わーい、夏祭り 4
「わぁ、今年も大盛況だね」
角を曲がったところで、奈緒が声を上げた。
賑やかに祭り囃子が響く中、神社につながる公園から駅前に続く道の両側に、祭りの出店がずらりと並んでいた。その間を、浴衣を着た人々が、そぞろ歩いている。所々につるされた裸電球は、全てをセピア色に包み、千紗には、目の前の光景が、不思議に懐かしく、過去にでも来てしまったかのような錯覚を覚えた。
「ね、ゴンちゃん、まず何を買う?」
「そうだねぇ。とりあえず、一通り見てみようよ」
「うん、そうだね。そうしよう」
二人はそのまま、人でごった返した通りに入る。人ごみに流されないようにゆっくり歩きながら、右に左に店を見る。
「あ、後でヨーヨー釣りやろう」
「それから、あそこのくじも引きたいな」
「綿菓子買う? それともフランクフルトにする?」
「それより、やまちゃん、かき氷はいつ頃食べる予定?」
「そうね、今日の後半がいいかな。でも、今夜中に食べられれば、あたしはいつでもいいよ」
「OK。じゃ、まずは腹ごしらえだね」
そんなことを言い合いながら、二人は相変わらず、通りをうろうろするばかりだ。
「あ、焼きとうもろこしだ。あれ好きなんだけど、一度買っちゃうと、邪魔なんだよな」
千紗が立ち止まって呻吟していると、どこからか
「ゴンちゃん、山ちゃん」
と、千紗たちを呼ぶ声がする。振り返ると、中西理沙が、人ごみに押し流されそうになりながら、千紗たちに手を振っている。
今夜の中西理沙は、長い髪をお団子に結い上げ、美しい若草色の浴衣を着ている。その姿は、制服を着ているときより彼女を柔らかく女性らしく見せることに、成功していた。
「理沙ちゃん、来てたの? 一人で?」
千紗が怒鳴ると、
「ううん、お母さんと弟と来てたんだけど、ゴンちゃんたちが見えたから」
そう答えながら、着崩れしないように、しずしずとした歩みで、千紗たちのところまできた。
「あたしも一緒に回ってもいい?」
「もちろん」
先に答えたのは奈緒だ。二人は、お互いを見てにっこりと笑っている。
この二人が友達になったのは、最近だ。ちょっと前までは、二人は知り合いでさえなかった。何しろ、学生数が多い中学校で、同じクラスになったことがなかったのだから。
きっかけを作ったのは自分だ、と、千紗は勝手に得意になっている。
夏前のことだが、千紗が馬鹿としか言いようのない無理なダイエットを敢行し、空腹のあまり体育の授業で倒れたことがあった。その時、保健室で千紗に寄り添っていた山田菜緒に、千紗の着替えやお弁当を届けてくれたのが、中西理沙だったのだ。このやりとりを通して、奈緒と理沙は知り合いになり、友達になったのだった。
そんな訳で、最近は、千紗、奈緒、理沙の三人で下校することも多い。千紗にしてみれば、大好きな友達の輪が広がって、喜ばしいばかりだ。
「とてもきれいな浴衣ね。よく似合う」
奈緒の心からの言葉に、理沙の瞳が嬉しそうに輝いた。控えめな性格の理沙は、頬を桜色に染めると、頬にえくぼを浮かべながら、小さな声で「ありがとう」と言った。
さて、小腹が空いたから、何か食べようと決めた三人が、まずはやっぱりフランクフルトを食べようと、じゅうじゅうといい音を立ててフランクフルトを焼いている店に近づいた。千紗が、なんとも言えない香ばしい香りに鼻をひくひくさせていると、なんとそこには、藤原と生徒会長の山崎と長岡博がいて、すでに割り箸にささったフランクフルトを齧っていた。
「おー」
長岡博が如才のない笑顔を見せて、手を振った。山崎は同じ水泳部の理沙に、笑顔を見せている。
「フランクフルト、買いに来たの?」
長岡博の言葉に、
「うん」
千紗が元気よく答えると、
「がっつり系が好きそうだもんね、ゴリエさんはさ」
横から藤原が、茶々を入れてきた。
「そうなの。あたしって、これでも雑食だから、バナナばっかり食べてるわけじゃないのよ。そっちこそ、狸の癖に、人間の食べ物、食べちゃだめじゃない」
千紗がむっとして言い返すと、
「狸って雑食じゃね? 俺、狸じゃないけど」
と、憎らしい。
ゴリエというのは、菊池亮介が千紗に付けたあだ名である。決して気に入っているあだ名ではないが、菊池がそう呼ぶのだけは、心の中で許している。それなのに、藤原ときたら、菊池が千紗をそう呼んでいるのを知ると、たちまち自分も真似て千紗をそう呼び始めたのだ。千紗の許しも得ずに。
『ライオン狸』こと藤原新平とは、三年生になって初めて同じクラスになった。元々千紗の学校は学生数が多かったことと、藤原が数ヶ月前に転校してきたばかりだったこともあって、千紗にとっては全くの新顔であったのだが、彼は、初対面で強烈な印象を、それも悪い印象を千紗に残した。
そもそも、三年生の新学期初日、遅刻すれすれになった千紗も悪いけれど、さらには、慌てた千紗が、緊張でしんとしていた教室のドアを、大音響をたてながら開けたのも悪いけれど、その諸々の失敗を、「偉そうじゃん」と一言で、切って捨てたのが藤原だったのだ。
それは、新学期初日からやらかしてしまった千紗の心を、さらに凹ませた。しかし、ただ落ち込むのもしゃくなので、すぐさま千紗は、腹の中で『ライオン狸』だの『ずんぐり侍』だの、『頭が大きすぎるんだ、この三頭身が!』だの『足も短いぞ、短足男』だの、無礼の限りを尽くして相手を罵倒し、多少は溜飲を下げたのだが。
それゆえ、あいつにだけは近寄らない様にしようと用心していたというのに、どんな暇な悪魔の計らいなのか、二人はそろって学級委員に選ばれてしまったのだ。選ばれた瞬間、心の中で盛大に(無理だって、あいつとだけは!)と叫んだ千紗だったが、それは相手も同じ気持ちだったらしく、この新学級委員コンビは、いかにも危なっかしい船出となった。
それにも関わらず、一緒に仕事をしてみたら、理論的でかっちり隙なく仕事をこなす藤原と、そそっかしくてドジだけれど、大胆で思い切りのいい千紗は、案外いいコンビだった。
初めのうちは、『ずんぐり侍』などと、心の中でたびたび毒づいていた千紗だったが、自分のそそっかしい失敗や、見切り発進的な行動を、藤原の機転で助けてもらうことが重なるにつれ、抵抗はあるが、彼の優秀さを認めないわけに行かなかった。
それほど好意を持っているわけでもないであろう千紗を、一緒に仕事をする相棒として受け入れ、嫌々ではあろうけれど助けてくれるあたりは、素直に『偉い』と思った。抵抗があるが、藤原は、長岡博や菊池亮介と同じ、ガキでも猿でもない男子の一人だと、認めざるを得なかった。
ただ問題は、性格が少しばかり、いやいや、大いにひねくれており、しばしば毒のある言葉を吐くことだった。これがまた、ぎょっとするほど的を射ていたりするものだから、千紗は時々、恐れ入ってしまうのだ。藤原君は、物事の本当が、よく見えている人だと、心ならずも感心してしまうことも、しばしばだった。
がしかし、彼が時々、菊池のことを悪く言う時だけは、嫌でたまらなかった。
藤原は時々、ひどく意地悪な顔で、菊池のことを、「チャラ男」とか「あの気取り屋」などと言うのだ。藤原が菊池を悪く言うたびに、千紗のみぞおちはぐっと力が入り、苦しくなった。とっさに何か言い返しそうになるけれど、いつもぐっと堪えた。
何か言い返すことは、藤原の術中にハマることだとわかっていたし、その瞬間、あの気に障るほど回転の速い頭から、さらに嫌な言葉が繰り出されることも、千紗にはわかっていたから。
一言も発することなく、ただ顔を赤くするばかりの千紗を見て、いつも藤原は、意地の悪い笑みを浮かべた。そんな時の藤原は、大嫌いだと思った。普段、何だかんだ言って、親切は藤原とは、違う人みたいだ。菊池の件さえなければ、藤原はかなりいい人だと千紗は思うけれど、でもやっぱり、藤原はどこまでも油断できない男子、だった。




