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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第13話『ユリシス?』
125/139

(125)【3】母の声(2)

(2)

 ディアナの次の言葉の前にゼクスが手をあげた。

「あ、どういう話をしてたの? ドア越しじゃさ、実はよく聞こえなかったんだよね~」

 話の腰を折られたものの、意に介した様子のないディアナはさらりと言う。

『変異体を倒すという話をしていた』

 情報の取捨選択がユリシスとは大きく異なり、別人だという事がはっきりとわかる。

 無視は当たり前、タイミングがあえば答える。自分の考えたまま、思うまま発言する。そうでなければ、彼女の内側にいるという七人もの過去の女王達を押さえつけられなかったのかもしれない。

「ああ、なんとなくその辺聞こえてた。数は一……とか言ってたんだっけ?」

 意味深にゆっくりと言うゼクスに、ディアナはやっと顔を向けた。

『……何か知っているな?』

「数なら一じゃないよ」

『一ではない?』

 眉をひそめるディアナにゼクスは肩をすくめて見せた。

「俺、メルギゾーク王都メイデン跡にずっといたんだけど。山程量産されてたよ、能力は低そうだったから、実験体、試作体かなぁ?」

 現状、変異体を理解しているのはどうやらディアナとゼクスのみのようで、他の面々は顔を見合わせるのみだ。

 ディアナはといえば、向こうの透ける両腕をわなわなと震わせていた。

『――うそだ……』

 珍しく力の無い声。ゼクスは至って静かな、低い声で告げる。

「見るも無惨に荒廃しきって遺跡なんて呼ばれるメイデンに、あいつらは夜な夜な現れて精霊を食ってる」

 ディアナは眉間にぴくりと皺を作ってゼクスを睨み上げた。

『うそだ!』

 反発するように叫ぶディアナだが、ゼクスはぷっと吹き出して笑う。

「やだな、嘘言ったって仕方ないし。事実だよ、俺、何度も気配感じたし。ただ試作体だけあって肉入りの精霊、つまり、魂にはかなり鈍かったけどね」

 ディアナは後半を聞いていなかった。いやいやをする子供のように首を左右に振っている。呼吸が乱れているようだ。

『……ばかな……』

 涙声にも聞こえた。本人も意識しているのか、狼狽をこらえようと右手を口に当て、下を向いて慌しく瞬きしている。

「……ディアナ?」

 マナ姫が声をかけるも、ディアナは壁の方を向いて誰からも顔を逸らした。。

『……すまん。少し時間をくれ……。――ああ……“お前ら”もうるさいぞ……』

 後半は何を見ているのかわからないうろんな目をしていた。実に昏い目だ。

 内側にいる過去の女王たちと向き合っているのかもしれない。


 結局、黙ってしまったディアナを置いて、一同は一階の応接室に集まる事になった。

 シャリーが話についていけていないのが悔しいと言って自分より上級の魔術師らに質問を次々と投げていた。

 生まれた形――実体に精霊が宿ると精霊体という名前に変わる。実体と精霊体、この二つによって命の主体である精神体は守られている。

 実体が滅すると精神体は蓄積したものを記憶という形で精霊体に取り込まれる。

 精霊体は再び精霊として世に放出され世界を漂う。

 精霊自体に心――精神も記憶もない。

 実体に精霊が宿って初めて生まれる精神体を、命の無い精霊は持たない。意識が無い。

 上位精霊と呼ばれるものは、精霊になっても精神体の活動が継続され、次の実体に宿っても――生まれ変わっても精神と記憶を保持する。

 これが、“紫紺の瞳の乙女”が記憶を継承してきた仕組みになる。

 シャリーはそこまで理解を深めて、うんうんと頷いている。

 ディアナと接した時間が他の者より多いアルフィードが渋々と答えていた。

 時にカイ・シアーズがより突っ込んだ質問を挟み、マナ姫が王家に伝わるという真理を語った。

 ネオはただ彼らのやりとりを黙って聞いていた。

 ゼクスは――キッチンで遅い昼食を勝手にとっていたが、しばらくすると姿を消していた。

 誰もが時間にゆとりのある者ではないから、一時間も経った頃、ディアナにはそろそろ話を再開してもらおうという話になった。

 ユリシスの部屋にゼクスを除いた全員が移動しようとした頃。

「マナ姫様──」

 応接室のマナ姫に声だけが届いた。

「……何事か」

「しばし都を離れます。──……オルファース総監が王より直々にあの方の動静を探るよう命を受けていました。王の“隠し”も追っているように思われます。私も追います」

「……そう……頼みます」

 シャリーが目をしばたかせている。

 ネオとカイ・シアーズは一瞬、目を見合わせた。今の声はマナ姫の忍びだと察したのだ。

 アルフィードはただ手を顎に当てた。

「総監が……?」

 呟くように言ったのはネオだ。

 オルファース総監はネオの祖母であり師匠。マナ姫の穏やかと言えない表情が気になった。

 カイ・シアーズがほとんど表情を伺わせない様子だったマナ姫の顔色に変化が現れた事で疑念を抱いた。

「そもそも、マナ様。なぜあなたがこちらにいらっしゃるのです?」

「……知らなければならない事があります」

 マナ姫はそれだけ言って先に応接室を出た。



 応接室から姿を消していたゼクスは誰よりも先にユリシスの部屋に居た。

 ゼクスは室内の椅子に腰を下ろしていた。

 机の上で両足を組んで乗せ、椅子の前側の脚を二本持ち上げてはおろし、カタンカタンと鳴らしていた。

『――メイデンで何を見た?』

 長い沈黙の後、室内に声が響いた。

 声の主はディアナだが、ユリシスの内側に引きこもっているのか半透明の姿は無い。

 ユリシスの体は相変わらず深い寝息をたてている。

 魔道大国メルギゾークにおいて、最大にして最長の時、栄華を謳歌した王都メイデン。今は砂まみれの廃墟にすぎない。

「装置だよ。まだ稼動していたね。操作盤コンソールなんかは見当たらなかったけど……あれは壊された跡だったのかも。でも、確かだよ。最下層は生きていた――」

 ぽつぽつとゼクスは言った。

『……そうか。正直、最期、曖昧でほとんど覚えていない……。そうか、破壊しきれていなかったのか……』

 ディアナの声には張りがなく、ぼんやりとして虚ろだ。

 どこか、なにかが欠けて無いような……喪失感だけのある……──絶望に近い声。



 雨は依然として降り続いている。

 夕方を通り越して既に闇色の外。

 紺呪灯には灯りがともり始めている。アルフィードもまた邸内の魔術の灯りを点けた。

 再び全員がユリシスの部屋に集まった時には、どれだけ呼びかけてもディアナは返事をしなかった。

 ただ、相変わらずユリシスが深い呼吸で眠っているだけ。

「おい、お前、何してたんだ?」

 アルフィードがゼクスを鋭く睨む。

 ドアを開いた時、ゼクスは先に室内に居て、ユリシスの傍らに立っていたのだ。

 ゼクスはアルフィードを睨み返してから、にっこり微笑んだ。

「俺ってそんなに怪しいかなぁ。ちっとも悪いヤツなんかじゃないのに」

「自分で言うヤツほど怪しいって事覚えとけ。何してたんだ? ディアナはどうした」

 ひょいと肩をすくめてゼクスは机に腰を乗せた。

「揺れが激しくて均衡を保てない、しばらく休むってさ。そう言ってからはこの状態だよ」

 シャリーは首をひねって「地震なんてあったかしら?」とネオを見た。

「保てない……と?」

 マナが口を開いた。

「そ。お姫様はぴんときちゃったかな?」

「…………」

 目線を下げて考えを巡らすマナ姫の横で、アルフィードは片眉を下げた。

「……揺れ? 均衡? 何の話だ? 出てきたり引っ込んだり、忙しいやつだな」

「他には……何か聞いていないのですか?」

 マナ姫に問われて、ゼクスは力無く笑った。

「正直、げんなりした。『術を授ける。メイデン跡の変異体の試作型を殲滅して来い』だってさ」

「ディアナがそう言ったのならば、やらなければなりません」

「マナ様、いくら彼女がヒルド国の前身の王であったとはいえ、何もかも言うがままというのは──」

 カイ・シアーズの言葉をマナ姫は一瞥して遮った。

「私は王家に名を連ねる者。民を脅かすという存在を倒そうと持ちかけられたのです。拒否する理由はないでしょう。それとも、根絶に魔道大国メルギゾークすら犠牲にされたものがあった事を知ってしまった今……それでも何もしないでいろと――カイジュアッシュ、あなたは言うのですか?」

「……」

「根絶できてなかったみたいだがな」

 横からアルフィードが茶々を入れたが、それに対して窓に映った室内を見ていたゼクスは聞き取れないほどの小さな声で「さぁね」と言った。

 ネオはただ、年長者らの行動を見るのみだ。

 マナ姫は息を一つ吐いてから全員を見回す。

「私はメイデン跡まで行く事が出来ません。変異体の事は、父にも話さなくてはならないでしょう。カイジュアッシュ、アルフィード、ラヴィル、貴方たちの事は私から総監に話しておきます。明日中に出発出来るように」

「――はい」

 ゼクスが手に持っていた紺呪石を親指と人差し指で摘んで全員に見せた。

「俺が一通り聞いてるから。変異体を滅する術ってやつ。ここにディアナ本人からの導きの声ってやつを記録しておいたよ。まず聞いてね」

 ゼクスがふいと紺呪石に魔力を込める。少しノイズ混じりのくぐもった声が、再生され始めた。

『――ん? なんだ? ああ、そのまま聞かせるのだな。わかった』

「いいかい? 声は一度しか再生できないからよく聞いて」

 ゼクスが一言挟んで、ディアナの説明が始まった。

『あー……変異体を滅する術を授ける。術の名前は……特につけていないのだが。今で言うところの古代ルーン魔術というものに属するだろう。これから伝える術はメルギゾークを滅するにあたり、私が創った。自分で言うのも何だが、随分と奇天烈に仕上がっている。覚えるのは大変だと思うが、習得してもらいたい。ルーンに全てを任せて良いのだが、助力は己と相性の良い精霊にするように。さもなくば、精霊が乱れて術が反転、自分に返ってくる。術の特性上、この術を精霊は嫌がるんだ。何せ、精霊を食うヤツに向けて放たれるのだからな。それを飲んでくれる精霊に力をかりろ。あと、出力はルーンに対する魔力次第だ。一定以上の出力は必要だが、記述が多いので全て書けば間に合うはずだ。うん、決めた。“対・変体術”としよう』

「なんで“異”だけを略すかね。意味ないよね?」

 ゼクスはすでに一度聞いたろうに、半笑いで呟いた。

 その後は細かなルーンの説明が数分続いて声は止み、ゼクスの持っていた紺呪石から力が失せた。

「じゃあ、発動はさせないけど、書くよ。覚えてね。ここなら見やすいかな」

 そう言ってゼクスは何も置かれていない机の上にルーン文字を描き始めた。

 ゼクスの指先に収斂された魔力は濃度が高く青い光。

 細く小さな文字がゼクスの周囲に展開しては机の上に降っていく。

 一文字が小指の爪の半分程の大きさだ。それがユリシスの机の上をびっちりと埋めた。

「――はい、こんな感じ」

 描き終えるとゼクスは一歩下がって示した。

 マナ姫を含め、アルフィード、カイ・シアーズ、ネオ、そしてシャリーも机を覗き込む。

「……これは……」

「……なんでこれが術として成立して、精霊が反応するんだ?」

「確かに随分と奇天烈なルーン構成ですね。順番がでたらめに見える……」

「構成だけではなさそうです、知らない語もいくつか……」

「……どうしよう……これが術……? 読めませんわ……」

 第一級魔術師らはなんとか解釈しようとし、第二級魔術師はとにかく暗記をしてしまおうと机を取り囲んでいた。

アルフィードはと言えば術に目を通しつつ溜め息を吐き出している。

 上級魔術師になると個々人で術を組み立てる事もあるが、古代ルーン魔術の場合は文字の種類が多いだけあって複雑極まりない。

 ディアナが編み出したというこの古代ルーン魔術も様々な精霊への接触を試みつつ、拒否された時の為の指示がいくつも並んでいる。

 ユリシスが描き出していた古代ルーン魔術を思い出す。

 ――よく似てやがる……。

 ちらりとベッドに目をやると、ユリシスは静かに寝息をたてている。

 何も変わらずそこに居るように思われて、中身が居ないというのはひどく不思議な感覚だ。

 ギルバートもユリシスの胸にある久呪石に入っているというから、頭がおかしくなりそうだ。

 ギルバート――生身で触れられるのが当たり前だったというのに、死んでいなくなったのに、まだ話をしようと思えば出来るのだから……。

 亡くなった瞬間を見て、埋葬もして、心の整理はどうにかこうにかつけたというのに、今、どうしろというのか。アルフィードは一人でゆっくり頭を抱えたい気分だった。

 また、ゼクスはいつの間にか室内から姿を消していた。

 既に、術の全てのルーンに目を通して覚えたマナ姫は、一歩さがってドアの前辺りから、ユリシスを見た。そのまま魔力の声を飛ばす。

『――ディアナ。話は出来ますか?』

『……出来ればしたくはないが、何だ?』

 声は、マナにだけ返って来た。

 この部屋に戻った時、全員で何度も呼び掛けたのに答えは無かった。だが、今度は返事があった。

 ユリシス自身は眠っているのだが、休むと言っていたという内側にいる精霊体のディアナは覚醒をしたままだったようだ。

『母が、どうやらヒルディアムから動いているようです』

『……』

『……母は……』

『まだ何も言えん。ただ、私がメルギゾークを滅ぼした原因を、お前の母親は掘り起こしている。目的も理由もわからん』

『……ほんとうに……?』

 マナ姫は目を細めてユリシスの眠る姿を見つめる。

 ――ほんとうに、母が悪者だというのだろうか。

 ほんの数年前まで元気で微笑みかけてくれていた。

 エナ姫が生まれて以降はほとんど姿を見ていない。声だって聞いていない。十年近く、母の存在は思い出の中だけ。

 十五、六の頃までぴったりと張り付くように仲の良かった母娘だったが、ある日、病という事で遠ざけられた。

 記憶の中の母は、優しい笑みを浮かべ、マナの頭を撫ぜてくれる姿ばかり……。

 責められるような事を母が行っているのだろうか、本当に。実に信じがたい……。

 しばらくの間の後、ディアナの溜息が聞こえた。

『ならば、お前の記憶は確かか? お前の持つ母親の記憶、印象、それらは確かか? これまでの過去を全て覚えているか? 知り尽くしているか。ひと欠片の過ちもそこには無かったか? 忘れたいと願ったものはないか? 記憶を眺める精神そのものに淀みはないか? お前の行動には全て目的や理由が存在したか?』

 問いに問いで返されてマナ姫は言葉につまった。

 矢継ぎ早すぎる問いかけはマナ姫の胸を騒がせたのだ。

 動揺を必死で飲み込んでマナ姫は平静を装う。

『どういう意味です?』

『そのままの意味だ。自分で考えろ』

 そう言ったきり、ディアナはもう何も言わなかった。



 ──夜。相変わらず雨は弱い調子で降り続いていた。

 執務を終えた王は私室に戻っている。

 だだっ広い部屋の中央には意匠の凝った大きな机がある。

 王はゆったりとした椅子に座して両手を机の上で組んでいた。頭は深く垂れている。

 部屋は白く、魔術の灯りに満ちていた。

 たった一人で、ギリギリと内臓を締め付ける白い沈黙に耐えていた。

 どれ程かそうして雨の音を聞いていた。が、近衛の者から来訪者がある事を告げられるとようやっと顔を上げた。

 王は両手を身体に引き寄せ、威儀を正す。

 人払いをして来訪者と対面した時には執務室に居た時と同じ顔をしていた。

 来訪者は自分と同じ赤い髪の美しい娘。マナ姫だ。

「お父様」

 マナ姫は真っ直ぐ王を見た。

「お母様は一体、何をなさっているのですか?」

 挨拶も前置きも無くマナ姫は問う。

「……お前は何も知らなくて良い」

「お父様……変異体をご存知ですか?」

 王は目を細める。

「会ったのか、紫紺の瞳の女王と」

「――はい」

「……そうか。ここへ連れて来る事は出来るか?」

「……それは……わかりません」

「……ならばお前から頼んでおいて欲しい。変異体がどれほど復活しようとも、ヒルド国を滅する事はしてくれるなと」

 マナ姫は改めて父を見た。話があまりにあっさりと通じ、父王が自分よりずっと多くの事を知っていたのだと悟った。

 父の眉間には縦に深い皺が二本くっきりと刻まれている。

 こんなに厳しい顔をする父を見たのは──。

「さもなくば、ヒルド国は全力でもって、紫紺の瞳の女王を倒さねばならない、と」

 王の強い語調はマナ姫の身を打った。

 鋭い眼差しは他を圧倒する威光だ。

 記憶が疼く。

 もっと恐ろしい鬼のような形相の父の顔が、記憶の片隅にあった。

 これは一体、何だったか……。

 今の発言よりも大きな何か――。

 何故だか急に、耳元でマナを呼ぶ母の声をはっきりと思い出した。



 結局、アルフィードはカイ・シアーズとの『ギルバートからの依頼の件』をまとめる話は出来なかった。資料だけはなんとか渡したが。

 日が完全に暮れると皆帰った。

 書斎で足元に散らばっていた本を簡単に片付けつつ、アルフィードは思い巡らせる。とんでもない事になってきたな、と。

 ――変異体を倒すというが……あの獣が何匹もいるのかと思うと、第一級魔術師、それも戦闘タイプのアルフィードであっても気分は暗い。

 体術のスペシャリストである王家の隠し忍びと組んで動いても決定打を撃てなかった。

 最後はアルフィードと忍びが援護しつつ、ユリシスの捨て身の攻撃で敵を弱らせた。いや、あれは弱らせる事にも成功していたのだろうか。

 対抗魔術も確かに習いはしたが……実習無しの即本番とは……。

 魔術の灯りで明るい邸の、書斎から居間へ移動してソファにどさっと座る。

 顔を上げ、一瞬だけぎくりとした。

「……お前、まだ居たのか? 帰れよ」

 気配に気付かなかった事も手伝い、苛立った声音でアルフィードは正面のソファに座る人物に言った。

「え。だって俺、ヒルディアムに家無いんだよ? 泊まってってもいいよね?」

 ソファに腰を深くおろして寛いでいたのは黒い長髪の魔法剣士ゼクス。

 一体いつの間に戻ってきたのか。

「帰れ。宿でも行け。……あー……まて――やっぱ泊めてやる。だから、教えろ。変異体は倒したらどうなるんだ? 倒してどうするんだ? それで終わるのか?」

 ゼクスはしばらく「んー」っと考え込んでいたが、曖昧な笑みを一度した後、表情を消して口を開いた。

「倒したらどうなるか、じゃないんだ。倒さないといけない。理由は一つ。簡単だよ。制御出来ない破壊兵器だから、以上」

「制御出来ない……?」

「そ。最精度の魔術が展開していたのは、メルギゾーク末期。その末期ですら制御しきれず暴走したんだ。ディアナが、最後の紫紺の瞳の女王が命がけで国ごとまるっと滅したのもわかって欲しいなぁ」

「そんなもの、誰が作ったんだよ?」

「反紫紺の瞳派ってとこかな? 女王は圧倒的な力、権力っていうよりもエネルギーとしての力ね、それがあったから、反発する連中も多かったんだよね。こそこそとたくさん」

「止める事は出来なかったのかよ、開発中とかによ」

「初代から数代、女王はだいたい百年周期位で現れていたんだ。それが、じわじわと期間が広がっていってね。七代目から八代目のディアナまでの間は五百年も空いているんだ。この間に、変異体はほぼ完成しちゃってたんだよ」

「なんでそんな間が空いてんだよ」

「簡単な話だよ。実体を失ったら魂は精霊になる。精霊の間っていうのは成長の停止期間であり、生前のエネルギー消耗の回復期間」

「……つまり、そんだけ、ディアナが生まれるのに五百年、回復に時間がかかったって事か?」

「そう。精霊は代を重ねる毎に成長してエネルギー総量を増していく。ディアナまでの七人の女王の力を回復するのに五百年かかったんだ」

「……メルギゾークを焦土にするだけのエネルギーがその五百年分ってわけか」

 二度瞬きをして、ゼクスは座りなおした。背筋を伸ばし、そして少し前のめりになってアルフィードを見た。

「一つ、考えてほしい」

「なんだ?」

「八代目のディアナから、九代目となるべきユリシスが生まれるまで――二千年」

「……」

 すぐに気付いて、アルフィードは言葉を失う。少しだけ口を開いた形で固まってしまった。

「ディアナによる消耗は五百年分、加えて成長は千五百年分なわけだけども。それがユリシスの潜在能力ってわけ、わかる?」

 アルフィードは声をひねり出す。なるべく何でもないように装った。

「……なるほど……ふーん……」

 声は少し掠れ、一度小さく咳払いをしてからアルフィードは軽い口調で言う。

「だが、ユリシスにそんだけの力があるなら変異体がいくら復活しても滅ぼす事は出来そうじゃないか」

 軽い口調はゼクスの得意であったはずなのだが、逆転をしている。ゼクスは至極真剣な眼差しで言う。

「そこじゃない。考えて欲しいのは。ディアナは、本当はメルギゾークまでも滅ぼそうとして消し去ったわけじゃない。メルギゾークをも巻き添えにしなければならない程、そうしなければ変異体を滅ぼせない程、膨大すぎる全力での魔力は制御が難しかったんだ。ディアナですら、ね」

「まじか」

 眉間に皺を寄せるアルフィードは思考を進める。

「だから、ディアナは君達にも対変体術を渡した。あれはね、わざと難しいルーンにしてあるんだ。内容が完全にわかってしまえば、魂すら粉砕する術に応用できるからね。そんな、言うなれば禁忌の技を伝授してでも、自分以外にも変異体と戦える存在が欲しかったんだ。それだけ、追い詰められてるって事さ」

「……どうすんだよ。精霊体のエネルギーはディアナの頃より増してるって事だろう、その年数分、ユリシスは。ディアナが制御不能だったんなら……。変異体もユリシスもどっちも破滅的ってわけだな。…………まてよ。それが、ユリシスが狙われてた理由か。制御出来ない力が目覚める前に──」

 ゼクスが、曲げていた背筋を開放して、再びどさりと背もたれに身体を預けた。

「魂をね……ワイン樽だとすると――樽が魂の器、この器は多分、誰もが無尽蔵の大きさだと思う。で、ワインが精霊体で、栓が精神体。君とか、普通は栓が一個なんだ。だから蓄積されてるエネルギー、つまり重ねた代はほとんど関係が無い。魔術的に言うと、魔力の瞬間出力はこの栓の大きさに依存する。で、上位精霊は……この栓が2つ以上ある。ユリシスの場合は、本人のものと八人分八つの女王の栓があるんだ。しかも、初代の栓はとてつもなくデカイ。上位精霊でもないのにメルギゾークを興して国として整備する程の力を放出したんだからね。ディアナは全ての栓を開いた……それで、メルギゾークは変異体もろとも滅んだんだ」

 アルフィードは左肘を膝につき、その指先をこめかみに当てた。

「どうすんだよ。やたらやばそうじゃねぇか。ユリシス……か。爆弾だな。どうやって魔力を制御させたものか……」

 そもそも、ギルバートが亡くなった時点でユリシスの魔力制御能力は不安定だ。どこかで立ち直らせ、鍛えないといけないだろう……。

 アルフィードは馬鹿みたいなヤツの師匠代理なんてやってられないという溜め息を飲み込んだ。

「つか、話戻るが、変異体を倒せば終わるわけか?」

「さぁ、そこまでは。俺もわかんないなぁ」

 ゼクスは視線を逸らした。とぼけている。アルフィードは目を細めて顔を上げた。

「で、そこまではわからないとして。なんでそんなに色々知ってるんだ?」

 アルフィードが問い詰めるとゼクスは「えへ?」と笑った。いつものヘラヘラした調子に戻ってしまった。







 鮮明な記憶が噴き出す。

 整然とした街並みが薙ぎ倒され、あちこちから炎と煙りが立ちのぼる。

 広大で美しかった城下町は、崩れ落ちる。

 王都メイデンの中心、王城の最上階から見下ろすのは、終焉――。

 彼女は昨日から体調が悪かった。

 魔術で隠された毒を盛られていた事に気付いたのは今朝の事で、処置はしたものの高熱はなかなか下がらなかった。そこへ変異体の大群が行進してきたという報せが入った。

 彼女は大行進がわかった時点で俺の弟のライサーに民を逃がすよう命じた。

 魔術師としての階級も低い俺の弟なら、まだ反紫紺の瞳派の監視の手が伸びていないだろうと踏んだのだ。

 一体二体、数十体程度であれば何とか追い払っただろうが。

 メイデンに迫る変異体の数は五百が千、千が二千、二千が一万と増殖を続けている。

 既に、人の手に負えるようなものではなくなっていた。

 昼過ぎ、まだまだ熱っぽい顔をして、彼女はふらりと立ち上がった。

 ……抱えてこの星の裏側にでも連れて逃げたかった。

 ――夕刻。

 この時点で五千余り倒したが、増殖は止まらず何の解決にも、糸口にすら届かない。

「くそ……初代……代われ代われとうるさい事だ……」

「まさか……また、ですか?」

「――常々私が弱るのを期待しおって……!」

「陛下?」

「生き残った民を連れ、ライサー、フィリアらと合流しろ」

 ――玉砕の覚悟……。

 正直なところ血の気がひいた。どんな敵にも気後れした事などない俺が。

「陛下……! 耐えてください! 初代が何だというのです!? 陛下! あなたはあなただ! あなたの力でやれます!」

「……逃げろ……頼む、逃げてくれ!!」

「陛下! ……ディアナ!!」

 呼びかけに彼女は額に脂汗を滲ませたまま微笑んだ。

「頼む、最期のわがままだ。キリー」


 彼女の前を立ち去る時――。

『生きてくれ……』

 それが涙声なのだ。なかなか、酷な事をしてくれる。

 自ら命を絶てば、次の世の再会も望めない。

 だが、自らの死を……消滅の覚悟を決めた頑固な彼女にかけるべき言葉などない。

 己に厳しく、責務に真摯な王。

 いや、王とか、臣下だとか、女だとか、男だとか、問題ではない。

 ──焦がれてやまない、存在。

 いつまでも、いつまでも、そばで支えたかった。

 共に、いきたかった。



 ~





 外は月も無い闇。雨は止んでいない。

「どうして、眠るの?」

 独白のような、ごく小さな声でゼクスは問う。

 しかし。

『何か用か?』

 ユリシスの瞳は閉じられたまま、声が返ってきた。

「なんだ。起きてたの。見た目じゃわからないよ」

 自然と笑みが浮かんでしまった。アイツが喜んだのかもしれない。嬉しかったのかもしれない。

『精霊に睡眠は無い。一度活動を始めたら次の死まで活発に動き回る』

「一度?」

『精霊は、精霊体であったときに消耗したエネルギーを回復する為、精霊になってからしばらくは停止する。もし、眠るという表現をするならここで使うのがいいだろう』

「あなたは……あなたは精霊体という事なのでしょ? 精霊とは違う」

『ふむ。……さあな』

 ディアナは一度考え、逃げた。

「……俺の事、わかってるでしょ?」

『何の話だ?』

「俺、あるよ、記憶……キリーの記憶」

 アイツが待ち望んだ再会だ。

『…………上位精霊になったと?』

「うん。わかってるでしょ? 俺の事。俺はちゃんと生きたよ」

『……いや、そうだとしても。もう……』

 ディアナはそれ以上何も言わなかった。

 窓の向こう、雨は相変わらずサーと細く遠い音をさせていた。

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