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残された正義  作者: ふぁい(phi)


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3/11

第三章 処理という名の沈黙

その案件は、

「処理済み」と表示されていた。


桐山が端末を開いたとき、

画面の右上に小さく、その文字が出ている。


判断済み、ではない。

終結、でもない。


処理済み。


いつから使われ始めたのか、

桐山は正確には覚えていない。


気づけば、

そこにあった言葉だ。



処理とは何か。


分類し、

整理し、

次の段階へ回すこと。


それ自体は、

業務として正しい。


だがこの案件は、

どこにも回されていなかった。


棚に置かれ、

ラベルが貼られ、

触られなくなった。


それを「処理」と呼んでいる。



桐山は、

処理の経路を辿る。


担当部署から、

一段上の管理層へ。


そこで止まっている。


差し戻しはない。

承認もない。


ただ、

「処理済み」の印だけが

残っている。



午後、

別部署の中堅職員が

桐山を訪ねてきた。


用件は、

似た案件の扱いについてだった。


「この場合、

 処理でいいですよね」


確認というより、

同意を求める口調。



桐山は、

即答しなかった。


「処理って、

 何を指してる?」


職員は、

少しだけ言葉に詰まる。


「……判断を

 これ以上進めない、

 という意味です」



進めない。


否定ではない。

拒否でもない。


ただ、

進めない。


桐山は、

その言葉の軽さに、

わずかな寒気を覚えた。



「処理にすると、

 誰が責任を持つ?」


職員は、

困ったように笑った。


「誰も、ですかね」


冗談のように言ったが、

それが現実だった。



桐山は、

かつての自分を思い返す。


正義が動かなかったとき、

自分は「動かさない」と

判断した。


だが今は、

誰も判断していない。


それでも、

結果は同じように見える。


案件は終わり、

社会は何も変わらない。



だが、

決定的な違いがある。


判断しなかった場合、

なぜ終わったのかが

 誰にも説明できない。



夕方、

庁舎の廊下を歩きながら、

桐山は掲示板を見る。


業務効率化。

負担軽減。

迅速な処理。


どれも、

間違っていない。


だがその言葉の裏で、

何が削られているのか、

誰も書いていない。



若手職員が、

ぽつりと漏らした言葉を

思い出す。


「判断って、

 重いですよね」


否定できなかった。


判断は、

名前を残す。

履歴を残す。

未来に引用される。


だから皆、

処理を選ぶ。



夜、

桐山は自席で、

一つの案件を開いたまま、

画面を見つめていた。


判断すれば、

前例になる。


処理すれば、

何も残らない。


いや、

正確には違う。


何も残らないように見えるだけで、

 何かが確実に残る。



それは、

説明されなかった理由。


語られなかった迷い。


次に同じ状況に立った者が、

「前も処理された」と

思い出すための、

曖昧な記憶。



正義は、

声を上げないまま、

静かに棚に置かれる。


誰も否定しない。

誰も擁護しない。


その沈黙を、

処理と呼ぶ。



桐山は、

その案件を閉じなかった。


処理もしない。

判断もしない。


ただ、

開いたままにする。


それは、

制度の中では

最も落ち着かない状態だった。



正義は、

ここにある。


だが、

触れられていない。


そして、

触れられないままでも、

世界は回ってしまう。



桐山は、

静かに理解する。


これは、

誰かの悪意ではない。


正義が、

効率の中で

薄まっていく過程だ。



その夜、

庁舎の灯りが落ちる頃、

処理済みの案件は、

また一つ増えた。


判断されたわけでも、

否定されたわけでもない。


ただ、

沈黙の中に置かれた。

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