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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第13話『ユリシス?』
118/139

(118)【1】捕縛(1)

(1)

 ヒルド国に、王城で姫と呼ばれる人物は二人だけ。成人女性となると一人しかいない。

 姫と呼ばれた女性は、丈の長い薄青緑のワンピースを一枚、その上に目の細かいレースのケープを羽織っているだけ。装飾品はほとんど身につけていなかった。

 仕立ての良さは貧乏が身に染みたユリシスにもわかったので、地味とは思わなかった。

 衣装が地味――簡素なほど、身につけている女性の華やかな美しさは際だって見えた。

 ユリシスは、この場に新しい人物が現れた事よりも、女性が姫と呼ばれた人である事よりも、何より同性でありながらその美貌に目を奪われていた。

「貴女と構える事は出来ない」

 三人目の忍びは感情の無い声で言った。一定以上の年齢を感じさせる落ち着いた声音は四十、あるいはそれ以上……。

「この者達は私の指示でここに居ます。父にはそのように」

 背筋をぴんと伸ばした女性は凛として迷い無く言った。

 女性の赤い髪は長くて床に届いてしまいそうだ。スラリとした細身の身体からは存在感が際立つ。

 整いすぎている静かな相貌は無表情のせいかひどく冷たく見えた。

 引き結ばれた唇はそれ以上何も言わない。瞳はひたりと三人目の忍びを見つめて動かない。

 数秒して、三人目の忍びは半歩たじろいだ。

「……――」

 沈黙を返して後、黒い忍びは影のように掠れて消えた。風が生まれた事から、並々ならぬスピードで駆け去ったのだろう。

「……どういうつもりだ?」

 アルフィードの声は突き放すような冷たさがあった。

 ギルバートの死の現場で、唯一制止する事が出来た人物に対して感情を見せたくないのだ。

 女性はアルフィードから目を逸らし、怪我をした黒装束の忍びの傍らに立つ。

 僅かな時間、目を伏せ、瞳を瞼の下に隠した。

 今も血を流して倒れている一人目の忍び――アルフィードが倒した忍びだ。

 彼女は一人目の忍びの隣に膝をつき、ルーンを描く。

 ユリシスはあっと声を漏らしかけ、顎を引き締めて我慢した。遠目でもわかる。治癒の術だ。だが、それは――。

 術が描かれる間、アルフィードもユリシスも随分と待たされた。

 一人目の忍びはアルフィードのつららの術に腹を貫かれていたが、どうやら息があったらしい。奇跡に近い。つららは臓器を避けたのだろう。

 忍びの装束は特殊でとても強い生地で出来ているが、それ以上に彼らは薬品に関する造詣が深い。もしかしたら何らかの処置を自分で施したのかもしれない。だとしても、軽い傷でも無かった。即死級の致命傷だったろうに。

 少なく見積もっても一時間は待たされた。

 その間にユリシスはアルフィードへ一言だけ声を飛ばした。

『あれ、古代ルーン魔術だよ。しかも……結構難易度高いと思う』

 アルフィードの反応から、ユリシスは自分の操る古代ルーン魔術は希少なのだと思っていた。なのに今、姫と呼ばれた赤髪の女性はユリシスの眼前で古代ルーン魔術を描いて見せる。

「…………」

 治癒の術を受けた一人目の忍びがゆっくりと起き上がる。

「傷自体は塞ぎました。ですが、臓腑へかかった負担は取り除けていません。血も足りないでしょう。一度、戻りなさい」

 傷をふさがれた忍びはふらふらと出口の向こうへ去って行った。

 残る忍びは一人。二人目の忍びである。

 ――つまり、その女性の……マナ姫側の忍びのトップ、という事になる。

 忍びはマナ姫の傍らに立つ。

 やり取りを待つ間、アルフィードは苛立ちを隠さなかった。つま先で床をコツコツコツコツと叩いていた。

 そこまで露骨にしなくてもと思いながら、ユリシスは特に止めなかった。ただ、さっさと帰れば良いものを、なぜ待っているのかと疑問に感じながら。

「……彼に聞かせる必要が無い、そう考えているだけです」

 アルフィードを振り返ってマナ姫はきっぱりと言った。それはアルフィードの『なぜ三人目の忍びを追い払ったのか』という意味で問うた言葉に対する答えだった。

 アルフィードは床を打つ足を止めた。

「それとも、地下王墓への侵入の罪を問われたかったのですか」

 マナ姫の口調は言葉ほど鋭くはなく、むしろ優しい。そのまま続ける。

「どこから侵入しましたか? ここへの扉は厳重な警備を敷いています。もし他に入口を開けたのだとしたら……誰がこの、いにしえから続く結界の術を破ったのです? ……結界のどこかが欠ければ術のおおもとにあるオーブからわかるようになっているのです。この結界のどこに穴をあけましたか」

 アルフィードはゼクスの開けた穴の事を言うつもりはなかった。プライドが許さないからだ。ここへ一人で潜った際、その厳重な警備とやらを抜けるのにひどく苦労したのに、ゼクスはあっさりと侵入したという……腹立たしい事だった。

 口をつぐむアルフィードにマナ姫は小さな溜息をもらした。

「今朝、母の故郷であるエリュミスが落ちました」

「ほう……」

 アルフィードはわざとらしく驚いてみせた。軽く顎を持ち上げて、初めて聞いたという素振りだ。

「この地下は強い魔術で閉じられていて、地上へ漏れる事はありません。ですが、それを貫く魔力波動を三度《 みたび》感じました」

「……それで?」

「あなたたちはここで何を?」

「俺がその三度の魔術を発動させたと?」

「漏れるとしたら……ここを閉じている古代ルーン魔術以上の術でなければ……」

 マナ姫はアルフィードの斜め後ろに立つユリシスへすいと目を向けた。

「――あなたは?」

 ユリシスは思わず目を見開いた。口までぽかんと開いてしまった。

 もの凄く高貴な女の人から自分なんかに話をふられてしまったと緊張したのだ。それでもすぐに首を左右に大きく振った。

「な、何もしてないです」

 マナ姫は少しだけ首を傾けて目を細めた。

「ほんとうに?」

「ほ、ほんとに!」

 ユリシスは首を縦に振る。

「なぜ、こいつに聞く?」

 アルフィードの問いにマナ姫の視線がゆらりと動く。

「――……目覚めていれば、たやすいと思って。……エリュミスは“彼女”が滅ぼし損ねた民が逃げ集った地。もしやと思って」

アルフィードは“彼女”が示す存在について心当たりがあったが、肩をすくめて見せた。

「見てわかるとは思うが、こいつはただのガキだぞ」

 アルフィードはケロリと嘘をつく。目覚めている風には見えないだろう、と。

「……だとすると、三度もの波動の理由が……」

 その点に関してはアルフィードも考えを巡らせる。

 一度目は確かにひょっこり顔を出した“災厄”――“彼女”の施した地穴の術が原因だろう。あと二度となると……――何かあったか?

「……獣……」

 アルフィードはぼそりと呟いていた。

 地穴という古代ルーン魔術を用いて移動した先――エリュミスで“災厄”が『馬鹿が獣を率いてやってくる』と言っていた。

 ――やってくる? どこから? ……ここからか?

「けもの?」

 マナ姫は聞き逃しておらず、問い返してきた。

 その時だった。

 誰もが地鳴りかと思った。

 地の底から、体の芯へ、腹へ、脳へ、魂へと直接響いてくる低いうなり声が聞こえた。

 この振動は魔力波動を伴っていた。

 アルフィードとマナ姫は視線を交わして駆け出した。二人のあとに忍びも続く。

「え!? ちょ」

 ユリシスも慌てて駆け出す。

「ちょ、ちょっと!」

 ユリシスは三人を追って廊下へ飛び出た。

 廊下は広い。

 五人が横に広がって並んで歩いても余裕があるほどだ。

 壁も天井も装飾などほとんどない。のっぺりとした白い肌が見えている。

 全力で駆けながら、時に速度を落として廊下の角を何度も曲がった。

 やがて、ユリシスは咆吼以後辺りを包んでいた魔力波動の中心に気付いた。

 大きなうねりをもった波動の固まりの真ん中、魔力波動の噴出点がある。どうやらそちらへ向かって走っているらしい。

 初めてここを訪れた際は目に頼り、ゼクスに灯りをともしてもらわねばならないほど暗く感じた。が、今は精霊の力を借りて全て明るく見えている。迷いなく走れる。忍びも、見えているのだろうか。

 しばらく走って、ユリシスは焦る。

 ――追いつけない。

 アルフィードは既に身体強化の術をかけていたし、解いていた様子も無かった。姫と呼ばれたあの人も、さっさとかけてしまったのだろうか。それとも元からかけていたのか。華奢な印象の体躯からは想像出来ない足の速さだ。

 まったくもって追いつけない。それどころか、今も恐ろしい勢いでぐんぐん離されている。

 ユリシスは走りながら魔術を描く。

 長々と術を描く事で引き離されるのも困る。

 ユリシスは足を早くする為、風の術だけを描いて追いかけた。

 速度を上げてみたものの、角を曲がると砂利に滑った。手をついて立て直し、再び駆ける。

 必死で追い駆けながら、ユリシスはそんなに私って鈍かったのかなと真剣に悩み始めていた。

 追いかけている相手がそれぞれの分野で五指に入る実力者だったなんて、ユリシスには当然知る由も無かった。ただの一般庶民として下町の看板娘をしていたユリシスにとって世界が違いすぎただけだ。

 長い廊下をひたすら走りながら、次に思い浮かべたのは姫と呼ばれた人の事。

 この国で姫と言えばマナ姉姫かエナ妹姫のどちらかになる。

 エナ妹姫にならユリシスは会った事がある。

 七歳の、言葉遣いが大人びた子。エナ姫も赤い髪をしていた。

 今、目の前を走るマナ姉姫の豊かな髪も赤い。

 姉妹なんだなぁとユリシスはしみじみと思った。あの人が、エナ姫が『会いたい』と訴えたお姉さんなんだな……とも。

 最後に、思い巡らす。

 ただの獣の声なら、彼らは会話を中断してまで正体を明らかにしようと向かわないはずだ。一体、何の声だったのか……。

 様々に考えていると、また距離が開いていた。

 ユリシスは下唇を噛んだ。

 ──もう! がんばれ、私!



 

 やがて、魔力波動のうねりが熱風のように感じられはじめる。“獣”の声――目標に近付いた証拠だ。

 前を走るアルフィード、マナ姫、忍びの三人が角ではなく、壁に大きく開いた入り口へ飛び込んだ。ユリシスも後を追う。

「そんな……なぜです!? お母様!」

 何かを見るより先にマナ姫の声が飛び込んできて、ユリシスはそちらをを振り返った。

 マナ姫は上方を見ている。視線の先をユリシスも見た。

「――……」

 なにあれと言おうとしたが、驚いて声が出なかった。

 天井がぶち破られて上の階と繋がっている。

 そこに居た。

 巨大な――人の体格の三倍、いや四、五倍程はありそうな“獣”だ。

 床のそこかしこに瓦礫が転がっており、足場が悪い。

 宙に浮く“獣”は狼を思わせた。

 がっしりした骨格に分厚い筋肉が覆っている様子は青白い被毛の上からも伺い知れる。毛並みの先端は透けて向こうが見えた。

 呼吸をしているのか怪しい静かな佇まいだ。

 すいと獣の首が動き、ユリシス達を見下ろした。

 ぎろりと睨む獣の目にユリシスの心臓は跳ね上がる。

 ──紫紺の瞳……自分と同じ色。

「なぜ! お母様!」

 マナ姫の声にユリシスははっと我に返る。

 ちゃんと見れば獣のあちら隣に人がいるのがわかった。その人も何の魔術か浮いている。

 マナ姫はその人を『お母様』と呼んだのだ。

 その人の真っ白なドレスがゆっくり揺れる。

 白髪交じりのグレーの髪は無造作にばらされ、獣の放つ魔力波動にゆらりゆらりと揺れている。

 生温かい風がユリシスには気味悪かった。

 マナ姫に母と呼ばれた女は、ちらりとユリシスを見る。マナ姫ではなく、ユリシスを。

 ユリシスは思わず身を引いた。

 寒気のようなものを感じたのだ。胃の奥がしくりと痛んで吐き気が上ってきそうだ。

 女はユリシスを見つめたまま、獣の耳元でそっと何かを囁いた。

 女はユリシスから視線を動かさず、ほんの少し、微笑んだ。

 そうして女はひゅるりと壁に吸い込まれるように消えた――。

 アルフィードの眉がピクリと動く。今のは、以前、ゼクスが去る際に使った魔術と同じだ。

「あれ……王妃か?」

 アルフィードは確認のつもりで問うも、マナ姫の目線は硬直していた。

 やや間を置いて、呼気とも声とも区別のつかない音をマナ姫は発する。

「……きせん……」

 マナ姫は深く溜息を吐き出した。

 感嘆でも諦念の溜息でもなかった。

 感情の無い、疲れ果てた吐息。

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