もうすぐ夏休みだというのに その7
さて、その日の放課後、廊下を歩いていると、
「おいっす! ゴンちゃん、久しぶり~」
突然、肩をどやしつけられた。
「どぇぇ!」
返事をする代わりに、野太い声を上げながらよろけた千紗を、誰かがぐいっと支えた。
「ごめんごめん。ちょっと勢いつけすぎた」
野村真由子が笑いながら謝った。去年、同じクラスだった野村真由子は、規律を重んじる真面目な性格なのだが、なぜか千紗を、とても気に入ってくれている。こうやってど突くことが、照れ屋の真由子の最大の愛情表現だと知ってはいるけれど、それにしても、いささか雑すぎるというものだ。
「ちょっと、死ぬかと思ったじゃないの」
千紗が抗議すると、
「ほんとごめん。今度のクラスじゃ、ゴンちゃんの笑えるドジが見られなくって、つまんないからさ。いつもより力が入っちゃったみたい」
真由子はすまして笑っている。
「なんだとぉ、誰がドジじゃ、許さんぞ!」
それを聞いて、千紗が由子の両頬を指でつまんで引っ張り上げた。
「そういうふざけた人間は、こういう目に遭うのだ」
「あいたたたた! ごめんなさい。許してくださーい」
真由子が、ホームベースのように広がった顔でじたばたし始める。
「もうしないと誓うかあ」
「それはできません」
「ならば、こうだ」
と千紗がさらに力をこめて真由子の頬を引っ張ると、
「うあー、わわわわわ。わわりわりわ(わかりました)、うぉううぉうぉうぉん(もうしません)」
「なんか誓い方が軽いけど、まあ許してあげよう」
そう言って千紗が手を離すと、
「ああ、痛かった」と言いながら、真由子は自分の頬をさすった。千紗がつかんでいた部分が薄桃色に染まっていた。
「ありゃごめん、ちょっとやりすぎた」
「いいよ、あたしもやり過ぎたから」
真由子がさばさばした口調で言った。
「それにしても、あたしたちって、どうしていつもこういうやり取りになっちゃうのかしらね」
「まったくまったく」
ひとしきりふざけた後、真由子が本題を切り出してきた。
「ところでさ、知ってる? 夏休み、去年の二の五で花火大会をやるって話」
「へえ~、そうなの」
「でさ、うちもやらない? 二の一で久々に集まって花火大会」
「花火大会、二の一で・・・?」
去年のクラスで花火大会と聞いて、千紗の頭の中で、花火をしながら笑いさざめくクラスメートたちの映像が、尺玉花火のように何発も打ち上がった。その中には、もちろん菊池亮介の姿もあった。
「いいねぇ!」
同意する声に、思わず力が入る。
「でも、どうするの? 幹事とか、音頭取る人が必要でしょ。誰に頼むの?」
「それはもちろん、学級委員でしょう」
「学級委員って、あたし?」
「そ。ゴンちゃんと菊池」
真由子がしれっと言った。
「あ~、無理無理。あたしはともかく、菊池がやるっていう訳ないもん。それより、真由ちゃんがやればいいじゃないの、言いだしっぺなんだから」
「ゴンちゃんも一緒にやってくれるなら、あたしやってもいいよ」
ここで初めて、真由子が本命のカードを切ってきた。
「ふーん、そうか・・・。真由ちゃんも一緒なら、やってもいいかな」
あっさり術中に落ちる千紗である。
「でも、あたしたち女子だけだと、男子が動かないしさ。だからこうしない、去年の紀律委員と学級委員で幹事をするってことにするの」
「なるほど。それは、いいかもねえ」
千紗は、力をこめて言った。千紗一人だったら、菊池が幹事を引き受ける可能性はほぼゼロだろうけれど、真由子と長岡博が引き受けるとなれば、菊池一人だけ引き下がりにくいではないか。さすが。真由ちゃん、天才。
それに、自分と真由子と菊池と長岡博だったら、千紗にとっては最高のメンバーだ。長岡博は、千紗が『くん』をつけて呼ぶ、サルでもガキでもない唯一の男子だし、菊池は・・・、菊池は、去年の後期、千紗と一緒に学級委員をやった、いわば相棒だ。そう。喧嘩もしたけど、協力もしあった、あ、あ、相棒だった。
「あたしたち学級委員はともかく、規律委員だった野村・長岡コンビに盾突ける強者なんて、クラスにいないもん。でも長岡君は頼めば何とかやってくれそうだけど、菊池はどうかなあ」
「そんなもん、強引に引っ張り込むんだよ」
「あたし無理だからね。それは、真由ちゃんがやってよ」
「なあに、元相棒のゴンちゃんが弱気になってどうすんの! ほれ、行くよ」
「え、え、今なの? あたしも行かなきゃダメ?」
「だめに決まってんでしょ。ほれ、いくわよ」