(117)【4】王妃の微笑(4)
(4)
『あ――……あれ……?』
ユリシスは唐突に思い至る。
こういった感覚を女の勘と呼ぶ人も居るかもしれない。幻覚のような直感。ほんの微かに感じる確かな一致。
『なんだ?』
『押してる方……後から来た方。三人目。王城の塔で一度やりあった忍びのような気がする』
二人で、王城に囚われたギルバートを助けに登った塔の事を言っている。
『……なるほど。動きにクセらしいクセはないが、あのキレの良さはそうだな、あん時のヤツの可能性もあるな』
近接戦もこなす第一級魔術師たるアルフィードをものともしない忍びはそう多くない。しかし、特性上、没個性が求められる忍びを見分ける事は難しい。アルフィードは断定を避けた。
ユリシスは時に目を細める。そうしなければ忍び達の早い動きを追いきれないのだ。
忍び達が交差する時、回転しながら離れる時、どちらの黒い影なのかわからなくなる。
『……ああいうのとは、どうやって戦うんだろう……』
ユリシスは無意識に声を飛ばしてしまっていた。後ではっとなったが、出てしまった言葉は取り消せない。
『古代ルーン魔術の使い手からそんな言葉が出てくるとはな』
『……』
大変居心地が悪い。
『魔術師の戦闘の基本は先手必勝』
ユリシスが乾いた喉に無理矢理唾を送り込んでいる間に、アルフィードは教えてくれる。
『相手に気付かれる前に決着を付ける、これが基本だ。だが、大概そうはいかねぇ。直接ぶつかる事になる。だからといって殴り合いにはならないよな。魔術師同士の戦いなら、それぞれがルーンを描くから、タイミングをみて確実に当てられる術を撃っていく。相手の苦手な術、あるいは相手の術を相克した上でアタック出来る方向に持っていけたら、もう勝ちだろうな。魔術師だと一般人にゃあり得ねぇっていう変則的な環境変化も扱える』
二人がお互いを知らぬまま対決した時の事だ。
ユリシスはアルフィードを地中に閉じ込めた。命の奪い合いであったなら、アルフィードはあの時とどめを刺されて死んでいる。
近接戦が苦手な魔術師達にはそういう戦い方もある。
『魔術師同士の戦いは幅の広い駆け引きを読んで手数を稼げた方が先手を取りやすい。そういうわけで、俺みたいに両手でルーンを描いて術を撃てる奴は有利。戦ってる魔術師は忙しいんだが、見てるだけだと“まだかまだか”と待つ事になる場面もある。――んで、あいつらな』
アルフィードが説明する間も忍び達は人間離れした速度で拳に蹴りにと繰り出している。どちらもするすると避けるので、決定的な一撃を決めきれていない。
『とくにあいつらは、直下の忍びの、どうにもトップ同士……。そいつらを見て、どうやって戦ったらいいかという疑問だが』
『うん』
『ああいった化け物じみた速さと力のある奴らと、周りが“まだか”と待つような戦闘スタイルの魔術師では、わかるよな? 魔術師がひどく不利だ。戦闘は避けた方が良いってくらいにな。それでも戦わなきゃならねぇってなると、出来る限り近接戦っぽくやる必要がある。不得手なやり方になるが、これはどうしようもない。術を描く時間を稼ぐにはそれしかない。ま、お前みたいに目隠し連打ってのもありだが、その目隠しだって書く時間は必要だろ?』
ユリシスが闇の幕を描けたのは、忍びがアルフィードに集中していたからだ。
『鍵になるのは、紺呪石をちゃんと仕込んであるかって点だな。あらかじめ色んな魔術を紺呪石にして持っておく、まずこれが前提だ。あんな早い連中の前でいちいちだらだらルーンなんて描いてられねえってのが理由。紺呪石を使えばほぼ一瞬で術を出せる』
全身あちこちに紺呪石を忍ばせているからこそ、アルフィードはハイレベルな近接戦をも制する事が出来る。
『今言っても仕方ないが、お前なら古代ルーン魔術を紺呪石に封じておけば戦いの幅も、異常なほど広がったんだ。古代ルーン魔術を石に詰めて補足を書きながら戦えば応用範囲は現代ルーン魔術の比じゃない。それと現代ルーン魔術と併用すれば……記述の平易な現代ルーンを随時描いて戦うのが、お前なら一番スマートなんじゃねぇの』
『でも……それでもついていけそうにない』
『それは――」
一瞬、アルフィードが言葉に詰まった。
『慣れ』
『慣れ……て』
『慣れってのは言葉が悪いか。訓練。いくつもの動きを徹底的に体に叩き込んでおいて、戦闘になったら動きを組み合わせて戦う。戦闘毎に組み合わせ、パターンはゼロに戻して相手に応じて組み立てる。こちらが動きやすいとか、いつも同じ、なんてのは読まれやすい手でもある事を忘れるなよ』
つまり、一朝一夕で身につけられるものではなく、魔術で補助しきれるものでもないという事だ。
『結局、今はどうしようもない?』
ユリシスは自分に出来る事が何もない気がして落胆した。あれほど魔術の練習をしてきていたのに、忍び相手では手も足も出そうにない。
『しゃーねーだろ。見てればいい。罠でもはってくれてもいいが、先に俺に一言飛ばせ。俺が罠にかかるのも、俺の術の組み立ての邪魔をされるのも困る』
『うん……』
目の前の戦闘は激化している。肉弾戦がずっと続いていた。
筋肉と筋肉がぶつかりあう鈍い音が続いていて、これぞという一撃は当たっていない。基本はすべて避け、当たってもガード済みという状態だ。一進一退、決着のつく気配はない。
『こいつらチャクラ術を使う気はないみたいだな』
『あ……そうか。忍びにも術があったっけ』
忍びの能力の大半はその卓越した身体能力だが、随所随所で忍びの術としてチャクラ術を使う。精霊に頼らないところは魔術師が魔力のみで力を発動する技に似ている。
そもそも、魔術とチャクラ術、名前は異なるが魔力とチャクラ――力の源は同じと言われている。
チャクラ術は薬品など触媒を使い、チャクラを起爆剤として様々な現象を引き起こす。
『お前な……そういうの忘れて戦う気あるみたいな発言をするな。阿呆か。瞬殺されて終わりだな。馬鹿だろ』
『え……えぇ……』
『なんで俺こんなヤツに……』
アルフィードのぼやきがほんのり聞こえて消えた。
ユリシスとアルフィードが話している間も忍び二人は距離を詰め、また間を空けてはと激突を繰り返していた。
チャクラ術というものは、以前、国民公園に火を付けた姉弟魔術師のうち、姉の方を死に至らしめた術である。
チャクラの術は触媒を必要とする事や手間がかかる事もあり、肉弾戦になるとあまり使われない。ましてや実力がごく近い者同士ではよほどの賭けでも無い限り使う暇が無い。主に、魔術師に対抗する為に生まれた“忍びの力”の一つと言えた。
ユリシスは少しでもそのスピードに慣れようと忍び二人の戦いを食い入るように見ていた。ああいう手合いに今まで何度も襲われていたのかと思うとぞっとする。よく今まで逃げ切れていたものだと……。
思い返せば、一人で逃げ切れた事は少ない。ユリシスは現状を真摯に受け止める必要性を強く感じていた。
――もう、ギルバートは居ない。
自分の身は自分でちゃんと守らなくては――。
救われた命なら、与えられた夢への一歩なら、なおさら守り通さなくてはならない。ユリシスは浮かびそうな感情の塊を涙にせぬよう拳をぎゅっと握り締めた。
いつまでも続くと思われた忍び二人の戦いも、ついに決着がつきそうになる。
例の直感もあって、ユリシスにはソレが三人目の方の忍びとわかった。
三人目の忍びが二人目の忍びの腹を蹴り上げる。そのまま浮き上がらせた二人目の忍びの体の上に足をまわし上げた。それは瞬きよりも早い――勢いよく踵を二人目の忍びの背中に落として地面へ叩きつけた。
二人目の忍びは地面にぶつかり、まるでおもちゃの球のように跳ねた。彼は受け身を一切取れず、全身で衝撃を受け止めるしかなかった。
三人目の忍びが例の如くどこからか出した小さな鎌を持ち、呼吸を詰まらせてあえぐ二人目の忍びに馬乗りになった。振り上げた鎌で首を落としにかかる。
一瞬の出来事に目を見開くユリシス。アルフィードは眉間に皺を寄せた。
――その刃が、キキッと鋭い音をたてた。
鎌の柄は三人目の忍びによって振り下ろされながら、刃は砂のようにボロボロと崩れ落ちたのだ……。
三人目の忍びは素早く短刀を出して再度二人目の忍びの首を狙うが、同じ結果に終わった。
それを確認して、三人目の忍びは入り口の方を向いた。
「それ以上は、私が相手になりましょう」
入り口に立つ女の声に三人目の忍びはゆっくりと立ち上がった。それぞれから距離をとった位置で新たに現れた人物――若い女を見た。
窮地であった側の二人目の忍びも立ち上がった。忍びが初めて声を発する。
「姫……」