婚約者に好きな人ができたらしい
よろしくお願いします。
私には、親が決めた婚約者がいる。
商家として王国一の財を築いた、新興伯爵家のルビーレッド家。
領内に良質な宝石鉱山を持つが、ここ数年災害が続いたことで財政難に陥りつつあった、アメジスト侯爵家。
両家の縁を結ぶために白羽の矢が立ったのが、ルビーレッド伯爵家の長女である私シャノンと、アメジスト侯爵家の三男リュカとの婚姻だった。
始まりこそ政略的なものであったが、私たちの仲は良好だった。
私はリュカに確かな親愛の情を抱き、リュカも誠実に私と向き合ってくれた。
そうして、確かな絆と信頼が育まれてきたと、思っていたのだ。
あの時までは――。
リュカが、学園で最近注目を集めている女子生徒、ニーナ・ペリドット男爵令嬢に懸想している――そんな噂を耳にしたのは、ひと月ほど前のことだった。
そして、その噂を耳にした時、私の頭にぶわっと前世の知識が流れこんできたのである。
この世界は、私が前世でプレイした乙女ゲームのひとつと酷似している。
ヒロインのデフォルトネームが、ニーナ。ピンク色の髪に緑色の瞳を持つ、小動物系の可憐な少女だ。
その攻略対象のひとりがリュカ。銀髪に紫色の瞳の涼やかな美貌をもち、成績も人当たりも良い完璧超人だが、実は腹黒というヒーローである。
そして、二人の恋を邪魔するのが、黒髪に赤い瞳、気の強そうな美人の伯爵令嬢、シャノン——私はリュカルートの悪役令嬢だった。
「……やっぱり、間違いなくリュカルートよね。あれは」
ニーナとリュカが、学園の中庭で仲睦まじくお喋りをしている所を見て、私はぼそりと呟いた。
少し前までは王太子殿下や騎士団長の子息、宰相の子息なども近くにいたのだが、今はニーナとリュカの二人で過ごしていることが多い。
「ということは、このままだと、卒業パーティーで私は悪役令嬢として断罪される」
ヒロインに嫌がらせを繰り返し、悪役令嬢はヒーローに婚約破棄される。
ヒロインとヒーローは結ばれて皆に祝福されて、めでたしめでたし。
これが作り物の世界で、リセット可能な乙女ゲームだったら良かったのだが、いかんせんこれは現実。
その上私は、悪役令嬢だ。断罪される側なのである。
「うーん、断罪された悪役令嬢がその後どうなったのかは、ちゃんと覚えてないのよね。このゲームはそんなにやり込んでなかったから……セオリー通りだと、修道院送りか、国外追放か、金持ち好色じじいの後妻か……」
正直、どれもお断りである。私は今までと同じように、普通につつがなく平和に暮らしたいのだ。
「ヒロインに意地悪をしなければ、断罪されないと思いたいけど……物語の強制力っていうものもあるからね。油断はできないわ」
こういう転生系のお話では、物語の強制力によって決められた結末に強引に誘導されるというのもセオリーだ。冤罪をふっかけられて、結局断罪されてしまうという可能性も捨てきれない。
「やっぱり、その前にリュカとの婚約を円満に解消する……これがベストね」
私はそう決意して、早速行動に移すことにしたのだった。
*
私は早速リュカを、人気のない廊下に呼び出した。婚約を解消してほしいと告げるためだ。
「どうしたの、シャノン。君が学園で僕に話しかけてくるなんて、珍しいね」
リュカは端正な顔に完璧な微笑みを浮かべて、私を探るように見ている。
「単刀直入に言うわ。私との婚約を、解消しましょう」
「……は?」
私がそう告げた瞬間、リュカは美しい笑みをスッと消した。
「……ねえ、シャノン。僕の聞き間違いかな? 婚約解消って、どういうこと?」
リュカは、あくまでも平坦な声でそう尋ねる。
「ひっ」
私は思わず小さな悲鳴をあげ、美しい婚約者から一歩距離を取った。私の頭に、警鐘が鳴り響く。
普段は優しげな光をたたえる紫色の瞳は、今は瞳孔が開ききり、真っ黒な闇がのぞいている。
「シャノン。どうしてそんなことを言い出したのか、説明してくれる?」
「すっ……好きな人ができたからよっ!」
私は耐えきれず視線を逸らし、そんな嘘をついた。リュカに背を向け、無人の廊下から急いで立ち去る。
「……、早く仕留めないとなあ」
そんな物騒な呟きが聞こえなかったのは、私にとっては幸いだったのかもしれない。
*
翌日、私は父親へあてた手紙を持って、学園の事務室前に設置されている郵便箱へと向かっていた。
この学園では、私たち生徒は基本的に寮生活をしている。そのため、まだ婚約解消のことを両親に伝えていない。昨日したためたこの手紙には、私の都合で円満に婚約を解消したい旨が記されている。
ところが、学園の事務室に続く廊下に差し掛かったとき。
「ひぇっ!?」
私は突然手首を掴まれ、誰もいない教室に引き込まれた。出そうとしていた手紙が、はらはらと空中を舞い、教室の床に落ちる。
私を教室に押し込んだ犯人は――、
「……リ、リュカ?」
冷たい表情で私を見下ろす、リュカだった。
彼は私から目を離さないまま、器用に教室の扉を施錠する。
「何するのよ」
「君の方こそ、何をしようとしてたの? まさか、その手紙――昨日の馬鹿げた話が書いてあるんじゃないだろうね?」
「――っ」
リュカは瞳孔の開いた目で、私をじっと見つめながら、壁際に私を追いやっていく。
掴んでいたままだった私の手首をそっと持ち上げ、もう片方の手で優しく手の甲を撫でたところで、私は少し気を緩めてしまった。
その瞬間、リュカにもう片方の手首も掴まれ、大きな手に捕らわれてしまう。
「えっ?」
「これまでは君を怖がらせないようにと思って遠慮してたけど……もう、仮面を被るのはやめるよ。絶対に君を逃す気はないから、覚悟してね」
「どう、して……」
私の声が震える。
リュカは私の様子などお構いなしで、私の両手を腰の後ろ側へ回し、そのまま壁を上手く使いながら、右手だけで拘束されてしまった。
私は怖さ半分、悲しさ半分で、リュカをキッと睨み付ける。
「リュカ、どうして、そこまでするの……? そんなに私のことが憎いの!?」
「……憎い……か。ああ、ある意味そうかもしれないね」
リュカは少し考えてから、私に頷いてみせた。空いている左手で拳を作り、私の顔のすぐ横の壁に、ドンと乱暴に打ち付ける。
私はびくりと身を揺らした。
「もう一度言うけど、君を逃すつもりはないよ。たとえ君に想い人がいるとしても、ね。――諦めて、僕のものになってよ。ね?」
「や、やだ……っ」
私の抵抗もむなしく、瞳孔が開いたままの端正な顔が、強引に近づいてくる。壁に縫い止められたままの私には、為す術もない。
私は、反射的にぎゅっと目を閉じた。
「ん……」
乱暴なことをされるかと思いきや、降ってきた口づけは、ひどく優しく遠慮がちなものだった。
唇が離れていったのを感じて、私はそっと目を開ける。
そこにあったのは、大人びた作り物めいた表情ではなく――切なく苦しそうな、年相応の男子の表情だった。
瞳孔ももう、開いていない。
「リュカ……?」
「……予定変更だ。もう、殿下の命令なんて知ったことか。今日中に決着をつけるから……、だから、頼むよ。今日まではまだ、僕を捨てないでいて」
「え……」
リュカは身体を離すと、私の手首も解放してくれた。掴まれたところが少し赤くなっているのを見て、リュカは苦しそうに、ぎゅっと眉をひそめた。
「……ごめん」
赤くなっている部分を、今度は優しく撫でて、リュカは踵を返し教室を出て行った。
「なんで……リュカの方が泣きそうな顔をしてるのよ」
私のこぼした声は、誰もいない教室の床に、静かに吸い込まれていった。
*
事件が起こったのは、その日の最後の授業が終わった直後のことだった。
「動くな!」
突然、授業を終えた教室に、武装した騎士たちがなだれ込んできたのだ。
学園の警備兵ではなく、犯罪者を取り締まる王国の騎士であることは、制服を見れば一目瞭然である。
「ニーナ・ペリドット男爵令嬢、貴女に逮捕状が出ている。罪状は、国家反逆罪だ。ただちに騎士団本部へ連行する!」
「えっ!? なにかの間違いですぅ!」
「証拠も上がっている。大人しく従えば、乱暴なことはしない。さあ!」
突然の捕り物にクラスの全員が固まっている間に、騎士たちは迅速にニーナを拘束し、外へ連れ出してしまった。
そんな中、驚いた様子も見せずに、冷めた視線をニーナに向けていた人物が二人――リュカと、王太子殿下だ。
教室にざわめきが戻ってきたところで、リュカと殿下は互いに目配せをして、意味ありげに口角を上げていた。
私が眉をひそめて二人の様子を見ていると、リュカが私の視線に気づいたようだった。リュカの視線を追って、王太子殿下も私に目を向ける。
私は慌てて目を伏せ簡易な礼を取ると、二人は私の方へ近づいてきた。
王太子殿下に顔を上げるよう促されてその通りにすると、殿下は謝罪の言葉を口にした。
「シャノン・ルビーレッド伯爵令嬢、此度はこちらの都合で迷惑をかけた。済まなかった」
「ええと、何のお話でしょうか?」
目をぱちくりさせる私に答えを返したのは、殿下ではなく、リュカだった。
「さっきの捕り物の件だよ。殿下からお願いされてね、ニーナ嬢の動向を探っていたんだ」
「彼女の正体は、隣国のスパイだ。こちらが探っていることに感づかれて、逃げられたり証拠を消されては困るからな。リュカには任務のことを誰にも言わないようにと、釘を刺していたのだ」
「ということは……つまり……?」
ニーナは、乙女ゲームの一つのシナリオ、リュカルートに入ったのだと思っていたのだが――実はそうではなかったということだろうか。
「なら、リュカがニーナ嬢と仲良くしていたのは……」
「うん。ニーナ嬢を騙すための演技だった。シャノン、不安にさせてごめん」
「そう、だったの……」
やはりここはあくまでも現実世界であって、乙女ゲームの世界ではなかった、ということか。
もしくは、ニーナ嬢のまわりに、私以外の転生者がいて、知らないうちに原作から乖離してしまったという可能性もある。
色々と考えを巡らせていて変な顔をしているであろう私に、殿下がぱちりとウインクをした。
こんな気さくな人だっただろうか、と一瞬疑問に思ったものの、リュカがムッとした表情で殿下に詰め寄ったので、その疑問はすぐに消え去ってしまった。
「それより殿下。今回の任務のせいで、危うく婚約解消されるところだったんですからね? これで愛しいシャノンとの仲がこじれたら、どうしてくれるつもりだったんですか?」
「ははは、それは申し訳ないことをしたな」
「殿下、笑い事じゃないんですよ!」
「ふ、ははは。いや、済まぬ。二人には大きな借りができてしまったな。近いうちに、必ず礼をするよ」
「言いましたね? 約束ですからね?」
「はは。ああ、約束だ。いやあ、しかし信じられぬほど上手くいったな。マジで草生えすぎて森。ウケる」
「えっ――」
言葉を詰まらせる私と、首を傾げるリュカを置いて、殿下は「仲良くな」と人差し指と親指でハートを作り、楽しそうに笑いながら去って行った。
「……相変わらず殿下は時々意味がわからない言動をするな。ところでシャノン、この後、少し話せる?」
「うん」
「じゃあ、中庭に行こうか」
私が頷くと、リュカは私の背に軽く触れて、教室を後にした。
横目で彼をちらりと見ると、彼は私に微笑み返した。
いつもの完璧な笑み……ではなく、少し眉尻の下がった微笑みを浮かべている。
*
中庭に到着し、人のいないベンチを見つけて腰を下ろしても、リュカは口を開かなかった。
リュカのさらさらした銀髪を、爽やかな風が揺らしている。
「……あの、リュカ」
先に声を発したのは、私の方だった。
リュカは、儚げな微笑みを浮かべながら、私の顔をじっと見つめる。
「その……婚約解消の件なんだけど、やっぱり、無かったことにしてもいい……?」
「――うん。もちろんだよ」
リュカは安心したように目を細めた。
「はあ……、良かった。シャノンに嫌われたかと思って、不安だったんだ」
「嫌う? どうして?」
「朝……君に、ひどいことをしただろう?」
「ひどいこと……」
確かに驚いたし、あの時のリュカが少し怖く感じたのも事実だが――、
「……それより私の方が先に、リュカにひどいことをしたわ」
婚約解消を告げたのは、私の方なのだ。
それでリュカが悲しくなって、私を憎むほどの感情を抱いたのなら、それは私のせいである。
「だから……お互いさまってことで、この話はおしまいにしない?」
「……うん、そうだね。そうしよう。ごめんね、シャノン」
「こちらこそ、ごめんなさい、リュカ」
互いに頭を軽く下げ合う。
リュカは憑きものが落ちたように爽やかな笑顔を浮かべたが、すぐさま「ところで」と笑顔の質を変えた。
「一つだけ許せないことが残ってるんだけど」
「え? な、なに?」
私は思い当たることがなくて、首を傾げる。
リュカは満面の笑顔のまま、私の頬にそっと片方の手で触れた。
指先で私の頬を優しくなぞりながら、ぞくぞくするような甘ったるい声で、私に問う。
「――シャノンの好きな人って、誰なの?」
「えっ……好きな、人?」
「ねえ、答えて。誰なの?」
そういえば、と私は思い当たった。
リュカに婚約解消の話をしたとき、私は「好きな人ができた」と嘘をついたのだ。
けれど、それは嘘であって嘘ではない。
だから、私はふふ、と目を細めて、頬をなぞっているリュカの手に、自身の手を重ねた。
「なあんだ。わからないの?」
「……は? 僕の知り合いってこと?」
「知り合いって言えば知り合い、かな」
リュカの不機嫌度が、どんどん上がっていく。
けれど、への字に曲がっていく口元も、少し開き始めた瞳孔も、今の私には可愛く思えてしまう。
「……誰だよ。トムか? ヘンリーか? それとも、まさか殿下――」
「――リュカだよ!」
私が笑いながらはっきりそう告げると、リュカはそのまま固まってしまった。
ぱち、ぱち、とゆっくり二回まばたきをして、リュカは再起動する。
「え……と、もう一回、聞いていい?」
「リュカだよ」
「――もう一回」
「リュカよ。私は、リュカが好き」
「……っ」
繰り返しリュカの名を呼ぶと、彼の顔がみるみるうちに赤くなっていった。
その反応がおかしくて、私はこてん、と首を倒す。
「もしかして、リュカ、本当の本当に気づいてなかったの?」
「だって、今まで一度も……」
「あれ? そうだっけ?」
そう言われてみれば、確かに自分の気持ちをはっきり伝えたことは、なかったかもしれない。
しかし。
「でも、それを言うならリュカも、はっきり言ってくれなかったよね?」
「――そう、か。そうだったか」
リュカは、頬に触れていた手を、そのままゆっくりと頭の後ろにすべらせていき、私の髪を耳にかけなおした。
そうしてリュカは、ふわり、と綻ぶように微笑む。
それは、これまで見た中で、一番甘くて優しい笑顔だった。
「シャノン。好きだよ。愛してる。僕にとっては、君がすべてなんだ。世界で一番、誰よりも君を愛してる」
「リュカ……」
感極まって、少し掠れた声で彼の名を呼ぶ。
リュカはくすぐったそうに目を細めた。
「――私も、リュカのことを愛してる。好きで好きで、どうしようもないくらい、大好きよ。リュカ以外の人と結婚なんて、絶対に考えられない」
「……っ、シャノン」
「ふふ。リュカがそんな風に真っ赤になるの、初めて見た」
「だ、だって――」
「可愛いね、リュカ。そんなところも、大好き」
今度は私が、リュカの両頬を、自分の手で優しく包み込む。リュカは、小さくたじろいだ。
彼の端正な顔はすっかり熱くなっていて、瞳もわずかに潤んでいた。
「私がこうして触れ合うのも、恋をするのも、結婚するのも、リュカしかいないわ」
「シャノン――」
「毎日一緒に笑い合うのも、家族になるのも、子育てするのも、老後にひなたぼっこをするのだって、リュカじゃなくっちゃ嫌」
「――君さ、わかってる? それとも、わざと煽ってるの?」
「え? 何が? っ、きゃっ」
リュカの瞳が挑戦的に輝いたと思った次の瞬間、私はあっという間にまた手首を掴まれ、ぐいっと彼の胸元に引き寄せられた。
今朝、誰もいない教室でされたよりも強引に、性急に、唇が合わさる。
「んっ、リュカっ」
「シャノン、僕がどれだけ我慢したか、君はわかってるの?」
「わからな――っ」
再び唇を奪われ、角度を変えて何度もキスが落ちてくる。
リュカは最後にぺろり、と唇の端を舐めて、ようやく私を解放してくれた。
「シャノン、可愛すぎ。ああ、もっとたくさんキスして、この腕に閉じ込めて、めちゃくちゃに甘やかしたい」
「――っ、も、もう勘弁して!」
リュカは余裕そうだが、私はもうオーバーヒート寸前だ。
きっと今の私の顔は、先ほどのリュカよりも赤くなっているに違いない。
リュカのどこか獰猛な、しかし満足げな微笑みを見て、幸せで胸がいっぱいになったのだった。
お読みくださり、ありがとうございました♪
当作品とは無関係ですが、本日(8/2)中に新作の連載も開始しますので、そちらもぜひよろしくお願いいたします!




