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二十年後の約束  作者: 遊井そわ香
冴木裕史目線
38/39

君への想いは届くことなく、消えることもなく

 弟が生まれた。僕とは十七歳差。

 ベビーベッドの中で弟が泣いているから、僕は抱きあげようとした。けれど赤ちゃんの体は小さくて、ふにゃふにゃとした筋肉が頼りなくて、うまく抱けずに焦った。

 すると、義母が血相を変えて飛んできて、僕の頭を叩いた。


「なにしているのっ!! さわらないで!!」

「泣いているから、あやそうと……」

「この子を落としたら、あんた、責任とれんの?」


 母は僕の手から奪うようにして弟を取りあげると、愛おしそうに胸に抱いた。優しい声で弟の名前を呼ぶ。

 泣き声がやんだ。


 母は、平気できついことを言う。まるで、人の心が言葉で傷つくことを知らないかのように。

 母の無神経さは言葉だけではない。僕の進路や、友達関係、時間の使い方にまでうるさく口を挟む。

 行動、考え方、洋服、髪型、家での過ごし方、読む本、持ち物、食べるもの。

 すべてに干渉してきて、僕をコントロールしようとする。

 母の口癖は「あなたのために言っているの」

 僕のためではなく、あなたのエゴを押し付けているだけだと心の中で反発した。けれど、口にも顔にも出さずに我慢したのは、再婚した父のため。


 だが頭を叩かれたことで、爆発した。

 母が今までしてきたことを、父に訴えた。父は、テレビを見ながら言った。


「子育ては大変なんだ。寝不足で気が立っていたんだろう。悪気はないんだ。許してやれ」

「僕より、母さんの味方をするんだ……」

「家族なんだ。仲良くやっていこう」


 父は昔からそうだった。気の強い祖母に母がいじめられていても、助けなかった。

 父は面倒な事を嫌って、関わらない。そういう人だとわかっているのに、なにを期待していたのだろう。


 家を飛び出した。十二月の夜の下を歩く。

 透明人間になったように感じる。僕がなにを考え、なにを思い、なにに傷ついているのか。誰も興味なんてない。

 学校のカウンセラーに、相談すればいいとは思う。けれど卑屈な性格が、話を聞いてもらっても意味ない。あの母親が変わるわけないし、父が味方することもないと諦めてしまっている。

 冷たい夜気とともに、みじめさを飲み込む。


「めぐみさんに会いたい……」


 忘れられない思い出がある。

 僕は、なんでもないふりをするのが得意。だから、父も祖父も学校の先生も友達も近所の人も、めぐみさんの家族も、昨日の僕と今日の僕が違うことに気がつかなかった。

 それなのに、めぐみさんだけが気がついた。


「裕史、どうしたの? 目が暗いよ。なにかあった?」

「なんでもない」

「本当に?」

「うん。大丈夫」

「我慢しているのを、大丈夫っては言わないよ」


 目の奥がカッと熱くなった。

 なんでもないふりをすることを選んだのは自分なのに、本当は、気がついてほしかった。


「……お母さん。癌が再発した……」


 母を心配させないために、落ち込む父と祖父を励ますために。涙を見せずに、静かな笑顔を取り繕った。

 でも本当は、泣きたかった。叫びたかった。


「怖いんだ! お母さんが死んだら……」


 涙をこぼす僕を、めぐみさんは抱きしめてくれた。背中をトントンと叩いてくれた。

 めぐみさんの温もりと手のリズムに、落ち着くことができた。

 

 母が亡くなった日。めぐみさんは言った。


「私はいなくならない。裕史のそばにいるよ」


 それなのに、事故でいなくなってしまった。

 

 初恋の人はもう、この世にいない。彼女への想いは届くことなく、消えることもなく。

 僕は宙ぶらりんな気持ちを抱えたまま、生きている。



 ◇◆◇◆



 僕は、義母が望む教師の道を歩んだ。精一杯の抵抗は、義母がなりたかった中学校の先生ではなく、高校の歴史教師になったこと。


 僕は、人との間に境界線を引くのがうまくなった。境界線の向こうに入らないし、他人も入れさせない。おかげで傷つかなくなり、生きるのが楽になった。

 だが、境界線の内側にスッと入ってきた人物がいる。その人物は、僕の心をかき乱す。


 彼女の名前は、渡瀬友那。


 彼女の明るい笑顔は、警戒心を解いてしまいたくなる不思議な魅力がある。

 彼女と話していると、自分は透明人間でなく、実体のある人間であることを感じる。

 それでも僕は丁寧語を崩すことなく、教師と生徒という一線をまたがせないよう注意を払う。

 

 ある朝。僕は目を疑った。


「今年、文化祭なんです! 新聞部で事件を起こして、犯人は誰だ! っていう謎解きはどうかなって考えているんですが、どう思いますか?」


 朝の日差しのような明るい笑顔を向けてきた彼女に、めぐみさんを重ねてしまった。

 前々から、雰囲気が似ているとは思っていた。


「どうしました? 私の歯にアオサでもついています?」

「笑った顔が……いいえ、なんでもないです」


 僕は誤魔化し、早足で学校に向かう。彼女は小走りでついてきた。


「急ぎの用があるんですか?」

「巻き込まれたくないだけです」

「冷たーい! 下敷きになってくれたっていいのに」

「お断りです」

「学校までこのスピードで歩くんですか? 疲れて死んじゃう!」

「自分もです。ゾンビになって、授業をするかもしれない」

「おもしろそう! 一緒にゾンビになりましょう!」

「冗談です」

「そうなんですか? 先生って楽しい人ですね」

「…………」


 楽しいのは君だよ、と言いたい。

 渡瀬さんと話すのは楽しくて、困ってしまう。


 快活な雰囲気。屈託のない明るい笑顔。話し方。話す内容。仕草。人の境界線にスッと入ってくるうまさ。


「めぐみさんと似ている。似ているところが多すぎる。……君はいったい、誰?」


 単なる偶然なのだろうか。

 偶然という言葉で片付けたくない、自分がいる。

 


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