一学期終了 1
「はい、静かに」
担任のハンガー山本が、珍しく大きな声を出した。授業の終了を告げるチャイムはとっくに鳴り終わっているのに、教室の中は、もらったばかりの成績表を手に、いつまでも騒ぎが収まらない。
「静かに。まだ成績表をもらってない者、いたら手を挙げて」
「いませ~ん」
「宿題のプリントをもらってない者は」
「それは、いりませ~ん」
教室にどっと笑い声が響いた。
ハンガー山本も一緒になって笑っている。そして、笑い声が鎮まるのを十分に待ってから、ゆっくりと口を開いた。
「それじゃあ、夏休み中、事故やけが、病気に気をつけて。また九月に全員元気で会いましょう。はい、日直」
「起立!」
日直が、この日一番生き生きとした声を上げた。ガタガタと音を立てて、クラス中が一斉に立ち上がる。
「礼」
「さようなら!」
わっと、何かがほどけたようなざわめきが、教室に広がった。鞄を抱えて仲間と教室を飛び出す者、座って荷物の片付けをする者、仲良しとおしゃべりを始める者、どれもいつもの放課後の風景のようだけれど、やはりみんな、いつもよりテンションが高めだ。
バラ色の夏休みが待っているわけでもないのに、そんなもんかねえ。皮肉のこもった目で教室を見回しながら、千紗はふふんと鼻を鳴らした。やっぱり中学生ってどこかまだ無邪気というか、子供なんだよな。柄にもなくニヒルを気取る訳は、先ほど配られた成績表がどーんと心に暗い影を落としているからだ。
はあああ。千紗はついに我慢しきれず、ため息を漏らした。こりゃ、夏休みは背水の陣で勉強しないとまずいよな。ここで不屈のがんばりを見せないと、その後、もっと大きなため息をつくはめになるもの。
千紗は、のろのろと荷物をまとめ、数人の友人たちと名残を惜しんだ後、いい加減、空腹を覚えて、中西理沙とともに教室を出た。
「さっちゃん」
「お~い、ゴリエ」
その声を聞いて、千紗は思わず眉間にしわを寄せた。こんな風に自分を呼ぶのは、鮎川さやかと菊池亮介に決まっている。この二人がセットでくると、千紗にはろくなことがなかった。
「なに? 何か用?」
千紗は、感情的になるなよと自分に言い聞かせ、菊池にというより鮎川さやかに対して失礼がないように、にこやかに振り返った。にもかかわらず、次の瞬間、がくっと膝をつきそうになった。
目の前に並んで立つ二人は、なんてお似合いなのだろう。世の中には、見た目が不釣り合いなカップルというのもあるけれど、その点、この二人は嫌になるほどぴったりだ。実はそれほど背が高くない菊池なのに、さやかが華奢なせいか、いつもよりすらりとして見えるし、さやかも、浅黒く精悍な顔つきの菊池と並ぶと、スミレの花のような可憐さが際立つ。つまりこの二人は、並ぶことでお互いを引き立て合える、名コンビなわけだ。
千紗はゆっくりと二人に歩み寄りながら、頭の中では忙しく、では自分が菊池の隣に立ったらどんな風に見えるだろうか、と想像した。さやかがスミレの花だとしたら、あたしはなんだろう。精一杯前向きに頭を働かせてみるのだが、良く言ってエリンギ、もっと言うと丸太ん棒か土管?くらいにしか、見えないような気がする。そうだ。細身の菊池と並んだら、あたしなんて土管くらいが丁度いい。
「おおお! 馬場猪木コンビは、体育以外でも健在か」
菊池が、千紗と理沙を見比べながら、すでに充分に折れている千紗の心を、さらに踏みつけてきた。
「うるっせーな」
千紗は、眉間にしわを寄せ、低く唸った。さやかの前で、こんな態度はとりたくなかったが仕方がない。
馬場猪木コンビ。
最近、中西理沙と二人で連れだっていると、ドアホな男子どもからよく投げかけられる言葉だ。いつもの千紗なら、笑って聞き流せる軽口だ。そもそも、この手のジョークをさらりとかわせないなんて、全く千紗らしくないことなのだ。




