第4話/強制執行、さあ世界を買い取ります
アステリア王国の王都は、焦げた紙の臭いと、冷え切った絶望に包まれていた。
かつて栄華を極めた目抜き通りには、無価値となった王国金貨が泥にまみれて転がっている。人々は魔法で灯りを点すことすら忘れた。魔導燃料の価格が数千倍に跳ね上がり、貨幣経済が「死」を迎えたからだ。
その崩壊の象徴である王宮の玉座の間。
第一王子カイル・アステリアは、血走った目で、震える手で、一本の魔導杖を握りしめていた。
「なぜだ……! なぜ魔法が発動せん! 貴様ら、魔力を絞り出せ! このフェルガナの賊軍を焼き払え!」
王子の絶叫に応える者はいない。
彼の背後に並ぶ魔法騎士たちの鎧は、錆びつき、魔力を供給する回路は、維持費の未払いによって「権利失効」していた。
対するは、整然と並ぶフェルガナ領の事務兵たち。
彼らは剣を抜かない。代わりに手にしているのは、真っ白な「強制執行予告状」の束だ。
そしてその中央、冷たい静寂を纏って立つ一人の女がいた。
エルザ・レージャー。
彼女は、王都の冬の寒風に眼鏡を曇らせることなく、愛用の黒檀算盤を静かに掲げた。
「カイル殿下。お久しぶりです。……あ、いえ。今はもう『代表債務者』とお呼びすべきでしょうか」
パチ、パチ、パチ。
エルザの指先が、氷のように冷たく、しかし正確なリズムで算珠を弾く。
その音は、静まり返った広間に、巨大な時計の針が刻む死のカウントダウンのように響き渡った。
「貴様ぁ……エルザ! 貴様が、我が国の通貨価値を暴落させたのか!? 禁じ手である『フェルガナ紙幣』を乱発し、市場を撹乱したな!」
「心外です。私はただ、市場原理に基づき、価値のないものに『無価値』というレッテルを貼ったに過ぎません。……殿下、ご存じですか? 信用のない通貨は、ただの汚れた紙切れであることを」
エルザは一歩、王子の座る玉座へと歩みを進める。
彼女の視界には、もはや王子の姿すら「資産」としては映っていない。
彼が纏う豪華な毛皮の外套は「劣化資産」。
その頭に載る王冠は「質権設定済み」。
そして彼自身は――「回収不能な不良債権」。
「この一ヶ月、私は王国の債権者である周辺諸国、及び商人ギルド、さらには魔王軍の軍事ローンまで、すべてを買い取らせていただきました。……現在、アステリア王国の全負債、四千八百億ゴールドの債権者は、私個人、及び私が総裁を務める『フェルガナ中央銀行』に集約されています」
エルザは、四次元鞄から一通の、重厚な封蝋がなされた文書を取り出した。
その封を切る音――パリ、という乾いた音が、王子の心臓を直接抉るように響く。
「……本日、正午をもって、アステリア王国の『破産』が確定しました。これより、**強制執行**を執り行います」
「馬鹿な! 国が、この私が破産するなど……! 私は王族だ! 法を司る者だぞ!」
「いいえ。法よりも上位にあるのが、数字の真理です。**領収書なき公費支出は私的流用であり、返済能力なき債務は奴隷化を招く**。……これは、世界の理ですわ」
エルザが、算盤の最後の一珠を力強く叩き下ろした。
タタンッ!
その衝撃波が、魔法的な契約の枷となり、王宮全体を震わせる。
玉座の間に張り巡らされていた防衛魔法の術式が、一枚の書類が破れるように霧散した。
「ぐ、あああああッ!?」
カイル王子が叫び声を上げ、玉座から転げ落ちる。
彼の指から、先代から受け継いだ王印の指輪が滑り落ち、エルザの足元へ転がった。
エルザはそれを、事務的な無関心さで拾い上げ、ハンカチで丁寧に拭う。
「……王印、及び王宮不動産、ならびにアステリアの国名に関する商標権。これらすべてを、フェルガナ領の資産として差し押さえます。……カイル様、あなたは今この瞬間から、一介の無職、あるいは『清算人』に過ぎません」
エルザは床に這いつくばる王子を見下ろした。
彼女の瞳には、かつての屈辱への恨みなど、微塵も存在しなかった。
あるのは、巨大な不均衡(不一致)を解消した後の、深い、深い悦楽だけだ。
「……っ、ああ。……ああ。整いました。ついに……一致しましたわ」
エルザは、自らが書き上げた「世界の連結貸借対照表」を胸に抱き、恍惚とした表情で天を仰いだ。
脳内で、数千億の数字たちが、互いの欠けたパズルのピースを埋めるように連結していく。
貸方(借金)が消え、借方(資産)が再定義される。
混沌としていた大陸の経済が、エルザというフィルターを通じ、美しい「ゼロ」の均衡へと収束していく。
「……この世に魔法があるとしたら、それは複式簿記の他にありません。右と左が等しくなったとき、世界は初めて、本当の正義を手に入れるのです」
カイルは、彼女のその異常なまでの美しさと、冷酷なまでの論理に、恐怖すら忘れて見惚れていた。
彼が「事務など誰でもできる」と切り捨てた女は、今、数字という名のペン一本で、一国の歴史を書き換えてしまったのだ。
「……連れて行ってください。彼はもはや、帳簿上のノイズです」
エルザの冷徹な声に、事務兵たちが動き出す。
カイルは、かつて自分がエルザを追放した時と同じように、無残に引きずり出されていった。
---
数日後。
旧王宮のバルコニーに、エルザは立っていた。
眼下には、新しい通貨『フェルガナ・ノート』を手にした市民たちが、希望を持って市場へ向かう姿が見える。
流通が回復し、物流が心音を取り戻す。街には焼きたてのパンの匂いと、新築される建物の木の香りが満ち溢れていた。
「エルザ。……いや、総裁。これで満足か?」
後ろから声をかけたのは、フェルガナ領主改め、新政府の最高経営責任者(CEO)となったゼクスだった。
彼は上等なスーツを着崩し、苦笑しながら、手にした「国家予算案」を彼女に差し出した。
「満足、ですか? とんでもない」
エルザは振り向き、眼鏡を指で押し上げた。
彼女の視線は、もはやこの国すら越え、海の向こうの帝国、そして未開の魔大陸へと向いている。
「まだ世界中には、左右の合わない帳簿が溢れています。不当な利得、不明な使途、そして……領収書のない無駄な戦争。……ふふ、ふふふ。やりがいがありますわ。この星の全資産を、一枚の紙の上に整列させるまで、私の算盤は止まりません」
エルザは、新しい帳簿の、まだ真っ白な一頁目を捲った。
その紙の、清廉な白さと、かすかなインクの予感。
「……さて。次の『監査』を始めましょうか」
彼女は、愛おしげに算盤の珠を撫でた。
パチ。
その一打が、新しい時代の幕開けを告げる福音(あるいは審判の鐘)のように、晴れ渡った空へ響き渡った。
もし同系統がお好きなら、女主人公×異世界の完結作もあります:
『全肯定未亡人は今日も可愛い子を甘やかす』(N3385LM)




