恋心と、失恋と
「仲を進展させたい……。えっ、ええっ、ええぇぇーーっ!! そうなの!? ぴろりんって、私のこと好きなの!? 花火のときに話したい大切なことって……まさか、告白!?」
心臓が口から飛び出しそうなほどにドキドキする。顔は火がついたかのように熱い。
手で顔を仰ぎながら母の鏡台を覗くと、顔も耳も真っ赤。
空を飛んでいるようなふわふわとした気分で、晩御飯の席に着く。
おやつにサイダー味のアイスを一個しか食べていないのに、空腹を感じない。満たされているように感じるのは、なぜだろう。
食欲はないが、海老を三本とナスとインゲンとシイタケの天ぷらを食べて、ごちそうさまを告げる。
真司が慌てた。
「どうしたんだ、めぐみ! 怒っているのか!?」
「ん?」
「俺が意地悪したから、怒っているんだろう!」
「あぁ、それね」
私は、別皿に海老の天ぷらを十本確保した。それなのに晩御飯の席で見てみれば、皿には海老の天ぷらが三本しかなかった。消えてしまった七本の海老の天ぷらの代わりにあったのは、ナスとインゲンとシイタケの天ぷら。
真司は、ナスとインゲンとシイタケが嫌いだ。
いつもなら喧嘩が始まるところだが、今日は最高に気分がいい。寛容な心で兄を許す。
「これくらいで怒ったりしないよ。お兄ちゃんと違って、私は大人だから」
「なっ!?」
真司はよほど驚いたらしい。力の抜けた手から箸が落ち、床に転がった。
口をあんぐりと開けた兄のマヌケ顔がおもしろくて、私は愉快な気分で台所を出た。
るんるん気分でお風呂に入り、その後、自分の部屋で勉強する。
夏休みの宿題がまだ終わっていない。けれど裕史のことで頭がいっぱいで、手につかない。
開いた問題集の上に鉛筆を転がすと、ベッドにダイブする。
「ぴろりん。私のこと、いつから好きだったのかな? 全然気づかなかった」
うっとりとしたため息とともに、脳内に広がる妄想。
夜空に打ち上がる花火を背景にして、向かい合う私とぴろりん。ぴろりんは私より、八センチほど背が高い。
ぴろりんは頬を赤らめながら、おずおずと口を開く。
「めぐみさん、好きです。付き合ってください」
そこまで妄想して、私は黄色い悲鳴をあげた。手足をバタバタと暴れさせ、夏用のブランケットを抱き寄せる。
「きゃあ〜っ!! ぴろりんったら、積極的!! どうしよう! なんて答えたらいいの!?」
私は中三で、しかも受験生。彼氏を作るには早い。せめて高校生になってから……。
それが、心にスッと馴染んだ。
「そうだ。高校生になったらいいよって言おう」
裕史は年下だが、身長があるし、目鼻立ちが整っていて顔がいい。優しいし頼りになるし落ち着いている。勉強もできるし、本をたくさん読むから知識が豊富。
「さらには、細マッチョ! 最高すぎるっ!!」
裕史と付き合うなんて、考えたことがなかった。でも直面してみると、嫌じゃない。むしろ、付き合ったら絶対に楽しい。
恥ずかしいのに嬉しいという、羞恥心と幸福が手を取り合った感情があることを、この日知った。
次の日。胸のドキドキが高まりすぎて、息をするのが苦しい。裕史の顔を見る勇気がでない。
母は介護の仕事をしているが、今日は休み。冴木家に夕食を届けるよう、頼んだ。
母は隣家から帰ってくると、取り込んだ洗濯物をたたみ始めた。手伝いながら、それとなく探りを入れる。
「裕史、どうだった? 私のこと、なんか言っていた?」
「寛治さんがいてね。おじいちゃんの施設入所が決まったって。九月末に、千葉に引っ越すんだって。寂しくなるわね」
「えっ……」
寛治というのは、裕史の父親の名前。
引っ越すという単語に、目の前が真っ暗になる。
一年半前、裕史の母親が亡くなった。葬式が終わった後、裕史の父親の弟が、
「三人で大変だろう。こっちに来いよ。千葉のほうが仕事があるし、裕史くんは頭がいい。親父が入れる施設を探しておくよ」
そう話しているのを聞いた。そのときに引っ越すかもしれないと思ったのに、そう思ったことすら忘れていた。
自分の頭の悪さに、うなだれる。
「九月末って……あと一ヶ月ぐらいしかないじゃん……」
「あの家、物が多いから。私たちも手伝わないと」
「裕史に、花火に誘われたんだけど……」
洋服をたたんでいた母の手が止まった。
涙ぐんでいるのを見られたくなくて、洗濯物の山の端にあるタオルを取るふりをして、顔を背ける。
「千葉に行ったら、お盆ぐらいしか戻って来れないだろうから。思い出作りに協力してあげなさい」
「思い出作り……」
母は思ったことをそのまま声に出したにすぎない。悪気などない。
でも私は、胸をざっくりと切られた。花火に誘われたのは、告白ではなく、思い出作りだったのだ。
急いでタオルをたたんで、立ち上がる。
「タオル、しまうね!」
逃げるようにして、和室を出る。
洗面所の棚にタオルを置き、鏡の前に立つ。笑ってみたり、真面目な顔を作ったり、頬を膨らませてみたり。
「平凡な顔。いかにも田舎娘って感じ。千葉の女の子は可愛いだろうなぁ。私のことなんて、忘れちゃうよね……」
鏡の中の目が潤み、ポロッとこぼれた水滴が頬を伝う。
流れ落ちる涙が止まらない。
私は自室に駆け込むと、ベッドに突っ伏した。涙が枕に染み込む。
裕史と付き合う妄想なんてしなければよかった。そもそも、告白だと勘違いしなければよかったのだ。
そうしたら、気がつかないうちに芽生えていた恋心に気づくことなく、失恋することもなかったのに──……。




