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二十年後の約束  作者: 遊井そわ香
第三章 恋に、さようならとこんにちは
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めぐみさんとめぐみ

 冴木先生と親しくするのを、やめた。

 朝は十五分遅く家を出て、先生に会わない。新聞部の用事で社会科準備室を訪ねたら、用件のみ話して退室する。

 模範的な生徒と先生の距離感である。

 それなのに……。


「あーぁ、つまらない」


 明日から、夏休み。それなのに気持ちがモヤモヤして、夏休みになるのが嬉しくない。

 受験生とはいえ夏休みが楽しくないだなんて、人生の末期症状だ。


 私は新聞部の部室に入ると、女子バスケットボール部を引退した主将へのインタビュー原稿を二年生に渡した。

 新聞部の部室を出ると、十五分前と同じセリフを吐く。


「あーぁ、つまらない」


 つまらないを解消する術を知っている。社会科準備室に行って、冴木先生とおしゃべりを楽しめばいいのである。

 けれど私は模範的な生徒なので、おとなしく塾に向かうことにする。

 廊下の窓が開いている。けれど入ってくるのは風ではなく、ミンミンゼミの合唱。


「暑いー。溶けるー。つまらないー。欲求不満ー」


 暑さで、語尾が溶けて伸びる。

 ミンミンゼミの鳴き声に張り合うように、「つまらないつまらない」と繰り返していると、前方から冴木先生が歩いてきた。

 心臓がドキンと跳ねる。アドレナリンが放出され、体温が上がる。

 偶然の出会いに嬉しくなる。けれど、反対方向へと走って逃げる。


「やっぱり無理。好き!」


 学校の先生と恋愛なんてしない。

 そう決めて、冴木先生を好きにならないために避けた。

 けれど、無駄な抵抗だった。好きにならないと踏ん張った時点ですでに、恋に落ちていた。


 階段の踊り場にある壁の凹みに体を滑り込ませると、鞄で顔を隠す。

 気づかずに通り過ぎてくれますように! と祈る。

 呼吸を押し殺してじっとしていると、近づいてきた足音が止まった。


「渡瀬さん?」

「ミーンミンミン。私はセミです」

「…………」


 冴木先生なら「なにやってんですか」と、呆れたツッコミをいれてくれる。

 そう思ったのに、シーンと静まり返ったまま。

 訝しんで、顔を隠していた鞄を胸元まで下ろす。

 先生は両目を大きく見開いて、固まっている。まるで、メドューサに石にされてしまった人のよう。

 

「どうしたんですか? 本物のセミだと思った?」

「そんなわけないです。そうでなく、どうしてセミに?」

「別に意味はないですけど。しいて言えば、夏だから?」


 メドューサの呪いが解かれ、先生は困ったように頭を掻いた。


「渡瀬さんって、不思議な人ですよね」

「そうですか? 不思議ちゃんだと言われたことはないです」

「不思議ちゃんではなく、ある人にすごく似ている。笑顔とか、元気なところとか、話の内容とか……」

「ふーん、誰ですか?」

「めぐみさんです」


 私はひゅっと息を飲むと、視線を泳がせた。


「へ、へぇー、そうなんだぁ。ふーん」

「及川めぐみさんの親戚だったりしますか?」

「いや、親戚ではないと思います」

「では、知り合い?」

「違います」

「そうですか」


 前世という発想にはならないらしい。

 私の前世がめぐみだと打ち明けて気まずい空気になるよりも、黙っていたほうがいいと思った。なにより、突然のことで心の準備ができていない。

 そういうわけで、私は先生から視線を逸らしたまま、ペコリと頭を下げた。


「帰ります。さようなら」

「渡瀬さん! クッキー、ありがとうございました。美味しかったです」

「食べたの?」

「はい。ほどよい甘さで美味しかったです。お菓子を作るのが上手なんですね」


 クッキーを食べてくれた。美味しいって喜んでくれた。お菓子を作るのが上手だと褒めてくれた。

 嬉しくて、舞い上がってしまう。

 へへっと笑った私に、先生は目を細めた。


「お礼を言うのが遅くなって、すみません。もっと早く言いたかったのですが、避けていたようだったので」

「ひゃっ!? そ、そそ、そんなことないですよぉ〜!」

「渡瀬さんもめぐみさんも、僕を避けるのが好きですよね。けっこう、傷つきます」


 泳がせていた視線を、先生の上に留めた。

 先生が自分から胸の内を晒してきたことに、驚く。


「すみません……」

「渡瀬さんが嫌がることをしてしまったなら、謝ります」

「違うんです! 先生はなにも悪くないです! 私が、その、ちょっと思うところがあって……」


 今まではっきり話すのは私で、曖昧だったのは先生。嘘は許さないぞとばかりに見つめるのは私で、視線を逸らせていたのは先生。

 それなのに、立場が逆転してしまった。

 私は曖昧にモゴモゴと口ごもりながら、壁のシミを見る。


「ごめんなさい」

「なにをどう思うところがあったのですか?」

「馴れ馴れしかったなぁとか、生徒と先生の距離感って大切だよね、とか……」

「それが避けた理由? 嘘ついていない?」


 私は口を尖らせて、先生を上目遣いに睨む。


「質問攻めにしたり、追及するのは私の仕事! 真似しないでください!」


 先生は肩を震わせて笑うと、笑いの余韻が残ってる眼差しを私を向けた。


「僕はめぐみさんを、さん付けで呼ぶ。それなのに、渡瀬さんはめぐみと呼び捨てにする。どうして?」

「えっ!?」

「親戚じゃないんですよね? 知り合いでもない」

「あ、あーっ、じゅ、塾の時間なんでっ! 帰ります!!」


 階段を駆け降りる。

 探偵に追い詰められた犯人は、こんな気分なのだと思った。



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