夏休みは灰色 3
夕食の時間。テーブルの上では、みずみずしいとうもろこしが積み重なって、白い湯気を上げている。千紗は、とうもろこしが大好きだ。縁日などに行くと、醤油の香ばしいにおいを盛大にまき散らしながら、焼きとうもろこしが売られているが、幼いころ、千紗は、何度それをねだったことだろう。
しかし、千紗の家では、とうもろこしは蒸かして、塩をパラパラと振りかけて食べる。本当は縁日みたいな醤油で焼いたとうもろこしが食べたかったが、今から自分で焼くのは面倒だったし、母に頼むのも気がひけたから、黙ってそのアツアツのとうもろこしを一つ手に取った。
とうもろこしは、最初の一、二列が勝負だ。ここを注意深くきれいに取ることができれば、後は親指の腹ではがすだけで、面白いほどに簡単にとうもろこしの粒が外れる。こうやって食べれば、食べ終わった後がきれいだし、第一、かぶりつくのと違って、歯の間にとうもろこしの皮がはさまることもないのだ。
千紗は、物も言わずに集中してとうもろこしの粒を外していたが、ふと、テレビの音が声高なのに気がついて顔を上げた。
見れば、伸行は不機嫌そうな顔で黙々と食べ物を口に運んでいるし、母も、疲れ切った表情でぼんやりとテレビに目をやっている。千紗は、この空気を少しでも変えなくてはと、口を開いた。
「今日はさぁ、あたし、ものすごく家の中、きれいにしたんだよ。掃除機かけただけじゃなくって、台所とか、あとここの床も、雑巾がけまでしたんだよ。あ、それからお風呂場もぴかぴかになってるから、後でお風呂入る時、見てよね」
明るさ全開で発した言葉だったが、冷え切った空気にあっという間に飲み込まれ、誰の耳にも届かなかったようだ。不機嫌な伸行はともかくとしても、今日一日、浮かない顔でぼんやりしていた母が、千紗は気掛かりだ。
「ね、お母さん」
あえて念を押してみる。すると母がはっとしたように千紗の方を見た。
「ん? なんだったかしら」
「だからさ、あたし、今日は掃除頑張ったんだって。ここみんな雑巾がけまでしたし、お風呂場もみがいたの。だから、後で見てみて。シャワー浴びる時にでも。すごくぴかぴかになってんだからさ」
「へ、たまにやったからって、威張んなよな」
やっと口を開いたかと思ったら、本当に憎らしいことしか言わない弟だ。
「け、そっちこそ、模擬試験でしくじったか何だか知らないけど、家で苛々するのやめてよね」
「うるっせーな、ばばぁ」
「ばばぁってなんだよ、ばばぁって。誰に向かって言ってんだ」
「もう、いい加減にしてちょうだい。あなたたちの喧嘩には、お母さん、もうウンザリなのよ」
母の言葉が、余りにも感情的で尖っていたので、二人ともハッとして黙り込んだ。食卓の空気が、ぴんと張り詰めた。
「毎日毎日、顔を合わせれば喧嘩ばかりして、もう少し仲良くすることはできないの」
「だって姉ちゃんが」
「だって伸行が」
「だから、そういうのをやめてって言ってるのよ。あなたたちの喧嘩には、もういい加減うんざりなの、わかった!」
「・・・・・・」
姉弟は互いに相手を責める様に睨みあったが、それ以上は何もせず、食事の続きに戻ることにした。今度は千紗も、黙って黙々と口を動かす。
「そういえば千紗、あなた、夏休み始まって、どうなの」
尖った口調だ。どうやら今夜の母は、言葉のナイフを振り回したい気分らしい。千紗は、げんなりしながら母の方を見た。
「どうなのって・・・」
「だらだらしてばかりで、きちんと勉強しているのかって、聞いているの」
「し、してるよ、もちろん」
千紗がどぎまぎしながら答えると、
「うちの手伝いをしてくれるのはありがたいけど、勉強をさぼる言い訳にするつもりなら、お断りだから」
と、どこまでもとげとげしい。
「そんなことしないよ」
「じゃあ、もう少しきりっと生活しなさい。あなたがだらだらしていることくらい、お母さんはちゃんとわかっているんだからね。あなた、お母さんが出かける時間に起きてきたことないけど、毎日一体何時まで寝ているわけ。そんな調子だと、なにも勉強しないうちに、夏休みなんてあっという間に終わってしまうのよ」
「わかってるよ、そのくらい」
「わかってないから、言ってるんでしょ!」
「わかってるってば。明日からはお母さんが出かける前には起きるわよ。それでいいんでしょ!」
「そんな言い方ある? 自分のことでしょ」
「だから、わかってるって言ってんの。もう、いい」
それ以上は耐えられなくなって、千紗は席を立つと、自分の部屋に逃げ込んだ。なんだよなんだよ、伸行ばかりかお母さんまで。千紗は、乱れた心のまま、最近すっかり万年床と化しているベッドに身を投げた。
一方、ダイニングでは、母と伸行が、重たい空気もそのままに、食事を続けていた。千紗が残していった料理が、お皿の中で冷えてゆく。眉間にしわを寄せてじっと黙っていた母が、ため息をひとつついた。そして、先ほどから透明人間の様に、ひたすら存在を消していた伸行に気付くと、
「ね、のぶちゃんも、勉強に差し支えるくらいなら、お手伝いなんかやめてね」
と、厳しい口調で言った。
「だ、大丈夫だよ、僕は」
完全に八つ当たりだとは思ったが、伸行は賢くもそのことには触れずに、受け流した。
そして、この重たい空気から逃れる様に、ご飯茶碗を手に持った。必死にご飯をかきこみながら、眩しすぎる食卓の灯りと、キンキン響くテレビの音に、頭がくらくらするように感じた。とにかく、今の自分にできることは、元気にご飯を食べることだと信じ、気まずさをこらえて、ひたすら食事を続けた。




