侵入する。

 幾度目かというアルフィードやゼクスは慣れた態で、シャリーは落ち着かないのか、しきりに瞬きしながら奥へと進んだ。

 最後尾、黙していたネオが顔を上げた。

「……ユリシスは平気なんですか? 一人で置いてきて」

「あ~一応多重で何枚か結界張っといたから、よっぽどでない限り……よく考えたら……ヤツが居るんだからいらん世話なくらいだろ」

 アルフィードが前を向いたまま答えた。ヤツというのは現在ユリシスの体を御しているディアナを指している。

「あ、そうそう。君たち送ったら俺一度戻るから。だから大丈夫だよ~」

 先頭を歩くゼクスは後ろの全員を振り向いて軽く言った。

「は? お前来ないの?」

「あとから行くよ~」

 ゼクスは前を向き、手をひらひらと振った。理由を言う気は無いらしい。

 穴を降り、地下王墓へと進んだ一行は先を急ぐ。

 大の男達が早足で進むものだから、シャリーは時折小走りで離されぬようについて行くしかない。その度、ネオだけはシャリーを待っていたが。

 隠し部屋の穴を降りてきた分、高すぎる天井は見通せない。

 岩肌には地下水が漏れ出ている箇所もあるようで、不規則な間隔を空けて澄んだ音が響いている。

 奥へ歩みを進めるほど精霊の濃度が高くなっていく事を全員が実感していた。

「力ある大地に龍脈あり、といったところですね」

「りゅうみゃく?」

 カイ・シアーズの言葉にシャリーが問い返した。

「霊脈の事です」

 小さく「ああ……」と納得するシャリーに構わず、カイ・シアーズは続ける。

「精霊という“力”が認識される前、世界には龍神というものが存在していたと信じられていました。龍神の通り道に龍の力が滞留し、その力に良い影響を受けて近くの生命は活き活きとする――そう考えられていたようです。実際は多くの精霊が訪れ、あるいは通る為にその地域の自然が活性化していたわけですが。現在では霊脈と呼ぶ精霊の通り道を、当時は龍脈と呼んでいたようです。記録を疑わないならば、三千年も前の話ですよ」

 軽い雑談を挟みながら灯りの無い地下王墓の暗闇を歩く。誰の目も精霊の助力を得て見ているため何ら問題が無い。

 こつこつと足音をさせて五人はさらに精霊の濃度の高い場所へ進む。

 地下王墓の廊下は、上は見通せても高く岩肌がむき出しが続いているだけ。

 三日前、アルフィードとユリシスが歩いた辺りだ。

 精霊の特に多い場所でゼクスは足を止め、唐突に力ある文字を描き始める。

 相変わらず小さな文字だ。大きさにそぐわぬ量の精霊が、ゼクスの文字を描く傍からざわついて集まり始める。

「“地穴”……」

 この時になってカイ・シアーズは先ほどのゼクスの言葉を把握した。

「文字が……古代ルーン魔術ですか」

 ネオが問うと術に集中するゼクスに代わってアルフィードが「そうらしいぜ」と答えた。

 アルフィードは三日前にユリシスの内側から表に出てきたディアナが同じ術を使った時の事を思い出しつつ、小さな文字を描くゼクスの背中を見た。

 ディアナは“地穴”を使った時、「ユリシスでは出力が足りない」と言っていたはずだ。その術をゼクスは三分ほどで描き上げた。

 遅いか早いかで判断せよという答えには「文字量で言えば早い」という事になる。

 字が小さいと手の動きも減る分速度は上がる。

 一般的に、一文字の大きさに多量の魔力を圧縮するのは時間がかかる。が、ゼクスは慣れているのか事も無げにさらさらと文字を描き、その速度で魔力を練り上げている。

 術の終わりには、廊下の壁に人一人くぐれるほどの縦長の穴が暗く口を開けていた。

「じゃ~、いってらっしゃい!」

 疲労した様子も無くゼクスが手を振る。さっさと行け、という事らしい。

「俺らがいない間によけいな事するんじゃねーぞ」

「しないってば。基本的にディアナが居たんじゃどんな悪さも妨害されちゃうって。彼女、ああ見えて神経質で鋭いんだよ」

 睨まれても怯む事無く笑うゼクスだが、アルフィードがさらに目を細め「悪さ?」と低い声で言うと、冷や汗を垂らした。

「え、あ、いやいや、たとえだよたとえ! 悪さとか考えてないってば。えぇ~? やだな~」

 アルフィード、カイ・シアーズ、ネオ、そしてシャリーがゼクスの置いた地穴の術でメイデンへと飛んだ。



 ゼクスがギルバート邸に戻ると、一階リビングにユリシスの姿――ディアナがいた。相変わらず湿り気を多く含んだ紫紺の瞳が妖しく揺らめいている。

「連中は送ってきたけど?」

「ああ、ありがとう」

 リビングのテーブルの上には調理もされていない新鮮な肉――というよりも血なまぐさい生肉……、また瑞々しい野菜――というより青臭い雑草がゴロゴロっと転がっている。

「……それ、どうするの?」

「食べるに決まっている。ユリシスの体を守るのは私の役目なのだから。生身の生き物だし、何か食べないとな」

「その肉はどこで……」

 量は五人前ほどありそうだ。

 肉は形から推察するに鳥類のようだが、ゼクスのサバイバル知識には食用として記憶されていない。

 食用以外でこういう鳥はいたかなと考え、思い至る。爬虫類に近いグロテスクすぎる外見のせいで好まれなかった鳥だ。稀に食用としている国もあるが、珍味に分類され、ゲテ食い用の食材だ。鳥らしき怪しい食材はモグラも食すゲテ食いのゼクスすらひくような捌かれ方をしている。羽をむしったらしいぶつぶつの表面がたいそう気色悪く、分厚いクチバシはそのままで――そこでゼクスは少し目を逸らす。

「ちょっと行って……な」

 ディアナはニコッと微笑み、さらに「……やらんぞ!」と付け加えた。

「……」

 全力で「いらん!」と突っぱねたいところをゼクスは重くなりそうな胃をおさえて沈黙で返す。

 ──狩りをしてきたのか……どういう女王だ。

 ゼクスはこっそりと心の中で呟き、冷や汗を垂らしながら曖昧に微笑って見なかった事にした。

 記憶を遡れば――ディアナと時を共にした魂の記憶――ゼクスの過去世キリー・フィア・オルファースの記憶をのぞけば、ディアナが野生児だった事はわかった。

 紫紺の瞳は遺伝しない。

 ディアナを含んで八回、国内のいずこかに紫紺の瞳の女王は生まれている。

 初代紫紺の瞳の女王がそれまでの王国を滅ぼしてメルギゾークを興した。この時に今もヒルド国の国教として続くゼヴィテクス教が発生している。

 紫紺の瞳の女王という存在が続くことを誰もが悟った頃、四代目の女王出現以降は魔道大国メルギゾークが組織だって次代の少女を血眼で探してまわった。

 強大すぎる力が暴走しても困るし、何者かの囁きがあって初代の時のように国をひっくりかえされてはかなわないと判断された為だ。

 ディアナは一地方の山奥で姉妹そろって親に捨てられていて、野山を獣同然の暮らしで乗り切っていた。元からその野生児の年長の方が紫紺色の瞳をしていたと噂になっていた。

 領民が姉よりもずっと隙の多い妹――後のヒルド国初代国王の王妃となる――を捕え、領主に差し出した。

 紫紺の瞳の乙女を見つけ出した者だけでなく、土地の者すべてに国からの恩賞が与えられていた為、誰もが争いもせず素直に動いた。

 領主は妹を人質として姉――紫紺の瞳の乙女をおびき出す。

 あっさりと釣られて出てきたのが当時自称七歳のディアナだ。

 紫紺色の瞳と言っても青みがかった瞳などが誤報される事も多かったが、ほとんどの場合育ててみないとわからなかった。幼いうちは瞳の色が薄い者も多くいたせいだ。

 国から育成要員が迎えに行き、王都で二十歳まで育てられるという事が繰り返されていた。

 ディアナに対して国から派遣された育成要員というのがゼクスの前の人生の主人公たるキリー・フィア・オルファースだった。

 今、過去世が全力で仕えたというディアナ――ユリシスは肉からはみ出た骨を掴んで口の前で眺めている。生肉だが「ふっ」と一息吹きかけると、瞬時にこんがり良い色に焼きあがる。吹きかけた息にはルーンが含まれていたようだ。火の魔術だろう。

 満足そうにむしゃむしゃと食べる中身がディアナのユリシスをゼクスは目を細めて見た。

 メルギゾーク王都メイデン跡でモグラを食う事を躊躇って結局食べなかった傷心のユリシスを思い出し、今、目の前のこんがり焼けた肉を頬張る姿と重ね、ゼクスはちょっぴり切なくなった。

 ディアナの食事が終わるのをゼクスはぼんやりと窓の外を眺めて待っている。彼女に背を向け、窓枠にもたれて立っていた。

「――よし」

 声に振り返ると、ディアナが汚れた口元を手の甲でぬぐっているところだった。

「何ていうか……思ってたよりずっと男っぽ……――逞しいんだね」

「何がだ?」

「……ええっと……俺の記憶がおかしいのかな……もうちょっと女の子らしかったような……」

 下級とはいえ貴族出身のキリーが行儀作法から勉学、教養すべて叩き込んだ後の元野生児ディアナはドレスも着こなして女性らしかった。暗殺者があればそのまま大立ち回りも、隠密行動時には獣のように四つん這いになる事もためらわない女王だったが。

「いや、こんなもんだったか……あれ……あれえ……」

「何だ、小さい声でぶつぶつと……聞かんぞ」

 ディアナは立ち上がってソファの横に出た。

「ゼクス」

「……?」

「アルフィードらがメイデンで時間を稼ぐ事だろう。今のうちにこちらの霊脈瘤を探ってユリシスを見つけだし、取り戻す」

 振り向きざまの紫紺の瞳はゼクスを真っ直ぐ射抜く。失敗は許さない――ゼクスにはそう聞こえた気がした。

 彼女の言う“ユリシス”というのはユリシスの精神体の事だ。

 ゼクスは気を取り直して頷いた。

「わかった。そうするだろうと思ってたよ」

 おそらく、今後も増えるであろう変異体と戦う“訓練”も兼ねてアルフィード達はメイデンに送られた。その間にディアナは動くと踏み、ゼクスは手伝うつもりで残った。 

 遺跡などの過去に浪漫をかき立てられるゼクスにとって、ユリシスなどどうでも良い……いや、死にそうなら確かに助けようかなと思いはする。その程度だ。

 だが、過去世の思惑か、ディアナが突き進む事にはどうやら手をかさないといけないような衝動が突き上げてくる。こればかりはどうしようもない。

 ゼクスは過去世キリーの事を“記憶が増えた”という認識でしか持っていないが、まれにこういう事がある。

 十歳の時、ある事件をきっかけに自分の頭の中なのか、心の中なのか、どこかに異物を感じるようになった。が、それは自らを強く主張しなかった。ゼクスが望めば力――魔術の知を、過去世の記憶を見せるという手法で与えてくれた。

 キリーが転生を果たしたゼクスの意識を侵食しないのは、ディアナが代々の女王達に翻弄される様子を見ていたせいかもしれない。

「マナにも伝えてある、霊脈瘤、王城地下で合流出来るだろう」

「何か用意するものはある?」

「接合六式八番、九番、壱拾弐番。離法参式弐番、五番、九番、弐拾七番……七拾弐番。“離法七式”四番、五番、六番。転送五式四番。位相零式九番」

 一瞬だけ眉間に皺を寄せ、ゼクスはディアナの言う用意するもの――補助ルーン魔術を空の紺呪石に込めていく。

 術を描きながらゼクスはふっと微笑う。

 全て、古代ルーン魔術の補助術だ。

 現代のルーン魔術の補助術もたくさんあるが、古代ルーン魔術ほどではない。

 古代ルーン魔術を難解としている原因の一つに、この補助ルーンの種類の多さがある。

 理解している者には補助ルーン魔術が無い方が難解だと言うのだが。

 ディアナは補助ルーン魔術の中でも記述も長く難易度の高いものばかりを要求してきている。ゼクスは時折目を細め、記憶を確かめては記述を間違っていないか気を引き締めて術を描いた。

 一つにつき最低百秒、長いもので三百秒はかかっている。移動中や戦闘中などに書いていられる量のルーンではない。

 ゼクスはヒップバックに空の紺呪石をいくつかストックしているのだが、足りるかどうか……そんな事を考えて、さらにおかしくなる。

 これだけの補助術を使う魔術を扱える者は、現代、まず居ない。絶対居ない。それがわかってしまう自分に笑ってしまったのだ。

 自分は確実に過去世を持つ者なのだなと。

「キーは?」

 参照元と参照先、術と補助術の間でルーンとルーンを繋ぐ合言葉キーが必要になる。

 ディアナはぷいとそっぽを向いて答えた。

「…………“ソフィア”」

「わかった……」

「…………」

 キーは補助術を呼び出す魔術の中で合言葉としての以外の意味を持たせない文字列になる。キーのところに“ソフィア”と描いて、ゼクスは言われた補助ルーン魔術を紺呪石に詰めていった。

 作業を続けるゼクスに紫紺の瞳の女王はなおも告げる。

「身体強化は目立つかもしれんが先にかけていく。私は消耗を避けたいからキリー――ああ、いや、ゼクス、頼む」

「消耗?」

 過去世の名で呼ばれた事は聞かなかった事として、ゼクスは問いで返す。

 身体強化の術はさして魔力を使わない。アルフィードのようにいくつも多重にかけなければ、だが。さらに難しくもなければ負担の大きな術でもない。なのに、ディアナはその消耗すら厭う。

 ディアナは眉間に皺を寄せ、ぽつりと言った。

「感覚を繋ぐ」

「……本気で言ってる?」

「本気で“ユリシス”を探す、必要な事だ」

 一言で言えば、ディアナはユリシスを乗っ取ると言っている。一時的とはいえ、大変な事だ。初代女王がたびたび行っていた事で、ディアナも含めて全ての紫紺の瞳の女王が苦しめられた。

 自分の中に全く異なる人格と記憶がある。逃れられない他人との共生。のみならず、完全に主人格から己が消えていく、追い出されていく恐怖。

 転生は人生をやりなおす事ではなく、新しく生まれなおす事だ。まっさらな状態で見るもの聞くもの体験する事すべてが新鮮になる。

 己の肉体もまた、誰に奪われるはずのない唯一無二の城だ。心はまさしく王。その玉座を追われる意味とは、いかなるものか。生まれ変わった意味はどこへいくというのか。

 ディアナが己にかけた呪いは、まさに、自分が初代女王と同じ轍を踏まぬようにする為の決意だった。

 なのに、状況はそれを許さず、自分が、初代を除く代々の女王達が憎み抜いた前世による今世潰しを始めなくてはならない。

 ユリシスを救うためにユリシスを潰してしまうかもしれない。ギリギリの矛盾の上を歩かなければならない苦渋の決断だった。

 現状、“ユリシスの肉体”に“ディアナという精霊体”が憑依しているという状態に近い。

 感覚を繋いでいない――乗っ取っていない“ユリシスの肉体”が受けている刺激をディアナはシャットアウト出来る。しかし繋いでしまえば、乗っ取ってしまえば、当然、“ユリシスの肉体”にある傷の痛みをディアナも感じる事になる。

 デメリットであるが、肉体の求める本来の精神体を探すのに、本能的に察知する為には肉体の感覚を利用する方が早く確実だとディアナは言っている。

 下準備を手早く済ませ、精神体という抵抗の無い“ユリシスの肉体”をディアナは乗っ取った。

 体の重みや疲れ、細かな痛みはあちこちに残っていた事がわかる。

 目と脳でものを見るのは二千年前に己の肉体を亡くして以来だ。

「………………」

 口を引き結んで“乗っ取り”への言及を避けるディアナは“ユリシスの肉体”を引きずるように歩く。すぐにはっと気付いたゼクスに支えられ、ギルバート邸を後にした。

 ユリシスの肉体はまだ一人で出歩けるほど回復していないのが本当のところなのだ。

 ゼクスは、本日二度目、王城地下へと向かう。アルフィードらを送ってからまだ一時間ほどだ。

 一昨日、変異体との戦闘があった部屋は片付けられていない。

 瓦礫と黒く浸みた血痕がその激しさを物語った。

 部屋の前には静かに佇む人影がある。

 豊かな赤い髪、線の細いシルエット。けぶる目元は憂いを含み深みを与える。傾国の美姫と謳われるマナ姫だ。

 ディアナは寄りかかっていたゼクスの腕から離れ、一人立った。

「待ったか」

「いいえ」

 王女とも合流を果たし、お供はたった二人と少ないながら一堂見渡してディアナは言う。

「――いこう」

 かすかに頷くマナ姫とゼクスを確認し、続ける。

「もう少し下に気配があるような気がする。さらに地下へ降りる階段はあるか?」

「こちらです。母がいつ戻るとも知れませんので急いでください」

 そう言いながら先導するマナ姫の振る舞いには流麗な輝きがある。

「……その点はアルフィードらが時間を稼いでくれる事を祈るばかりだな」

 ディアナの考えでは黒幕はマナの母――王妃の内側にいる。おそらく、自分がユリシスの中でそうだったようにあちらも……その目的は不明だが。

 その黒幕が変異体を操る。

 変異体を作り出すに足る精霊を集められる特殊な場所――霊脈瘤はこの王城地下と既に精霊が掻き集められた後のメイデン跡だ。王妃がヒルド国王都ヒルディアムに居ないとなると、今いるであろう場所はおのずと絞られる。

 ユリシスの精神体は王妃にとっては無価値のはずだ。力を持たないから。ならば王城地下に放置されているに違いないと踏んで侵入を試みている。

 ディアナ、マナ姫、ゼクスの三人は地下へ地下へと降りる。

 一昨日のような事がありはしたが、王都の地下だけあって精霊らは再びこの地に戻って溢れていた。それらの力を少しだけ借りて、本来真っ暗闇の中、暗さを感じること無く広い通路を一行は進む。

 三階分ほど降りた頃だ。

「……この高さだ」

 ディアナはきっぱりと言って次の階段ではなく、廊下へ足を踏み出す。しばらくその階を彷徨った後、辿り着いたのは広く丸い部屋。

 部屋の中央にびっしり文字と図案の描かれた魔法陣がある。大きさは歩けば一辺二十歩分はありそうだ。

 魔法陣の傍らに巨大な球体がゆっくりと跳ねていた。

 ピーンピピーン……と思い出したかのように高い音をさせ、揺らいでいる。

 ディアナは二人を伴って青白い部屋の中央にある球体の前へ歩み出た。

 マナがゆっくりと瞬いた。

「これは……」

 直径は人の背の二倍はあるだろうか、その巨大な青白い球体は天井と床の間スレスレを揺らぐ。

「お前の母が――、まぁ見事なものだな、復元をしたんだろう」

 球体を睨むディアナ。目を懲らせば、球体を青白く染める小さな粒がそれぞれ文字だとわかる。

 紫紺の瞳の奥にあるものは憎しみなのか哀しみなのか────相変わらず赤と青が妖しく揺らめいていた。一度瞼を閉じ、ゆっくりと開く。

「精霊を変換する装置、みたいなものだ」

「……精霊を、変換?」

 ユリシスの肉体でディアナは球体に近寄った。右手を球体にヘタっとのせる。

 直後、するりと右肩から半透明の腕がずれる。

 生身の腕は球体にあてがったままだ。

 半透明の腕は、ディアナの精霊体としての形だ。その腕を球体の中へぐっとつっこむ。

 ディアナは眉間に皺を寄せ、数秒後、目を閉じた。

 しばらくして“ユリシス”の面がぶれた。

 ディアナ本来の顔が半透明で現れて口を開く。

『返事をしろ! ユリシス!!』

 ゼクスとマナが顔を背けた。一度だけ、腹の底まで響くような絶叫。それは音声ではなかった。ディアナの精神体の声であり、魂に直接響く声だ。

「く……」

 残像のようなディアナの顔が消えると、ユリシスの口から苦痛の声が漏れる。

 ディアナの腕が引き抜かれ、一つになってユリシスの体はよろめくように後ろへ転げた。

「ディアナ!」

 マナ姫は駆け寄ってユリシスの肩を支えた。

「何してたの?」

 ゼクスの問いにユリシスの形をしたディアナは、がっくりと肩を落とした。

「……ふ」

 泣き笑いのような表情――瞳には悲しみが浮び、口元には自嘲に近い笑みが張り付いていた。

「もう、何万もの精霊があれに囚われていた……」

 おそらくエリュミスの……ここに掻き集められていたのだ。

「どういう……?」

 マナ姫の問いに、ゼクスは表情を引き締めた。

「何万もの変異体を生み出す準備が整いつつある、そういう事でしょ」

「……!」

 ──一昨日戦ったような獣、変異体が何万も……。

 マナ姫は絶句するしか無かった──どうにも出来ないのか、対抗手段などあるのか、母は一体何をしようとしているのか!?

 ディアナもゼクスも平静を装っているのか、本当に冷静に受け止めているのかマナ姫にはわからなかった。彼らは現状を理解しているのかとマナ姫は頭がくらくらする思いだった。

 たった一匹の獣に強いられた四人がかりの戦いは、犠牲もあまりに大きかったではないか。奢るつもりは無いが、あれだけ抵抗出来る者がこの国にあと何名居るのか。両手を超える数が居るのかどうかさえわからない。

 急速に不安を募らせるマナ姫をよそに、ユリシスの声でディアナは静かに言う。

「ユリシスの精神体もあの中にあるかと思ったが、居そうにない。私を捕らえきれていなかった事に気付いて策を弄するつもりなのかもしれんな……そうだとしたら厄介だが」

 精神体のユリシスを人質に精霊体たるディアナを差し出せと言い出しかねない。

 かつてディアナが妹をえさにおびき出されたように……。

 だが、現状は深刻だ。

 ユリシスからディアナ……というより精霊体が奪われたなら、死しか残らない。

 ユリシスを取り戻そうと思えば死に、諦めたらユリシスの心が消える。いずれであれ、ユリシスが失われる。王妃が目的を達成するかしないかの違いしかない。

「ユリシスは別の場所に閉じ込められている可能性が高いな……それにしたって精神体という性質上──……」

 言葉の途中、壁、床、天井が細かく揺らいだ。球体の傍らにあった魔法陣が青い閃光を放ち始める。

 ──発動した!?

 青白い光は強烈で鋭く目に刺さった。

 眉間に皺を寄せて一歩退くマナ姫。ゼクスと紫紺の瞳の少女は球体を黙って見ていた。

 やがて、全周囲から轟いてくる低い雄たけび。

 辺りの精霊が押しのけられていく。

 風など無い。存在の圧力で吹き飛ばされていく。

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