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二十年後の約束  作者: 遊井そわ香
第三章 恋に、さようならとこんにちは
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最低な愛

 狭い玄関で、修哉と揉み合う。 

 私は修哉の胸を突き飛ばして、手前の部屋に逃げようとした。けれど修哉のほうが早かった。

 私の肩を掴んで引き寄せると、顎を掴み、強引にキスしようとしてきた。


「イヤっ! 離してっ!!」


 私は悲鳴をあげ、両手を突っぱねて拒絶する。けれど、修哉は私よりも十センチ以上も背が高いし、筋肉もある。

 両手首を掴まれ、玄関の壁に背中を押しつけられる。その体勢のまま力をかけられ、私は壁と修哉の間に挟まれてしまった。

 力づくで押さえ込まれ、逃げ道を塞がれる。恐怖で足が震える。それでも体をずらそうと、もがく。


「イヤ、イヤだってば!! やめてっ!!」

「つめて」


 雨に濡れてしまった制服。揉み合ったせいで、修哉の服にも水分が移ってしまった。

 その冷たさに、修哉は笑ったのだろう。だけど私は(なんでこの状況で笑えるの……)と目眩がする。


「トイレを借りたいって言ったのは、嘘だったの!?」

「嘘じゃない。借りる。その前に、キスしたい。最近キスしてなかったじゃん。寂しくてさ」

「なに言っているの? 別れるのに……」

「俺は別れない」


 修哉の唇が微笑んだ。だが、瞳は氷のように冷たい。

 修哉の片手は、私は両手首を拘束している。空いているほうの手で、修哉は私の顎を掴んだ。


「心を入れ替えるって言ったのは本当だ。嘘じゃない。俺たち、うまくいく。やり直そう」

 

 顎を掴まれて、顔を背けることができない。目に溜まっていた涙が、頬を滑り落ちていく。


「イヤ……」

「強情だな。体でわからせないとダメな感じ?」 

「なにを……」

「友那が待ってほしいって言うから、我慢していた。意味なかった。こんなことなら、無理矢理にでも抱けばよかった。そしたら、別れようなんて考えなかったかもしれないな」


 的外れな発言に呆然とする。修哉は唇の片端を上げた。


「体が繋がると、心も繋がると思わない? 俺たちに足りなかったのは、体のコミュニケーションだと思うんだ」


 修哉は私の耳元で囁いた。


「友那のすべてを手に入れたい」


 私と修哉は、違う世界に生きているらしい。修哉の考える愛と、私の考える愛はまったく違う。

 二年以上も一緒にいたのに、理解し合えないという絶望感。

 

 修哉に両手首を掴まれている、その指先からは血が引いており、痛いほどに冷たい。けれど力を込めると、十本の指が動いた。

 修哉は私の耳に近づけていた唇を、頬に落とした。狭い玄関に、リップ音が響く。

 ゾワゾワとした寒気が這い上がり、身の毛がよだつ。けれど、じっと耐える。

 私がおとなしくしていることで、気が緩んだのだろう。

 修哉は、掴んでいた両手首を離した。


「イヤっ!!」


 力いっぱいに、修哉を突き飛ばす。修哉はシューズボックスに背中を強打し、うめいた。

 一番近い洗面所に逃げようとした。だが、修哉のほうが早かった。


「バカ女っ!!」


 修哉は私の髪を掴むと、手をあげた。顔面に鋭い痛みが走る。目の前に星が散った。

 私は衝撃と痛さで声をあげることができず、されるがままにもう一発叩かれた。


「ふざけんなっ! 来いっ!!」


 修哉は私の右腕を乱暴に掴むと、部屋の中に連れて行こうと引っ張った。


「ヤダっ!! やめて、嫌だっ!!」


 こんなの愛じゃない。単なる暴力。従いたくない。受け入れたくない。消えてほしい。


 私は死に物狂いで、右腕を払い退けた。頭の中は真っ白で、心には憎しみしかなかった。

 玄関にある傘立てから、傘を抜いた。

 二発も顔を殴られたのだから、私だって手加減しない。そんな悪魔めいた意思で、修哉の頭に傘を振り下ろす。


「ぐっ!!」


 修哉はくぐもった悲鳴をあげると、膝から崩れ落ちた。


「おまえ……」


 すぐさま、外に飛び出す。

 マンションの廊下は外壁がなく、外に開かれている。雨音がこだまする薄暗い廊下を走り、階段を駆け下りる。

 外に飛び出し、行く当てもなく走る。雨水に混じって、口の中に血が入ってきた。顔を叩かれたときに唇を切ったのだろう。

 闇雲に走っていたが、冷たく降る雨がざわつく感情を静めて、思考を取り戻させる。


「どうしよう、私……」


 足を止め、一呼吸置いてから後ろを振り返る。


「なにも、持ってこなかった……」


 玄関に、学校鞄を落とした。拾わないといけなかったのに、逃げることで精一杯で、考えが及ばなかった。

 部屋の鍵もスマホも財布もない。

 帰りたいが、修哉が待ち伏せしているかもしれない。二時間も待っていたのだ。部屋の中で私の帰りを待つことぐらい、容易いだろう。

 部屋の明かりがついているかどうかで、修哉がいるかわかる。だがもしも、部屋の明かりを消して私を油断させ、部屋に入った途端に襲われたら……と、悪い考えが次から次へと浮かぶ。

 

「どうしよう……」


 手元にやった手が震える。


 修哉は傘で殴られて廊下に倒れた。私は玄関扉を背にしていた。あの状況では、外に飛び出すしかなかった。

 だが実際に外に出てみれば、助けを求める手段がない。母の勤務先の病院も麻衣の家も、徒歩で行くには遠すぎる。タクシーを考えたが、殴られた顔で職場を訪ねたら母に迷惑をかけるように思えて、怖気付く。

 制服のポケットに手を入れてみたが、なにも入っていない。しかし十円があったところで、母と麻衣の電話番号を暗記していないし、公衆電話がどこにあるかもわからない。

 

 雨が降っているせいで、暗くなるのが早い。車のヘッドライトが行き交う中を、トボトボと歩く。

 雨に打たれるがままの身体は熱を失い、震えの止まらない唇からは泣き声が漏れる。

 

「お母さんが帰ってくるまで、マンションの近くで待っていよう」


 飲み会の話を聞いていないから、遅くならずに帰ってくるはずだ。

 疲れてぼんやりとした視界に、明るい建物が映る。いつの間にか、学校の最寄り駅まで歩いてきていた。

 駅に出入りする人たちを何気なく見ているうちに、ふと冴木先生が頭に浮かんだ。


「先生は帰った? それとも、これから帰るところ?」


 くしゃみがでた。制服はずぶ濡れで、体の芯から冷えている。それでも私は、三十分だけ待ってみることにした。

 先生は現れない。疲れが頂点に達し、諦めて、立ち去りかけたとき。


 見上げた先に、冴木先生がいた。


 

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