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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第13話『ユリシス?』
121/139

(121)【2】上位精霊(1)

(1)

 鳥の大きく羽ばたいた翼のような形をしたシルバーの装飾具が耳の上あたりから頭の後ろへ三枚伸びていた。王冠のような存在感がある。赤い宝石も見えた。

 袖は長く、丈の短い簡素な黒のワンピース。袖や裾からは白いレースが見えていた。ブーツスパッツの止め具は円みがあって金色をしている。

 後ろ髪は踝まで届きそうな黒い髪。

 長い前髪は顔に沿わせて横に流している。

 半透明の立ち姿は凜々しい。どこからか発生する風にでもあおられているかのようで髪も揺れている。

 髪がふわりと浮いて顔があらわになった。

 柔らかな頬はすっと尖った顎に繋がる。

 白い肌。目を縁取ったかのように濃い睫。やや垂れた目からの畏怖は少ない。

 そして、瞳は熱を帯びて青と赤が揺らめいている――色は混ざり、神秘的な紫紺の色に見えた。

 姿のすべては半透明で、アルフィード、マナ、ゲドの目には向こうの壁がうっすら透けて見えている。

「メルギゾーク……?」

 アルフィードが呟くが、マナは振り向きもせず半透明の女――ディアナを見上げる。

「ディアナ。おねがいです、すぐにユリシスの体に――……」

 マナは震えた手でユリシスの腕をさすっている。

「こんな何も無い状態では長くもちません……本当に、死んでしまう……。かと言って簡単に誰の魂も精霊も入れさせるわけにはいきません。でも、あなたなら――」

 このまま放置して悪い精霊が入ってしまわないとも限らない。マナはそれを訴えている。

 アルフィードはわけがわからないという風に首を横に振るだけだ。

『――ああ……そうだな……だが、その前に』

 ディアナは宙に浮いたまま背筋を伸ばした。

 右の手の平を上にして開くと小さな青白い光の珠が浮かんだ。ディアナはその珠を握り締め、胸に当てると小さな声で呼び掛けた。

『──ヴァイヴォリーグ』

 次の瞬間――、巨大な津波が部屋全体に押し寄せてきた。いや、それらに実体はなかった。力の塊――精霊の群れが雪崩れ込んできた。

 轟音が聞こえたような気さえしたが、実際には彼らは静かに現れた。

 息を飲んだマナは治癒術が一瞬途絶えてしまった事に気付くと慌てて気持ちを整えた。

 精霊を感知出来ない忍びのゲドですら身構え左右を見渡している。彼の目にはディアナの姿はうっすらと見えていたが、他の精霊はとらえきれていなかった為だ。

「お、おい……」

 アルフィードは掠れた声をあげる。

 精霊の群れが押し寄せてきた壁から、先ほど戦った獣とは比べ物にならないほど巨大な魚の面がにょきっと生えてきていたのだ。

 顔面だけがのぺっと――壁一面に魚の顔がひとつ、突き破って現れていた。だが、これもディアナと同じ半透明……本来の壁が魚の体の内側に透けて見えた。

 恐ろしげな巨大魚ながら丸い目は可愛らしく、真っ青な瞳が印象的だった。

 ディアナは魚の目をまっすぐ見上げる。

『――すまんが急ぎで力を貸してくれ。私が死にそうなんだ』

 ──お安い御用だ。

 声は耳には聞こえず、頭の中へ直接響いてきた。

 顔だけで人の何倍もの大きさのある魚がぐわりと口を開いた。

 直後、細かい歯がびっしりと生えた口から高音が飛び出した。そこから出ているのかどうか疑いたくなるような、コーッという高い音だ。床、壁が振動する。

 魚の巨大な口の中からは高音とともに大量の精霊が溢れ出しており、それらは勢いよくディアナに吸い込まれていく。

『恩に着る』

 微かに笑みを浮かべ、ディアナは巨大な魚――ヴァイヴォリーグをちらりと見、すぐにユリシスの頭へ飛び込んだ。そのまま半透明の体を重ね、ユリシスの中へ溶け込んでしまった。

「え……」

 マナは驚いて術を止めた。治癒の術に対するユリシスの反応の手応えが変わったからだ。

 今、治癒術を止めてみて、ずっと早く傷が塞がっていくのがわかる。

 頭の先から足の先まで観察するマナの方へ、ユリシスの顔がくるりと向いた。

「“私”が出るまで繋いでくれて助かった。この時代でこれほどの術者がこの場に居てくれた事に心から感謝する」

 ユリシスが文字通りパカッと目を開いて言った。

 その声は確かにユリシスのもので間違いないのだが、凜として迷いが無い。

 ユリシスの特徴的な紫紺の瞳だが、まるでさっきまでのディアナのものを写しこんだように潤んで妖しく煌いている。

「ヴァイヴォリーグも、助かったぞ。何か礼をせねばな」

 ユリシスは仰向けのままそう言った。

 全身が血で塗れている為、出血が止まっているのか判断しにくい。

 巨大な魚が微かに動いてユリシスを見下ろした。

 ──なに、貴女への借りの方が遥かに大きい、気になさるな。

「そうか」

 ユリシスは大人びた様子でふっと微笑った。

 ──ああ、挨拶が遅れましたな。二〇〇〇年ぶりですかな、ディアナ殿。

「ははっ……うっ」

 ユリシス……――いや、ディアナは心底嬉しそうに笑ったものの、束の間、息をつめて咳き込んだ。少しだけ血を吐き出した。少量、喉に残って詰まったらしい。

 何度か咳をしてからディアナは巨大な魚の顔を見上げた。

「――ふぅ……ああ、久しいな」

「――おい! なんだよこれ!」

 アルフィードがディアナの視界に割り込み、口を挟んだ。

 いつまでも壁から飛び出ている魚の顔面を指差している。

「逢った事がないか。上位精霊というヤツだ。意識やら意思を持つ精霊だ。そういうもんだと知らん連中はこれらを“神”と呼んだりもするがな」

 ユリシスの顔をしたディアナは相変わらず上を向いたまま言った。相づちを打つようにヴァイヴォリーグの声が響く。

 ──ただの呼称の違いですな。

「“神”に対する認識の違いだな」

 魚とディアナは何か次元の違う話をしている。アルフィードは引きつった笑いを浮かべる事しかできなかった。

 ようやくマナも口を開く。

「先ほど、ヴァイヴォリーグと仰いましたか……? その名は聞いた事があります。王家の守護精霊だと……」

 ディアナは視線をマナへ向けた。

「うん、ヴァイヴォリーグには昔、そう頼んでおいた」

 ──では失礼する。

「ああ、ありがとう。またな」

 ディアナは古い友人に笑みを見せた。

 魚はスルリと向きを変え、壁の中に消えた。が、数瞬の後、愛嬌か、手を振って見せる素振りなのか、尾びれをぴょるんと壁にはみ出して見せ、気配ごと消えた。

「さて、何がどうなってるんだ?」

 上を向いたままのディアナは言った。

「それより、傷を……」

 怪我の心配をするマナにディアナはぎこちなく微笑んだ。

「大丈夫だ。全部塞いだ。血が足りないのでひとりでは立てないが」

「――ふ、塞いだって……」

「さっきの犬――“獣”に精霊らは怯えてしまってこの霊脈瘤のすみっこまで逃げてこちらに近付こうとせん。そのままでは精霊も集められない。すなわち、治癒も間に合わずユリシスも助けられんというところだった。……それで“私”はヴァイヴォリーグを呼んだ。ヴァイヴォリーグに頼んで眷属の力を借りた。二十億だ。すさまじい力だろう?」

「精霊の単位なんてわかんねぇよ」

 どうだ? と言わんばかりのディアナをアルフィードはチラリと睨んで毒づいた。

 彼女はユリシスの姿をしていながら、自分の事も『ユリシス』と呼んだ。

 ユリシスと、今しゃべっている“私”とは別の存在だと言っている。

「たっぷり寝てたっぷり食えば数日で起きられる。――それより、あの馬鹿共だ。あいつらはなんだ?」

「待てよ、それより何がどうしてこうなってるんだ? なんで“中身”が違うんだよ」

 ユリシスの声で話し続けるディアナの問いに、アルフィードは問いで返す。

「いや、それこそ待たんか、私は事情が一切わからんのだぞ」

「いやいや」

「いや、いやいや」

「……何かの冗談か」

 それまで黙っていたゲドが奇怪なものでも目にしたかのような顔で言った。

 ゲドは獣との戦闘中、いつの間にやら顔を覆っていた布を外していた。その為、精悍な顔つきとともに表情があらわになっていたのだ。マナはただきょとんと見守っている。

 不機嫌な溜め息を吐き出してからディアナはユリシスの声で語り始める。

「……精霊の急激な減少、消滅に気付いて“私”は起きた。起こされたというべきか。状況を把握する為にユリシスの意識にのっかったら、精霊が一斉に逃げてくるところだった。どうしたものかと静観していると、ユリシスが獣に腹を噛まれた。同期していたので猛烈な痛覚に“私”もはっきり覚醒してしまったな。だが、すぐにユリシスの意識は飛んでしまった。当然ながら“私”も一緒にぶっとんだ。そこはそれ、“私”は特別だから、すぐに思考を取り戻したんだが……――ユリシスは致命傷だ、こりゃいかんと思って“私”はそこらの逃げてきた精霊を使ってユリシスの身体をせっせと治癒していた。が、精霊達はよっぽど獣が恐ろしいらしく、すぐにまた逃げ出した。予断を許さぬユリシスの容態に手は離せず、“私”は地道に治癒を続けた。――が、アレがな……」

 ユリシスの顔をしたまま、ディアナは重い、非常に重い溜め息を一つ吐き出した。

「――……馬鹿がいる事にはもちろん気付いていた。が、いかんせんユリシスの身体が動かん。“私”がなんとかするしかないだろう? だから、ユリシスが致命傷から脱するまで治癒して、あいつらに噛み付いたわけだ」

「あれか、あの『大馬鹿者ー』って叫んでた……」

「ああ。……常軌を逸している……アレを……あんなものを持ち出しおって……――許せるものか。あの大馬鹿者め」

「他にもなんか言ってなかったか、ウィルがどうとか……」

 続けて問うアルフィードをディアナは黙殺した。横になったユリシスの口を借り、ディアナは続ける。

「アレを潰そうと思ったが、治癒の術に力を使いながらのせいか、獣はちっちゃくするのが精一杯だった。ほら、あの犬っころだ。で、犬は最後、唸ったろう? ――アレはな」

 体力の消耗を避けてか表情の変化がほとんど無かったユリシスの顔に怒りが滲む。ディアナの怒りだ。

「精霊だけじゃない、肉付きの精霊も飲み込む鬼畜技なんだ。――わかるか? “私”の言うアレがどういうものかわかるか? アレをくらえば、お前達も魂ごと消滅してたんだぞ」

 血まみれのユリシスの姿で、魔道大国メルギゾーク最後の女王は破滅を宣告する。しっかりと開かれた目はその場の三人を鋭く射貫く。

「くらってたら、終わりだった。幸いと言うべきか、“私”が居たから事なきを得たと思え。だが、アレを阻止していた隙に大馬鹿者には逃げられた。――で、気付いた……大事な、大事な、大事な、本当に大事な……」

 たっぷり一分ほど瞑目し、ディアナは再び紫紺色の瞳をあらわにした。言葉の乱れは消えていた。

「結論――ユリシスを盗まれていた。以上だ。さて、“私”の行動はこれで全部になる。今、何がどうなってるんだ? あの馬鹿とは、ユリシスはどういういきさつで争っていた?」

「いや……」

 アルフィードは話す相手の外見と中身が別人だという状況に違和感を覚えつつも言葉を続ける。

「やっぱりよくわからんぞ……盗まれるって何だ?」

「だから、お前達の事情も話せ。私がちゃんとまとめてやる」

 面倒臭そうに言い捨てるディアナ。

 アルフィードは不機嫌に眉間に皺を寄せた。こんな横柄な態度をとるユリシスの姿は今まで見たことが無い。中身が別人なのだから当然なのだが。

「だから……あー……」

 些細な物思いを思考の端に追いやってみるが、アルフィードは自分が思った以上に混乱している事を思い知っただけだった。

「どこから話せばいいんだ?」

「大体でいい。アレと戦う事になる辺りからでいい」

 アルフィードは記憶を辿り、ふっとマナを見た。

「……そういや、姫さんよ、魔力波動が不審で見に来たんだっけか?」

 マナは一度だけ瞬きし、ゆっくりと口を開く。

「……母の故郷。精霊が消滅し滅んだと聞かされて――」

「消滅……? ここから西の霊脈瘤の事か?」

 ディアナが口を挟んだ。

「ええ。そんな折りに王城地下ここで魔力波動を感じて、調べに来ていました。ゲドに先行させていたところ、ユリシスを見つけたと報告を受けて――」

 マナはゲドをちらりと見た。

 忍びは本来三人一組で行動する。

 アルフィードらと遭遇した際、ゲドらは二人だった。そのとき既に一人はマナの元へ報せに走っていたのだろう。

「私はユリシスに関して、ゲドに生死を問わず捕らえるよう命じていました」

「生死を問わず?」

 問うディアナにマナは視線を逸らした。

「ええ……少し、事情があって……」

「ふん」

 ディアナは鼻で笑った。

 マナがユリシスを治癒する際、『死なないで』と言っていたのを思い起こしている。

「まあ、いい。で?」

「――ゲド」

 マナはディアナに促され、自分の半歩後ろに控える忍びの名を呼んだ。

 ゲドは、いつの間にやら口元を黒い布で覆っている。声はくぐもった感じはしない。

「……魔術師アルフィードと戦っている時にゼットが来た」

 ゼットは王の忍びであり、ゲドの父でもある。両者はマナと王の対立そのまま、敵対している。

「ゼットよりも先んじる事――それが最優先されると思い、ゼットと戦った」

 ゲドの声は年齢不詳ながら低めの柔らかい声質をしていた。

「ゼット?」

 後から現れ、ユリシスの両腕を取って捕えた忍びだ。三人一組が基本の忍びであるのに、一人で姿を見せていた。

「父の忍びです。そこに私が合流しました。私は……紫紺の瞳のユリシスから何かしら話を聞けないかと思い、ゼットを帰しました」

「それで、かばったわけか」

 アルフィードの言葉に小さく頷いた後、マナはユリシスの瞳を――力秘める紫紺の瞳を見下ろした。

「あなたが目覚めているのかどうか、わかりませんでしたから」

 ディアナは一瞬だけ目を細めた。

「“私”は目覚めようが何だろうが、こんな風に表層に出るつもりはさらさら無かった。今も例外だ。――で?」

「ゼットが去った後、アルフィード達と私達は話もそこそこにここへやって着ました。あの獣の声が聞こえたからです。ここには、獣と、私の母が居ました」

「そういえば、あなたは誰だ?」

 ディアナが問い、マナはフッと微笑んだ。

「マナディア。ヒルド国第一位王位継承者です」

 マナの言葉にディアナは小さく頷いただけで、大きな反応を示すことは無かった。

 だが、傷は塞がれているものの、消耗しきったユリシスの体を動かしたのは、咳き込んだり顔などの表情を除いてはこれが初めてだ。

「そうか。では、母というのは王妃か?」

「ええ……」

 マナは曖昧に答えた。病で臥せっているはずだったとは、この場では言わなかった。

「あの……女か、私が居る時も姿を見せた」

「ええ」

「――なるほど。大体わかった」

 ディアナの得心がいくのを確認し、アルフィードは口を開く。

「で、お前だよ。お前も何なんだ? ディアナディア・ファル・メルギゾーク、とか言うんだっけ? 俺、半透明の時の声に聞き覚えがあるんだが」

「今朝、話したろう。とぼけるつもりは一切ない。私が“災厄“だ」

 ユリシスの表情はニヤリと歪んだ。やはりこれもディアナが操る以前では見た事がない表情だ。

 アルフィードは首を傾げる。

「お前、現れるまでどこに居たんだ。この周囲に居たのか? ついてきてたのか?」

 ユリシスに入るところなら見た。

 だから今、ユリシスの姿、声をしている。

 アルフィードはユリシスの見た目がディアナに憑依されて変化したのは少しだけだと思っている。

 ユリシスは元から紫紺の瞳だったが、その色が今、神秘的に煌めいている。

「──そうではありません、アルフィード」

 ディアナ・ファル・メルギゾークが答える前にマナが口を挟んだ。

 ユリシスはディアナという精霊に取り憑かれたのではない。憑依ではないのだ。

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