翌日 2
ところで、千紗の町には、図書館が二つある。一つは家からほど近い町立図書館で、古くて少しぼろいけど、小学校に近いこともあって、子供にとっては親しみやすい図書館だ。クーラーが完備されていたので、千紗も小学生の頃は、夏休みなど、涼みついでに行くこともあった。
もう一つは、駅前まで行ったところにある、二年前に出来た県立図書館だ。豪華五階建てで、各フロアが広く、上の階に行くに従ってさっぱりわからない専門書が並び、自習室なども、司法試験を目指す人がしんと勉強していたりする。
なんとなくざわついて、年中図書館の人の「静かに!」という声が飛ぶ町立図書館とは、雰囲気が違う。本気で勉強するなら、県立図書館の自習室に行くべきだが、一度も行ったことがない千紗には、何となく敷居が高い。それになんと言っても歩く距離が全然違うので、迷わず、近所の町立図書館に向かった。
図書館に着いたとき、たいした距離を歩いたわけでもないのに、千紗はすっかり汗だくになっていた。図書館の周りには、すでに何台もの子供自転車が止めてあり、今日は、かなりたくさんの小学生が来ているようであった。
みんな、夏休みの宿題を詩に来ているのかな。嫌な予感がしながら、ガラス扉をぬけて館内に入ると、クーラーの冷気が気持ちよく千紗を包んだ。千紗はタオルで汗をぬぐいながら、急いで階段を上がり、二階の自習室に向かった。今更とも思うが、一刻も早く良い席を取ろうと思ったのだ。
階段を上るにつれ、私語とおぼしきざわめきが聞こえ、再び嫌な予感がしたが、それでも、今日は鉄の意志で勉強するのだからと中をのぞき、千紗は眉間にしわを寄せた。
自習室は小学生で一杯だったのだ。それも、夏休み帳を広げたまま、べちゃくちゃしゃべったり、消しゴムをぶつけ合ったり、騒がしいことこの上ない。千紗の嫌な予感はあたり、どうやら、夏休みの宿題をためた子供たちが、親に追い出されるようにして、ここに集まっているらしい。
こりゃ三階も同じかな。そうは思ったが一応と思って三階ものぞいてみたが、結果は同じだった。
「はあああ」
千紗は大きなため息をついた。完全に出鼻をくじかれた感じだ。伸行がいないと言うことは、あいつもここはあきらめたのだろう。そもそも家を出たのが遅かったのだ。しかし、ここであきらめると、家にいる祖父母に合わせる顔がない。
仕方ない、あっちの図書館に行くか。階段を下りながら千紗はそう思った。伸行もいるだろうし、敷居が高いし、本心は気が進まなかったが、とにかく行ってみることにした。
炎天下、さらに二〇分歩き、駅前の図書館に着いた頃には、千紗はもう全身汗でびっしょりになっていた。
ふうふう言いながら中に入ると、クーラーの涼しさとともに、静寂が千紗を包んだ。塵一つないタイル張りの床、高い天井、広々と並ぶ本棚の間を、静かに本を探して歩く人たち。奥には子供の本のコーナーもあり、靴を脱いで寝転びながら本を読めるようになっているのに、静かに本を読みきかせる母親の声と、それに時々質問をする子供のひそひそ声がかすかに聞こえてくるだけだ。
ひえ~、子供までおりこうじゃないか。でも、これが本当の図書館ってもんなのかも。本気で勉強するなら、断然こっちだな。そう思いながら、千紗は壁にある案内図を見た。三階から上は、すべての階に自習スペースがあるようだ。まさかここで小学生が消しゴムの飛ばし合いも出来ないだろう。
よし、ここで決まりだな、そう思いながら、エレベーターに乗った。町立の図書館にはエレベーターがないので、それもなんだかかっこいい気がする。三階で降りると、一階以上の静寂が千紗を包んだ。ここは一階とは異なり、専門書ばかりの階らしい。
一階よりゆったり配置された本棚に並ぶのも、持つだけで筋肉を鍛えられそうな、大きくて重そうな本ばかりだ。そして、壁際には、ずらりと自習のためのデスクが並んでいる。そのいくつかは、すでにデスクスタンドがついていて、勉強している人がいる。
じっとうつむく背中からは、真剣に勉強する緊張感が伝わり、千紗は、久しぶりにやる気のようなものがみなぎってくるのを感じた。自分もあいている机で勉強しようと歩き回ったところ、なんと奥に伸行の小さな背中が見えた。
大人ばかりの中で、ひときわ小さく見えたけれど、集中して勉強する横顔は、決して周りの大人に引けを取らない。あいつ、頑張ってるな。千紗は、静かに後ずさりすると再びエレベーターに乗った。
四階をのぞくと、やはり三階と同じような環境で、同じように並ぶ机にまばらに人が座って勉強している。よし、今日はここで勉強しよう。
千紗はあいている机を見つけ、静かに着席すると、問題集とノートを取り出した。それから、久しぶりに集中して勉強をした。




