第八章 引き受ける覚悟
それは、
正式な呼び出しではなかった。
だが、
拒める種類のものでもない。
上層部からの連絡は、
簡潔だった。
「一度、
状況を整理したい」
整理。
その言葉が使われるとき、
何かが終わるか、
何かが始まる。
たいていは、
その両方だ。
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会議室には、
数人しかいなかった。
法務、管理、
そして桐山。
議題は、
一つだけ。
「判断者不在案件の扱い」
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資料は、
すでにまとめられている。
問い合わせ件数。
想定リスク。
世論動向。
どれも、
大きな問題ではない。
だが、
無視できなくなっている。
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「このまま
放置はできない」
管理側の一人が言う。
「かといって、
改めて判断を下すと、
前の対応に疑義が生じる」
誰も、
間違ったことは言っていない。
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桐山は、
黙って聞いている。
ここで発言すれば、
立場が確定する。
発言しなければ、
誰かが代わりに決める。
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「そこで、
提案があります」
法務の担当が、
資料をめくる。
「当時の判断過程を
整理した上で、
責任部署を明確化する」
言葉は丁寧だ。
だが、
意味は明確。
誰かの名前を、
後から付ける。
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桐山の背中に、
わずかな緊張が走る。
それは、
制度としては
よくある処理だ。
だが、
それが意味するものを、
彼は理解している。
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「誰が、
その整理を?」
桐山は、
静かに聞いた。
一瞬の沈黙。
答えは、
分かっている。
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「桐山さんが
一番事情を
把握しています」
遠回しな表現。
だが、
逃げ道はない。
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桐山は、
自分が残した記録を
思い出す。
判断しなかった理由を、
十分に書かなかったこと。
それが、
今、空白として
埋められようとしている。
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「整理する、
というのは」
桐山は、
言葉を選ぶ。
「判断を
作り直す
ということですか」
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法務は、
否定しなかった。
「必要に応じて」
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必要。
それは、
正義よりも
強い言葉だ。
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桐山は、
ゆっくりと息を吐く。
ここで引き受ければ、
制度は安定する。
問い合わせは収まり、
前例も整う。
だが、
それは同時に、
存在しなかった判断を
存在したことにする
という行為だ。
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引き受けなければ、
混乱は続く。
だが、
空白は空白のまま残る。
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「一つ、
確認させてください」
桐山は言った。
「これは、
正義の問題ですか」
会議室の空気が、
わずかに変わる。
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管理側は答える。
「信頼の問題です」
法務は言う。
「制度の問題です」
誰も、
正義とは言わない。
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桐山は、
うなずいた。
答えは、
もう出ている。
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「分かりました」
その一言で、
会議は動き出す。
引き受ける、
と解釈された。
だが、
桐山は
まだ何も約束していない。
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会議後、
一人で歩く廊下。
足音が、
やけに大きく響く。
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引き受けるとは、
何を引き受けるのか。
判断か。
責任か。
沈黙か。
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桐山は、
気づいている。
ここで何を選んでも、
誰かにとっては
不正義になる。
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だが、
選ばないという選択も、
もう許されない。
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夜、
机に向かい、
白紙の文書を開く。
「判断整理報告書」
タイトルだけが、
点滅している。
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桐山は、
すぐには書かない。
代わりに、
一行だけ入力する。
「本件において、
判断は存在しなかった。」
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それは、
報告書としては
不適切だ。
だが、
事実だ。
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桐山は、
指を止める。
この一行を、
残すか、消すか。
それが、
彼に突きつけられた
覚悟だった。
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正義は、
まだ残っている。
だが、
誰かが引き受けなければ、
形を持たない。
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桐山は、
画面を閉じない。
夜は、
まだ終わらない。




