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メルギゾーク~The other side of...~  作者: 江村朋恵
第12話『王妃の微笑』
107/139

(107)【2】消えないもの(2)

(2)

 ユリシスは慌てて家を飛び出して走った。

 ゼクスが知っているユリシスの住む家と言えば、昔会った時に伝えていた『きのこ亭』だ。

 舗装された通りを南へとユリシスは駆けていたが、国民公園の灯りの途切れる辺りで足を止めた。

 急いで息を整え、地面から目線を上げ、周囲に注意を払った。

「急いでるんだけど?」

 深夜だから姿を一般人に見られずに済む、とは思っていないらしく姿は見せない。

 ただ、精霊達の流れが悪い。何かにひっかかっている。

 国民公園の傷んだ木々の合間の向こう、闇の塊の中に彼らは潜んでいた。

 ──都に戻った途端これか……。

 ユリシスは溜め息を吐くという事はせず、体力を消耗しない程度の駆け足で『きのこ亭』に向かった。

 下町へ行く程灯りは無くなって来たので、辺りに誰もいない事を確認して、ユリシスはさっと左手に魔術の灯りを灯した。

 ふと気付く。

「…………隠さなくっていいのか、もう……」

 色々な思いが去来する。

 嬉しいのか切ないのか、ユリシスにもよくわからなかった。

 重たい何かがずんと降りて来て、のしかかってきているようにも思えたから。

 少し狭い路地に入った時だった。

 何かに足を取られ、前のめりに転んだ。地面についた両手のひらに小石がささる。

 路地には街の灯りが届いておらず、光源はユリシスの手元の魔術だけ。

 ひゅっという風の鳴るような音に、ユリシスは慌てて跳ねるように立ち上がった。勢いで背中を路地の壁にぶつけて、少し息がつまった。

 ──狭い……。

 手元に灯していたはずの灯りが、地面に張り付いて手についてこなかった。転んだ瞬間に気が逸れて落としたようだ。

 灯りは力の供給を失い少しずつ小さくなっていく。

 暗い路地の奥、何もないはずの場所──何かが淀んで、空気が、精霊の流れが乱れている。

 人の気配そのものは感じないのだが、何かがいる……。

 落とした灯りの傍に、黒い足が見えた。

 独特の、足の五指に沿って縫われている靴だ。

 ギクリとしてバックステップで離れた。

 そいつは音も無く近付いて来ていたらしい。そのスピードのなんと早い事か。

 ユリシスはごくりと唾を飲み込んだ。

 ──この足は……。

 緊張して体が動かなくなってきた。

 ──今まで何度となく襲ってきた、黒装束の……。

 黒い足がすっと持ち上がる──その寸前に、ユリシスは硬直を振り払って術を描き、グンと真上へ上昇した。

 路地を作っていた三階建ての建物の屋上に足を乗せ、さらにグッと力を込めて上空へ飛翔する。

 建物の十階相当まで上昇して、ユリシスは改めて路地を見下ろす。

 胸に手を当てた。ドンドンドンドンと早いペースで脈打っている。

「……隠れすぎて、逃げる癖が付いてる? た、戦うべき? 逃げるべき?」

 わからなかった。

 暗く狭い路地。

 自分は暗さそのものに慣れていない。

 魔術師は大概、魔術の記述の時間が必要になるから、間合いは広めに取っておきたい。

 あの場所は魔術師にとって不利だ。

 逃げてよかったはずだとユリシスは自分に言い聞かせた。

 敵、というべきか、黒い生地の靴……あの気配の無さ。

 ──ギルバートなら……アルフィードなら……どう対処したのだろうか。

 夜風がひょうひょうと吹く宙空で心を鎮め、ユリシスはそのまま『きのこ亭』へと飛んだ。



 閉める準備をしている『きのこ亭』で、ゼクスはテーブルの一つに突っ伏して寝ていた。

 給仕をしていたコウにユリシスは事情を話し、ゼクスの飲んだ分はツケてもらって彼を背負って帰った。もちろん魔術で軽くして。

 行きしなにユリシスの前に現れた黒装束は、帰りは来なかった。

 ユリシスが空を飛んで逃げ去った後を追えなかったからなのかどうかは、わからない。

 ユリシスは家に着くとゼクスをソファーに転がして書類探しを続けた。それは朝までかかってしまった。

 ユリシスは寝ずに役所をハシゴして必要な書類を揃えた。

 昼間の街中は人が多く、黒装束はその生地の切れ端すら見せなかった。

 昨日たてた予定の通り、午前中に書類は揃った。

 昼食を取ろうにも時間が取れず、そのままノースウェルという人の事務所を訪ねた。

 役所の立ち並ぶ通りには人通りは多かったが、肩をぶつけ合うほどではなかった。

 手紙に書かれた住所へやって来た。通りに面した四階建ての中層の建物で、様々な事務所やお店が雑居しているらしい。

 建物の入り口に小さな木の看板がぶら下がっていた。ノースウェルの事務所は四階。ユリシスは眠い体に鞭打って階段を歩いて上った。

 階段を上りきった先に木製の扉があった。その扉にも建物の入り口にあったものと同じ看板がぶら下がっていた。

 扉は少しだけ開いていた。そっと押し開いてするりと体を滑りこませる。

 事務所はそれほど広くはなく、片付けを済ませたギルバートの書斎と変わらなかった。奥へ通じる扉があるようなので全体の広さはわからないが。

 入ってすぐ、木製のテーブルとソファーがある。

 綺麗に掃除されているが、テーブルは端のニスがはげている。ソファーも革が所々掠れていて、破けそうに見えた。

 ユリシスは「ご免ください」と頼りない声を出した。

 しばらくしてユリシスは背筋を伸ばして「ご免ください!」とはっきり言う。するとすぐに、奥の扉の向こうでガタガタと音がした。

 ギルバートより年上なのか、白髪交じりのグレーの髪の中年男性がひょっこり顔を出した。穏やかな笑みでユリシスを迎えてくれた。

「はい、こんにちは」

 見た目は優しそうな印象だったが、いったん口を開くとやや高圧的でキリキリッとした言葉に圧されそうにもなる。平均的な身長で、体の線は少し細めの男性だった。

 説明は細部にわたって丁寧だった。

 相続手続きに必要な書類とサインを済ませる頃には、夕暮れが迫っていた。手続きは今日中に済ませる事が出来るので安心するように、との事だった。

 まだ細かい手続きがいくつかあるそうで、ノースウェルは「その際はまた連絡する」と言った。

 ユリシスは睡魔と戦いつつ、一つ一つ頷いた。

 眠気だけではない、朝から何も食べていない事もあってお腹がすいてたまらなかった。

 事務所を去り際、彼はこう言った。

「一歩でも歩き出せたら、それは不幸でも不運でもない」

「え?」

 それまで事務的だったノースウェルの声のトーンが、少し低く落ちていた。緩やかなものだった。

「不幸だったり不運だったりは、本人次第だという意味だよギルバートの娘さん」

 ギルバートの遺産は……彼の別荘やら土地やら色々あってユリシスにはイマイチよくわからなかった。お金自体は、例の寄付などを毎年していたってユリシスが百歳まで生きてもなくならないほどあると説明された。

 そんなにお金持ちには見えなかったのになぁとユリシスは振り返って思った。

 赤い髪をカリカリとかいて、ニヤリと微笑むギルバートが脳裏に蘇る。

 我知らず、ユリシスの口元も笑みの形になっていた。

「──うん、笑っていなさい」

 ノースウェルはユリシスを見てそう言った。

「大丈夫。ギルバートもよく笑っていたが、いつもいつもそうだったわけじゃない。特に若い頃はね。でも、彼を思い出すと笑っているところしか思い出せない。君もだろう? そういう人間でいたいと思わないか。少し、切ないがね」

「……ギルの事、よく知ってるんですか?」

 ユリシスが問うと、ノースウェルは言葉の前にニッと、それまでにない笑みを浮かべた。

「十代の頃から知ってるよ。悪戯盛りでそりゃあ大変だったな。 俺は第九級止まりだけど、一緒にオルファースに通ったこともあるんだ」

「子供の頃の、ギル?」

「ああ。魔術とは関係なく、悪戯ばっかりしてたぞ。俺とギルバートと、あと一人いるんだが……」

 そこで言葉を切って、ノースウェルは真面目な顔をした。どこか笑みが見え隠れするのだが。

「ギルバートの知り合いだと言って『ネレンエディ』という男が現れたら注意しなさい」

「ネレンエディ?」

 ノースウェルは大きく頷いた。

「女性限定だが、十代半ばから五十代、果ては六十代七十代までと守備範囲が広いんだ」

「守備……?」

 ノースウェルは微笑んだ。

「俺とギルとエディ。よく暴れたもんさ」

 その表情はギルバートに思いを馳せている事がわかる。

「……私には、そんなに思い出がない」

 ユリシスは小さな声でポソリと呟いてしまった。

 ノースウェルのような穏やかな笑みを、ギルバートを思い出して出来ない。どうしたって最期がチラつくせいだ。

 うつむくユリシスの頭を、ペンダコのある細い指が触れた。ノースウェルの薄い手の平がそっと撫でている。

 ユリシスはハッとなってノースウェルを見上げた。

「君はギルバートの娘なんだ。胸を張んなさい」

 手を下ろしてノースウェルはそう言った。



 帰宅して、激しい空腹があったものの、それ以上の睡魔からユリシスは家へ帰るなり、リビングのソファーに倒れ込んだ。そのままグーグー寝入ってしまった。

 ノースウェルの言葉を思い出しながら、ギルバートの思い出を心に描きながら、朝までそこで寝ていた。

 ゼクスがその時、ギルバートの書斎にいた事にも気付かずに──。



『────!』 

『何をそんなに怒ってんの~』

『──……────』

『だからさ、現状のままだと、俺と君とは話が噛み合わないんだ。わかる?』

『──……』

『ていうかさ、なんかさ、恥ずかしい日記とかないの?』

『馬鹿か! そんなもんあるか!』

『声おっきいよ』

『すまん……』

『ともかく、君の問題を解決して、それから色々話そうよ。今のままじゃ目標不一致だから、協力体制とかなんて、無理無理』

『少なくとも……頼むから守ってやってもらえないか。誰もいないんだ』

『だから声が大きいよ。俺も彼女なら守るよ』

『彼女だけじゃだめだ』

『だから、噛み合いようがないんだってば、話が──現状じゃあ。ともかく、声のトーンを落として』

『……────────』

『ふぅ……何をどう言ったって無駄だよ。俺にはユリシスを守るって気持ち、ほとんど無いんだからね。それに関してはよそをあたるといいよ』

『────────』

『確かに君の言う通り、ユリシスの味方とは言い難いかもね』

『────────……────────────』

『…………何も出来なくて歯痒い気持ちぐらい察する。だけど、それとこれとは別。それ以上何か言うなら…………恥ずかしいポエム探すぞ』

『だからポエムなんて書いた事ねぇ!』

『声! 君はもう死んでるんだから、ちゃんと世をはばかれって』

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