第五章 読む者のいない声
最初に見つけたのは、
証言書だった。
正式な聴取記録ではない。
参考資料として添付され、
判断には使われなかったもの。
ファイル名の末尾に、
小さく「未整理」と付いている。
桐山は、
その言葉に足を止める。
未整理。
つまり、
誤りでも、虚偽でもない。
ただ、
整えられなかった。
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内容は、
断片的だった。
時系列は曖昧で、
表現も一定していない。
感情が混じり、
主観が多い。
制度が最も嫌う形式だ。
だが、
読めば分かる。
嘘ではない。
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「怖かった」
「間違っていると思った」
「でも、何も言えなかった」
そう書かれている。
理由も、
丁寧に。
誰に、
という宛先もなく。
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桐山は、
その証言が
どこにも引用されていないことに気づく。
判断理由にも、
補足資料にも、
一度も登場しない。
存在はしている。
だが、
読まれていない。
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別のファイルを開く。
今度は、
内部意見書。
担当者が、
個人的な懸念を書き残したものだ。
結論は、
明確に書かれていない。
「気になる点がある」
「慎重に扱うべきではないか」
それだけ。
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意見書の末尾には、
小さな一文がある。
「判断の妨げになる可能性あり」
その理由で、
採用されなかった。
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桐山は、
静かに目を閉じる。
判断の妨げ。
つまり、
迷わせるということ。
制度にとって、
最も厄介なものだ。
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昼過ぎ、
若手職員が
別の資料を持ってくる。
「これも……
参考扱いです」
声が、
少しだけ低い。
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それは、
当事者の手紙だった。
宛先は、
特定されていない。
事件番号だけが
書かれている。
感謝も、
非難もない。
ただ、
状況が書かれている。
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「正しい対応だったと
言われました」
「でも、
何が正しかったのかは、
分かりません」
「説明されなかったので」
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桐山は、
その一文を
何度も読み返す。
説明されなかった。
語られなかった。
判断は下された。
だが、
意味は渡されていない。
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「これ、
どうしますか」
若手職員が、
小さく聞く。
捨てるのか。
残すのか。
どちらも、
制度上は可能だ。
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桐山は、
即答しなかった。
答えれば、
それが判断になる。
今は、
それを急ぐ段階ではない。
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「読む人がいない声は、
消えたことになるのか」
桐山は、
自分に問いかけるように言う。
職員は、
答えられない。
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声は、
確かにある。
だが、
受け取られなければ、
制度の中では
存在しないのと同じだ。
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桐山は、
思い出す。
かつて自分が
判断の材料から外した声。
正しくないからではない。
弱いから。
揺らぐから。
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それらを外すことで、
判断は強くなる。
だが同時に、
正義は硬くなる。
ひび割れを、
内側に抱えたまま。
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桐山は、
新しいフォルダを作る。
名前は付けない。
分類もしない。
ただ、
これらの声を集める。
判断の外側にあったものを。
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「これ、
どういう扱いになるんですか」
職員が聞く。
不安でも、
反発でもない。
ただ、
前例がない。
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桐山は言う。
「まだ、
扱いは決めない」
「でも、
無かったことにはしない」
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職員は、
少しだけ
ほっとしたような顔をした。
誰かが、
読んだという事実だけで、
救われるものがある。
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桐山は、
画面を閉じる。
読む者のいない声は、
確かに存在した。
それだけは、
はっきりした。
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正義は、
選ばれなかった声の上に
立っている。
それを忘れたとき、
正義は
最も危うくなる。
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桐山は、
理解している。
自分は、
まだ判断していない。
だが、
もう関与してしまっている。




