一学期終了 4
それから一時間ほど後、千紗と山田奈緒と野村真由子の三人は、ドーナッツ屋にいた。一学期の最終日にここでドーナッツを食べようと、三人はかなり前から計画していたのだ。三人の前には、ドーナッツが二つずつ、飲み物と共に置かれている。千紗は、お気に入りのクリーム入りドーナッツは後に残し、二番目に好きなココナッツのついたドーナッツを手に取った。
「それにしてもさ、鮎川ってどうしてああなんだろうね」
オールドファッションと呼ばれるドーナッツを大きくひと噛みしながら、真由子が言った。
「そりゃまあ、誰だって花火大会には行きたいんじゃないの」
そう返事をしながら、千紗は、ココナッツがなるべく落ちないように注意しながら、ドーナッツを四つに割った。どっちみち、さやかの思い通りにならなかったのだから、その件に関しては、さばさばした気持だった。が、すぐに先ほどの菊池の言動を思い出し、口いっぱいにドーナッツを頬張りながら、千紗は再び真っ暗な気持ちになった。
「あいつはさぁ、なんでも自分の思う通りにしようとするところがあるよね。ほれ、いつかの席替えだってそうだったじゃない」
「ああ、それって、あたしが鮎ちゃんを怒鳴って泣かしちゃった時の話だね」
千紗は、蚊の鳴くような声で言った。
あの出来事から半年は経っていたが、まだ真由子は忘れていないらしい。
それは中学二年の後期の、千紗が学級委員になって間もない頃だった。学級委員の仕事の一つである席替えをしたところ、新しい席からだと黒板が光って字が見えにくいので替えてほしいと、鮎川さやかに頼まれたのだ。
しかし千紗は、それが黒板のせいではなく、隣の竹下毅が嫌だからではないかと考えた。なぜなら、それまでその席に座って、黒板の反射がどうとか言って来た人がいなかったのと、竹下毅の隣の席は、誰もがご遠慮申し上げたい、悪い意味での特等席だったからだ。
本音を言えば、千紗だって竹下の隣はご遠慮申し上げたい。一体何日お風呂に入っていないのかを考えずにはいられない臭いを発し、肩には大量のふけをのせて、いつも落ちつかなげに貧乏揺すりをしている竹下の隣は、できれば避けたい。その気持ちは理解できる。けれど、くじ引きで決まってしまったら、その時はあきらめて、みんな彼の隣に座ってきたのだ。それなのに、自分だけ逃れようとするなんて、そんなずるい話があるものか。
そう思った千紗は、鮎川さやかの席替えは、必要なしと考えた。次の席替えまで、そんなに長い間でもないのだから我慢してくれ思い、のらりくらりと、彼女の要求には応えず放っておいたのだ。
ところが、しびれを切らしたさやかが、ある日、実力行使に出た(と、千紗は解釈した)。その日、千紗が何気なく教室を見回すと、さやかが座るべき席に大野由香里が座っていたのだ。千紗が驚いて由香里に事情を聞くと、一方的に席を取り替えされられたという。見ればさやかは、大野由香里がすわるべき席に、ちゃっかり座っているではないか。それがまた、菊池亮介の隣だったのだ。
一瞬で千紗の怒りのボルテージは、一気に沸点に達した。千紗は、怒りの感情のまま、ずかずかとさやかに歩み寄り、自分としては出来る限りの冷静さを持って、さやかに席替えの件を抗議した。
しかしながら、後からその場にいた友人から聞いた話では、その時の千紗は、怒りのあまり目から火花を散らしながら、すごい迫力でさやかに迫っていたらしい。その結果、クラス中のみんなが唖然と見守る中で、鮎川さやかを泣かせてしまったと言う、そういう話なのだ。
「あれは本当に失敗だったな。まさか泣いちゃうとは思わなかった。そんなに怒鳴ったつもりはなかったんだもの」
「いやあ、あん時のゴンちゃんは、そりゃあもう、迫力満点だったよ」
「そうらしいね、あの後、いろんな人から同じようなことを言われたわ」
千紗は、ますます小さくなった。
「なんか、つい、カッとなっちゃってね。自分では精いっぱい感情を抑えていたつもりなんだけど、丸出しだったみたい」
「でも、もう終わったことだよ」と、山田奈緒。
「そうだよ。別にゴンちゃんが凹むことないよ。あん時、あたし本当に清々したもん。だいたい、あいつはずるいんだよ。女の武器を使って。菊池なんて骨抜きじゃん」
千紗は、自分の意思に反して熱いコーヒーをごくりと飲み込んでしまい、そのあまりの熱さに、胸を押さえて地味に一人でじたばたした。




