先生の笑顔
「最後に、簡単な質問をしてもいいですか?」
「ああ」
先生は、明らかにホッとした表情を浮かべた。
しつこい質問から解放されたいのだろうが、私だって好きでしつこくしているわけじゃない。先生が自分語りをしてくれたら、それで済むのに。
不満で、声が尖る。
「先生は私に嘘をついていますか? それとも、嘘をついていませんか? イエスかノーの二択でお答えください」
「別に嘘は……」
「よぉーーーーっく!! 考えてください!! 花火を見に行こうと誘ったことは一度もない。その答えでいいんですね!!」
先生は片手で顔を覆って、ため息をついた。
「二択じゃないとダメなの?」
「二択以外なら、なにがいいんですか? 誘った相手の名前を言いたいとか?」
「それはないけれど。ずいぶんと絡んでくるね。なんでそんなに必死なの?」
「教えてくれないからですっ! 花火大会に女の子を誘ったことがあるのかどうか、教えてくれたっていいじゃないですか! なんでダメなんですか。なにが嫌なんですか。教えてくれないなら、毎日聞き続けます!!」
「それは嫌だな」
先生は力なく笑うと、机の上に置いてあるパソコンの黒い画面を見た。
「忘れたっていう答えは?」
「ブブーっ! 残念ながらその答えは、学生新聞連合会千葉支部で禁止されています!!」
両腕で大きなバツ印を作る。
先生は唇が薄いが、色も薄い。その薄い唇から、楽しげな笑い声がこぼれる。
「渡瀬さんって、元気だね」
「……あ、はい。生まれたときから、元気だったみたいです……」
感情を表に出さない先生が、楽しそうな笑い声をあげた。二、三秒の短い笑いではあったが、爽やかだった。
陰気で冴えない、冴木先生。けれど笑うと、フレームのない眼鏡の奥にある瞳が優しく細まることを知った。
爽やかな笑い方とか、眼鏡越しの瞳の優しさとか──ぴろりんみたいじゃない?
そう思った途端、心臓が跳ねた。
「あ、あのあのですねっ! みんなには言いません! 私だけの秘密にします! だから、女の子を花火に誘ったことがない。嘘をついたならイエス。嘘をついていないならノー。これ以上は深掘りしませんから、教えてください!!」
「動揺している?」
「そこ突っ込まないでください! 先生の笑顔を初めて見たので、めっちゃ動揺しています! あ、言っちゃった」
両拳で頭をポカポカ叩くと、先生は目を丸くし、吹きだした。
「渡瀬さんって、おもしろいね」
「そ、そうですか? まぁ、友達にはよく言われますけれど。って、そんなことはどうでもよくて! 花火大会に女の子を誘ったことがあるのかないのか、教えてください! このままじゃ、気になって夜も眠れなーい!」
両手を組んで祈るポーズを作る。
冴木先生は真顔に戻ると、アンケート用紙を手に取った。しばしの沈黙の後、つぶやく。
「……イエス」
「イエスっていうのは……嘘をついたってことですよね? 嘘をついたっていうのはつまり、花火大会に誘ったことがないと言ったことで、まとめると、学生時代に女の子を村の花火大会に誘ったことがある。そうですね?」
「学生時代とも村の花火大会とも言っていない」
「違うんですか? じゃあ、社会人になってから都会の花火大会に誘ったっていうこと?」
「……渡瀬さんって、警察犬みたい」
「警察犬っ!? たとえが変です!! 探偵とか新聞記者って言ってくださーい! 私を人間にして!!」
「ははっ!」
先生は額に手を置いて笑った。長めの前髪が手の甲にかかる。
──先生の笑った顔、素敵……。
私も一緒に笑っていたのだが、先生を素敵だと思った心の声に激しく動揺する。
飲み込んだ唾が気管支に入って、むせる。
「ゴホッゴホッ! ウゥンっ!」
「大丈夫ですか?」
「ゴホゴホッ、はい。ンンっ!」
私は天然ドジ女子ではない。そこそこ真面目で優秀な生徒だと思うのだが、冴木先生の前ではレベルが下がる気がする。
「質問に答えてくださって、ありがとうございます。明日アンケートを取りに来ますので、詳しくご記入お願いします!」
「詳しく?」
「はい」
「簡単ではダメ?」
「ダメです。私からの深掘りが入ります」
「これ以上は深掘りしないんじゃなかったの?」
「私、警察犬だから人間の言葉わかりませーん」
社会科準備室に響く、二重の笑い声。
もっと話していたいが、地理の野木美絵子先生が社会科準備室に入ってきたので、退室した。
「ふわふわしている」
色とりどりの風船の糸が体に絡みついて、ふわふわ飛んでいるみたい。足取りは軽く、心はぴょんぴょんと弾んでいて、気分がいい。
冴木先生と楽しく話せるなんて、意外だった。癖になりそう。




