(109)【2】消えないもの(4)
(4)
ゼクスは剣に手をかけようとして、やめた。
「……ここで争う気はないよ。それほど沢山時間があるわけでもないし」
アルフィードは臨戦態勢を解いた。
両者の間に流れていた闘気のようなものが、瞬時で掻き消える。
ユリシスに対してこの扉の起動に「多少時間がかかってもかまわない」とゼクスは言っていたにも関わらず、アルフィードには時間が無いように言っている。
「…………」
ユリシスはこっそりとゼクスの横顔を盗み見るが、やはり何を考えているのかわからない。
アルフィードは嘘ではなさそうだと判断した。ゼクスの言葉からアルフィードが読み取ったのは「戦っていれば時間がかかる」、すなわち「決着が付きそうに無い」と判断たと気付いたからだ。
「俺の事、知ってそうだな」
「そりゃぁねぇ……第一級魔術師になって、有名になっちゃっても暴れまわっていられるなんて、そうそう出来る事じゃないでしょ。名も遠くまで聞こえるって。……で、そっちも俺を知っていそうだね?」
「ここで会ったから確信したって程度だな。各地の遺跡に出没するって噂はかねがね聞いてるぜ。第一級クラスの野良師……魔法剣士ゼクス」
「はははっ」
ゼクスは弾けるように笑った。ひとしきり笑い、目を弓形にしたままこう言う。
「またどこかで必ず会うから、この続きはその時にしよう」
くるりとユリシスの方を向いた。
「ユリシスも、ね。その時こそ、ここ開けてね。……いや、きっと君は開ける事を選択するよ」
目はもう笑っていなかった。
「――え?」
「じゃっ」
「……おい!」
アルフィードが叫ぶのと同時、ゼクスは右手で魔術を直接描き、左手で紺呪石に込められた術を発動させた。彼の描くルーン文字は小さい。何の術かはわからなかった。
瞬時に飛び上がり、天井に敷き詰められた白い石と石の隙間にシュルンと吸い込まれて消えた……。
「……どんなルーン書いたらそんな事が出来るんだ……」
アルフィードは呆れて呟いた。そして、丸い扉の前で佇むユリシスの方へと歩み寄ってきた。
「おい。あいつ、ゼクス。あいつも古代ルーン魔術を使うのか?」
ユリシスは顔を背けたまま、うんと頷いた。
「さっきもここで使ってた」
ユリシスから二歩の距離を開けて足を止めると、アルフィードは「ふむ」と頷いた。
「この地下遺跡は……ああ、まぁ後で説明する。とにかく一旦出るぞ」
「……」
「…………何が不満なんだよ。二ヶ月近く姿くらまして、久々に会ったらその態度かよ……」
顔を会わせようとしないユリシスにアルフィードはため息を吐き出した。
「……ちがう。ごめん」
しばらく間を空けてユリシスは言った。
「自己嫌悪」
「……」
アルフィードは小さく息を吐き出す。
「別に、構わねぇけどよ……。人と会う時は……少なくとも俺と会ってる間は、そういうの引っ込めてくれねぇか。俺、そういうの付き合いきれねぇんだよ」
「……ごめん」
迷惑そうな声に追い討ちを掛けられる気がした。ユリシスは右手の平をとんとんと胸に当てて落ち着こうとした。
「で、お前さ」
ユリシスはやっとアルフィードの顔を見た。
眦の刺青は、両の目に沿って外側へ炎が燃え上がっていく形の物だったが、前と少し違う。
今、火のラインが増えているように思われた。威圧感が増している。
「なんであいつと居たわけ? 正直、よりにもよってって感じだぜ」
「ゼクスって有名なの?」
「……どっちかってーと、俺なんかが居る世界の住人だな」
ユリシスにはよくわからなかった。
「それよりお前、これ起動しようとしてただろう?」
「え……うん……」
曖昧に答えるユリシス。アルフィードは大きくため息を吐き出して、ユリシスのおでこを手の平の付け根で小突いた。
「たとえばお前が、まぁありえねぇけど、俺がわざわざ好き好んでとった弟子だったら……男だったら、ぶん殴ってるぞ」
「……」
謝るという気にはならなかった。何が悪かったのか、よくわからないから。
「これを開けたらどうなるかとか、考えなかったわけだよな?」
ゼクスに言われるまま、起動しようとしただけだった。
「ここには何で来たんだ?」
「……」
引っ張って連れて来られたのだ、理由なんて無い。
答えないユリシスをアルフィードはそう長く待たなかった。
「とりあえず、外まで歩きながら、だな」
そう言ってアルフィードはユリシスを促した。
「ああ……ここの久呪石を起動したのはゼクスか?」
「うん。さっき言った、古代ルーン魔術で……」
「……なるほど」
何がなるほどなのか、アルフィードは何度か小さく頷いている。
フロアの外、廊下は明かりのない暗闇のままだった。
眩しいほどの光に包まれたフロアに目が慣れていたこともあって、廊下の闇は目が痒くなるほど底の見えない黒だった。
そこにアルフィードは灯りも付けず歩き出す。
「えっ……」
「なんだ?」
「灯り、つけるよ?」
「いらねぇだろ、そんなもん」
真っ暗闇の向こう、既に闇に溶けたアルフィードからの返事にユリシスは眉をひそめた。
「えぇ?」
「ここに来る時は灯り用意したのか?」
「ゼクスが……」
「あの野郎……ルール無用だな……霊脈でむやみに術を使うなっての……それで精霊もざわついてたわけか」
「どういう意味?」
「そもそも、あの大火を消し止めたほどのお前だ、灯りなんていらねぇだろうがよ」
「……」
アルフィードの言っている事がうまく飲み込めない。しばらく沈黙が流れた後、アルフィードがポツリと呟くように言った。
「お前、もしかして……え? こんな事も出来ないのか?」
「……え?」
「あー……基礎がない……のか?」
探るようなアルフィードの声は少し震えて聞こえた。だが、ユリシスは答えようがない。
アルフィードは一度咳払いをして続ける。
「魔術は、自分自身の魔力を使うか、魔力を媒介、媒体にして精霊に呼びかけてより大きな力を発現させるってのが主だが」
ユリシスは頷いた。
「魔術師の基礎は、魔力をものにする事から始めるんだが」
再びユリシスは頷く。
「次にやる事は、精霊の精査、選別、浄化なんだが」
「え……」
ユリシスは、頷かなかった。
「お前これ、出来ないんじゃないか?」
ユリシスの反応をよそにアルフィードはそう言った。
アルフィードはため息を一つついてから、ユリシスの手をひいて闇の中へと迷いなく歩いた。
――……まただ……また、自分で決めた道を歩いていない。
ユリシスは右手を預けたままアルフィードの方を向けなかった。
しばらくして、アルフィードは言った。
「真っ暗なのは、いいな」
アルフィードにしては珍しく、随分と明るい声だった。
「話がしやすいって意味でな。お前は見えてないし。俺は人見知り激しいんだよ、結構」
「全然……そんな風には見えない」
アルフィードの低く短い笑い声が聞こえた。
「俺の生き方は、真っ当じゃねぇ。敵も多い。大事な人間の数はいつも少ない方がいいんだ。ギルがいなくなって、両親の二人になった。それ以外ならどいつも大抵、死んで構わない。俺は、ほとんどの奴を人として扱ってねぇんだよな」
何か言おうかとも思ったが、それほどアルフィードの事を知っているわけでもないので、ユリシスは相槌だけを打とうとした。が、その前にアルフィードが続けた。
「で、ギルバートが……」
アルフィードは一呼吸置いた。そこからは一気に、前を向いたまま続ける。
「ギルバートが命まで懸けて守ったんなら、せめてそこと連なるゴタゴタが終わるまではギルの代わりをしないといけねぇんだろうなって、覚悟したわけだ。俺なりにお前がいない間に調べまわったり、根回しはしたんだが」
小さな溜め息が聞こえた。
「お前は何をやってたんだろうな。何を考えてたんだろうな。ギルの遺体が無くなって――奪われていたってのに、それを俺にダッシュで伝えに来たまではいいが、またそこから何をフラフラと……。正気か? と思ったぜ。俺には手に負えないと好きにさせたが、正直よく行ったよな」
呆れた笑みが含まれていた。軽蔑に近いのかもしれない。
ギルの遺体が無くなっていて気にはなっていたけれども、考えを回したくない所でもあって、つまり逃げる事に、素直に従った自分が居た。
遺跡へ行き、ゼクスと再会し、山で決意を改め、ここでアルフィードと出くわした。
そして、ジワジワと、ユリシスは心の奥に無意識で潜ませていたものがあった事に気づき始める。
知っていて、見て見ぬふりをしたかのように。
ああしなければならない、こうであるべきだ――そう決意しても、心の奥のものまでは誤魔化せず、矛盾は出てきてしまう。
「戻って来たら戻って来たで、あのゼクスと一緒だ。バカかと。ありえねぇよ。お前の『紫紺の瞳』は隠しようがなく、あいつにだってバレバレなんだぜ? 利用されるなんて、当たり前じゃねぇかよ。呆れるぜ……」
チクリと胃の辺りに痛みが挿した。ユリシスはそっと空いていた左手を胸の下に添えた。
ゼクスは幼い日の命の恩人だったから……、それで信じるのは駄目なのだろうか。『紫紺の瞳』というものが大きな意味を持つというのがまだよくわからない。利用されるほどの自分ではないと思っている。
「…………呆れて、手加減無く暴れてぇ感じ。ギルが居たなら、お前にゼクスなんか絶対に近寄らせなかっただろうに」
強い、自責の念のこもった声だった。
アルフィードはユリシスを責める事はなく、己を責めていたらしい。
それからしばらくアルフィードは何も言わず歩いた。間を置いてからユリシスは問う。
「ゼクスは……どういう人なの?」
アルフィードの返事を待たず、首を左右に振って質問を変えた。
「……ううん……私は……何なの?」
アルフィードはピタリと足を止め、すぐにまた歩き出した。
「まだ下に部屋がある。そこを見せてやる」
遺跡を出る予定を変更したようだった。
暗闇のままずっと歩いた。
階段はなく、緩やかな坂を少し降った。アルフィードが足を止めて「ここだ」と言った場所も暗闇のままだった。
アルフィードの手が離れて、闇の中にポツンと取り残された。
「見えないか?」
何も変わらない。何も見えない。
「少しだけ、手伝ってやる」
そう言ってアルフィードの気配が動いた。ユリシスの背後に移動したのだ。両頬の傍に温かい何かを感じる。
「一回目を閉じて、んで、開いてみろ」
言われるままにした。
そして、驚きを隠せず、頭を少しだけ左右にゆっくりと振った。
「……なんで」
目の前は白く、先ほど居たゼクスが灯りを付けた部屋と変わらない明るさに満ちていた。白さは四方を囲む壁が白い石が積み重ねられて出来ているからだ。さっきまであんなにも暗かったのに。
両頬から少し離れた場所にアルフィードの両手がそえられていた。
「ここは精霊が満ちている。彼らの目……みたいなものを通して見れば、光も闇も関係がない。人間の目なんてものは、環境に左右されすぎんだよな。魔術師なら、精霊の力を、目を借りる事が出来る。そのいい例ってとこだ。精霊がいない場所だとこうはいかないがな。で、正面少し上。小っちぇ文字が刻まれているのが見えるか?」
正面には傷のない白い石が積み重なっている壁がある。見上げると、石にシミのような影がある。小さすぎて正直文字の判別がつかなかった。
「ここを作ったヤツのメモかなんかだな。古代ルーン文字で書いてあるが、俺でも解読できるレベルだ。お前なら余裕だろ? 他の場所にもいくつかあるが……」
ユリシスはアルフィードの声を聞きながら紫紺の瞳でその小さな文字を凝視する。
『誰を恨めば良いか。何を悔やめば良いか。過去か。未来か。
紫紺の瞳をか。貴女をか。
ささやかな望みは既に絶たれた。
いつか必要となる日の為、私はこれを未来へ遺そう。
この指先の動く事が、人に命ある事がどれほどの奇跡か知らぬ愚かな者が、その命を弄ぶ者が現れた時、貴女の居ない未来にこれを託す。貴女のした事は永遠に正義。それを証明する。
貴女が紫紺の瞳であった事は私にとっては辛い事実ではあったが、全てでもあった。
力の、破滅の、終焉の正義を貴女は示した。
私はただ、全てに焦がれる』
文字は終わりに近付くほど乱れていた。
アルフィードが読み上げる度、ユリシスの目にも鮮明に文字は見えた。
「結構意味不明だが。ヒルド国の民は元々ここから離れた所にあった魔術大国メルギゾークから滅亡時に逃れて来た連中だ。メルギゾークを滅ぼしたのは、最後の女王だと言われ、その女こそ、紫紺の瞳の持ち主。ここを作ったヤツは、滅びの元凶に心酔して、ここに何かを遺している……さてユリシス」
辺りは再びフッと闇に覆われた。同時に背後にあったアルフィードの気配も動いた。
「上にあってゼクスがお前に開けさせようとしていた巨大な扉は、何だったんだろうな。たまたまかどうかは知らねぇし、またそれそのものがどれ程のものかはわからねぇが、滅びの元凶と同じ特徴を持っているお前は、どう考える?」
ユリシスは心の奥の何かが動き始めている事を感じた。
明確には言いようもなかったが、ユリシスは必ずこれを捕まえてやると強く思った。
吸い込む空気が、変わった気がした。
暗闇のまま先ほど文字の見えた辺りに手を伸ばした。
「アルフィード」
「……」
「ありがとう」
「は?」
「私はね。ギルが死んだその時から、必死でもがいたままだった」
「……」
アルフィードは黙って聞いてくれているようだった。
「なんて自分勝手だったんだろうって今ならわかるよ。本当に、でたらめだった……。考える材料はバカみたいに少ないんだよね。でも、単純なのかもしれない。ここに辿り着くまで私は……。私はわかってたし、そのつもりはあったけど、実際は……」
暗闇の中へ、壁へかざした手は、当然見えなかった。
今まで、そうやって周りが見えなかったのだ。
「なぁーーーんにも」
子供のような無邪気な声で、馬鹿みたいに言う。
「考えてなかったんだよ」
自分の事が、愚かで仕方なかった。
「へーぇ?」
含まれた笑い方は先ほどまでの軽蔑はないように感じられた。
──何も考えていなければ、ただ誰かの後を着いて、元にも戻れない道を辿るだけ。それではいけない。それはなんとなく感じていて、でも、もがいた挙句……。
「あーしなきゃいけない、こーしなきゃいけないとか考えて……。私自身がしたい事だとかやらなきゃいけない事は全部据え置き……だった気がする。だから、行動に移そうと思うと何だか結果、何にも出来ていない。その事が、よくわかった」
隠れない。
立場を手に入れる。
わからない事を潰していく。
そう決めたものの、どう行動に移していったらいいのかという部分を考えていなかった気がした。
決意に行動を伴わせるだけの十分なエネルギーも無かったのかもしれない。
言い換えれば、やらなければならないだろうからやろう、そういう決意の仕方をしていた。もがいた挙句それだったわけだ。
――そうじゃない。
不思議と口角に笑みが浮かんだ。
「私は私。こんなもの知らない。紫紺の瞳だからって変な言いがかりはやめて欲しいし、ずっと昔の人なんだか知らないけど、何か深く思って遺したんだろうけど」
ユリシスは顎を上げ、真正面を見据える。
「正直、迷惑」
はっきり言ってしまうとスッキリした。
ぽんと頭の上から衝撃があった、手だ。すぐに離れたその手の当たった場所にユリシスは触れた。
「なかなかいい考えだ」
アルフィードの声音は笑みを含んでいた。
クルリと声のした方を振り返ると、急に視界が開けた。
精霊が、力をかしてくれる――。
見える。
アルフィードが、白い部屋の真ん中でニヤリと微笑っていた。