相反する理性と感情
翌朝。自転車で登校していると、冴木先生の背中を見つけた。
「先生と話したいな」
今までは挨拶だけして通り過ぎていたが、昨日の楽しい気持ちが蘇ってきて、自転車を降りた。
「先生、おはよっ! アンケート、書いてくれました?」
「おはようございます。簡単には」
「ツッコミ待ちですか?」
「なんですか、それ」
「私に深掘りされたくて、わざと書かないのかなぁって」
「そうではないけれど……」
先生のため息が重い。まだ火曜日だというのに、疲労感が滲んでいる。
「学校の先生になった理由、本当のことを書いてもね……」
「なにそれ!? 気になるっ! 詳しく教えてください!!」
先生のことを知りたくて、食いつく。
この感覚、修哉に片思いしていたときと似ている。好きな人のことなら、なんでも知りたいという欲求。
いやいや、ダメでしょう!! と、自制する。
相手は学校の先生。しかも十五歳上。好きになってはいけない。
おとなしくなった私に気を遣ったのか、先生は「知りたいなら、教えますが……」と前置きしてから、重い口を開いた。
「母が教師になりたかったんです。けれど、当時は教師の採用枠が少なくて、なれなかった。それで夢を託されただけで、なりたくてなったわけではない」
「そうなんだ。本当は、何になりたかったんですか?」
「別に……」
「ふーん。厳しいお母さんなんですね」
「厳しいっていうか、エゴが強いです」
「意外! 先生って穏やかだから、お母さんも似た感じの人かと思っていた」
先生から表情が消え、口をへの字に引き結んだ。
母親との関係が良くないのだと察して、話題を変える。
「今年、文化祭なんです! 新聞部で事件を起こして、犯人は誰だ! っていう謎解きはどうかなって考えているんですが、どう思いますか?」
先生を元気にしたい。そう思って、とびっきりの笑顔を向けたのに、先生は鳩が豆鉄砲を食ったようなポカンとした顔をした。
「どうしました? 私の歯にアオサでもついています?」
「笑った顔が……いいえ、なんでもないです。アオサを食べてきたんですか?」
「はい。アオサのお味噌汁です。おいしかったです。それよりも、先生。私のことを真剣な目で見つめてきて……まさか、私に恋しちゃった?」
「なにを言っているんですか!? そんなわけないです! 早く自転車に乗って行ってください!」
「冗談ですよぉー。うぁっ!?」
片手をひらひらと振ったせいで、自転車のバランスが崩れた。
自転車がふらつき、危うく先生にぶつかりそうになる。急いでハンドルを握って、バランスを立て直す。
「危なかった。セーフ。あれ、先生?」
先生が早足で歩きだした。追いつくために、私も急いで歩く。
だが、先生のほうがだいぶ脚が長い。私は自転車の車輪を忙しなく回転させて、小走りで並ぶ。
「急ぎの用があるんですか?」
「巻き込まれたくないだけです」
「冷たーい! 下敷きになってくれたっていいのに」
「お断りです」
「学校までこのスピードで歩くんですか? 疲れて死んじゃう!」
「自分もです。ゾンビになって、授業をするかもしれない」
「おもしろそう! 一緒にゾンビになりましょう!」
「冗談です」
「そうなんですか? 先生って楽しい人ですね」
「…………」
校門を入ったところで、お別れ。先生は正面玄関がある左に、私は自転車置き場のある右へ。
「放課後にアンケートを取りに行きますので、詳しく書いてください!」
先生は返事をせず反応することもなく、行ってしまった。
私は鼻歌を歌いながら、自転車を駐輪場に停める。
冴木先生と話すのは楽しい。けれど学校の先生だし、私には彼氏がいる。
「冴木先生、結婚しているよね。馴れ馴れしい態度をとるのは、やめよう」
小四のときに、両親が離婚した。原因は、父の浮気。
不倫した父も悪いが、妻帯者と知りつつ関係を持った女性も悪いと、母は相手の女性に慰謝料を求めた。
その記憶が、結婚している人に馴れ馴れしくしないようにとブレーキをかける。
冴木先生を間違って好きにならないよう、生徒と先生の距離を保とう。
◆◇◆◇
放課後。アンケートを取りに、社会科準備室を訪ねた。
冴木先生からアンケート用紙を受け取って、目を疑う。
家族構成の質問に対して先生は、
『母と弟』
と、書いている。
「え? 先生って、結婚していないの?」
「はい」
「バツイチ?」
「いいえ」
「えぇ〜っ!! 独身!?」
「しぃー。声が大きい!」
今日の社会科準備室は、冴木先生の他に三人の先生がいる。
私は謝ってから、小声で質問する。
「お母さんと弟さんだけなんですか? お父さんは?」
「亡くなりました」
「そうですか……。最近ですか?」
「十年ほど前です」
先生は三十二歳。十年前ということは、二十二歳。大学生のときに父親が亡くなったのだろう。
プライベートに立ち入らないほうがいい。余計な詮索をしてはいけない。
頭ではわかっている。けれど、好奇心には勝てない。
「彼女はいるんですか?」
「なんでそんなことを聞くんですか?」
「好奇心です」
「教えません」
「交換条件で教えます。私は彼氏がいます」
「へぇー」
「先生は?」
「教えません」
「ケチっ! アンケートで質問すればよかった! 激しく後悔っ!」
「そんな質問、絶対に答えないです。声が大きいです」
興奮して、声が大きくなってしまった。
見回すと、社会科準備室にいる三人の先生は談笑している。聞こえていなかったようだが、声が大きくならないよう注意しないと。
私はアンケート用紙を丸めてメガホンを作ると、囁き声で不満を訴える。
「先生って秘密主義なんですね」
「友達じゃないんですから。私生活をペラペラ話す先生なんて、いないです」
「そうだけど……」
今朝。馴れ馴れしい態度をとるのは、やめよう。生徒と先生の距離を保とう。
そう決めたばかりのに、自分の心がままならない。
冴木先生のことを知りたい。仲良くなりたいと思ってしまう。




