勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~ episode2
「記憶喪失勇者」
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※『記憶喪失勇者』のスピンオフ短編です。本編未読でもお読みいただけます。
「勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~ episode1」
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※↑エピソード1です。ぜひ、こちらもお読みください!
街道の轍を拾うたび、乗合馬車はぎしぎしと文句を言った。
レギウスは膝の上の包みを抱え直した。布の中身は、旅の相棒の小さな魔導人形だ。
向かいの席では、従者が腕を組んで眠っている。絹糸のような金髪が、揺れるたびに肩の上で光った。
相席の娘がふたり。さっきからちらちらとこちらを見ては、小声でなにかを言い合っている。視線はぜんぶ、眠る男の顔に注がれていた。
――どこへ行っても、これだ。
王都を発って、十日あまり。
車輪の音を数えるうちに、レギウスは、この厄介な“拾いもの”をした日のことを、思い出していた。
◇
「レギウス。おまえの名前は、トロワールの英雄からもらった勇ましくて、縁起のいい名前なのだ。恥ずかしがることなどなにもない」
物心ついたばかりの娘に、父はそう言って木剣を握らせた。
英雄公レギウス――。
トロワール生まれの平民の青年で、ドワンテロの勇者ウルリックに三人いた従者のひとり。剣技に優れ、魔王討伐の功により、トロワールの姫を娶ったといわれている。
この国の勇者は、金色の髪と紅い瞳を持つ者でなければならない。四百年に一度、王宮に眠る勇者の剣と盾が、次の主をそのなかから選ぶのだ。
初代勇者ガリウスの血を引く大公国は、みっつ。ユヌリスは八百年前に勇者シリウスを、ドワンテロは四百年前に勇者ウルリックを出した。
まだ勇者を出したことがないのは、トロワールだけ。
だから、金髪紅眼の娘が生まれたとき、父がなにを夢見たかは、聞くまでもない。
それから十年、英雄の名をつけられた娘は剣を振りつづけた。
結果から言えば、戦神マレスは彼女に微笑まなかった。才能は影も形もなく、運動神経は絶望的で、剣術士ランクは1のまま。
代わりに伸びたのは、同時に習わされた神聖術だった。十五歳でランク5。神童と教師たちはもてはやした。
もっとも、本人が一番夢中だったのは、剣でも神聖術でもない。
「またおまえか、レギウス」
叔父のベリックは、工房の戸口で天を仰いだ。油の匂いのする作業台で、レギウスは魔導人形の膝関節と格闘していた。
「兄上に知れたら、また雷が落ちるぞ」
「知られなければ落ちません。それより叔父上、この歯車、ひとまわり小さいのに替えたいんですけど」
「……貸してみなさい」
なんだかんだで、教えてくれる叔父なのだった。
魔導人形の制作は、はるか昔、トロワールの大公女がこの地に遺したものだという。よりにもよって勇者候補の娘が、魔王討伐には役立たないその技術に骨まで浸かっているのだから、父の頭痛の種は尽きなかったはずだ。
やがて、勇者選定の儀式が近づいてきた。
筆頭候補は、ユヌリス大公家のシリウス。十九歳。剣術士ランク7の天才で、もちろん金髪紅眼。期待を込めて、自分の家が出した勇者の名を与えられた男だった。
次の勇者はシリウスさまで決まりだ――誰もがそう言っていたし、レギウスもそう思っていた。
トロワールは娘に従者の名前をつけたから、今回も従者止まりに違いない。
そんな笑い話が、社交の席をひと巡りしたらしい。父は歯噛みし、それでも娘の剣については、とうにあきらめていた。
好都合、とレギウスはひそかに思っていた。勇者の従者なら、人形の道具箱を抱えて旅ができる。回復役として、この神聖術も役に立つ。自己治癒力を上げる修練には、これまで以上に身が入った。
その矢先だった。
儀式を数日後に控えて、シリウスが死んだ。
いつものように数人を同時に相手取っての稽古中、油断していたのか、格下の放った突きを払い損ねたのだという。切っ先は首筋に入り、神聖術は間に合わず、剣の天才はこの世を去った。
父は、狂喜した。
儀式の日、レギウスは騎士服で王の前に立った。貴族の娘なら、玉座の前ではドレスで着飾るものなのだろう。あいにく、ドレスというものを一度も着たことがなかった。
祭壇の剣と盾は、拍子抜けするほどあっさりと、白い光を放った。
こうして、剣も振れない十五の娘が、四代目の勇者になった。
「勇者というのはな、存外、自分では戦わんものだ」
旅支度をするレギウスに、叔父は言った。
「八百年前の魔王討伐も、追いつめたのは従者のセンチュリオで、勇者シリウスはとどめの一太刀と伝わっている。だからおまえは、国中を回って、おまえの代わりに戦える強者を見つけなさい。魔王が出てくるまでに集められれば、おまえの勝ちだ」
この絶望的な状況を覆すには、それしかないとレギウスは思った。
四百年に一度、魔王は魔界から魔族を率いてあらわれる。
それは、もうすぐかもしれない。
――魔王があらわれる前に、強い従者たちを集めないと……。
従者を探す旅は、そうして始まった。
◆
千二百年前。
突如、出現した奈落から、魔王ギリヨンの軍勢が人界へなだれ込んだ。
その行軍のなかに、魔王国ギドレの序列第五位の魔将として、ブレイジールもいた。
人界は、驚きに満ちていた。目にするすべてのものが美しかった。
城や建物。ガラスの器。窯から出たばかりのパン。橋の欄干に彫られた小さな花。魔界には、どれひとつ存在しないものだった。ブレイジールは進軍の合間に立ち止まっては、飽きもせずそれらを眺めた。
魔王軍は、そのすべてを踏み砕いて進んだ。
人間たちが逃げまどい、斬られ、倒れていく。ブレイジールは止めなかった。助けもしなかった。ただ、燃えていく街を眺め、心底うんざりしながら思っていた。
――壊すために、わざわざ人界まで来たんですかい。
みっつの国を滅ぼしたところで、魔王ギリヨンは勇者に討たれた。魔王軍は総崩れとなり、魔族たちは先を争って魔界へ逃げ帰った。
ブレイジールは、帰らなかった。
「また、魔王さまのお供をして、今度は勇者に斬られる? ……冗談じゃありやせんや」
どさくさに紛れて、そのまま人界に住みついた。
それからの八百年は、上々な日々だった。四百年に一度、魔界に四人いる魔王のひとりが人界に攻めてきたが、ブレイジールは争いには関わらなかった。
焼きたてのパンは美味く、酒場の娘の身の上話は毎晩違った。見た目が老いないので、十年ごとに街を替える必要はあったが、新しい街にはまた新しい発見があった。
――そう。あいつらが来るまでは。
八百年目に、魔界でブレイジールが仕えていた魔王ギリヨンが復活した。
脱走した元魔将のもとへ、追っ手が差し向けられるようになった。
初めは下級の魔族がぱらぱらと来るだけで、結界を張って、その内側からあくびまじりに眺めていればやり過ごせた。だが、追われる暮らしというのは、じわじわと心を蝕む。
住みかを替える周期は、十年から三年になり、一年になった。なじみの店を持つのをやめた。娘たちの話を聞く夜も減った。
焼きたてのパンは、いつからか、味がしなくなっていた。
そうやって、四百年逃げつづけた。
――あっしは、いったいなんだって、こうまでして生きてるんでやしょうねえ。
その問いに答えが出ないまま、ある夜、街道にそれは立っていた。
「見つけたぞ、ブレイジール」
岩を人の形に削り出したような巨躯。黒々とした二本の角。石臼をすり合わせたような声。
「魔界へ戻り、魔王ギリヨンさまに忠誠を誓え。それが嫌なら、ここで死ね」
魔王国ギドレ、序列第四位の魔将ゲルゴランドだった。
どちらもごめんこうむると、いつもなら笑ってみせるところだ。
だが、その夜は、言葉が出てこなかった。
戻る気は、ない。逃げるのは、もう飽きた。なら、残る道は――。
――まあ、それも、いいかもしれやせんねえ……。
投げやりに、それでも身体だけは勝手に動いて、千二百年ぶりに本気の結界を張った。
ブレイジールの前に金色に光る透明な盾があらわれた。
ゲルゴランドは、鼻で笑うと、一枚の薄氷みたいに簡単にそれを突き破った。
格が、違った。
勢いよく伸びた黒い角がブレイジールの脇腹を裂き、大量の血が噴き出した。
ブレイジールは素早く猫の姿になった。最後の力で、瓦礫の隙間へ、気配を消して逃げ込む。
巨躯はしばらく夜道を見まわし、やがて低く言い捨てた。
「逃げたか。……魔王さまに背いた者は、必ず見つけ出す。次こそ、その息の根を止めてやろう、裏切り者ブレイジールよ」
◆
王都を発った、その日の夕暮れ。
レギウスを乗せた馬車は、ドワンテロの都ウォルツへ向かう街道の、最初の街に停まった。
宿を探して路地へ入ったところで、足が止まった。
塀の根元に、毛の塊がうずくまっていた。
黒みがかった金と、白っぽい金の、二色の長い毛。たいそう立派な毛並みの猫だ。その毛が、脇腹の辺りだけ、赤黒く固まっていた。
「……嘘でしょ」
駆け寄って、膝をつく。息はある。浅いけれど、ある。
「大丈夫、いま治すから。創造神ソラよ。この小さき生命に御身の慈悲を」
手のひらに白い光を灯し、傷にかざした。
なにも、起こらない。
「え?」
もう一度。
光は明るく灯る。なのに、傷はまったく閉じない。ランク5の神聖術士が、猫の傷ひとつ治せないなんて話があるだろうか。
――神聖術が効かない生き物……。
考えるより先に、腰の道具袋を開けていた。魔導人形の動力用に持ち歩いている、親指の先ほどの魔晶石をひとつかみ。それを傷の上にかざす。
石が、呼吸をするようにまたたいた。淡い光が傷へ吸い込まれるたび、裂けた肉がゆっくりと閉じていく。石は最後に強く光って、砂のように崩れた。
「効いた」
――きっと魔獣だ。
――これ、人を襲う類だったら、どうしよう……。
猫が薄目を開けた。金色の瞳だった。
「いい? 人を襲っちゃだめだよ。どうしてもって言うなら、せめて僕より強い悪い奴にして」
自分でもむちゃくちゃなことを言っていると思いながら、レギウスは猫を抱えて門の外まで歩き、草むらにそっと下ろした。
「ほら。お行き」
猫は、行かなかった。
歩き出したレギウスの三歩後を、当然の顔でついてくる。止まれば止まる。抱えて置き直しても、同じ。三度目に振り返ったときには、先回りして行く手に座っていた。
「……なんでついてくるの」
「にゃあ」
返事だけは、やたらといい。
根負けして、猫を連れたまま宿の扉を押した。
宿の女将は、血で汚れた猫を見るなり、帳場から飛び出してきた。
「おやまあ、かわいそうに。坊ちゃん、拾いなすったのかい? ちょいとお待ちよ、古い毛布があったはずだから」
――坊ちゃん、と来たか。
訂正する間もなく、女将は毛布と、温めたミルクの皿まで運んできてくれた。宿代に上乗せするでもなく、「猫は福を呼ぶから」と笑っている。
優しい女将さんだと思った。
ただひとつの誤算は、当の猫がミルクに鼻先を寄せもしないことだった。
「……飲まないの?」
猫は皿から顔をそむけ、寝台のすみで丸くなってしまった。
「魔獣って、なにを食べるんだろう……」
悩む勇者を、金色の目が、毛布の陰からじっと見ていた。
◇
翌朝。猫の食べられるものを探しに、レギウスは市場へ出た。
猫もついてきた。というより、扉を開けた瞬間には、もう先に廊下へ出ていた。
朝の市場は、にぎやかだった。魚屋が声を張り上げ、八百屋が客を呼び、焼きたてのパンの匂いが、そのぜんぶの上を流れていく。
レギウスはまず、魚屋の屋台の前に立った。
「あの。猫が食べられそうな魚をください」
「あいよ! そこの干した小魚なんざどうだい。猫はみんな目の色を変えるよ。ひと束で銅貨二枚だ」
「銅貨……銅貨……」
レギウスは財布を開けた。しばらく覗き込み、小さいほうの貨幣をつまんで差し出した。
屋台の親父が、ぴたりと固まった。
「……坊や。こりゃ、小金貨だよ」
「それしかなくて……」
「小魚ひと束に金貨を出す子がいるかよ! これ一枚ありゃ、うちの屋台ごと買えちまうよ!」
「え……そ、そんなに?」
周りの屋台から、どっと笑い声が上がった。魚屋の親父は金貨をレギウスの手に押し返すと、指を四本立てた。
「いいかい。銅貨、銀貨、小金貨、大金貨。町の買い物は、たいてい銅貨で足りる。ああもう、しょうがないねえ。両替してあげるから、小金貨をひとつ出しな」
かくして、レギウスの財布はじゃらじゃらと重くなり、小魚の束にはおまけがついた。
「まいど! ああ坊や、財布の口は締めときな。街にゃ悪いのもいるからね」
「はい。ありがとうございます!」
お姫さま育ちを、これほど恥ずかしいと思ったことはない。レギウスは自分で買い物をしたことなど、生まれてから一度もなかったのだ。
足元では猫が、前足でごしごしと自分の顔を洗っていた。なんだか、見ていられないものを見た、という仕草だった。
「……なに、その顔」
「にゃ」
帰り道、蜂蜜菓子の屋台の前で、足が勝手に止まった。
焼き型から外したばかりの、小さな丸い菓子。湯気といっしょに、甘い匂いが立ちのぼっている。
――ひとつだけ。いや、ふたつ。
「おじさん。これ、みっつください」
「あいよ。銅貨で頼むよ、坊主。魚屋の親父から聞いてるんでな」
「もう広まってるの!?」
――この街の情報網、早すぎる。
焼きたての菓子は、歩きながらかじると、格別だった。城にいたときなら、はしたないと侍女に叱られているところだ。
猫があきれた目で見上げてくる気がしたが、気にしないことにした。甘い物だけはやめられないのだ。
その、角を曲がったときだった。
通りの先で、地鳴りのような音がした。
◇
建てかけの家の、足場が崩れていた。
組んだ丸太が斜めに折り重なり、砂煙のなかから、うめき声がいくつも聞こえる。落ちた男。下敷きの男。無事だった男たちが、仲間の名前を叫んでいる。
レギウスは、買ったばかりの包みを放り出して駆け出していた。
「動かさないで、そのまま! 神聖術士です、診せてください!」
砂まみれの男たちが、わっと道を空けた。
折れた腕、裂けた額、血だらけの足に手のひらをかざすたび、白い光が傷を閉じていく。ひとり、ふたり、三人。
「兄ちゃん、こっちだ! 親方が梁の下に……!」
男たちが丸太を持ち上げた下に、大柄な男が横たわっていた。折れた足場板が、胸の下へ深々と突き刺さっている。見るからに一番危ない状況だ。土気色の顔で、それでも男は笑ってみせた。
「……なんでえ、ちっこい術士さんだな。俺ぁ大丈夫だ。先に、若いのを診てやってくんな」
レギウスは答えず、男の顔を覗き込んだ。
笑っている口元。そのわりに、目の焦点が合っていない。強がりの声は、語尾が消えかけている。板を押さえる指は、震えることさえ、もうやめていた。
――この人、自分はもう助からないって思ってる。神聖術じゃ間に合わない。
「若い人は、みんな診ました」
「な、に……」
「あなたが最後で、それに重傷だ。だから、動かないでください」
男の手をそっとどけて、板ごと、傷の上に手のひらを重ねる。
――もうすこしだけ頑張って。必ず僕が助ける……勇者のスキルで!
「《超治癒術》」
眩しい白い光が、手のひらから傷へ流れ込んだ。
刺さっていた板が押し出され、つぶれた胸が、ふくらみを取り戻していく。まわりの男たちは、驚愕して声も出せずに見つめていた。
そして。
その傷をつくった衝撃のすべてが、代金のように、レギウスへ支払われた。
潰される痛み。折れる痛み。板が刺さる痛み。どこにも傷はないのに、身体の内側だけが、順番にそれを味わっていく。
声は、出さなかった。出さないと、決めている。
光が消えた。
親方が自分の胸を見下ろして、目をむいた。まわりで歓声が上がる。
その歓声が、急にくぐもって、遠ざかった。
視界のふちが白い。立ち上がりかけた膝が、砂の上へ崩れる。
――ああ……また、こう、なる……。
「おい、坊主!? どうした!」
誰かの声。
その頭上で、めき、と嫌な音がした。
崩れ残っていた足場の柱が、折れたのだ。組まれたままの丸太の束が、ゆっくりと傾いて、うずくまる勇者の真上へ倒れてくる。
「逃げろっ、坊主ぅーッ!」
逃げられない。足が、動かない。
レギウスは、迫ってくる丸太の影をぼんやりと見上げて――そこで、意識が途切れた。
◆
丸太の束は、下まで届かなかった。
倒れかけた木材は、宙のなかばで、見えないなにかに乗り上げて止まった。金色の光がその縁をひとすじ走り、束はゆっくりと横へ滑って、誰もいない砂の上へ、大きな音を立てて落ちた。
男たちが呆然と空を見上げているあいだに、砂煙のなかを、二色の毛並みが駆け抜けた。
倒れた娘のそばで、猫は人の形に戻った。誰の目にも映らぬよう、自分と娘ごと、乳白色の結界で包んでから。
ブレイジールは、小さな身体を抱き上げた。
軽い。恐ろしく軽い。この身体で、あの大男の傷を、丸ごと引き受けたのか。
――買い物もまともにできねえくせに。
市場でのことを思い出す。小魚ひと束に金貨を差し出して、屋台の親父にお金の使い方を教わっていた娘。菓子屋の前では、真剣な顔で蜂蜜菓子を選んでいた娘。
その同じ娘が、赤の他人の傷の前では、一瞬も迷わなかった。自分がどうなるか、承知の上で。
千二百年、人間を眺めて生きてきた。賢いものも、勇ましいものも、欲深いものも、たいていの奴を見た。飽きるほど見てきた。
人界は美しいものばかりではなかった。汚いものも、醜いものも、たくさん見た。
――こういうのは、初めてでさ。
腕のなかの娘の魂は、見たことのない色で澄んでいた。不思議とそれが、魔族であるブレイジールの心を引きつけた。美しいと思った。
騒ぎの街路を、誰にも見られないまま歩く。ふ、と笑いが漏れた。生きることに疲れ果て、死に場所を探すような気分でいたはずの足が、宿への道を、弾むような軽さで踏みしめていた。
◆
まぶたの裏が、明るい。
目を開けると、見覚えのある宿の天井があった。……身体が、妙に重い。正確には、腹の上だけが重い。
視線を下げると、腹の上で、二色の金の毛玉が丸くなって寝ていた。
「……どいて」
「にゃ」
猫は迷惑そうに顔を上げ、ぴょんと床へ降りた。
降りた、はずだった。
着地の音は、しなかった。代わりに、窓辺の椅子に、長い足を組んだ青年が座っていた。絹糸のような金の髪。こちらを見つめる、金色の目。
「お目覚めで。丸三日、よくお眠りなすった」
「…………は?」
レギウスは寝台の上で三度まばたきをして、青年と、床と、閉まったままの窓を順番に見た。
「え、待って。猫は? いまの猫、どこ行ったの」
「あっしでやすよ」
青年は胸に手を当て、芝居がかったお辞儀をしてみせた。
「ブレイジールと申しやす。ごらんのとおりの、魔族でございやして。……路地で行き倒れていたところを、お嬢さんに拾っていただきやした。生命の恩人に、ご挨拶が遅れて申し訳ありやせん」
――さっきの猫が魔族……?
起きたばかりの頭で、理解が追いつかなかった。
「……魔族って猫にもなれるの? 犬にもなれる?」
「へえ、あっしは猫だけでさ」
「神聖術が効かなかったから、魔獣かなとは思ってたけど、魔族だったなんて……」
レギウスは、子供のころに聞かされた話を思い出し、整った顔立ちの魔族の青年をにらみつけた。
「おまえ、僕のことを食べない? 魔族は人を食べるんでしょ?」
「お嬢さんが生命の恩人じゃなかったとしても、人間は食べやせん。ついでに言うとミルクも生の魚も、どうにも苦手でやして」
――変な魔族……食べる気だったら、寝てる間に食べてるか。
「そうだ、親方は!? 現場の、胸に板が刺さってた……」
「けろりとしてまさあ。なんでも今朝はもう、若い衆を怒鳴りながら、足場を組み直してるそうで」
「……そっか」
力が抜けて、上体がそのまま寝台へ落ちた。
――よかった。間に合ったんだ。
ブレイジールは窓の外へ目をやったまま、落ち着いた声で言った。
「……ひとつ、伺っても」
「なに?」
「あの連中は、お嬢さんの名前も知りやせんぜ。行きずりの、赤の他人だ。自分が三日も転がると承知のうえで、どうしてあそこまでなさるんで」
レギウスは、天井を見たまま、すこし考えた。
考えて、それしか出てこないので、そのまま答えた。
「助けられる生命が、目の前にあったから」
「それだけで?」
「それだけって、一番大事なことでしょ」
返事は、すぐには来なかった。
ややあって、「……そうですかい」と、それだけが聞こえた。
そのとき、階段の下が、にわかに騒がしくなった。
どやどやと足音が上がってきて、遠慮がちに扉が叩かれる。宿の女将の声がした。
「坊ちゃん、起きなすったかね。その……お客ですよ。それもえらく、おおぜいの」
扉が開くと、廊下いっぱいに人が詰まっていた。先頭は、見覚えのある大柄な男。あの親方だ。包帯のひとつも巻いていない。
「いた! この人だ!」
「親方……よかった、元気になって」
「おうよ、生きてるとも! あんたのおかげでな!」
親方の後ろから、職人たちと、その女房や子供らが、われ先にと顔を出す。菓子の包み、花束、酒瓶までが、次々と枕元へ積まれていく。
「宿の女将さんに聞いてなあ。猫連れの、金髪のちっこい術士さんといやあ、この宿の坊ちゃんしかいねえって」
「捜したんだぜ。あんときゃ、礼を言う前に、煙みてえに消えちまうんだもんなあ」
「生命の恩人に礼のひとつも言えねえんじゃ、末代までの恥だってんでよ」
口々に言われて、レギウスは寝台の上で小さくなった。
「あの、僕はただ、通りかかっただけなので……」
そのときだった。
親方の足元から、小さな女の子がひょこりと進み出て、レギウスの顔をじいっと見上げた。
「……とうちゃん。このおにいちゃん、おめめが赤いよ」
部屋が、しん、となった。
金の髪。紅の瞳。
大人たちの視線がレギウスの顔の一点に集まり――それから、弾けた。
「あ……紅い目だ。ほんとだ、紅眼……王家の色だ」
「金髪紅眼……ゆ、勇者さま!? 勇者さまじゃねえのか!?」
「ど、道理で! 道理で、あんな御業ができるはずだ……!」
親方が、その場に膝をつこうとした。職人たちが続き、狭い部屋が平伏する大人で埋まりかける。
「わっ……やめてください、立って! 僕はそんな、拝まれるようなものじゃ……!」
寝台から身を乗り出して止めるレギウスの、その騒ぎの隅で。
窓辺の魔族が、実に愉快そうに、笑いをかみ殺していた。
ようやく騒ぎが収まったころには、女房や娘たちの視線が、今度はその窓辺へ集まっていた。
「……ねえ。勇者さまのお連れの、あの方……」
「絵から抜け出してきたみたいな……」
ブレイジールがにっこりと会釈を返すと、花束を抱えていた娘が、花束ごと隣の母親へ倒れかかった。
――人の姿だと、ああなるのか……。
客がみんな引きあげた後の部屋には、菓子と花の山が残った。
レギウスはさっそく、蜂蜜菓子の包みを開けた。あの屋台のだ。ひと口かじって、目を閉じる。
「ん~」
「お嬢は、ほんとうに甘いもんがお好きで」
「うん、大好き。……ん? いま、お嬢って」
「へえ。『お嬢さん』じゃあ、ちいと長ったらしいもんで、縮めさせていただきやした」
「……まあ、呼びやすいなら、いいけど」
菓子を、もうひとつ。
――うん、やっぱりおいしい。
「で。おまえは、これからどうするの」
聞いてから、レギウスは妙な質問だと思った。行き倒れの猫に、今後の予定を聞いている。
「へえ。お嬢について行こうかと思いやして」
「……は?」
「この三日で、よぉくわかりやした。お嬢ときたら、銭は数えられねえ、財布の口は開けっぱなし、挙げ句の果てに往来の真ん中で行き倒れる。放っておいたら、寝覚めが悪いんでさ」
「い、行き倒れは不可抗力……! っていうか、見てたの、市場のあれ!?」
「特等席で」
「~~っ」
顔が熱い。この魔族、猫の姿をして、ぜんぶ見ていたのか。
――いや、待て。流されるところだった。
「……あのね。僕がなんの旅をしてるか、わかってる? 勇者の従者を探してるんだよ。魔王と戦うための。おまえ、魔族でしょ」
「魔王は、あんまり好きじゃありやせんので」
こともなげに言う。
「それにご心配なく。あっしはごらんのとおり、争いごとの嫌いな、へなちょこな魔族でやしてね。腕っぷしのほうは、からっきし。……でやすから、魔王をぶちのめせるような威勢のいいのを、道々いっしょに探しやしょう。あっしはそれまで、お嬢の世話係ってことで」
「世話係って……」
言い返しかけて、レギウスは、ふと口をつぐんだ。
三日前の記憶の、いちばん最後。倒れてくる丸太の影。……あれから自分は、どうやって助かったんだろう。
目の前の男は、にこにこと笑っている。
「……嘘だ」
「おや、なにがでやす」
「おまえ、本当は強いでしょ」
金色の目が、ほんの一瞬、まるくなった。
それから、ゆっくりと三日月の形に細められる。
「……さあ。どうでやすかねえ」
――はぐらかされた。
でも、なぜだろう。悪い気はしなかった。
◇
馬車が、ひときわ大きく揺れた。
まどろみかけていたレギウスが顔を上げると、向かいの席の従者は、いつのまにか目を覚まして、街で買った丸パンをかじっていた。
「ん……美味いでやすねえ、この街道筋のパンは」
しみじみと言う横顔を、相席の娘たちがうっとりと眺めている。
――パンひとつで絵になる男というのも、どうかと思う。
「……魚とミルクはだめなのに、パンはいいんだ?」
「へえ。焼きたてにゃあ、目がねえもんで」
「猫なのに」
「魔族でやすので」
――わかったような、わからないような。
「お嬢。じきに、次の街でやすよ」
言われて、窓の外を見た。麦畑の向こうに、鐘楼の頭がのぞきはじめている。
「次の街にはいるかな。魔王を倒せるくらい、強い人」
「きっといやすよ」
「その根拠は?」
「お嬢の拾いものは、当たりが出ると相場が決まっておりやすんで」
「……それ、自分のこと?」
「さあ、どうでやしょうねえ」
澄ました顔で、従者はパンの最後のひと口を放り込んだ。
――まったく。調子のいい魔族を拾ったものだ。
――でも……。
不思議と悪い気は、しないのだった。
のちに勇者レギウスは、七人の従者とともに、爆炎の魔王アノンを討ち滅ぼすことになる。
だがそれは、まだ、ずっと先の話である――。
「勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~ episode2」を読んでくださり、本当にありがとうございます!!
さいらすと申します。
もし、この小説を読んで、すこしでも面白いと思っていただけたら
【☆☆☆☆☆】をタップして、★をいただけると嬉しいです!
レギウスとブレイジールのお話は今後も、ちょくちょく書いていこうと思っています。
ブックマークで応援していただけると、とてもとても嬉しいです!!
あなた様の応援が、何よりの原動力です。よろしくお願いいたします!!
ブレイジールのイメージ画像をChatGPTに描いてもらいました!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




