(100)【1】閃光(2)
(2)
「……え……」
一瞬、頭がくらりとした。
何か、言葉にしがたい妙な感覚がしたのだ。きしりという音が聞こえた気もしたし、つんとした臭いものをかがされたようにも、風邪のひきがかりのような──体の芯が通らないような感覚。気持ちの悪い揺らぎにも似ていた。
「──な~んて言ったら、驚く?」
「え?」
「あはっあははははっ」
ゼクスは噴出したように笑い出していた。腹まで抱えている。
「……なっ……なんなんですか……!?」
「おもっ、おもしろいー! あはははっあははははっー!」
ユリシスはゼクスに呆れ、膨れっ面でそっぽを向いた──イミがわからない!
笑い上戸だとしてもツボがおかしい。
……しばらくして、ぼんやりとゼクスの笑顔を見た。笑顔がトレードマークだったギルバートが……ギルバートの笑顔が思い出された。
「いやいや……あはっははは……おもしろいなぁ~もお~」
ユリシスは溜息をついて、ゼクスを見た。
「何が言いたいんですか」
「いや、あんま深い意味ないよ?」
ゼクスはまだ顔がにやけている。
「うん、まぁ、ここに来たのなら、メルギゾークを調べに来たんだろうなって思ったから──メルギゾークの有名人ってヒルド国初代王にオルファース創始者、そんで、女王、だしね?」
笑って続けようとしたゼクスだったが、そのまま表情が固まった。何か思案しているように見える。その口が再び開かれた時には笑みが消えていた。
「メルギゾークは、興ってから滅ぶまでに王が五十人超居た。その中に、女王は八人居たんだ」
「……」
何を言おうとしているのかはかりかね、ユリシスは次の言葉を待つ事にする。
「メルギゾークを建てたのは十七歳の女の子だった」
「じゅっ……私と同じ年……」
「彼女の在位は三年。即位までの二年を合わせてもたった五年で、国土を一気に拡大、整備した。その九割以上を国民に求めず、女王自身の魔術の力で成したんだ。人ならざる力を持ち、現人神としても頂点に君臨したんだ。メルギゾークという国家が長く続いたのは、こういったパワフルな女王が何度も現れたから。まぁ、メルギゾークの滅亡にも女王が関わっていたわけだから、何とも言いがた──」
「待って!」
ユリシスは慌ててゼクスの言葉を切った。続きを聞きたい気持ちもあったが、ついていけない。妙に頭がくらくらとしていた。話を聞きながら、整理出来ないでいる。ぼんやりしているつもりなんて無いのに、こんな事は初めてだ。
それに、大昔に滅んだメルギゾークについて唐突に話し始めた理由もよくわからない。
「……待ってよ……わけが……」
「うん」
ゼクスの感情の見えない返事があって後、二人は沈黙した。
それはしばらく続いたが、次の言葉を発したのはゼクスだった。
「ちょっと夜を過ぎすぎちゃったかな? 寝ようか。真夜中冷えるよ、防寒具持ってきてる?」
「え……」
ユリシスは首を横に振った。
「そっか、俺も寒いのヤだから、こっち来なね」
ゼクスはたった一つの寝袋をばさっと広げた。
「え!? い、いい! いらない。ここで寝れる!」
「寒いよ?」
「魔術使うから、うん、大丈夫!」
「うーんとねぇ……魔術は使わない方がいいんだよね。夜は」
「え? なんで? どうして?」
普段から勉強だ仕事だとドタバタしていてもユリシスだって年頃の女の子、恋愛沙汰から遠い生活を送っていてもやはり気恥ずかしい。結婚適齢期が二十前後のヒルド国で、十七歳の嫁入り前の身としては異性と同じの寝袋で一夜を明かすなど論外だ。
「夜になればわかるよ──……魔術師ならね」
ゼクスの目は笑っていない。意味有りげに強調された“魔術師”という単語。一般人と魔術師の違いは“精霊”との干渉が一番大きい。
──何かあるんだ。
そもそも日没から一時間もたっていないのに、もう寝るというのもどうだろう。
淡々と寝袋を解きながら、ゼクスはこちらに背を向けたまま続けた。
「本当は日没とともに寝るのがここで“生き残る”には正解なんだよ、覚えておいてね。あ、火消して」
「え……」
動物や鬼獣避けにつけておくのが普通なのに……。
「消してもいいの?」
「ここで生き残りたかったら、ね」
そう言ってゼクスはこちらを向き、笑った。
ユリシスは言われたまま、砂をかけて焚き火を消した。
綿の入った袋が敷かれていて、二人してその中に入る。
心を許すとか許さないだとか、そういう概念をゼクスには感じなかった。
ユリシスの方にはやはり異性としての距離感はあるのだが、すべてひっくるめて、ゼクス側から感じられたのは家族のような親近感、空気のような扱い。
他人と一緒に寝るという気構えみたいなものをゼクスから感じない。異性として意識されていないというより、ユリシスを犬か猫でも扱うような様子で簡単にと懐を許してくる。
──どうして……。
出会ったのは六年前、ほんの数日間の交流しか無かったのに……よくよく考えれば、覚えていてくれた事にも驚くべきだった。
一人用の寝袋は当たり前に狭く、すぐに触れてしまいそうだ。背を向けあっていてもゼクスの息使いははっきりと聞こえた。ユリシスは咳払いで唾を飲み込むのを誤魔化した。
それにしても、と考えを散らす。
魔術師ならわかるだとか、生き残りたかったらという言葉は何を意味しているのだろう。
そわそわと落ち着けずにいるユリシスに、ゼクスの囁くような声が聞こえた。
「朝日が昇るまで、たとえ起きていても、決して目を開けてはいけないよ」
ユリシスはただ目をパチパチとさせた。
……一体、どういう意味だろうか。
寝付けないまま目を瞑って少し経った頃、時間にして十分も過ぎていない……。
急に胸騒ぎがした。
全身の毛がざわざわと揺れ、皮膚にもちりちりとする感覚が走る。
その気配は殺気にも似ているが鮮明ではない。雲のように掴みどころが無くぼんやりと漂っている。
未知の感覚を間近に感じて、ユリシスは体をギュッと丸めた。再びゼクスの声が届く。
「気付いた? でも、目を開けちゃだめだよ?」
先ほどと変わらない声音だ。ゼクスも起きていたのだろうか。
そこら辺に何かいるというわけではないのだろうか……。
警戒しなくていいのだろうか……。
「今ね、この都の中央から行進してる“バケモノ”達がいるんだ」
瞬間、『ギャァーーッ!』という高くひび割れた悲鳴が聞こえた──気がした。実際、音はなかった。
気配……これって──!?
ユリシスは驚いて目を開きそうになったが、ゼクスの「だめだよ」という冷静な声が聞こえてきてぐっとこらえた。身を硬くするユリシスの耳にゼクスの静かな声が届く。
「精霊達だよ。喰われているんだ。目を開けたらいけないよ? 精霊達は剥き出しだから“バケモノ”達から逃れきれない子が出てくるんだ……」
夜中、精霊達の断末魔がユリシスの感覚を襲った。耳を塞いでもだめだった。
魔術師は常に身の回りに精霊を宿して歩く。
より魔術を使える者は、精霊達と友好的であろうと周囲を清める。清められた大気に惹かれ、精霊が一層集う。ユリシスももう十年近く精霊達と対話をしてきた。精霊とは、魔術師にとって非常に身近な存在なのだ。
その精霊達が、背筋の凍えるような悲鳴を上げながら消滅していく。
精霊達には名などないし、個別にわける事も出来ないたゆたう存在。
また、時にはっきりした個を持つものもいる。
ヒルディアム王城へギルバート救出にユリシスが忍び込もうとした際、お堀で出会った巨大な魚の姿をしたヴァイヴォリーグなどがその例だ。
精霊というものは、魔術師とは……人間とは住む次元が違う。心を傾けて気落ちする方がどうかしているのだが……。流れてくる精霊達の恐怖に慄く気配は何をしても遮断出来ない。ユリシスはただ汗の滲む拳で瞑った目の上を押さえるだけだった。
精霊達が何かに侵食されたり、捕食されたりするなんて話、初めて聞いた。感じた。
…………恐ろしくて眠れない。
朝があまりに遠かった。
「生身の生き物は、目さえ閉じてしまえば魂の精霊体が“バケモノ”達に見つからないらしいから、いくら物音たてても、歩き回ってても平気なんだよ。あー、でも、それやっちゃだめだよ? そんな事してたらね、人間、目をあけちゃうもんなんだよー? なんでわかるかって? あはっ! 俺いっぺんやっちゃったんだよねっ! 襲われだしたら大変だよ? “バケモノ”共、すっごい足が速いんだよねっ! 死にものぐるいで逃げたんだから!」
ゼクスは相変わらず緊張感が無いというか、理解しがたい感覚の持ち主のように思われた。
朝日が昇った頃──瞼の向こうが明るくなった。
「……あれ?」
ほとんどずっと起きていたように思ったのに、どうやらいつの間にか眠ったらしい。
背後に居たはずのゼクスがいなくなった事にも気付かなかったようだ。
ユリシスは古代ルーン魔術を使えたりするが、基本的な部分では庶民だ。生身の身体能力なんか、ほとんど鍛えていない。
物音で目を簡単に覚ますような、軍人や冒険者やらが身につけているような技能はまずない。
寝袋を適当にたたんで、洞からごそごそと抜け出した。朝日が真横から差し込んできていてまぶしかった。
「おーい! おはよう。よく眠れたー?」
まぶしく光の差してくる方向。逆光の中にゼクスは立っていた。
瓦礫が転がっているせいで高低差の激しいこの場所では、光と影のコントラストも強かった。ゼクスは光の中に立って強い影を地面に落としている。
熟睡できたとは言いがたい。睡眠不足のせいか昨日の疲労もあまりとれなかった。
ユリシスはゼクスの元に歩いて近寄った。
「おはよ……う……──それ、何してるの?」
「ん。これっ」
低い声で指摘すると、ゼクスは左手に掴んでいた毛玉を持ち上げてユリシスの顔の前に持ってきた。
「わわっ……何? これ?」
「朝ごはん」
ゼクスはにこやかに言っている。
「ちょっ食べるの? これをっ!?」
「肉食べなきゃ肉! ユリシスが来たんだしね、パワーつけなきゃ!」
「で、でもっ、これっ……」
ユリシスは眉間にぐぐーっと皺を寄せた。顔のこれほど筋肉が動くのかと再認識したほどだ。
「──モグラでしょ!? 食べるの??」
手のひら程の大きさで、灰色の毛をした丸い生き物──。
「もちろん! 食べる食べる、食べれるって! 多分!」
言うまでもなく食用ではない。
ゼクスは、洞の方へ笑いながら歩いていった。
「俺もまだ食ったことないけどねー。あははっ。二匹欲しかったけど、ま、一匹でも何も無いよりいいよね~」
続けて「トカゲでも良いんだけどな~」なんて呟いている。お気楽極まりない彼の後ろ姿を眺めながら、ユリシスは胃が痛くなる思いがした。
──大体、今更だけどゼクスって何者!?
焚き火の前に着くと、ユリシスが必死で目を逸らす中、ゼクスは食事を終えた。
その後はせっせと荷造りをはじめている。先ほどユリシスがたたんだ寝袋などはあっさり焼いてしまった。理由を問えば「荷物になるから」だそうだ。
都会暮らしのユリシスは到底モグラを食べる気にはならず、自分が持っていた非常食の残りを一口二口食べた。もうほとんど残っていない。
腹は空いている感じなのだが、体が求めていない──ギルバートがいなくなって、食欲……欲というものが大幅に減じた気がする。
食欲、物欲……生きる意欲……色々。
少しだけほっそりした腕を軽くさすって、ユリシスは自分の荷物を肩にかけた。
ゼクスはというと、寝袋を焼いた焚き火に次々と荷物を放り込んでいる。持ち込んでいたらしい書物や衣類を躊躇いなく焼いていく。
本を焼き始めた時ばかりは、読書好きのユリシスはなぜ焼くのかもう一度聞いた。身軽になったゼクスは、ここに初めて来た時と同じになっただけだと素っ気なく答えた。
後で聞いたところ、書物はゼクスが書き溜めたものだったらしい。せっかく書いたはずなのになぜ焼いたのか理解が出来ない。本当にわけがわからない男だとユリシスは思った。
表へ出ると、洞さえもササッと魔術を描いて潰してしまう。砂埃の舞う中、飄々とした様子で「もうここには戻らないから、必要ないんだ」と、ユリシスが理由を問うまでも無く言った。
先を歩くゼクスの後ろをついていきながら、ユリシスはぼんやりとその背中を眺めていた。
長く艶やかな黒髪がさらさらと揺れている。ゼクスは魔術師なのに剣を使う。カコチャキカコチャキと、剣を下げた腰の辺りから音がする。
ユリシスはただぼーっと歩いた。
何も考えずについて歩いていると、どこをどう歩いて来たかわからず、後ろを振り返っても見知らぬ景色のように思えた。もう、もと居た場所へは一人で戻れそうにない気がした。
回廊、柱、建物の基礎がはっきりするようになってきた。遺跡の中心に、向かっているようだ。
「中心には、何があったのかな」
ユリシスがぼそりと言うと、ゼクスは一言「城」と言った。
時折、一枚岩の壁がパッカリと割れて道を開いている。
斬り口が新しいので、きっとゼクスが……。
やがて、建物らしい遺跡へと辿り着く。
形がかなり残っている。
崩れかけた二本の石柱に支えられたゲートをくぐり、建物に入った。屋根は無かった。壁だけがが残っていたようだ。
この都の建造物のほとんどは石を積み上げて出来ていたのだろう。だから、二〇〇〇年経った今もこんなにも残っている。
元々は屋根だったのか、何だったのか、大きな立方体がごろごろと転がっている。角は年月による劣化で丸く削れている。
荒廃した土地に精霊は希薄だ。逆も言える。精霊が少なくなると荒れる。草木もほとんど育たなくなる。かつての都も、今は枯れた草がころころと風に流されているばかり。
いくつか部屋らしきものを通り過ぎた。五段ほど残った上へ登る階段を何度か見た。続きは無い。
上へ建物が続いていたとして、ここに落ちている瓦礫は少なすぎる気がした。どうしてだろうと考えていると、何も言わないのにゼクスが答えてくれた。
「この建物は、元々五階建て。二階から上は吹っ飛ばされて城の北に瓦礫が飛び散っているよ」
「……へ~」
今や遺跡となった都の敷地面積はそれだけでとんでもなく広い。ユリシスが歩いてみて大雑把に感じただけでも、ヒルド国王都ヒルディアムの二倍は軽くある。ゼクスは全体を調べたのだろうか。
「災害とか?」
ユリシスは竜巻のようなものを頭に思い描いた。
「似たようなものかな」
「ふ~ん」
いくつか壁で仕切られた部屋や廊下を通り過ぎ、今まで来た中で一番広い部屋に出た。
ざらざらした石畳が広がっている。
どこかで見た事があるような、不思議な印象を受けた。壁に掘られた装飾がところどころ残っている。ほんの微かに塗料の残っている部分がある。ゼクスは城だと言っていたから、元はどれほど豪華なものだったのだろう。
この部屋で行き止まりのようだ。来た方向にしか道はない。
ユリシスはゼクスの前に出て周りを見回した。
四方の壁と、妙な階段がある。
天井は無いので壁をよじ登ればまた外に出られる。ここも太陽の下ではあるのだが。
進行方向の壁に近付くと階段があって、これだけ材質が異なっている。硬いのか、朽ちていない。黒字に灰色から白のマーブル模様が入っている。全体は光沢のある石で、階段の角は他の石材と違ってほとんど欠けていない。
階段は、舞台のように大きくて仰々しい。
三十段程登ると、てっぺんは平ら。
四方は壁についておらず、そんなに広くない。十歩ほどで周囲をまわれそうなてっぺんの中央にユリシスは立ち、階段下のゼクスを見下ろした。
「これは何ー?」
距離が少し離れているので声を大きくしたが、ゼクスは何も答えなかった。聞こえなかったのか。
ゼクスも上って来るかと思ったが、動く様子がない。降りて来いとも言われなかった。
ここも天井はなく、青空が見える。
ふと、思いを馳せた。
二〇〇〇年以上前、ここに都があって、城があった。
その頃あったであろうこの建物の屋上からは、今と同じように空が見えた事だろう。
ユリシスが空を仰ぐ、その姿を、ゼクスはじっと見上げていた。
あそこにあったのは、玉座なのだ。
──……胸が苦しくて、たまらなかった。
ユリシスが階段から降りると、ゼクスは「じゃあ、あっちに行こうか」と再び先導した。
しばらく歩くと、地面にぽっかり、いや、がっぽり大きな穴が空いていた。
床に敷き詰められている石が、ボロボロと下の階に落ちたのではないだろうか。支えていた柱が折れでもしたか。他の風化による崩れ方とは少し違う気もした。
穴の大きさは、ユリシスが引き継いだギルバート邸の敷地と同じくらいだ。穴の下は真っ暗で、黒い。かなりの深さがありそうだ。
「ここを降りるの?」
「そうだよ。地下の施設は地上よりもずっと、生きているよ……」
そう言ってからゼクスはにこっと微笑み、ユリシスの右手を掴んだ。そして、一切の躊躇い無く闇の中にポンと飛び降りた。
「──えっ!? ちょ、ちょっとぉー!」