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残された正義  作者: ふぁい(phi)


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9/11

第九章 作られる判断

文書は、

静かに形を整えていった。


事実は、

すべて載っている。


虚偽はない。

捏造もない。


だが、

選ばれている。


何を書くか。

何を書かないか。


その取捨選択だけで、

判断は“存在したもの”に

なっていく。



桐山は、

自分の指が

どこで止まるのかを

意識していた。


一行足せば、

説明になる。


一行削れば、

疑義が消える。


その一行の重さを、

誰よりも知っている。



「当時の状況を鑑み、

 総合的に判断した結果――」


その定型文を、

何度も書きかけて、

消した。


総合的。


それは、

説明の放棄に近い。



別の文言を入れる。


「関係部署間での

 協議を踏まえ――」


協議は、

確かにあった。


だが、

結論はなかった。


踏まえたのは、

沈黙だ。



桐山は、

画面から目を離し、

天井を見る。


この文章は、

後から読む者に

安心を与えるだろう。


ちゃんと考えられている。

ちゃんと決められている。


そう思わせる。



それが、

制度の求める正義だ。


だが、

それは真実か。



翌日、

文書は回覧される。


修正意見は、

ほとんど出ない。


表現の微調整。

語尾の統一。


内容に関する指摘は、

一つもない。



「よくまとまっています」


そう言われる。


褒め言葉だ。


だが、

桐山の胸は

軽くならない。



まとまっている、

ということは。


疑う余地が

 無くなっている

ということでもある。



最終版が、

確定する。


決裁印が並び、

文書は正式な記録になる。


これで、

問い合わせは終わる。


前例も、

整う。



そのはずだった。



午後、

若手職員が

桐山のもとを訪れる。


顔色が、

少しだけ違う。


「……一件、

 お伝えしておくべきことが」


声を落として言う。



「例の文書、

 もう引用され始めています」


早い。


想像以上に。



どこで?


「新しい案件の

 判断理由としてです」


桐山は、

小さく目を閉じる。


始まってしまった。



文書は、

説明のために作られた。


だが今、

判断の根拠として

使われている。


存在しなかった判断が、

増殖している。



「これで、

 やりやすくなりました」


別部署の職員が、

そう言ったという。


悪気はない。


むしろ、

感謝に近い。



桐山は、

はっきりと理解する。


自分は、

正義を整えたのではない。


正義を、

 供給してしまった。



供給された正義は、

消費される。


都合よく、

迅速に、

疑われることなく。



夜、

桐山は

あの一行を思い出す。


「本件において、

判断は存在しなかった。」


あれを、

消したのは自分だ。



後悔ではない。


だが、

無関係でもない。



桐山は、

初めてはっきり思う。


正義は、

作られる瞬間よりも、


作られたあとに

 何をするか

のほうが、

ずっと重要だ。



作られた正義は、

もう止まらない。


ならば、

どこへ向かわせるか。



桐山は、

新しいフォルダを開く。


今度は、

報告書ではない。


正式文書でもない。



ファイル名は、

短く、

無機質だ。


「補遺」



そこに、

書き始める。


判断の裏側。

迷い。

削った行。


そして、

なぜ削ったのか。



これは、

公式には使われない。


だが、

残る。



桐山は、

自分でも分からないまま、

それを書いている。


誰に向けてか。

いつ使われるか。



ただ、

一つだけは確かだ。


正義は、

もう一度動いた。


今度は、

自分の手を離れて。


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