お母さんが倒れた! 6
パタン、と、音を立てて閉まるドアを、姉と弟は呆然と見守った。祖父母がこの家に到着してから、おそらく二十分と経ってはいないだろう。
千紗は、今夜ずっとおろおろするばかりで片付かなかった問題を、祖父母がするすると解決してしまったことに、唖然とした。やっぱり大人はすごいや。それに比べて、あたしは全然だめだ。まだまだ、子供だ。
「おじいちゃんたちが来てよかったね」
伸行が明るい声で言った。
「うん、ほんと」
胸をぎゅっと圧迫していた、重たい不安がなくなった二人は、自然と微笑み合った。それが久しぶりの、なかなかに気持ち悪い光景であることに気づいた二人は、慌てて自分の持ち場に戻った。伸行は祖父母用の布団運びに、そして千紗は台所に。
冷凍庫に作ったばかりの氷枕をつっこんでから、千紗は、ふと思い立って弟に尋ねた。
「ね、あんた、晩ご飯どうした? なんか食べた?」
「そういえば、何も食べてないや。でもなんか、あんまりお腹空いてないよ」
「だめだよ、なんか食べなきゃ。そうだ。確かラーメンがあったから、お姉ちゃんが作ってあげる」
そう言い放つと、千紗はてきぱきと材料を集めた。卵とハムとネギと、インスタントラーメンを並べると、てきぱきと調理を開始した。卵をゆで、ハムを軽くソテーし、ネギを刻む。何もしないで、ぼさっと座っているより、こうしている方が気が楽だ。
千紗は、弟のためにどんぶりを用意すると、ラーメンをたっぷりとよそい、乱暴にハムや卵やネギを盛りつけた。
「さぁ、出来たぞ」
ほかほかのラーメンを弟の前に置いてやると、
「わぁ、旨そう」
と、今夜初めての笑顔を見せた。
腰に手を当ててそこまで見届けると、千紗は再び台所に入り、自分の分のラーメンどんぶりを抱えて、伸行の正面に座った。
「あれ? お姉ちゃんも食べるの?」
「あったり前じゃん」
千紗は、ものすごい勢いで麺をすすりながら、もごもごと返事をした。
「あたしだって、晩ご飯、まだだもん」
「だって、祭りでなんか食べてきたんでしょ」
「うん。でも、フランクフルトとかき氷だけだもん。そんなんじゃ、足りないもん」
「ふうん。でも、夜中のラーメンって太るんでしょ」
千紗に、殺意のこもった目でギロリとにらまれ、伸行は慌てて話題を変えた。
「でも、このラーメン、旨いね。お姉ちゃんが作るのって、見た目は不味そうなのに、食べるとおいしいよね」
「見た目が不味そうって一言が、余計なんだよ」
「だってさ、ほら、この卵なんかさ、半分に切ってのせたらもっとおいしそうなのに、まるのままじゃん。ネギも微妙にくっついてるし」
「包丁が良く切れなかったんだって。ほとんど切れてるんだから、文句言うな。あ、それから、作ったのはあたしなんだから、後片付けは、あんたがやりなさいよ」
「えー!」
「あたり前じゃん。もちろん、お姉ちゃんの分のどんぶりも洗えよ。鍋とかまな板もな」
「そんなのずるいよお」
「じゃ、あんた、こんなにおいしいラーメン、自分で作れんの? え?」
「け、そのうち、自分で作れるようになるから、覚えてろよ。これでも、家庭科の成績はいいんだからな。お前と違って」
「お前、お姉様に向かって、お前って言うな」
憎まれ口をたたき合いながら、千紗は少しほっとしていた。しなびた顔に不安をたたえ、大きな目ばかりがぎょろぎょろ目立っていた弟の顔が、ラーメンを食べたら少しましになったように思えたからだ。
ま、クソ生意気だけど、憎まれ口をたたけるくらい復活したなら、今晩だけはよしとしてやる。千紗は、せっせとラーメンをすする弟の横顔を、ちらちら見ながら思った。
祖母から電話が来たのは、二人がラーメンを平らげ、ついでに駄菓子なんぞも食べて、すっかり満腹になったお腹をさすっている時だった。母の症状は過労と暑さによる風邪で心配はなく、熱が高いので点滴を打ってから帰ると言うことだった。
「だから、二人とも、先に寝ていてちょうだいね。戸締まりと火の元を確認してね」
祖母はそう言うと電話を切った。
ぶうぶう文句を言いながら伸行が夜食の後片付けをし、二人がそれぞれの部屋に戻ったのは、それから一時間ほど後だったが、まだ母たちは戻らなかった。
二人とも、母が戻るまでは起きているつもりだったが、布団に潜りこんだとたん、次々と襲いかかる睡魔には勝てず、いつの間にか眠り込んでしまった。三人が戻ったのは、それからさらに一時間ほど経ってからだった。




